189話 最初から。
本日もよろしくお願いいたします。
――冷えきって、いた。
「いやぁ。それにしても助かりましたぁ。いまから一年ちょっと前ですかぁ。次代当主候補であるノエルさまがいなくなったときは、ほとほと困りはててどうしたもんやろと思いましたけどぉ。なかなか足どりもつかめませんし。まあ帝国を逃げだしてディネライア王国にずっといたんなら、無理もないですけどぉ」
――震えて、いた。
「けど、これも天の配剤いうんですかねぇ? つい先日、【真花】であるネヤさまに月のも――っと失礼しましたぁ。御子を産む資格ができたっちゅうことで、【レイス家】一同、ようやく胸をなで下ろした次第ですぅ。まあその矢先にいなくなられたんで、結局また肝を冷やすはめになったんですけどぉ」
――吐き気がして、たまらない。それでも自然と唇は動いた。
「でも、先々代は、僕がいた一年前から、ほとんど寝たきりだったはずだ」
「ああ、そのへんは強壮魔薬でもなんでも使ってなんとでもしますぅ。まあネヤさまにがんばってもらえば、別に起きんでもかまわへんし、ぼくの目算では最低三日はいけると踏んでますぅ。まあ閨事のあとにはお倒れになるかもしれへんけど、ご自分で【レイス家】の血を次代につなげられるんなら先々代もきっと本望やと思いますぅ」
――別に思い出なんて、ない。
先々代。僕にとっても祖父かもしれないその男に。ただ、【母さま】からは、厳格な当主だったと、聞いている。
他人にも、そして自分にも厳しい、研ぎ澄まされた抜き身の刃物のような暗殺者。そんな男が、自分の、年端もいかない孫娘を穢して、本望……?
――煮えたぎって、いた。
「もう……もうやめて……! わたしなら、帰りますから……! ちゃんと【真花】としての役目をはたしますから……! だから、もう……もう、にいさまにはぁっ……!」
見なくても、わかる。両の瞳から大粒の涙をこぼしつづけるネヤの悲痛な叫びが耳から入ってきて僕をゆさぶる。
「ああ、そやね。ネヤさまぁ。先々代のために、出発は少しでも早いほうがええし」
――頭は、冷えきって、いた。
「ぼくのやさしさで聞いたったネヤさまのわがまま。【兄妹】最初で最後のおままごととやらは、もうこれくらいでええやろ」
――体はぶるぶると、なにかにずっと、震えていた。
「にいさま……! ごめんなさい……! わたしが……わたしが……隠しきれなかったから……! こんな思いを……にいさまに……してほしくは……!」
――そのおぞましさと醜悪さに、口の中に吐き気がこみ上げる。
「さぁ。ネヤさまぁ。これで本当に最後ですぅ。どうぞ【兄君】ノエルさまにお別れのごあいさつを」
「ノエル……にいさま……! 逢えて、もう一度逢えて、うれしかった……! ネヤは……ネヤは……しあわ……う、ううぅっ……! なんで……なんでいえなっ……!」
――胸の中が煮えたぎって、いた。
心の奥底に押しこめていた澱。
【あの夜】、ネヤの前から逃げだした罪の意識が。【家族】を失った悲しみが。僕たち【兄妹】に望まない運命を強いることへの怒りが。それを定め、強いたものたちへの憎しみが、あふれだす。
――ねえ? 君は、どうしたい? ノエル・レイス。
いや、違う。最初から答えは、知っていた。どうするべきかなんて、最初から決まっていた。
「ノエル……にいさま……! どうか、どうかお幸せに……! わたしは、ネヤは、愛しています……! 心から……! ずっと、ずっと……! にいさまのことだけを永遠に……!」
「僕が、継ぐよ」
その言葉は、驚くほど滑らかに口をついて出た。
「にい……さま……?」
見なくても、わかる。いま、ネヤのその黒曜石のような瞳が、どれほど見開かれているのか。信じられないとその華奢な体が僕のうしろで震えているのか。
「いまぁ? なんていわれましたぁ? ノエルさまぁ?」
僕の前に立つその狐のように目の細い、ひとのかたちをしたモノが口もとを裂けたように粘つくつり上げた。
――聞こえていないはずがない。けど、それが望みなら、何度だっていってやるよ。
「僕が、継ぐよ。だから、いまこの場で認めろ。お前にはその権限があるはずだ。当主代理【左刀】のスライ。いまこの瞬間から――」
「にいさま……!? だ、だめです……! やめてぇぇっ……!」
「はいぃ……! 当主代理【左刀】のスライの名において、承認しますぅ……!」
「――先々代じゃない。【レイス家】当主はこの僕、ノエル・レイスだ」
――こうして、僕は選んだ。
きっと最初から決まっていた、僕にとって悔いのない、最善の選択を。
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ということで、ついに選択しました。ですが……?
次回「すべて僕のものだ」 章タイトル回収回。
では、また明日。





