その77 メス豚と動乱の始まり
ショタ坊村で一仕事終えた私は、誰にも見つからずに村を脱出。
山の中で少しだけ仮眠をとると、亜人の村を目指していた。
今回の亜人の村襲撃計画の立案者であり指揮者でもあるカルドーゾ。
彼を国内に手引きしたこの国の第一王子アルマンド。
この二人を纏めて始末出来たのは僥倖だった。
ついでに言えば、誰にも発見されなかったのも、私にとってはラッキーだった。
法王国の騎士団を相手に大立ち回りを演じるには魔力増幅装置の不調もあったし、前日の傷もまだ癒えていないからだ。
囲まれていたらどうなっていたか。
まあ、そうなっていたらそれはそれでその時の事。
大人しくやられてやるつもりは無かったがな。
私が村に戻ると、村長の娘、モーナが既に村人達の意見を纏めてくれていた。
「みんなこの村を出る事に納得してくれたわ」
人間に村の場所を知られた以上、報復は免れない。
そう理詰めで説得されれば、村人達もモーナの話を聞き入れざるを得なかったのだろう。
『助かったわ。最初の荷物は生活に必要な品だけでお願い』
「もちろん、分かっているわ」
最初の荷物は生活必需品だけ。その他の荷物は必要になった時や手が空いた時に移動させればいいだろう。
現代の日本と違って、引っ越し先で買い揃えればいいという訳にもいかないからな。
持って行けば済む物は持って行く方が楽だろう。
ゼロから村を作り直す訳ではない、と聞かされて、村人達はホッと安堵のため息を付いた。
「でも、あまり頻繁に村と行き来したら、道が出来て、人間達にバレないかしら?」
ああ確かに。その心配はあるのか。
何か偽装の手段を講じる必要があるかもしれない。
『そうね・・・後で水母と考えてみる』
私の言葉に答えて、ピンククラゲ水母が、アホ毛犬コマの頭の上でフルフルと体を揺らした。
その振動がむずがゆかったのだろう。コマが鬱陶しそうに頭を振った。
落とされそうになって慌てる水母。
てか、君ら仲良しさんだな。
「それでクロ子ちゃん。いつから出る?」
ふむ。どうせなら早い方がいいか。
落ち着いてしまうと、みんなの気持ちが消極的な方に傾いてしまうかもしれないし。
『今から準備して昼食を食べ終ったら出ましょう。途中で野宿して、到着は明日になると思うわ』
「分かった。みんなに連絡する」
モーナはそう言うとサッサと家を出て行った。
そんなモーナの背中を、彼女の母親が心配そうに見送っている。
彼女の気持ちも分かる。明らかにモーナは張り詰めているからな。
とはいえ、一度に父親と恋人が死んで、平静でいられる方がどうかしているというものだ。
あるいは彼女には、今、やる事があるだけマシなのかもしれない。
忙しくしていれば、忘れていられる。
このまま日常に戻ってしまえば、どうしてもいなくなった人達の事を思い出してしまう。
失ってしまったものを自覚する。
今のモーナは、そんな恐怖から必死に目を反らしているのかもしれない。
――いや。それは私も同じか。
地球からの転生者。本当の意味で苦楽を分かち合える、この世界で唯一の存在を私は失ってしまった。
事件の首謀者に対する落とし前も、パイセンの死という現実に正面から向き合いたくない私の、精神的な逃避なのかもしれない。
でも、いつかは心の傷に正面から向き合う日が来るだろう。
多分、私の隣にはモーナがいるはずだ。
その時私は、彼女に私達の秘密――異世界からの転生者である事――を打ち明ける事になるだろう。そんな気がする。
だがそれは今ではない。
私もモーナも失った物が大きすぎて、まだ正面からは受け止めきれない。
いつか傷が癒えたら。
痛みが消え、傷口を覆っていたかさぶたが剥げ、傷跡が残るだけになったその時に、初めて向き合う事が出来るに違いない。
その日が来るまではがむしゃらに走り続けよう。
それが生き残った者達の務めなのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子達のいる国。その隣国となるヒッテル王国。
この国で今、ひと月ほど前に起こった地方領主の反乱が、最終局面を迎えようとしていた。
「助けてくれ!」
「ひいいいっ! 止めて!」
「ぐああああっ!」
領主の治める町は、王国の鎮圧部隊に蹂躙されていた。
略奪と打ちこわし。放火。強姦。暴行。殺害。
領主の甘い見通しのツケは、領民達の財産と体で支払われる事となった。
「奪え! 殺せ! 全てを焼き払え!」
暴力の嵐が吹き荒れる中、一人の騎馬武者が剣を振りかざして叫んでいる。
全身を返り血で染めながら、更なる犠牲を求める苛烈な男。
その異形なる姿よ。
まだ若い男だ。その顔立ちは男らしく整っているものの、頬は不健康にコケ、目の下には大きなクマが出来ている。
だが、男の目を引くのはそちら側ではない。
それは奇妙なオブジェのようだった。
まるで彫刻家が作りかけで投げ出したような異様な顔。
そう。男の顔の左半分は、石膏のようなもので塗り固められているのだ。
男はロヴァッティ伯爵家長男ドルド。
アマーティの戦いでクロ子の魔法攻撃を顔面に受けた彼は、その端正な顔の左半分を失ったのだ。
四六時中休みなく続く傷の痛みに、かつては聡明だった頭脳は濁り、怒りと憎悪が彼の心を支配していた。
自分をこのような目に合わせたサンキーニ王国が憎い。
自分をこのような目に合わせたイサロ王子が憎い。
そして憎んでも憎み切れないのが、自分の顔の左半分を奪ったあの存在。
魔法を使うあの黒豚! ヤツだけは絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやる!
「若! お下がりください! 本隊が到着しましたぞ!」
側近が駆け付けると、ドルドの馬と轡を並べた。
「またこのように勝手に先駆けをされて・・・ 先日将軍閣下から注意を受けたばかりではないですか」
討伐軍の将軍はドルドの独断専行を苦々しく思っていたが、戦場では何よりも勝った者が正義だ。
命令を破ってでも勝つのが上で、命令を守っても負けてしまえば下の下。
戦においては何をおいても勝つ事こそが至上命題なのだ。
そんな不文律が存在している以上、こうして勝ち続けるドルドをとがめる事は、いかに将軍であろうとも出来なかった。
せいぜい、注意と皮肉を言うくらいである。
「それにしてもむごい事を。領地がこうも荒れては、戦に勝った所で得る物が無いでしょうに。お父上は若に――」
「黙れ!」
ビシッ!
ドルドは激昂すると側近に馬の鞭を振るった。
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!」
ビシッ! ビシッ! ビシッ! ビシッ!
周りの騎士達はドルドの勘気に触れるのを恐れて何も言えない。
鞭が折れた所で、ドルドはようやくひとまず怒りを収めた。
「全軍撤退! 遅れるヤツは命が無いと思え!」
ドルドがこの場を去ると、若い騎士が側近の男を助け起こした。
「大丈夫だ。ほとんどは装備の上から叩かれただけだからな」
「しかし、血が」
鞭のほとんどは装備を叩いただけだったが、側近の頬から首にかけて一筋の裂傷が刻まれ、血が流れていた。
「戦場に出れば負傷は付き物。騒ぐほどのものではない」
「しかし、これは戦いによる負傷ではありません」
ドルドの――当主の息子の酷い仕打ちに怒りを堪えきれない若い騎士。
「いいのだ。これも全てあの日、若を守れなかった俺への罰、戒めなのだろう」
アマーティの戦いで彼はドルドの身を守る事が出来なかった。
義理堅い彼は、それを自分の犯した罪として今も悔いているのだ。
しかし、若い騎士はこの説明では納得出来ない様子だ。
彼にとってドルドは理不尽でヒステリックな暴君でしかない。
むしろ不満を溜め込む結果にしかならなかった。
「それよりも急げ。今の若なら本当に遅れた者の命を奪いかねん」
「・・・はっ」
若い騎士は渋々踵を返すと、馬にまたがった。
しかし幸いな事に、側近の心配するような事は起きなかった。
”国境に向かってサンキーニ王国軍動く”の報がもたらされ、ドルドはそれどころではなくなってしまったからだ。
言うまでも無く、このサンキーニ王国軍とはクロ子を狙った魔獣討伐軍の事である。
ドルドは将軍に直訴し、討伐軍を離れて領地に戻る許可を求めた。
将軍もいい加減にドルドが煙たくなっていた上、元々ドルドのロヴァッティ伯爵家は国境防衛の要である。
そのためこの願いはあっさりと受け入れられた。
こうしてドルドはロヴァッティ伯爵領に取って返した。
しかし、ここで彼は大方の予想を裏切り、国境に防衛線を敷く事無くそのまま越境。魔獣討伐軍に背後から襲い掛かる事になるのだった。
亜人の村の襲撃から端を発した混乱は、ここで討伐軍とロヴァッティ伯爵軍との争いへと移り、遂には互いの国軍が参戦する戦いにまで発展する事となる。
それは動乱の始まりであった。
次回「メス豚、化ける」




