その76 ~討伐軍動く~
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その日、イサロ王子は母方の実家となるマサンティオ伯爵家の屋敷で休日を過ごしていた。
一緒にテーブルを囲んでいるのはまだ幼い少年。
先日の戦以来の彼の懐刀、ルベリオである。
出兵から戻ってこちら、王子は毎日のように忙しく、中々王城を離れる事が出来なかった。
二人は久しぶりの再会を楽しんでいた。
「見違えたぞルベリオ。まるでいっぱしの貴族の従者のようじゃないか」
「殿下のおかげです。感謝の言葉もありません」
ルベリオは今では見た目もすっかりあか抜け、その所作も行儀作法にならい、何処に出ても恥ずかしくないようになっていた。
つい二ヶ月ほど前まで、素朴な村の少年だったとは思えないほどだ。
(いや、ルベリオの出生を考えれば、こちらの方がコイツの本来の姿なのかもしれんな)
考え込む王子に、怪訝な表情を浮かべるルベリオ。
「ひょっとして兄君の出兵の件で、何かご心配事でもあるのでしょうか?」
「あ、いや、そうじゃない。――ふむ、そうだな」
不意を突かれて思わず否定したイサロ王子だったが、実のところそれこそが今日、ルベリオに相談したい事柄だったのだ。
イサロ王子は顎に指をあてると、少し言葉を探した。
「お前の村に出たという例の魔獣。カルメロが自ら討伐軍を率いて向かう事になったが、当然知っているよな?」
この国の第一王子アルマンドを殺害した謎の獣。
魔法を使うその獣は、誰が名付けたのか、今では魔獣と呼ばれている。
ルベリオもマサンティオ伯爵家の屋敷で世話になっている以上、討伐軍の情報は耳に入っている。
というよりも、イサロ王子の妹ミルティーナが、毎日のように屋敷にやって来ては城で仕入れた噂話をルベリオに伝えているのだ。
「殿下の妹君におかれましては、私が故郷の事を心配していないかと気を使って頂きまして――」
「ああ、そういうのは構わん。話だけしてくれ。それでお前は今回の討伐軍をどう見る?」
イサロ王子は面倒くさそうに手を振った。
魔獣に対してカルメロ王子が用意したのは歩兵約千。
これは魔獣に壊滅させられたアマディ・ロスディオ法王国の教導騎士団の総数にほぼ匹敵する。
たかが一体(と見られている)の野獣に対するにはいかにも大袈裟だが、同数の騎士団を殲滅させた相手に対すると考えれば不足しているようにも思える。
ましてやそれを王子本人が直接率いて向かうというのだ。
イサロ王子が討伐軍の成否を計りかねるのも無理が無いというものだろう。
「お前は現場になったメラサニ山の近くの村に住んでいた。そのお前から見て今回の討伐が上手くいくと思うか?」
「私が村に住んでいた時、そのような魔獣の話は聞いた事はありませんでした。私も何度も山に入りましたが、注意すべきは野犬の群れくらいで、その時は魔獣のような恐ろしい生き物はいませんでした」
薪を拾ったり、野草や木の実を採るために、村では毎日のように誰かしらが山に入っていた。
しかし、魔獣に襲われたり、山で命を落とした者は、今まで一人たりともいなかった。
「あの山を端から端まで調べるとなれば、おそらくは千人が倍になっても足りません。だからといって数千の軍で山狩りをするとなると・・・」
「なる程。輜重が足りんか」
イサロ王子は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
輜重――物資が足りない原因を作ったのは、先日のイサロ王子の遠征軍にあるからである。
「軍の数を千に絞ったのはメンツと懐具合の折衷案、という訳か。成果が無ければそれはそれで良し。魔獣がカルメロ軍を恐れて逃げ出した事にすればいい。だが逆に襲われた場合はどうする? 相手は法王国の軍を壊滅させた魔獣だぞ?」
「――殿下の兄君はカルトロウランナと友好関係にあられるご様子。魔法に対して何か有効な手段を持っておられるのでは?」
「カルトロウランナ王朝か?! ――確かに!」
カルトロウランナ王朝は大陸の三大国家の一つで、大陸で最も古い歴史を持っている。また、魔法の研究が盛んな国でもある。
イサロ王子の手は無意識のうちに胸のペンダントを弄んでいた。
王子が持つにはいささか無骨なこのペンダントには、魔法に反応する希少な物質が封じられている。
その物質が魔法の発動を捉えると、ペンダントが熱を持って所持者に知らせる仕組みとなっている。
つまりこのペンダントは、護身のための簡易魔法検知器なのだ。
そして元々この品は、カルトロウランナで作られたものであった。
「なる程。カルメロならカルトロウランナから何か手に入れていてもおかしくはないか。 ・・・少し調べてみる必要があるな」
「是非!」
鼻息も荒く前のめりになるルベリオ。
彼は国力の小さなこの国が他国に負けない軍事力を得るためには、魔法に頼るしかないと考えていた。
しかし、魔法の研究が遅れているこの国では、その知識は存在しない。
彼はカルトロウランナ王朝の生み出した魔法に関する技術を求めていた。
「しかし、そうなるとカルメロの討伐軍は成功すると見た方がいいのだろうな」
「・・・その。すみません。今の話には私の願望が入っているかもしれません」
なにしろ生まれ育った村に、凶悪な魔獣が出没したというのだ。
村には祖父母も住んでいれば知り合いもいる。
ルベリオが、今回の討伐軍に対して「どうにかして欲しい」という希望を入れて見てしまうのは仕方のない事だろう。
イサロ王子も彼の気持ちを察したのだろう。小さくかぶりを振った。
「いや。今の話でも十分だ。実際、お前に指摘されるまでカルメロとカルトロウランナの関係を忘れていたからな。――この討伐軍が上手くいくといいな」
「――はい」
イサロ王子の優しい気遣いに、ルベリオの胸は熱くなった。
その時、廊下の方から屋敷の執事が誰かを呼び止める声が聞こえた。
王子とルベリオが顔を見合わせた瞬間、部屋のドアがノックも無しに開け放たれた。
入り口で仁王立ちになっているのは、まだ幼い金髪の少女。
「兄様! 私を置いて一人でルベリオに会いに行くなんて酷いじゃない!」
少し気の強そうなお転婆そうな少女はイサロ王子の妹ミルティーナ。
どうやら王子は妹に声を掛けずに屋敷を訪れたらしい。
プンスとむくれながらテーブルつく少女。
すっかりへそを曲げてしまった彼女に、困り果てる王子とルベリオだった。
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この頃、もう一方の当事者、アマディ・ロスディオ法王国の方はどうなっていたのだろうか?
アマディ・ロスディオ法王国は主神アマナを奉じる一神教、アマナ教を国教とする新興宗教国家である。
第一王子アルマンドの死に、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったサンキーニ王国。
それはここ、アマナ教の中心地、法王庁においても同様であった。
「教導騎士団が壊滅?! 外務部は何をやっておるのだ!」
「魔法を使う獣?! よもや経典にある暗鬼の使いではあるまいな?!」
法王庁大聖堂では連日連夜、憶測による様々な流言飛語が乱れ飛んだ。
ちなみにアマナ教には魔神は存在しない。
”神”と呼ばれるべき存在は、この世界にアマナ神ただ一柱のみだからだ。
よって、大陸で信仰されている”大二十四神”は、堕落した神の御使いが神を詐称している事になっている。
不敬にも神を名乗る元・神の御使い達は”暗鬼”と呼ばれ、彼らを信仰する者達は暗鬼崇拝者とされ、汚れた魂に染まった者達とされているのだ。
こうして今後、クロ子はサンキーニ王国では”魔獣”。ここ法王国では”暗鬼の使い”と呼ばれる事になる。
法王庁にとっても教導騎士団の壊滅は一大事だ。
しかし、現場が他国とあっては、直ぐに調査に向かうという訳にもいかない。
先ずは事態の確認という事で、死亡したカルドーゾの行動を調べるところから始まった。
だが、そうこうしているうちに、サンキーニ王国から魔獣討伐軍が動き、そこから戦いに発展したため、完全に彼らは介入のタイミングを逸してしまう事になる。
こうしてアマディ・ロスディオ法王国は、この事件の真の当事者でありながら蚊帳の外に置かれ、不本意にも事態の推移を見守る恰好となるのであった。
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イサロ王子とルベリオが屋敷で相談をした翌日。
カルメロ王子率いる魔獣討伐軍が王都を発った。
司令官はカルメロ王子。総指揮官はエーデルハルト将軍。
エーデルハルトは将軍になって初の遠征に興奮を隠し切れない様子だ。
討伐軍は王都の民の歓声を浴びながら大通りを進んだ。
最近王都では王子を殺害した謎の魔獣の噂で持ちきりになっていた。
王子を殺害し、法王国の騎士団を壊滅させた恐ろしい魔獣に、王都の民は不安を抱えながら日々を過ごしていた。
そんな彼らにとって、カルメロ王子の討伐軍は期待の星となっていた。
正に王子の思惑通り、といった所だろう。
カルメロ王子は馬車に揺られながら、民の歓声を満足そうに聞いていた。
今は期待の歓声だが、次に王都に戻って来た時には、彼を称える賞賛の歓声となっている事だろう。
その時にはこんな馬車の中ではなく、騎馬武者となって直接賞賛の声を浴びたいものだ。
王子はそんな未来を夢想していた。
一人妄想に耽る王子に、対面のイスに座った彼の副官が声を掛けた。
「しかし、本当にカサリーニ伯爵の軍を加えなくてもよろしかったのでしょうか?」
王子は幸せな妄想を邪魔されて、若干煩わしそうな表情を浮かべた。
「構わん。イサロの遠征軍に加わって先日帰ったばかりだからな。カサリーニにばかり無理はさせられん」
言葉では配下を気遣っているように見えても、王子の本心は別の所にある。
カルメロ王子は、イサロ王子軍の遠征で手柄を立てたカサリーニ伯爵が目障りになっていたのだ。
副官は主人の心を察していたが、自分の職務としてあえて忠言をした。
「しかし、カサリーニ伯爵の兵を加えれば兵力は倍になります。万全を期すためにもここは――」
「くどい!」
王子は副官の言葉をピシャリと遮った。
「そのぐらい分かっている。しかし我々が向かうのは険しいメラサニ山地。カサリーニ伯爵の主力である騎馬隊の出番は無いだろうよ。それに――」
そう言うと王子はチラリと背後に目をやった。
ここからは見えないが、王子の視線の先には物々しい警備が付いた荷馬車がいるはずである。
「俺にはカルトロウランナで作られた”魔法殺しの秘術”がある。魔物は角の生えた子豚のような姿をしているという。魔法さえ殺してしまえば、そんな小者は恐れるに足らんさ」
どうやら王子の翻意を促す事は不可能らしい。
副官は諦めて口をつぐんだ。
王子は満足すると、再び心地よさそうに民の歓声に身をゆだねた。
大陸の三大国家の一つ、カルトロウランナ王朝で作られたという”魔法殺しの秘術”。
カルメロ王子は彼らの技術に絶対の信頼を置いているようだ。
こうして討伐軍は王都を発った。
目的地はメラサニ山地。
そこに現れたという魔獣――クロ子の命を狙っての行軍である。
次回「メス豚と動乱の始まり」




