その85 メス豚、敵を翻弄する
「アオ~ン!」
山の中に野犬の遠吠えが響いた。
来たか!
『黒豚の姐さん』
『分かってる。風の鎧!』
私は身体強化の魔法をかけると、木々の間を立体機動で駆け抜けた。
背中のピンククラゲ水母が、その激しい動きに振り落とされそうになったのか、慌ててしがみついている。
初日の奇襲失敗から既に10日間が過ぎていた。
あれから私は毎日のように、魔獣討伐隊と戦っている。
流石にこれだけ戦いを繰り返せば手慣れたもので――っと、いやいや、慢心だけはいかんぞ。慢心は。
あの日の襲撃もそれで失敗したんだ。
私はもう二度と人間の軍隊を侮らない。愚かな過ちは繰り返さない。OK?
あの襲撃の翌日から魔獣討伐隊――ていうか、人の事を”魔獣”扱いって酷くない? いやまあ”野豚討伐隊”とか付けられるよりはいいんだけどさ――魔獣討伐隊は山狩りを開始した。
おそらく前の晩の私の襲撃を返り討ちにした事で、自分達の持つ”魔法殺しの秘術”に対する自信を強めたからだろう。
あるいは私が負傷しているんじゃないか、との期待感もあったのかもしれない。
残念ながらこの通り、ピンピンしているがな。
あの日、広範囲に広がって、藪をかき分けながら進む兵士達の姿を見て、私は呆れ返ってしまった。
”魔法殺しの秘術”の正体は”魔法触媒”と呼ばれる化学物質だ。
中でも今回使われた物質は、熱を加える事でマナを炭素に吸着させるという物だ。
敵はこの性質を利用して、魔法触媒を大量に燃やす事で大気中に含まれるマナを減少させ、それによって私の魔法を封じる、という方法を取ったのだ。
この方法自体は、ピンククラゲ水母もビックリのアイデア賞ものの発想だったのだが、なぜか敵自身はその原理を正く理解していなかったようだ。
私なら絶対にこんな風に部隊を分散させたりはしない。
なぜなら魔法殺しの秘術は欠陥だらけの兵器だからだ。
私自身も酸素飽和度という、大気に作用する魔法を使うから知っているが、空気というのはその場に留まらずに常に対流している。
屋外ならなおのことだ。
せっかく魔法殺しの秘術で大気中のマナが減少しても、少し空気が動いただけであっさりとマナ不足状態は崩れてしまう。
初日の襲撃の際、キャンプ地に風が吹き込んだ事で、私の風の鎧の魔法が発動したのがいい例だろう。
つまり、彼らは密集形態を取るべきなのだ。
絶え間なく周囲の大気を魔法殺しの秘術でマナ不足にする事で、初めて私の魔法を防ぐ事が可能になる。
勿論そうなったらそうなったで、私にも取れる手段があるんだがな。
そう。これが魔法殺しの秘術のもう一つの欠点。
”魔法殺しの秘術が消耗品である”という点である。
消耗品であるが故に、常に使い続ける訳にはいかない。
そんな事をすれば直ぐに在庫が尽きてしまう。
私は彼らが切り札を使い切るのを、離れた場所から黙って見ているだけでいいのである。
こんな楽な戦いは無い。
そういった訳で、魔法殺しの秘術はあくまでも初見殺し。
いわゆる”分からん殺し”に失敗し、私に情報を渡してしまった時点で、彼らの優位性はほとんど失われてしまったのだ。
私の作戦は単純だ。一番外側の兵士から順番に襲い掛かり、彼らが慌てて集まって魔法殺しの秘術を使った時には、戦場を去る。
それを繰り返すだけでいいのだ。
前日の反省から慎重になっていただけに、随分と肩すかしを食った気がしたものである。
それからも彼らは、懲りる事無く山狩りを繰り返した。
初日の失敗に反省したのだろう。翌日からは部隊ごとに固まって移動していたが、そんな対応はこちらも想定済みだ。
私は相変わらず奇襲を仕掛け、ヒットアンドアウェイで彼らに魔法殺しの秘術を使う時間を与えなかった。
あるいはここが見通しの良い荒地なら、彼らも人数の優位を生かせたかもしれない。だが、残念ながらここは自然豊かな山の中。
私が身を隠して奇襲をかける場所なんていくらだってあるのだ。
こうして私達の戦いは、完全に私の主導の下、魔獣討伐隊が翻弄され続ける形となっていた。
この10日のうちに敵の部隊はどんどん傷付き、その数を減らしていった。
ヤツらの足取りが鈍くなった三日ほど前からは、夜になる度にキャンプに奇襲をかけている。
その際には、慌てて魔法殺しの秘術を持ち出す兵士を襲って、逆に粉の入った壺ごと叩き割る事にも成功している。
そんな事もあって、元は十個あった秘術の壺も、今は半数近くにまで減っていた。
敵は虎の子の秘術を守るために兵を集め、私はその隙に好き勝手に暴れまわる。
というか、敵ながらその行動は本末転倒過ぎるだろう。私を倒すための兵器を私から守っていてどうするんだ?
そんな事を考えながら走っていると、背中の水母からニュルリと触手が伸びた。
触手の先には十人程の兵士が見える。
どうやら、さっき遠吠えで敵の位置を知らせてくれた野犬が、彼らに追われているようだ。
なるほど、私の目を潰す作戦に出たんだな。
流石にこれだけ戦いを繰り返せば、敵も野犬の群れが私の仲間だと気が付いている。
どうやら先に野犬を片付ける事で、私の索敵網に穴を空けるつもりのようだ。
敵も考えたな。けど、そうはさせない。
『最も危険な銃弾乱れ撃ち!』
かつては最大5つだった最も危険な銃弾乱れ撃ちも、魔法増幅器官によって強化された今では10を超えている。
遠距離から発射されるこの魔法は、ちょっとしたマシンガンの銃撃だ。
パパパパーン!
大きな炸裂音を響かせて木の幹や下生えが弾け飛んだ。
攻撃範囲にいた敵兵は背中から撃たれて3m程吹き飛んでいる。
衝撃に耐えきれなかったのか、装備が千切れて宙を舞った。
「魔獣だ! 魔獣が出たぞ!」
「待て! 逃げるな! 迎え撃て!」
「ひいいいっ!」
バラバラと逃げ出す兵士達。
隊長っぽい男が彼らを押しとどめようと怒鳴るが、何の効果も無いようだ。
連日の敗戦で、兵達はすっかり弱腰になっていた。
「逃げる者は敵前逃――ぐわっ!」
隊長は私の最も危険な銃弾を顔面に食らって地面に倒れた。
ピクリとも動かない所を見ると、死んだか最早虫の息かのどちらかだろう。
兵士達は武器を放り出すと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
他愛無い。
とはいえ彼らの気持ちも分からないではない。
味方は連日連夜やられているのに、私には傷一つ負わせる事が出来ていないのだ。
これで士気を保てと言う方がどうかしているだろう。
思えば初日の山狩りの時が一番威勢が良かったな。
私が彼らの投げ捨てた武器をブヒブヒ検分をしていると、「ワンワン!」という犬の鳴き声が聞こえた。
そちらを見ると、灰色の野犬がハンドボール大の小さな壺の匂いを嗅いでいる。
って、マジか?!
『ちょ、待って! それに近寄っちゃダメ!』
「キャン!」
私の剣幕に怒られたとでも思ったのだろう。野犬は尻尾を丸めて「キューン」と鳴いた。
『あ、いや。怒ったんじゃないから。それって危ないものだから。うっかり舐めたら危険だからね』
そう。この壺の中身こそ”魔法殺しの秘術”。
さっきの兵士達は、私に怯えるあまり、折角の魔法殺しの秘術を使いもせずに、とっとと放り投げてしまったらしい。
そりゃあ隊長も怒るってもんだわ。
さて、魔法殺しの秘術のもう一つの欠点。
この物質は体に有害なのだ。
とはいえ、食べたら直ぐに死ぬ、という程の猛毒では無い。
だが、少量でも口や粘膜に入ると有害な上、大量に煙を吸い込んでも体に良くないそうだ。
こんな兵器を使わされる兵隊達はお気の毒様である。
『成造・土!』
壺の周りの土がグモモッと動くと、大きく空いた穴の中に壺は落っこちた。
『最も危険な銃弾! でもってもう一回、成造・土!』
私は穴の中の壺を叩き割ると、再び土を動かして穴を埋めた。
これでまた一つ、魔法殺しの秘術を潰した。
こんな処理方法でいいのかは分からないが、ほったらかしにしておくわけにもいかない。
実際アレってなんだかいい匂いがするんだよね。
もし野犬の誰かが好奇心で舐めでもしたら大変だ。
『これで良し。アンタもご苦労さん』
「ワンワン!」
野犬が嬉しそうに返事をしたところで、ようやくマサさんが追いついて来た。
『黒豚の姐さん。ご無事で』
『もちろん。近くに他の部隊はいないのかな?』
耳を澄ましても、野犬の遠吠えは聞こえない。
マサさんも聞いていないらしい。
という事はコイツらだけだったのかな?
『どうしやす? 一度村に戻りますか?』
『う~ん。いや、敵が少ないのが気になる。ちょっと様子を見に行こうか。みんなを集めてくれる』
マサさんは『かしこまりました』と頷くと「アオ~ン!」と遠吠えを始めた。
さて、これでマサさんの声を聞きつけた野犬達が集まって来るはずだ。
彼らを従えて敵のキャンプを偵察に向かおう。
次回「メス豚と浮足立つ野営地」




