その497 メス豚と深夜の戦い
楽園村の存亡を賭けた脱出作戦。
一口に脱出と言っても、楽園村の総人口は約五千人。それだけの人数が一度に動くとなるとそう簡単にはいかない。
足の弱い老人や子供、自分だけでは歩けないケガ人や病人に対しての手助けも必要だし、それに加えて当座の食糧に衣服、それと毛布なんかの生活必需品も持ち出す必要がある。
自然、作業は大掛かりにならざるを得ず、深夜になっても移動は遅々として進まなかった。
『出来れば朝になる前に、全員の避難を完了させておきたいんだけど・・・見た感じギリギリって所か』
私は屋根の上から通りを見下ろしながら呟いた。
カロワニー軍に気取られないため、作業は最低限に絞られた灯りの下で行われている。
まだ、空に月がある分だけ助かっているが、もし完全な闇夜だったらこんな遅れじゃ済まなかっただろう。
『そう考えれば、運は我々に味方している、とも言えるのか。ハードモードなこの世界なら、雨どころか台風が来てもおかしくなかった所だし』
私のこの世界に対しての信用度が低すぎる件に付いて。
とはいえ、この世界は最初から私に対する扱いが酷かったのでそれもまたやむなし。
てか、なんでよりにもよってメス豚だし。
折角の数少ない転生者枠なんだから、Web小説の主人公みたいにチートガン積みの接待プレーで甘やかしてくれたって良かったのに。
などと益体の無い事を考えながら、私は遅れ気味の作業を見つめていた。
『朝が来て明るくなったら、今より作業自体はスムーズに進むようになるだろうけどさ。その分、カロワニー軍との戦いも始まってしまうから、痛し痒しといった所か』
戦闘が始まると、男手が戦闘に取られてしまうのが単純に痛いし、空っぽの村では後方支援も当てに出来ない。
食事の炊き出しやケガ人の搬送に彼らの治療等、今日まで我々がどうにか戦って来られたのは、そういった非戦闘員達の献身的なサポートの力による所も大きかったのだ。
その時、不意に犬の遠吠えが響いた。
――ワン、ワオーン、ワン、ワオーン、ワオーン。ワン、ワオーン、ワン、ワオーン、ワオーン。
短く、長く、短く、長く、長く。モールス信号で言う所の『テ』連送。その意味は『敵機動部隊見ゆ』。
カロワニー軍が動いたのだ。
戦いが始まって約一ヶ月。敵は夜襲を仕掛けて来た事は一度もなかった。
同士討ちを恐れての事だと思うが、そもそも地力で勝っている方が奇策を用いる必要はなかったのだろう。
それが今夜に限って一体なぜ?
考えうる可能性としては、こちらの動きが敵に察知されたというものだが・・・それはちょっと考え辛いか。いずれはバレるにしても、流石にこの反応速度は早過ぎる。
考え込んでいたのはほんの数秒程だったろうか?
私の背中でピンククラゲがフルフルと震えた。
『着信アリ――「クロ子、ウンタだ。今の黒い猟犬隊の合図を聞いたな? 敵の規模はまだ不明だが、至急、クロカンを陣地防衛に向かわせるべきだと思う」「クロ子、こちらカルネだ! 俺達第一分隊はもう陣地に向かっているぜ!」「第二分隊モンザだ! 俺達もこれから陣地に向かうがそれで構わないよな!?」「第三分隊コンラ! 済まない、俺だけ仲間から離れた場所にいる! 誰かウチの隊員達がどこにいるか知らないか!?」「こちら第七分隊ハリィ! 第三分隊の隊員ならさっきから俺の作業を手伝って貰っているよ! 今から陣地に向かって貰うように伝えておく!」「コンラ了解! 陣地で合流する!」』
隊員達は脱出作業を切り上げると、それぞれの判断で受け持ちの陣地に向かっているようだ。
私もこうしちゃいられない――
「クロ子ちゃん!」
男性の声に振り返ると、村長のユッタパパと長老会のエノキおばさんが、屋根の上の私の見上げていた。
二人は不安そうな顔で私に尋ねた。
「さっきのはクロ子ちゃんの所の犬の声だよね? ひょっとして人間の軍隊が攻めて来たのかい?」
「こんな時間に人間達が来るなんて、今まで一度もなかったはずだ。まさか私らのやってる事が向こうにバレたんじゃないのかい?」
『さあ? 黒い猟犬隊の遠吠えだけじゃ、敵の規模までは分からないから。案外、少人数の部隊による威力偵察かも。――いや、ここは念のため、最悪の可能性を考えておくべきか』
この作戦は亜人村の命運を左右する最後の作戦である。私は一切の希望的観測を捨てる事にした。
『よし! エノキおばさん、ユッタパパ! 今、この時を持って隠ぺい工作は解除するわ! その事をみんなにも伝えて! もう敵にバレても構わないから、ジャンジャン松明に火を灯すようにって! 足元を明るくして、脱出作業を急がせるように! ここからは速度が最優先! 慌てないように、でも素早く作業を行うよう、みんなに伝えて頂戴!』
「あ、ああ、分かったよ」
ユッタパパとエノキおばさんは慌てて走って行った。
私は背中のピンククラゲに振り返った。
『水母、ロインに連絡! ロイン、聞こえる!? 義勇兵をそれぞれの陣地に送って頂戴! 二等兵は村人の脱出の支援を継続! ロインはそっちの指揮をお願い!』
僅かなタイムラグの後に、ロインの声で返事が返って来た。
『着信アリ――「こちらロイン、分かった。義勇兵は陣地に向かわせる。俺はこのまま二等兵に指示を出しながら脱出作業に当たる」』
ロインの方はこれでオッケー。後はサステナとマティルダだが、敵の数すら分かっていない状態だし、今はまだ各自の判断に任せておいても大丈夫だろう。
『とにかく、村人が全員脱出するまで敵を食い止めてさえおけば我々の勝ちって訳よね』
未だトンネルの先がどこに通じているのかは不明なままだが、私の見通しでは相当長いトンネルではないかと思っている。だとすれば、ペドゥーリ伯爵領の外まで通じている可能性も高いだろう。
もしそうなら理想的だ。
カロワニー軍はあくまでもカロワニーの私兵。この国の軍隊ではない。その権力はペドゥーリ伯爵領の中でのみ保証されている。
だから勝手に他の貴族の土地に足を踏み入れる事は出来ない。そんな事をすれば侵略行為と取られても文句は言えない。当然、そこの領主も黙っていないだろう。
下手をすれば戦争だ。
カロワニー軍の指揮官にその覚悟があるだろうか? 普通に考えてそんな責任など持てるはずもないだろう。
『おっと、そんな事より今は脱出作業の邪魔をされないようにしないと。風の鎧!』
私は身体強化の魔法を発動。屋根から屋根に、手近な物見やぐらを目指して走るのだった。
『なん・・・だと』
私は目の前の光景に愕然とした。
例えて言うなら光の海か。
手に手に松明を持った兵士達が、村の通りを埋め尽くすようにひしめき合っている。
少人数の部隊による威力偵察? 冗談じゃない。
敵は全軍を持って総力戦を挑んで来ているようにしか見えなかった。
私の背中でピンククラゲが震えた。
『着信アリ――「クロ子、カルネだ! 他の陣地はどうなってる!? こっちは見えている範囲、全て敵の兵士でビッシリ埋まってやがる! コイツはヤバイぞ!」「第二分隊モンザ! こちらも同じ状況だ! 敵で通りが埋め尽くされている!」「第三分隊コンラ! 今、仲間達と合流した! スゴい敵の数だ! 俺達だけで守れるかどうか自信はないが、やるだけやってみる!」「第七分隊ハリィ! まさか昼間の戦いが敵の本気じゃなかったなんて・・・クロ子、俺達はどうすりゃいい!?」』
どうすりゃいいって、どうすればいいんだろう?
この世界の戦いは、基本、数イコール戦力だ。
敵が数を頼りに潰しに来ている以上、それに付き合えば一方的にすりつぶされるのは目に見えている。
『クッ。水母、通信。――みんな落ち着いて。明るい昼間の戦いとは違って、今の敵は明かり用の松明を持たないといけない。片手が塞がっている分だけ戦力は落ちているはずよ。それにいくら敵の数が増えても、こちらのやる事は変わらない。陣地を生かして敵の侵入を防げるだけ防ぐだけ。数の多さに惑わされないで、各自目の前の相手に集中して』
この非常時に、こんな中身のない話しか出来ないなんて、本当に自分で自分がイヤになる。
私のようななんちゃって指揮官ではなく、ちゃんとした士官教育を受けた指揮官なら、もっとみんなに適切な指示が出せただろうに。
『指揮官・・・そうだサステナ! 水母、サステナを呼び出して!』
『了解。呼び出し中――応答なし。再度、呼び出し中――応答なし。推測、端末を手放している可能性アリ』
『あの野郎!』
サステナは水母の端末をそこらに無造作に投げ出す癖がある。それだけならまだいいが、たまにそのまま置き忘れてしまう事もあるのだ。
どうやらサステナはこの大事な局面で、その悪癖を出してしまったようだ。
私は苛立ちと焦りでギリリと奥歯を噛みしめた。
『着信アリ――「ウンタだ。クロ子、マサさん達黒い猟犬隊が戻って来た。やはり敵は総攻撃をかけて来たようだ。後方にはケガ人しか残っていないらしい。彼らも陣地の防衛に協力してくれると言っているが構わないよな?」「カルネだ! いよいよ敵が動き出したぞ! ヤバい数だ!」』
どうやらカルネの守っている陣地で戦端が開かれたようだ。夜の村に「ウワアアアアアア!」という雄叫びが上がる。
そして魔法銃が発射されるパンパンという乾いた音。
『着信アリ――「ハリィだ! こちらも戦闘を開始する!」「モンザだ! 俺達の陣地にも敵が押し寄せて来やがった! スゴイ数だ! いつまで持ちこたえられるか分からない!」「こちらコンラ! 戦闘に入る!」』
村のあちこちで次々に雄叫びが上がる。
マサさん達黒い猟犬隊も戦闘に加わるつもりのようだ。正に総力戦。
こうして楽園村の生き残りをかけた死闘は、その幕を開けたのだった。
次回「もう一つの戦場」




