その89 メス豚と復讐者
『ん? 終わったか?』
私は地面から鼻面を上げた。
いかんいかん。退屈しのぎにドングリを物色していたら、すっかり夢中になってしまっていたようだ。
いつの間にか戦場の喧噪も収まり、山にはいつもの静けさが戻っていた。
ついさっきまで空の頂点にあった太陽も、幾分西に傾いている。
時間としては午後の二時~三時といったところだろうか?
私は見晴らしの良い崖にポテポテと近付いた。
『結局、引き分けって事ね』
眼下に広がるのは、プチ強化された魔獣討伐隊のキャンプ地だ。
さっきまで彼らと争っていたロヴァッティ伯爵軍は、離れた位置で隊列を組みなおしている。
どうやら今日の戦いはここまでで、このまま撤退に移るようだ。
殺気とでも言えばいいんだろうか?
ついさっきまでこの戦場に漂っていたある種の”熱”が明らかに引いていた。
やっぱりね。
私の予想通り、ロヴァッティ伯爵軍は粛々と後退を始めた。
魔獣討伐隊の追撃は・・・ないようだ。
付け入るスキを見つけられなかったのか、あるいは単に戦い疲れているだけなのか。
日の出からずっと戦ってたし、後の方の理由かな。
ちなみにずっと戦っていたと言っても、休みなく戦ってた訳じゃない。
小一時間ばかり戦ったら、一時間ほど休憩を挟んでまた戦う。そんな感じで二つの軍隊は休み休み戦っていた。
長い時には三時間ほど休憩を挟んだ時もあったっけ。
いやまあ実際は休憩じゃなくて、部隊の再編成とかをしてたみたいだったけど。
そんなダラダラとした戦いを見せられて、私はすっかり退屈してしまったのだ。
とはいえ、人間が全力で戦える時間なんてたかが知れているからな。仕方が無いっちゃあ仕方が無いか。
ボクシングだって3分12ラウンドなわけだし。
それでも通常の野戦ともなれば話は別かもしれない。
けど、今回は攻めと守りに別れた、完全な攻防戦だったからな。
魔獣討伐隊vsロヴァッティ伯爵軍。
初戦の結果は引き分けといったところか。
守り切ったという意味では魔獣討伐隊の勝ちと言えるかもしれない。
しかし、別に伯爵軍に深手を負わせたというわけじゃない。
また明日も彼らは陣地に攻撃を仕掛けて来るだろう。
後退ではなく、撤退させた時こそが、魔獣討伐隊の勝利と言えるのではないだろうか?
それに伯爵軍にとって今日の戦いは、威力偵察の意味合いが強かったのかもしれない。
いやまあ、やれるようならやるつもりではいたと思うけど。
伯爵軍の指揮官は、相手の陣地の作りと弱点箇所、敵兵の装備と練度、そういった諸々を戦いの中の手応えで推し量っていたんじゃないだろうか?
そういう意味では、情報戦の面では伯爵軍に軍配が上がるのかもしれない。
後は現場の死傷者の数だが・・・流石にこの距離からだと分からないかな。
パッと見、死体の数は少なそうだけど。
キャンプ地の門が開くと、兵士達がぞろぞろと外に出て来た。
武器の代わりにスコップを持っている所からも、今日の戦いで崩れてしまった堀や土塁を補修するつもりである事が分かる。
伯爵軍は既に影も形も無い。
こちらはきっと、離れた場所に陣地を作っているのだろう。
ふむ。そっちも一度偵察しておくべきか。
「ブヒーッ! ブヒヒーッ!」
私の呼び声に応じて、私の群れの野犬達が集まって来た。
『黒豚の姐さん。何かご用で?』
『風の鎧。これから人間の軍を偵察に行くから付いて来なさい』
私は風の鎧の魔法で身体強化をすると、風のように駆け出した。
ロヴァッティ伯爵軍の陣地はあっさりと見つかった。
千人からの集団が一ヶ所に集まっているんだからそりゃそうか。
捜索のために野犬達を連れて来たけど、これなら私一匹で来ても良かったかもね。
いや、そうだな――
『みんな。アイツらの陣地を見渡せる、丁度良い場所が無いかどうか探して頂戴』
『分かりやした。みんな行くぞ!』
「ワンワン!」
せっかく連れて来たんだから働いてもらおうか。
野犬達は嬉しそうに周囲に散って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ロヴァッティ伯爵軍の本陣テント。
床几に座った一人の若武者が苛立ちを抑えきれずにいた。
異様な風体の青年だ。
顔の右半分は彫りの深い男らしい端正な顔立ち。だがその左半分は、石膏のような何かで覆われている。
青年の名はドルド・ロヴァッティ。
ロヴァッティ伯爵家の長男で、このロヴァッティ伯爵軍の指揮官である。
周囲の部下達は主人の勘気に触れるのを恐れ、体を小さくして黙り込んでいる。
彼らにとって不幸な事に、そんな自分達の態度が余計にドルドの苛立ちを募らせる原因となっているのだが、それに気が付く者はいなかった。
「失礼します。若。敵の捕虜を連れて参りました」
テントに入って来たのはドルドの側近の壮年の鎧武者。
彼に続いて、後ろ手に縛られた三人の兵士がテントに入って来た。
先程の戦いで捕虜になった魔獣討伐隊の兵士のようだ。
泥だらけの体には所々包帯が巻き付けてある。
一人は骨でも折っているのか、腕に添え木があてられていた。
「この者達から得られた情報によれば、敵軍の総司令官はカルメロ・サンキーニ。指揮官はダミアン・エーデルハルト。カルメロはサンキーニ王国国王の次男。エーデルハルトはサンキーニ王国の将軍とのことです」
思わぬ大物の名前に周囲の武者達から大きなどよめきが上がった。
王子の名前にドルドの濁った右目が怒りをおびた。
彼はガツンと床几を蹴って立ち上がった。
「サンキーニ国王の次男だと?! つまりイサロの兄という事か?!」
先日、ロヴァッティ伯爵軍はアマーティでの戦いで、イサロ王子の軍に敗戦の苦汁をなめさせられた。
また、その戦いの最中、ドルドは顔面を負傷し、顔の左半分を失った。
彼はあの恨みを一日たりとも忘れた事は無かった。
異形の将の異様な迫力に、捕虜の兵士達腰を抜かさんばかりに怯えている。
ドルドは大股で彼らの一人に近付くと、いきなり顔面を殴りつけた。
「ひいいっ! 助け――うぎゃああああ!」
ドルドは倒れた兵の折れた方の腕を足で踏み付けた。
激痛に悲鳴を上げる兵士。
「お前達はイサロの兄の兵か! イサロの! イサロの!」
狂ったように兵士を踏みつけるドルド。鼻の骨でも折れたのだろうか。兵士は顔面から血を流しながら痛みを堪えて身をよじっている。
腕は完全に折れてしまったようだ。あらぬ方向に曲がっている。
仲間の痛々しい姿に、捕虜の兵士達は顔から血の気が引いてカチカチと歯の根も合わない。
怒りに荒れ狂うドルドの暴力は、倒れた兵士が動かなくなるまで続いた。
血まみれの兵士がテントの外に引きずり出されると、ドルドは側近の男に向き直った。
「それで。なんでイサロの兄はこんな山の中に軍を率いて出向いていたんだ?」
顔面の負傷以来、短慮で激昂しやすくなってはいても、ドルドも元は将来を嘱望された優秀な将であった。
気持ちが落ち着きさえすれば、敵の思惑やその背景にも頭が回るようだ。
彼の知恵の鏡は、まだ憎しみに曇り切ってはいないらしい。
側近の男はその事にやや安堵した。
「何でもこのメラサニ山に魔獣が出たらしく。カルメロ殿下は部下を率いてその討伐を行っていたそうです」
「魔獣だと? 何だそいつは?」
側近の男は、時折捕虜の兵士からの補足の説明を挟みつつ、魔獣に関する説明を行った。
話を聞いた伯爵軍の将達は、あまりに荒唐無稽な話に訝しげな顔を見合わせた。
「にわかに信じ難い話だ。そのような化け物がこの世に本当にいるのか?」
「メラサニ山はわれらの領内にも一部が面しているが、そんな魔獣の噂など今まで一度も聞いた事がないぞ」
困惑を隠せない将達。だが、ドルドだけは目をギラギラと輝かせ、興奮に体を震わせていた。
「間違いない! ヤツだ! 俺を殺そうとした黒い豚! 魔獣の正体はヤツに間違いない!」
忘れもしないあの日。ドルドが己の顔面の半分を失ったあの戦い。
突然、本陣に駆け込んで来た無人の走竜。
その竜が抱えていたのは黒い子豚だった。
子豚の目は明確な殺意を宿し、ドルドを見ていた。
咄嗟に手綱を引いたその瞬間、ドルドの左顔面に灼熱の痛みが走った。
その後の事はよく覚えていない。
どうやら落馬して気を失っていたらしい。
こうしてドルドは顔の左半分を永遠に失った。
「サンキーニ王国中、草の根を分けても探し出すつもりだったが、手間が省けたぞ。ククク・・・そうか、こんな近くにいたとはな。待っていろ魔獣。イサロの兄を血祭りにあげたら次はお前の番だ。八つ裂きにしてその心臓を復讐神ネクロラへの供物にしてくれるわ!」
ドルドは手始めとばかりに腰の剣を抜き放つと、捕虜の兵士の心臓に突き立てた。
兵士は目玉をこぼれんばかりに見開きながら息絶えた。
「神よ聞け! 俺はここに誓うぞ! 必ずやわが手で憎き魔獣の首を跳ね飛ばし、その血でこの渇きを癒してくれよう! そして受け取れ! これが俺が神にささげる最初の供物だ!」
「や・・・やめ――グッ」
ドルドの剣が翻り、最後に残った捕虜の喉を切り裂いた。
男はもがき苦しみながら命を引き取った。
この残忍なショーを、ドルドの部下達は青ざめながら見守る事しか出来なかった。
次回「宰相ペドロ判断を誤る」




