第12話 魅力的な嫉妬④
殺人女優のことをお願いします、と言って頭を下げるキリエに見送られながら、ナインスは上機嫌で馬車へ向かって歩いていた。
よほど子猫をもらったことが嬉しいのだろう。その足取りは軽やかだった。
「よかったですね、ナインスお嬢様」
「うん、歌劇はつまんなかったけど、来たかいがあった」
「然様ですか」
エドワードにエスコートされ、馬車に乗り込む。
と、そこで目の前にモニターが浮かび上がった。闇色の画面の中で、白い文字が浮かび上がる。
「あ。アリス姉様」
【――ふふ、ずいぶんとご機嫌みたいね、ナインス。そんなに歌劇は楽しかったのかしら?】
「ううん、正直わかんなかった」
【――あら? ではどうしたの?】
不思議そうにたずねるALICEに、ナインスは劇場での出来事を説明した。
もちろん、キリエという女性から頼まれた殺人女優の話も含めてである。
「それで、どうしたらいいかな、アリス姉様?」
本当は子猫の話をしたかったが、そのことはグッとこらえ、ナインスは聞いた。
【――殺人女優とは、また物騒な言い方ね】
「ショーをするなら、今からでも大丈夫だよ?」
【――そうね……】
ALICEはしばし沈黙すると、
【――実は、この歌劇団のことはわたしも前から少し調べていたの】
「そうなの、アリス姉様?」
【――ええ】
そして都市の女王は柔らかな口調で、
【――やはり『醜いもの』とするわ】
ショーの執行を言い放った。
【――すぐにシザーズ・マリーを届けるわ。帰るのが遅くなってしまって悪いけれど、お願いね、シスターズ9th】
「はい、アリス姉様」
【――良い子ね。任せるわ】
モニターがブラックアウトし、そして掻き消える。
ナインスは愛らしい子猫の生首を優しげに見つめながら、仕事道具の到着を待った。
◇ ◆ ◇
つい昨夜、一人の若い女優が飛び降りたばかりの屋上に、二つの人影があった。
片方は、ブルネットの髪を高く結い上げた女優キリエ。
そしてもう片方は、金色の髪を同じく高く結い上げた可愛らしい女優ミレーニアだった。
「……どうしたんですか、キリエさん? こんなところに呼びだして?」
微笑みのミレイの名に恥じない微笑と共に、ミレーニアはたずねる。
対して、キリエもまた笑みを浮かべると、
「あんたは終わりよ、微笑みのミレイ」
その笑みは、勝ち誇るかのようだった。
「終わりとはどういうことですか?」
「あはは、もちろんあんたの命がここで終わりってことよ!」
そこでキリエは、バッと背後を振り返った。
「ナインス様! こいつが殺人女優のミレーニアです!」
「――ふうん」
風が吹きすさぶ夜の屋上に、もう一つの影が舞い降りる。
微笑みのミレイは思わず息を飲んだ。
それは、あまりに美しい人形の少女だった。月明かりに照らされて妖しく煌めく血色の髪。白磁のような手足を球体状の関節が繋いでいる。その手には、巨大な鋏が握られていた。
「はじめまして」
チリリン、と鈴が転がったような可憐な声で、ナインスは言った。
「私はナインス。アリス姉様の九番目の妹人形。シスターズ・ナインス」
「シ、シスターズって……」
ミレーニアは口元を押さえ、呻いた。微笑みから一転、焦ったような表情に変わる。
『醜いもの』として殺処分指定になった人間を殺して回る殺戮人形――シスターズ。
そんなシスターズが現れたということは……
「ち、違います!」
ミレーニアは蒼白になりながら、
「わ、私は誰も殺してなんかいません!」
「あはは! もう遅いわよ、殺人女優! あんたはここで『醜いもの』として死ぬのよ! ――そうですよね、ナインス様!」
勝ち誇った様子で、キリエが問う。
その問いに、ナインスはシザーズ・マリーを真横に構えながら、
「ううん、違う」
「……え?」
キリエは目を見開く。
ナインスからの返答は思いも寄らないものだった。
「別に、彼女は誰も殺してなんかいない。単なる自殺だってアリス姉様が言ってた。彼女は『醜いもの』じゃない」
ナインスの手に握られたシザーズ・マリーの切っ先が、スッと真横に動く。
その切っ先が示すのは――キリエ。
「『醜いもの』になったのは、あなただよ」
「わた、し……?」
キリエの目が、極限まで見開かれた。
「ど、どうして……べ、別に私は何も悪い事なんてしてないわよ……」
「ううん、あなたは殺した」
「こ、殺したって……わ、私はだれも殺してなんか……」
「殺したよ」
ナインスはそこで、どこからともなく小さな小箱を取り出した。
それを見て、キリエは息を飲む。
ナインスは小さく笑みを浮かべ、言い放った。
「子猫、殺した。だから殺処分指定だよ」
「そ、そんな……たかが猫じゃない……そんな猫を殺しただけで、殺処分だなんて……」
「何を殺したかは、どうでもいい」
大切なのは、その理由だ。
判断の根拠はただ一つ――美しいか、否か。
そしてALICEは、嫉妬のために子猫を殺したキリエを『醜いもの』と断じた。
「この世界に、醜いものは許されない」
次の瞬間、ナインスの姿がぶれた。それとほとんど同時に、キリエの首の両側を巨大な刃が挟み込む。
恐怖に顔を引きつらせながら、キリエは見た。
正面に佇む微笑みのミレイ。その顔には、勝ち誇った微笑が浮かんでいた。
「ふふ、終わりなのはあなたの方でしたね、準主役のキリエさん」
「このオンナァァァッ!」
ジャキン!
醜く顔を歪めた女優の首が、宙を舞った。
◇ ◆ ◇
「お帰りなさいませ、ナインスお嬢様」
人目につかない場所に馬車を止め、ナインスの帰りを待っていたエドワードは、戻ってきた主人の顔を見るなり頬を弛ませた。
「ただいま、エドワード」
ナインスもまた、笑みを浮かべる。
シザーズ・マリーについた血糊を振り払うと、ナインスは馬車の後部に取り付けられた箱に丁寧にしまい込んだ。本来であれば、こういった雑事は執事であるエドワードの役目なのだが、自動人形であるエドワードでは金属の塊であるシザーズ・マリーを持ち上げられないため、ナインスがやるしかなかった。
ナインスが箱の中に大鋏を納めると、エドワードが蓋の留め金をかけてゆく。それを確認すると、再びエドワードにエスコートされ、ナインスは馬車に乗り込んだ。
間もなくして、馬車が走り出す。
「お疲れ様でございました、ナインスお嬢様。ショーはいかがでございましたか?」
「今日は、返り血でドレスを汚さなかったよ」
「それはようございました。きっと、アリス様や他の妹様方も褒めて下さいますよ」
「そうだね」
流れてゆく夜の街並みを眺めながら、ナインスは笑みを漏らす。
(なんだかんだで、今日は良い日だった)
縫い針を買い足すことも出来たし、エドワードにエスコートをしてもらうという経験も積めた。ショーでドレスも汚さなかったし、完璧といって良いだろう。
それになにより――
「かわいい……」
蕩けるような笑みを浮かべながら、ナインスは抱えた小箱の中をのぞき込んだ。
ふわふわとした毛並みに、小さな耳。首から下がないのが残念だが、こんな可愛い子猫をもらうことが出来たのだ。それだけで出かけたかいがあるというものである。
「帰ったら、他のみんなにも見せてあげよ」
「それがよろしいですね、お嬢様。独り占めはよくありませんので」
「そうだね、エドワード」
ナインスはほころぶように笑い、言った。
「仲が良いのが一番だね」
子猫の生首が入った箱を、ナインスは心底嬉しそうにキュッと抱きしめた。




