その506 ~届かない言葉~
◇◇◇◇◇◇◇◇
赤く燃え上がる家の前に、手に松明を持った少女が立っている。
炎に照らし出された顔はまだ若い。十代後半。日本なら高校か大学に通っているくらいの年齢である。
整った美しい顔は、鼻から下が犬や猫のように前に突き出している。楽園村の住人。亜人である。
亜人の少女はどこか思いつめた表情で、燃え盛る炎を見つめていた。
「ワンワン!」
犬の鳴き声に少女はハッと振り返った。
少女の目に額に小さな角の生えた大型犬の姿が映る。黒い猟犬隊の犬である。
そして犬の更に後ろには、少女の良く知る青年の姿が――
「――ロイン」
「サロメ、捜したぞ。俺と一緒に来るんだ」
青年の名はロイン。村長の家の亜人兄弟、その兄の方である。
そして少女の名はサロメ。彼の婚約者であった。
ロインは手を伸ばすと恋人の腕を掴んだ。
「さあ行こう。こんな所にいたら危ない」
「――なんで何も聞かないの?」
サロメはロインの言葉には答えず、燃える家を振り返った。
「村に火を付けて回っているのが私だって事には、もう気が付いているんでしょう? それともメラサニ村の人達に言われて私に文句を言いに来た訳?」
「いや、クロ子達にはこの事は伝えていない。言ったのは、サロメを捜すのを手伝ってもらったこの犬にだけだ」
ロインの言葉に、黒い猟犬隊の犬は嬉しそうに「ワン!」と答えた。
サロメは彼の手を振りほどこうとした。
「そう。ならもう私の事は放っておいて」
「そんな訳にいくか! おじさんも君の事を心配していたぞ!」
サロメの動きが止まると、その顔に悲しみとも諦めともつかない表情が浮かんだ。
「そう。お父さんに会ったの。だったら全部聞いたのね」
「き、聞いたって、何を? それより早く村を――」
「誤魔化さないで! そうよ、私よ!」
サロメは勢い良く振り返った。
ロインは驚きで咄嗟に言葉が出なかった。少女は今まで一度も、恋人の前でそんな顔をした事がなかったからである。
「ペドゥーリ伯爵家の家来に村の情報を伝えていたのは私! ヤツらに言われるがまま、潜入者の手引きをしたのも私! 私はね、ずっと村のみんなの事を騙していたのよ!」
それはロインが今、最も聞きたくない言葉だった。
燃える家の前でロインはサロメと対峙していた。
ロインは恋人の口から、最も聞きたくない言葉を聞かされて、苦悶の表情を浮かべた。
「――驚かないのね。やっぱりお父さんから聞いていたのね」
サロメの予想通り、ロインは先に彼女の父親グルドから事情を聞いていた。
グルドも、最初は否定していたが、ロインが槍聖サステナから話を聞いたと告げると、ようやく観念したらしく、その重い口を開いた。
自分と娘がペドゥーリ伯爵家からの指示で、村の情報を流していた事。
伯爵家が雇った諜報員――深淵の妖人、顔なしの【無貌】の潜入に手を貸していた事。
彼からの指示で、サステナを指定の場所までおびき寄せた事、などをグルドは明かした。
ロインはショックで頭の中が真っ白になってしまった。
今までは半信半疑、いや、心のどこかでは、何かの間違いであってくれと思っていたからである。
グルドを問い詰めたのも、どちらかと言えば、二人にかけられた容疑を晴らしたいという気持ちの方が強かった。
(確かにサロメとおじさんが村を裏切っていたのはショックだった。けど、先におじさんから打ち明けられた分、心の準備をするだけの――気持ちを整理するための時間が持てた)
だから改めて恋人の口から聞かされた事で、重苦しい気分になってはいるものの、決して驚きはしていなかった。
「サロメ、聞いてくれ。悪いのは人間達だ」
ロインはハッキリと言い切った。
「君とグルドおじさんは悪くない。君達は被害者なんだ。それに――」
ロインはここで辛そうに顔を伏せた。
「君達がそうなった原因を作ったのは、俺だったんだろう? 今までずっと君が苦しんでいるのに、気付いてあげられなくて済まなかった」
サロメと彼女の父親が、村の者達を裏切る事になったきっかけ。
それはロインと彼の弟ハリスが、ペドゥーリ伯爵の屋敷に向かう途中で行方不明になった事にあった。
サロメはいつまでも戻らない恋人を心配するあまり、いてもたってもいられず、衝動的に村を飛び出し、一人で彼の事を捜しに行ってしまった。
そして彼女を捜しに来た父親と一緒に、冬眠明けのクマに追われているうちに、人間の――カロワニー・ペドゥーリの手の物に捕えられてしまったのである。(第十四章 楽園村の戦い編 『その446 ~謎の武装集団~』より)
「おじさんから聞いたよ。君達を見逃すのを条件に、諜者になる事を要求されたって。怖くて彼らに従うしかなかったんだろう? だから君が悪いんじゃないんだ」
解放されて無事に村に戻ったのなら、もう人間達の言う事など無視しても良さそうなものではある。
村には人間達はいないのだ。その後の事は村の者達に相談するなりなんなり、他にやりようはあったはずである。
しかし、サロメと彼女の父親は、その夜の出来事に口をつぐみ、人間達に言われるがままに従ってしまった。
それだけ彼らの事が恐ろしかったのだろう。
実際、ロイン自身も、隣国でメラサニ村の亜人達に保護されるまでは、目に入る人間全てに怯えていた。
クロ子達が戦っている姿を見ていなければ、人間を相手に戦うなど恐ろしくて考えも付かなかったのではないだろうか?
ロインの言葉は、しかしサロメには届かなかったようだ。
少女は悲しそうに目を伏せた。
その手は無意識に自分のお腹の上に置かれていた。
「――そう。お父さんはロインに言えなかったのね」
「そんな事はない。おじさんは俺に全部話してくれたよ」
サロメは小さくかぶりを振った。
「お父さんはロインに言っていない事がある。ううん、私の事を思って言い出せなかったのね。私、人間の赤ん坊を身ごもっているの。このお腹には人間の赤ん坊がいるのよ」
「なっ!」
パキッ!
絶句するロインの耳に、焼けた木が爆ぜる音が異様に大きく響いたのだった。
あの日、サロメを捕まえた男達は、若く美しい少女の体を自分達の穢れた獣欲のはけ口にした。
サロメと彼女の父親が、村の者達に相談出来なかったはずである。
人間達の事を説明しようとすれば、娘が汚された事まで話さなければならなくなるからである。
ロインは恋人の言葉を信じたくなかった。しかし、心のどこかで冷静な自分が腑に落ちているのも感じていた。
彼が村に戻って来た直後、サロメは非常に喜び、どこに行く時でもいつも行動を共にしていた。
目を離した間にまたいなくなったらと思うと不安になる。彼女は恋人にそう語っていた。
しかし、防衛戦が始まる頃になると、サロメはロインから距離を取るようになっていた。
最初は忙しい自分に気を使って、邪魔をしないようにしているのかとも思っていたが、話しかけてもいつもどこか上の空で、思いつめたような表情をしている。
一体どうしたんだろうと心配していたのだが・・・おそらくあの頃に、サロメは自分が妊娠している事を知ったのではないだろうか?
「だから君は俺を避けるようになっていたのか・・・」
「そうよ。それともロインは人間の子供を孕んだ私とでも結婚してくれる?」
愕然とするロインに、サロメは笑いかけた。
「それは・・・いや、だとしても俺の君に対する気持ちは変わらないよ」
「――そう」
ロインはほんの一瞬だけ言いよどんだ。
しかし、サロメは恋人の僅かな躊躇いを見逃さなかった。
サロメの顔から笑みが抜け落ちると、少女は乾いた目で燃える家を見つめた。
「さようならロイン。もう私の事は放っておいて」
「待てサロメ! 何をする気だ!? 俺と一緒にみんなの所に行こう! お腹の子の事は落ち着いてから一緒に考えよう! なっ!?」
「みんなの所に行く? 冗談じゃないわ!」
サロメは鬼気迫る表情で恋人に振り返った。彼女は手にした松明を炎の先に突き付けた。
「あそこに伯爵家の人間達がいるのよ! 私を襲い、全てを奪った憎い男達がいるのよ! それなのに逃げる!? あり得ない! 私はね、ずっとこの機会を待っていたの! 勝ちを確信した人間が全員で村の奥まで入って来るこの時を! 逃げ場のない村の中でアイツらは焼け死ぬのよ! いい気味ね! ペドゥーリ伯爵家の人間は全員死ねばいいんだわ!」
「さ、サロメ――」
恋人の狂気に、ロインは思わず息をのんだ。
ロインが怯んだ隙に、サロメは燃え盛る建物の中に飛び込んでいた。
「ば、バカ、よせ! サロメ、戻れ! 戻るんだ!」
「死ね! 死ね! みんな死んでしまえ! キャハハハハハ!」
ガラガラガラ!
焼け落ちた梁が落ち、炎が入り口を閉ざす。
これでは後を追うのは不可能だ。黒い猟犬隊の犬の鼻もこうなってしまえば役に立たない。
「サロメ。なぜ・・・どうしてこんな事に」
ロインが呆然と呟く中、サロメの笑い声が遠のいていくのだった。
次回「師との再会」




