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第11話 魅力的な嫉妬③


 西の空に夕日が輝く頃。

 四頭立ての機械仕掛けの馬が引く馬車の中で、ナインスは窓の外を眺めていた。隣に座るエドワードの手には、先ほど裁縫屋に寄って大量に購入してきた縫い針の入った袋が抱えられている。


「まもなく劇場に着きますよ、ナインスお嬢様」

「ん、わかった」


 煉瓦造りの美しい街並みを見つめながら、ナインスは頷く。


「それにしても、このようにお嬢様のエスコートを任されるとは、大役すぎて思わず身体が震えそうですね」

「迷惑だった、エドワード?」

「まさか。むしろ光栄の極みですよ」


 メガネの奧の瞳を緩め、エドワードは笑みを浮かべる。

 ちなみに、いつものドレス姿のナインスに対し、エドワードは執事服ではなくタキシードに蝶ネクタイという出で立ちだった。頭の横にある捻れた角を隠せるようにと、シルクハットも被っている。


「似合ってるね、エドワード」

「光栄です。ナインスお嬢様もいつも通りお美しいですよ」

「ん、ありがと」


 そうこうしているうちに、馬車が自動的に停止する。


 まず、先に降り立ったのはエドワードだった。ステッキを小脇に抱え、優雅に一礼すると、白い手袋に包まれた手を差し出す。


「それでは、お手を拝借する栄誉にあずからせていただいてもよろしいですか、お嬢様?」

「もちろんだよ、エドワード」


 笑みを浮かべつつ、ナインスはエドワードの手を取った。馬車から降りる。

 とたんに、劇場の前にいた人々の間から溜息が漏れた。


「どうしたんだろ?」

「皆様、おそらくナインスお嬢様のお美しさに感嘆されているのかと」

「あんまり目立ちたくないんだけど」


 人形として愛でてもらうことは大切だと思うが、ナインスとしては別に見せ物になる気はなかった。騒がれても面倒くさいだけである。


「ならば、早々に中に入ってしまいましょう。アリス様が貴賓席を押さえてくださったようです。そちらに行けば、落ち着けるかと」


 エスコートいたします、と言いながら、エドワードは半歩前に出ると左腕を差し出した。ナインスはその二の腕の部分に自分の右手を絡ませる。ちょうど腕を組む感じだった。


(ちょっとだけくすぐったい感じかも)


 けれど、悪い気はしない。


 姉妹たちの次に大好きな男性型自動人形にエスコートされながら、ナインスは劇場に入っていった。






 ◇ ◆ ◇






 悲劇の歌劇団ことバーミンガム歌劇団のショーは、全部で三幕からなっている。


 一幕と二幕は前座だった。軽快な音楽に合わせての踊りや歌などが主な演目で、一つ一つの演目の時間は短い。


 それが終わると、いよいよ一番のメインである歌劇になる。


 今夜の演目は『ベルナールの夜宴』という悲劇である。


 カーネル夫人という女性が、己の子どもを有力貴族のマルーン伯爵の令嬢と結婚させようとするが、令嬢には別に恋人がおり、怒ったカーネル夫人がその恋人を殺してしまい――という、早い話が女同士の愛憎と、それにまつわる悲劇を描いた演目だった。女優たちの迫真の演技と、歌と演奏を織り交ぜた構成、空中投影技術まで併用した舞台演出は、まさに秀逸と言えた。


 が、しかし――


「すぅ……」


 ナインスはというと、第三幕が始まって五分足らずで眠りに落ちていた。






 ◇ ◆ ◇






「ナインスお嬢様、起きてください。ナインスお嬢様」

「んう……」


 エドワードの呼び声に、ナインスはゆっくりと瞼を開いた。


「ナインスお嬢様、閉幕でございますよ」

「ふぁ……ようやくか……」


 ゆったりとした貴賓室の背もたれ椅子の上で、ナインスはグッと背伸びをした。


 見れば、舞台では中央にいる二人の女優を先頭に、何人もの女優や男優たちが割れんばかりの拍手の音に包まれていた。一斉に頭を下げると、拍手の音が一際大きく響く。


 そしてゆっくりと幕が下りたところで、会場に明かりが灯された。


 結論だけ言えば、一幕と二幕の歌と踊りはそれなりに楽しめたというのが、ナインスの感想だった。


「正直、悲劇とか私には意味不明。エドワードは分かった?」

「いいえ。アリス様ならばつゆ知らず、残念ながら私の計算処理能力では解釈は不可能のようです。申しわけありません、お嬢様」


 涼しげな微笑を浮かべつつ、エドワードは頭を下げた。


「いいよ。私も分かんなかったし」


 だいいち、ナインスには悲しい劇と言われてもいったい何が悲しいのかよく分からなかった。それ以前に、悲しい劇を見て何が面白いんだというのが正直な本音だ。


(悲しい劇を見て楽しむとか、私にはさっぱりだ……)


 とはいえ、そんな悲劇を楽しむために、多くの人間がわざわざ集まってきている。しかも安くはないチケット代を払ってまで。

 元は人間だったとはいえ、人形のナインスには劇場に集まった人間たちの心理がいまいちよく分からなかった。


 あるいは、とナインス。人間だった頃の自分なら、この劇場に集まった他の人間たちのように、悲劇を楽しむことが出来たのだろうか……?


(どうせ憶えてないし、どうでもいいか)


 ナインスは自分の考えをさっさと放り出した。


「……悲劇じゃなくて喜劇だったら、ちょっとは面白さが分かったかな?」

「何かおっしゃられましたか、お嬢様?」

「ううん、なんでもない。帰ろ、エドワード」

「かしこまりました」


 再びエドワードと腕を組み、貴賓室を後にしようとする。

 そのときだった。


「し、失礼いたします!」


 そこでふいに、ナインスたちに声がかけられた。

 そこにいたのは、シルクハットを被った小柄な男性だった。


「誰?」

「も、申し遅れました。ワタクシ、この歌劇団の支配人をさせていただいている者です。シスターズ様とお見受けいたします」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「は、はい。それが、その……」


 支配人は、額に汗を滲ませながら、


「うちの女優がシスターズ様に挨拶をしたいと申しておりまして、失礼ですがご足労頂いてもよろしいでしょうか?」

「私に挨拶?」


 舞台、ほとんど見てないんだけど……


 内心でそう思いつつ、とりあえずナインスは支配人の後をついていった。






 ◇ ◆ ◇






 秩序の番人にして女王の代行者――シスターズ。

 はじめてその人形の少女を見た瞬間、キリエの中に言いようのない敗北感と屈辱感が湧き上がった。


(なんなの、このおぞましいくらいに綺麗な子は……これがシスターズなの……)


 女優として、キリエは自分の美しさに自信を持っていた。可愛らしさという意味ではミレーニアに一歩勝ちを譲るだろうが、美しさという意味ではこの劇団の中で一番だという自負がある。この街で一、二を争うだろうとも思っている。


 しかしそんなキリエでも、目の前にいる少女には到底およばないと思わされた。


 鮮やかな血色の髪に、同じ色の瞳。白磁のような肌。目鼻立ちは背筋が震えるくらいに整っている。それこそ、自分など足下にもおよばないほどに……。


(くっ……)


 キリエは内心で激しい嫉妬心に駆られる。


 なによりキリエの嫉妬心を煽ったのは、この少女が人形ということだった。永遠に美しい姿を保ち続ける人形。血の滲むような努力によって美しさを保っているキリエにしてみれば、永遠にこの美しさを保てるであろうこの人形の少女の存在など、許せるものではなかった。


 一瞬、キリエはこの人形の少女の顔を歪めたいという思いに駆られた。しかし、その衝動と嫉妬心をグッと飲み込む。


 自分の目的を思いだし、キリエは女優の名にふさわしい派手な笑みを浮かべると、


「わざわざお呼びだてしてしまい、申しわけありません。名高いシスターズの方に、どうしてもご挨拶をしたくて。ご無礼、お許し下さいませ」


 キリエは舞台衣装のままの姿で、優雅に一礼した。


「このバーミンガム歌劇団の看板女優をしております。キリエ・マエバラです。どうかお見知りおきを」

「ん、はじめまして。私はナインス。アリス姉様の九番目の妹人形。シスターズ・ナインス。こっちはエドワード」

「ナインスお嬢様のお世話をさせていただいております、執事のエドワードと申します」


 人形の少女と自動人形の執事は、そろって一礼した。


「支配人、後は私がやるわ。下がって良いわよ」


 支配人を下がらせると、キリエは控え室の中央に置いてあるテーブルにナインスたちを案内した。わたくしは執事ですので、とエドワードは同席を固辞したため、ナインスだけに席を勧める。


 手ずから入れた紅茶をナインスと自分の前に置き、キリエもまた椅子に腰を下ろした。


「ナインス様とお呼びしても? それともシスターズ様と?」

「ナインスで良いよ」

「では、ナインス様と」


 内心では、なんでこんな小娘に『様付け』しなきゃいけないのよ、と思いつつ、キリエはそんな内心をみじんも感じさせない様子で、


「今晩のショーは楽しんでいただけましたか、ナインス様?」

「……」


 そこでなぜか、人形の少女の動きがピタリと止まった。

 しかしすぐに動き出すと、すました表情のまま紅茶をすすり、


「面白い喜劇だったよ」

「はい……?」


 今度はキリエが動きを止める番だった。


「あの、ナインス様? 今宵の演目である『ベルナールの夜宴』は、喜劇ではなく悲劇だったと……」

「……間違えた、悲劇だった」


 悲劇、悲劇とナインスは口の中で何度も呟きながら、


(紅茶だけもらったらさっさと帰ろ……)


 そんなふうに思った。


「あの、ナインス様? どうかされました?」

「ううん、別に」


 ナインスはカップをソーサーに戻すと、


「それで、挨拶ってそれだけ?」


 そそくさと席を立とうとするナインスに、キリエはわずかに焦った様子で、


「ま、待ってください、ナインス様!」

「まだ何かあるの?」

「はい。実は、ナインス様に是非ともご相談したいことが」

「私に相談?」


 不思議そうに首をかしげるナインス。


 対してキリエは、先ほどまでの笑みから一転、まるで恐怖に身を震わせる乙女のような様子で、



「はい、実はこの劇団には恐ろしい殺人女優がいるんです」



 キリエは己の演技力の全てを使い、説明をはじめた。






 ◇ ◆ ◇






(ふうん、殺人女優かあ……)


 キリエの説明をまとめると、こういうことだった。


 この悲劇の歌劇団には、キリエの次に人気のある『微笑みのミレイ』ことミレーニア・ランドハートという女優がいる。その女優というのがかくも嫉妬心の固まりのような女優で、自分の人気を脅かそうとする若手の女優を、自殺に見せかけて殺しているのだそうだ。事実、昨日屋上から飛び降りたケリーという女優も、実はミレーニアが突き落としたのだと、キリエは涙ながらに語った。


「あの女は、本当に恐ろしい殺人鬼なんです! きっと、次に狙われるのはこの私です! あの嫉妬深いミレイのこと。自分よりも人気のある私を殺そうと、今か今かと機会を窺っているはず! どうか助けて下さい、ナインス様!」


 涙を流しながら、懇願の声をあげるキリエ。

 対して、ナインスはというと――


「ふうん」


 あまり気のない様子だった。


「ナインス様は、あのような恐ろしい殺人鬼を放っておいてもよろしいのですか!」

「別に、そういうわけじゃない。そのミレイっていう女優が『醜いもの』なら、ちゃんと処分する。それが私たちシスターズの役目だよ」

「紛れもなく、あの女は殺人鬼です!」


 涙ながらに女優は訴える。

 そんなキリエを横目に、ナインスはふと考えた。


(殺人鬼って、『醜いもの』なのかな?)


 醜いものを狩ることに躊躇はないナインスだが、ではキリエのいう『殺人鬼』というのが『醜いもの』にあたるのかと問われたら、ナインスにはよく分からなかった。


 もちろん、このガーデンにおいて殺人はれっきとした犯罪である。しかし同時に、仕方のない理由――もちろんそれを判断するのは女王であるALICEだが――があれば、情状酌量になることもある。


 ちなみに、仕方がないと判断される根拠は一つ――美しいか否かだ。


(確か、理由が美しかったら別にいいんだよね?)


 では、今回はどうなのだろうかとナインスは考える。


 キリエの話によれば、そのミレイが若手女優を殺したのは、相手に嫉妬したからだという。自分より人気が出そうな相手を嫉妬して、人気が出る前に殺したという話だ。


 そして正直なところ、ナインスには『嫉妬』が美しい理由なのかどうなのか、いまいちよく分からなかった。


(とりあえず、アリス姉様に聞いてみよ)


 それでALICEが美しいと判断すればそのままだし、醜いと判断すれば殺すだけだ。

 それを参考に、今後の自分の判断材料にすればいい。


 とりあえずナインスはそう思った。


「わかった、とりあえずアリス姉様に話してみる」

「あ、ありがとうございます、ナインス様!」

「別にいい。醜かったら殺すだけだから」


 喜色を浮かべるキリエを前に、ナインスは席を立とうとする。

 と、そのときだった。


(あれ、この匂い……)


 そこでふと、ナインスの鋭敏な嗅覚があるものを捕らえた。


 先日の違法麻薬『アンデルセン』の一件以来、なるべくナインスは外にいるときは自分の感覚感度を上げておくようにしていた。またしても見落としなんてしたら、シクスやエイスにからかわれるからだ。


 そんなナインスの嗅覚が、なじみの深い匂いを感じ取る。


「血の匂いだ……」


 紅茶の香りに紛れて分からなかったが、よくよく感じると部屋の中にわずかに血の香りが漂っていることにナインスは気付いた。


 発生源はというと……箱?


「なんだろ、これ?」


 テーブルの足下に置かれている箱に気付く。血の香りは、その中から漂っていた。

 ナインスは箱を手に取る。


「そ、それは!」


 これに焦ったのはキリエだった。

 マズイ、あの中には……


 ダメッ! と叫びつつ、しかしキリエは心のどこかである期待をしていた。


(あれを見たら、きっとこの子の綺麗な顔が恐怖に歪むはずよね……)


 ナインスを最初に見たときに湧き上がった衝動――この綺麗な顔を歪めたい――が、頭をもたげてくる。


 そしてついに蓋が開かれ、少女がその中をのぞき込み――



「かわいい……」



「は?」


 キリエは一瞬、この人形の少女が何を言ったのか分からなかった。

 かわいい? 猫の生首が?


 困惑するキリエ。

 対して、ナインスはというと、


「見て、エドワード。すごくかわいい子猫だよ」


 珍しく声を弾ませていた。


 箱の中に指を入れると、子猫の生首をそっと撫でる。


「ふわふわ。エドワード、ふわふわだよ」

「然様ですね」


 年相応に頬を弛ませながら子猫の生首を撫でる少女と、それを見て柔らかく微笑する美青年。


 非常に絵になる光景ではあったが、それを前にしてキリエは言いようのない何かを感じていた。


 もしかしたら自分は、とんでもないモノに頼んでしまったのではないか……そんな風に思った。


「ねえ? これ、あなたの猫?」

「え、ええ……そ、そうですけど……」

「首から下はないの?」

「いえ、その……捨ててしまったので……」

「そうなんだ、残念。しっぽとか撫でたかったのに」


 一瞬、残念そうな表情を浮かべたナインスだが、すぐに喜色を浮かべると、


「まあいっか。首だけでもかわいいし」

「あの、よろしければ差し上げますけど……?」

「え? いいの?」

「えっと……はい、どうぞ」

「ありがと」


 可憐な笑みを浮かべてお礼を言ってくるナインスに、キリエは顔を引きつらせながら、どういたしましてと答えた。






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