その505 メス豚と燃える楽園村
遂に始まった撤退戦。私は背中のピンククラゲに振り返った。
『【水母、全軍に通達! 義勇兵はケガをした者達を補助しながら、独自の判断で後退を開始せよ! 脱出途中の村人と合流した後は、彼らと一緒に山のトンネルへと向かうように! マサさんは黒い猟犬隊を率いて我々に先行! 村の中に逃げ遅れた人が残っていないか捜索を行う事! クロコパトラ歩兵中隊は私と一緒に殿を務める! これはあくまでも足止め作業! 可能な限り敵との交戦は避けるように! 以上!】(CV:杉田〇和)』
「「「おうっ!」」」
「「「ゥワン!」」」
真っ先に義勇兵を逃がすのは、ケガ人を運ぶための人員が必要なためである。後、撤退戦では彼らが足手まといになりかねないという不安もある。
クロコパトラ歩兵中隊だけなら(後、黒い猟犬隊も)、最悪、敵軍に追いつかれたとしても、身体強化の魔法で無理やり振り切る事も出来るからな。
「おおい、クロ子! 何をそんな所でブツブツ言ってるんだ!? 早く逃げないと焦げ豚になっちまうぞ!」
クロカンの大男カルネの声にふと気が付くと、いつの間にか隊員達の姿はなかった。
てか、焦げ豚って何だよ焦げ豚って。言いたい事は分かるけどさ。
私は『【風の鎧!】』。身体強化の魔法をかけると、火がついた陣地の中を突っ切った。
『【お待たせ。さあ次の陣地へ向かうわよ】』
「そういやクロ子お前、何でいつまでもスイボのぼいちぇん? 人間の言葉で喋ってんだ?」
カルネの指摘に私はハッと気が付いた。
『【あれ? そういやいつから水母にボイチェンを使って貰ってたんだっけ。あ、そうだ、サステナにロインのヘルプに向かって貰った時だ。あの時、ボイチェンをオンにして、そのまま切り忘れてたんだった】』
『要望アリ?』
『【う~ん、いや、いいや。またサステナに連絡を入れる事もあるかもしれないし。その度にオンオフをお願いするのも面倒だから】』
そういえばさっきの戦いの最中にも、ついいつものノリで普通に喋ってた気がするけど、敵兵はさぞやビックリしたに違いない。なにせ喋る子豚ちゃんだからな。
カルネがバカにしたように鼻を鳴らした。
「はん! そんなの今更だろ。魔法を使う豚の時点で、お前は大概おかしなヤツなんだからよ」
「ブヒィッ!」
「いや、何対抗して鼻を鳴らしてんだよ」
『【おかしなヤツって、カルネにだけは言われたくないって事】』
私とカルネはそんな軽口を言い合いながら、隊員達の後を追ったのだった。
「クロ子! 敵の姿が見えたぞ!」
『【よーし、バリケードに火を放て! 次の陣地まで後退を開始する! 水母、他の部隊に連絡! こちらクロ子! 今からバリケードに火をつけて後退を開始する!】』
僅かなタイムラグの後、各分隊から通信が入った。
『着信アリ――「こちら第三分隊コンラ。了解。こっちでも丁度敵を発見した所だ。陣地に火を放って後退する」「第二部隊モンザだ。こちらはまだ敵の姿はないが、前の陣地の火は消されたらしい。そろそろやって来そうな感じがするし、後退するのは了解だ」「第七分隊ハリィ、了解した。火を放って後退する」』
我々は惜しみなくジャンジャン陣地を焼き払いながら後退を続けていた。
バリケードを作ってくれた楽園村のみんなには申し訳ないが、彼らが頑張ってくれたおかげで、これ以上の犠牲者を出す事なく、安全に時間稼ぎが出来ているのだ。
背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『着信アリ――「クロ子、こちらウンタだ。次の陣地が最後の陣地になる。これ以上の後退は出来ないから気を付けろ」』
クロカンの副隊長ウンタからのお知らせである。
ウンタには見張り台に登って上からの偵察を任せていた。
『――「それと報告だが、敵の足並みが大分乱れて来ている。消火に兵士が取られているのが効いているようだ。水を汲むために多くの兵が川の周囲に集まっている。ただしそれは左右の部隊に関してだけで、お前達の正面にいる部隊にはあまり変化が見られない」』
正面の部隊――敵の本隊か。流石は指揮官が直々に率いている部隊なだけの事はあるか。統率も良く取れているし、士気も高く保たれているらしい。
クロカンの大男カルネがためらいがちに私に尋ねた。
「どうするクロ子、次が最後の陣地なんだろ?」
次が最後の陣地。つまりはこれ以上の時間稼ぎは出来ないという事である。
私は月を見上げた。
スマホも時計もないこの世界では、感覚で想像する事しか出来ないが、村人達が逃げられるだけの時間は稼げたのではないだろうか?
私は背後を振り返った。
墨を流したような真っ黒な山肌に、ポツリポツリと光の点が見える。
あの一つ一つが松明の灯り。村を脱出してトンネルを目指す村人達の列である。
先行させていたマサさん達、黒い猟犬隊からの報告はまだない。おそらく逃げ遅れた者はいなかったのだろう。
『【問題無い。もう時間は十分稼いだと判断するわ。次の陣地が最後の時間稼ぎ。到着し次第、バリケードに火をつけて後退する。その後は村の集会所で全員の合流を待つ。そこで最後の休憩を入れたら、そこからは全力でトンネルまで走り切る。いいわね?】』
「「「おうっ!」」」
隊員達は大きく頷いた。
我々は燃える陣地を後にすると、最後となる陣地へと後退した。
到着早々、予定通りにバリケードに火を付けようとしたその時だった。
隊員達が不意に背後を指差してを叫んだ。
「みんな見ろ! 村が――建物が燃えているぞ!」
そう。今まで真っ暗なシルエットだった村の建物が、赤い炎によって薄明りに照らされている。
まさか火事か?
村から住人が逃げ出す際、どこかで火の不始末があり、そこから火災が発生したのだろうか。
無人となった村には、当然、火を消し止める者などいるはずもない。
『【これはマズいかもね】』
私の豚の嗅覚は、空気に焦げ臭い匂いが混じり始めているのを感じていた。
一般的に山の風は、日中は山の斜面を下から上に向かって吹く谷風が。夜間は逆に山頂から下に向かって冷たい山風が吹くと言われている。
これは山の斜面が太陽熱で温められる事で起きる、気圧の変化によるものなのだが、今はそういう話をしたい訳ではない。
大事なのは今が夜であるという事。山頂から山風が吹き降ろしているという点だ。
そう。火事は風上で起きていたのである。
「おいおい、大分燃えてるんじゃないか? こいつはヤバくねえか?」
カルネが呟いたのと、水母が震えたのは同時だった。
『着信アリ――「クロ子、ウンタだ。お前が何かやったのか? 何件かの家から火災が発生しているんだが」』
マジか。同時に何件もとなると偶然の事故とは思えない。
どうやらこの火事は何者かの手による放火の可能性が高いようだ。
ウンタは私の関与を疑っているようだが、流石に違う。――いやまあ、脱出する前に最後に火を放っとこうかな、とは思っていたけど。上手く行けば敵の足止めだけではなく、数を減らす事も期待出来る訳だし。
とはいえ、いくらなんでもこのタイミングはない。いくら私がせっかちな性格でも、自分の逃げ道を自分で塞ぐようなマネをするはずがなかった。
カルネ達がせっせとバリケードに火をつけている間にも、後方の炎は家々を飲み込みながら、みるみるその勢力を大きくしていった。
「ワンワン! ワンワン!」
「クロ子! 火の回りが早い! 逃げるなら急がないとマズいぞ!」
事態を重く見たのだろう。ウンタと黒い猟犬隊の犬達がこちらに駆け寄って来た。
『【分かってる。水母、全軍に連絡。――こちらクロ子! みんな後ろの光景は見えているわね!? 火が村全体に回る前にここから脱出する! 各部隊は火の勢いが弱い部分を探して脱出! 各自で山のトンネルを目指す事! 復唱!】』
僅かなタイムラグの後、各分隊の分隊長から通信が入った。
『着信アリ――「第二部隊モンザ。こちらでも火は確認している。クロ子、お前が何かやったのか? 今から脱出を開始する」「第三分隊コンラ。クロ子、お前早すぎるんだよ。迷惑だから火をつけるなら全員村を脱出してからにしてくれ。脱出は了解だ、今から取り掛かる」「第七分隊ハリィ。クロ子、やっぱり火をつけたのは、お前だったのか。そうじゃないかと思っていたよ。脱出を開始する」』
何故か全員の中で、私が放火魔認定されている件について。
ウンタが「やっぱりお前の仕業だったのか」という目で私を見ている。
だから知らないってば。なんなんだ、この隊員達の熱い信用は。
カルネが呆れ顔で私を見つめた。
「あの火事はお前がやったものだったのか?」
『【いや、なんでお前まで信じてんだよ。お前はずっと私と一緒にいただろうが。いつ私がそんな指示を出してたよ】』
バカなのか? そういやカルネは脳筋だったわ。
次回「届かない言葉」




