209話 今度こそ、幸せに。
本日もよろしくお願いいたします。
しゅるり。
「にいさま……! わたしは、ネヤは……にいさまをずっとずっとお慕いして……!」
腰の帯が解かれ、前合わせが外れる。黒の衣装がまるで羽のように広がり、白く幼い裸身があらわに――
「だめだよ。ネヤ」
――それよりも早く、一足で近づくと、僕はその前合わせをそっと戻してから、ぎゅっとネヤの華奢な体を抱きしめた。
「にいさま……! どうし、て……! 【あの夜】とは違います……! わたしは、【花】でも、【妹】でもなく、ひとりの娘として、にいさまを」
「ありがとう。ネヤ」
「に、にいさま……!」
「でも、君はまだ、なにも知らない」
「え……?」
「聞いて。ネヤ。僕には、この一年いろいろなことがあったよ」
そう。本当にいろいろなことがあった。【家】を飛びだしてあてのない僕が【光】の勇者パーティーに拾われて【獣魔王】と戦って、追放されて。
そうしたら、ロココやディシーやニーベリージュ、ほかにも思いがけない出逢いがいくつもあって、【輝く月】を結成して、【死霊魔王】をみんなと討ち果たし、そして、聖剣に選ばれ、【闇】の勇者となった。
「もちろん、いいことばかりじゃなくて、いやなこともたくさんあったし、綺麗なものばかりじゃなくて、目を背けたくなるような汚いものだってたくさん見てきた」
抱きしめていた体を少しだけ離して、お互いの息がかかるようなすぐ近くで、僕と同じ色の潤んだネヤの瞳をまっすぐに見つめる。
「でもね。ネヤ。それは全部、僕があの小さな箱庭を飛びだしたからこそ、気づけたこと、見つけたものばかりなんだ。だから、ネヤにもまず見て、そして、知ってほしい。この広く大きな世界を。そのうえで、決めてほしいんだ。君自身の人生を、君自身で。だって君は、もう当主にささげられる運命の【真花】なんかじゃない。僕の大切な【妹】で、世界にただひとりのネヤ・レイスという女の子なんだから」
「…………わかり……ました……」
その僕の言葉を刻みこむようにまぶたをとじ、ゆっくりと時間をかけてから、やがてネヤはこっくりとうなずいた。
「でも、にいさま?」
――だから、どこか油断していたのかもしれない。
「っ……!?」
そっと頬に触れた、そのやわらかで甘やかな――
「これだけは覚えていてください。きっと、わたしは変わりません。これから先何年経っても、なにを見出そうとも。お慕いする方も、そばにいたいと願う方も。だって、わたしの幸せは、もういまここにあるのですから」
すっと音もなく、ネヤが僕から離れる。
「だから、もう二度とわたしを離さないで。にいさま。ふつつかな【妹】ですが、どうか末永くよろしくお願いいたします」
扉の前まで楚々と歩を進めると、そのまとう黒の衣装を羽のように広げて、流麗な動作で頭を下げる。
「それでは、おやすみなさい。わたしの愛する世界でただひとりの大切な大切なノエルにいさま」
――そして、その艶やかな紅をさした唇を花咲くようにほころばせて、僕の部屋をあとにする。
「……【母さま】」
そっと、左耳につけた青い装飾具に触れる。
「約束するよ。今度こそネヤを幸せに……ううん、ふたりで幸せになる、って」
(ええ……。お願いね……。ノエル……)
月明かりの下、どこからかそんな声が聞こえてきた気がした。
……とても愛しくて、優しくて、そして懐かしい、僕たち【兄妹】を想うそんな声が。
2部完の次に綺麗な終わりになります。
お読みいただきありがとうございました。





