その86 メス豚と浮足立つ野営地
私は野犬の群れを引き連れて、魔獣討伐隊のキャンプを見下ろす崖の上に立った。
強い風が私の体をさらおうと吹き付ける。
うひょう! 今のは肝っ玉が冷えたわー!
私、高所恐怖症なのよね。
『黒豚の姐さん?』
ブチ犬マサさんが不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
私は「ブヒッ」と鼻を鳴らして誤魔化した。
群れのリーダーとして、部下達の前で弱みは見せられないんだわ。
『さ、さ~てっと。敵は一体何をしているかな~?』
いや、本当に何をやっているんだ、敵は?
全員で陣地の周りの工事をしているようにしか見えないんだけど。
そこには、多くの兵士が堀の中に入って土を掘り、その土で土塁を高く分厚く補強している姿が見えた。
中々本格的な工事だ。
今日は山狩りはお休みなのかと思ったら、全員こっちの工事に投入されていたんだな。
とはいえ、何で彼らが急にこんな工事を始めたのかはサッパリ分からない。
この場所に砦でも作る事にしたんだろうか?
騎士らしい見た目の男達も資材を運んでいる事から、彼らが相当にこの工事を急いでいるのが分かる。
浮足立っていると言うか、何かに追われていると言うか。
ずっと私にやられっぱなしだったから、何か罠にでもハメようとしているんだろうか?
それにしたって、なぜこんな突貫工事が必要なのかが分からん。
どう見たってガチの工事にしか思えないんだけど、何なのコレ。
『う~ん。近くに寄れれば、兵士の会話から、事情が分かるかもしれないけど・・・』
流石にこの明るい昼間に、誰にも見つからないように、敵のキャンプに近付くのは難しい。
ましてやキャンプの周囲は大勢の作業員で溢れ返っている。
いくら風の鎧の魔法で身体強化をしていても、会話が聞こえる距離まで近付くのはちょっと無理だろう。
『こんな時、私も水母みたいに、魔力操作で自由に体を浮かせる事が出来ればなあ』
私のボヤキに、ピンククラゲ水母が、アホ毛犬コマの頭の上で誇らしげにプルプルと震えた。
水母は前文明の対人インターフェースだ。
彼は魔力操作で自身の体を宙に浮かせる事が出来る。
魔法の申し子、ナチュラルボーンマスターのこのクロ子でも、こればっかりは流石に真似出来ない。
ていうか、あれは水母だからこそ可能な芸当なのだ。
水母の体は各種センサーの寄せ集めで、本体は地下施設の奥の巨大コンピューターになる。
彼の魔力操作は、そのコンピューターの膨大な演算能力にものを言わせて発動させているのだ。
つまり、有り余る計算力のごり押しでようやく可能になる魔法、というわけだ。
『ではどうしましょうか?』
う~ん、どうしよう。
いつまでもここで見ていても、このまま工事しかしそうにないし。
『そうね・・・ 何匹かこの近くに残って、見張っててくれるかな? ヤツらに何か動きがあれば知らせて頂戴』
「「「「ワンワン!」」」」」
私の指示に何匹かの野犬が一斉に志願した。
真っ先に志願したのは、マサさんの息子のアホ毛犬コマだった。
『じゃあアンタ達、よろしく。私は一度村まで戻るわ』
「ワンワン!」
この場を離れようとした私に普通に付いて来ようとするコマ。
『点火! アンタ、人の話聞いてた?!』
コマは突然目の前に発生した火に、「キャイン」と情けない悲鳴を上げた。
『ごめん、やっぱりマサさんも一緒に残ってくれない?』
『・・・分かりやした』
敵の思惑は気になるが、明るいうちはこちらも動きが取れない。
私は後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、一度村まで戻る事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は遡る事数時間。
カルメロ王子のテントに、部隊編成完了の報せが来た。
エーデルハルト将軍はしゃちほこ張って王子に敬礼した。
「それでは山狩りを開始致します!」
「・・・ああ。健闘を期待する」
やる気溢れる将軍に対し、王子は苦々しい表情を隠せない。
健闘を期待すると言いながらも、その声と表情は期待している人間のそれではない。
しかし、将軍の目にはそんな王子の姿は映らなかったようだ。
彼は一度踵を打ち鳴らすと、キビキビとした動きでテントを出て行った。
将軍がテントを去ると、王子の副官が彼の主に声を掛けた。
「よろしかったので?」
「・・・・・・」
王子は仏頂面でカップをあおった。
カップの中身は酒だ。
飲まずにはやっていられない。というわけだ。
数日前から王子は、こうして昼間にもかかわらず飲酒するようになっていた。
現在までの魔獣討伐隊の戦果は惨憺たるものだった。
まともな戦果があったのは、初日の夜の奇襲を退けた時だけではないだろうか。
それも今思えば、単に追い払っただけで、何の負傷も負わせたわけではなかったのだ。
これを戦果と数えてもいいのだろうか?
なのに王子達魔獣討伐隊は、自分達の戦果を過大に過信して、ロクな作戦も練らずに翌日の山狩りに挑んでしまった。
その結果は酷いものだった。
多くの負傷者を出し、部隊は這う這うの体で野営地に逃げ帰って来たのだ。
この報告に王子は激怒した。
この失敗を受けて、翌日からはエーデルハルト将軍自らが部隊を率いて山狩りを行った。
だが、結果は同じだった。
魔獣は突然、どこからともなく部隊に襲い掛かり、致命的な一撃を加えるとすぐさま去って行く。
正に電光石火。
王子の虎の子の兵器、”魔法殺しの秘術”を使う間もなく、部隊の戦力はすり減らされていった。
この10日の間に、部隊の死傷者の数は全体の約六割。
クロ子が深追いしていないおかげで死者の数こそ少ないものの、それでも今や、部隊の半数はケガ人で占められている有様であった。
本来であれば一度後方に撤退すべき所である。
現状で有効な策は無く。繰り返し攻め立てては、無為に部隊の出血だけを増やしているのだ。
しかし、王子は撤退の決断が下せなかった。
いや、下せないだけならまだそれでもいい。
だったらせめて、成果の上がらない山狩りを止めさせるべきなのだ。
しかし、王子はその決断も下せなかった。
王子は決断を”下せない”のではない。決断を”先送りに”しているのだ。
そして本人にその自覚がないだけに、タチが悪く、根は深かった。
エーデルハルト将軍は愚直に上の命令を守るタイプの軍人で、下士官としては優秀かもしれないが、将となるには相応しくなかった。
もっとも、そういう”手足として使いやすい人材”を王子が求めたからこそ、今の彼の地位があるのだが。
そしてこの戦場では、彼の能力は生かされるどころか足を引っ張る要因でしかなかった。
今やこの部隊でやる気があるのは将軍だけと言ってもいい。
兵士達の士気は下がり、あちこちで密かに王子や将軍に対する恨み言が囁かれていた。
流石にそれらの声が直接王子の耳に入るような事は無いが、彼は鋭敏に兵士達の不満を感じ取っていた。
それでも王子は軍を引けない。
今引けば何の戦果も挙げられなかった事になるからだ。
それはすなわち、弟であるイサロ王子との間の王位継承レースで、大きな後退を余儀なくされる事を意味する。
人一倍自尊心が強く、周りの評価でしか自身を測れないカルメロ王子にとって、それだけは絶対に受け入れられない選択だった。
だからと言って有効な手段は何も無い。
前にも進めず、後ろにも引けない。
王子は自縄自縛に陥り、酒の力を借りる他は無くなっていた。
そんな王子にこの日、最悪の報せがもたらされる事になる。
その騎士が訪れたのは、そろそろ太陽が空の頂点に達しようとしていた頃だった。
「大変です! 隣国ヒッテル王国の軍が国境の緩衝地帯を突破! 真っ直ぐこちらに向かっています!」
「何だと?!」
予想外の知らせに、酒に浸った王子の頭は何も考えられずに真っ白になってしまうのだった。
次回「メス豚、返事を先送りにする」




