その487 メス豚と負傷兵
私は男の死体を――ええと、何て言ってたっけ? 『黒鹿毛ポルコリ』 そうそう、それな。ありがと水母。私は黒鹿毛ポルコリの死体を見下ろした。
『カッコ良さげな二つ名を持ってたくらいだし、多分、結構名の知れた達人なのよね? てか、カロワニー軍とはもう一ヶ月くらい戦ってるけど、今まで一度もコイツの顔を見た覚えがないんだけど』
カロワニー軍の中で私の記憶に残っている達人クラスは、【何とかの二鳥】の二人。【赤毛の】何とかと、【黒髪の】何とかくらいだ。(※正しくは【ベッカロッテの二鳥槍】。【鳶色の】マルテールと【烏羽色の】ダンタニア)
全然記憶に残っていないじゃないかって? 仕方ないだろ。初日に一度しか戦っていない相手なんだし。ちなみに二人はサステナによって切り殺され、既にこの世には存在しない。(第十四章 楽園村の戦い編 『その474 メス豚と片翼の鳥』より)
つまりは名前を覚えるだけ労力の無駄という訳だ。
『死んだヤツらの話は今はどうでもいいや。それよりもこの一ヶ月、一度も見なかった達人が急に姿を現した方が問題だ。ずっと陣地に籠っていたのならいいけど、普通に考えてそんな事はあり得ないわよね。一番ありそうなのは、この数日の間に部隊に加わったって線だろうけど――』
新たに部隊に加わった。つまりは敵に増援があったという事になる。
『そう考えれば、今朝から始まった敵の総攻撃も説明がつく、か。つまり敵は総攻撃を仕掛けて来た訳ではなかったと。いつもより押し寄せて来る敵兵が多いのは、単に敵部隊の絶対数が増えたからそうなっただけ。つまり敵軍に大幅な増援があったからだと考えれば辻褄も合うか』
私はこちらを遠巻きに見ている敵兵へと振り返った。
隊長に続き、達人クラスの騎士がやられた事で、敵は一時的に怯んでいるが、その頭数はいつもより明らかに多かった。
『クソッ、最悪だ』
私はギリリと奥歯を噛みしめた。
よりにもよって、今このタイミング。連日の戦いに互いが疲弊し、兵士が敵との戦いに慣れたこの状況で増援が投入されるか。
こんなもの、サッカーの試合で途中から敵チームだけ人数が倍に増えるようなものである。しかも、交代メンバーは疲労のないフレッシュな選手ときている。
インチキなんてレベルじゃない。
さっきの私と水母の不意打ちプレーが微笑ましく思える程である。
私は背後を振り返った。ハリィ率いる第七分隊が守る陣地は、バリケードを崩され、陥落寸前になっている。
こんな状態で敵が勢いを盛り返したらマズい。
私は一騎打ちの勝利に沸くハリィ達に叫んだ。
『ハリィ! 今からこの陣地を放棄する! 私が時間を稼ぐから、急いで全員、後方の陣に下がって! 早く!』
「なにっ!? わ、分かった、クロ子! みんな、今の指示が聞こえたな!?」
「お、おう!」
「ロイン!」
「分かってる! 二等兵は負傷者の移動に手を貸せ! 人命が最優先だ、武器はこの場に置いて行け! 義勇兵はクロカンと協力して後方を警戒! 敵の追撃に備えろ!」
義勇兵のリーダー、雰囲気イケメンのロインが仲間に指示を出す声が聞こえる。
そういやロインもいたんだっけ。
『水母、全体通信! 【あーあー、こちらクロ子! 敵に増援の恐れあり! クロカンは現在の戦闘を放棄、速やかに後方の陣地へと移動を開始する事! 復唱!】(CV:杉田〇和)』
僅かなタイムラグの後、分隊長達から返事が返って来た。
『着信報告――「俺だカルネだ! 後退だな!? 分かったぜ! サステナが来てくれたが、正直、そろそろヤバい所だった!」「第二分隊モンザ、後退了解!」「第三分隊コンラ、助かった! 丁度こっちから頼もうかと思っていた所だ! 今から後退する!」』
どうやらコンラの第三分隊が守っている陣地もヤバい状態になっていたようだ。あそこはさっきまでサステナがいたはずだが・・・サステナも最後は敵に追い回されていたようだし、思っていたよりも状況はひっ迫していたらしい。
『こんなに厳しい戦いになったのは、防衛戦の初日以来かもね。とはいえ二等兵がいる分だけあの時より多少はまし――とも言えないか』
二等兵は所詮、槍や剣を持っただけのただの村人である。
私やクロカンのフォローが入ってようやく半人前。今日のようなタフな戦いは明らかに彼らには荷が重過ぎるだろう。
『てな訳でここは私が気張るしかないか。水母、防御は任せた! 最も危険な銃弾乱れ撃ち! からの、風の鎧!』
「うぎゃあああああ!」
私は身体強化の魔法を発動。敵兵の悲鳴をBGMに敵の只中に飛び込んだのだった。
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『着信報告――「クロ子! クロ子、聞こえるか!? 俺だハリィだ! こっちは撤退が終わった! 下がってくれ!」』
ふと気が付くと知らない場所を走っていた。どうやら戦いに集中している間に深入りしてしまっていたようだ。
敵兵に取り囲まれないうちに戻った方が無難だろう。
『水母、元の場所はどっちか分かる?』
『指定方向』
水母の体から触手が一本、ニュルリと伸びると左後方を指し示した。
『ありがと。おっと危ない、最も危険な銃弾!』
「ぐあっ!」
私は物陰から襲い掛かって来た小癪な兵士に魔法を食らわせると、三角飛びの要領で家の屋根に飛び乗った。
左後方――あそこか。ハリィがバリケードの上に立っている姿が見える。結構な距離があるな。やはり調子に乗って深入りし過ぎていたようだ。
『こりゃあまりサステナの事は言えないか。発光 ×3』
私は気付いたという合図に光の魔法を発動。頭上にフワフワと三つの光の球が浮かぶ。
ハリィは一度大きく手を振ると、バリケードの向こうに姿を消した。
殿の隊員達と共に後方の陣地まで下がるのだろう。
私は屋根から屋根に。周囲を警戒しながら彼らの後を追った。
『みんな無事――うっ!』
陣地の中はまるで野戦病院のような有様だった。
服を血で真っ赤に染めた男達があちこちに倒れ、うめき声をあげている。
大半が粗末な服を着ている男――つまりは二等兵、ないしは義勇兵だが、傭兵姿の姿も見える。どうやらクロカンからも重傷者が出ているようだ。
彼らは苦痛を堪えて懸命にここまで移動し、そして最後の力を使い果たして動けなくなってしまったのだろう。
本当であれば更に後方の安全地帯まで下げたい所だが、動ける者達は全員、武器を手に陣地の守りに着いている。
むせかえるような血の匂いに汗の匂い。ぐったりと地面に横たわり、傷口にたかるハエを追い払う力もない男達。
あまりにも悲惨な光景に私は思わず声を詰まらせてしまった。
「どうした、クロ子」
雰囲気イケメンのロインが、仲間との打ち合わせを終えて、こちらにやって来た。
『・・・なんでもない』
そう。なんでもない。私達がやっているのは戦争だ。戦争は死者やケガ人が出るのが当たり前。
最近、戦いが膠着状態になっていたせいで、少しだけその事を忘れていただけである。
「そうか? さっきの戦いで、二等兵と義勇兵の半分程がやられてしまった。今、後方に人を呼びにやっている所だが――」
『人を呼びにって、まさか後方の村人を戦力に充てるつもり!? いくらなんでもそれはムチャだ!』
若く戦える男衆は、全員二等兵として戦闘に参加している。
後方に残っているのは女子供と歳のいった大人だけ。そんな非戦闘員に武器を持たせても、みすみす敵に殺されるだけである。
ロインは驚きに軽く目を見張った。
「ケガ人を運ぶための人手を集めに行っただけだが? 戦える者は陣地の守りに就かなければならないからな。本当にどうしたんだ? クロ子」
あっ・・・そうか。
私は周囲を見回した。
ぐったりと倒れ、これ以上一歩も歩けそうにない負傷者達。
ケガの軽い者達は、仲間の抜けた穴を埋めるため、武器を手に敵の襲撃に備えている。
とてもではないが、動けない負傷者を背負って後方まで連れて行くような余裕はない。
ついさっき、ロインが仲間の配置の打ち合わせをしていたのを見ていたというのに、そんな事にも気付かないなんて。
私は頭から冷水を掛けられたような気分になった。
『ゴメン。本当に何でもないから。そうだ水母、みんなのケガを診てあげてくれない?』
『診察開始』
水母はフワリと浮き上がると、触手をワキワキさせながら近くの負傷者へと飛んで行った。
私はそんな水母の姿を眺めながら、少しだけ落ち着いた頭で考えていた。
(陣地はここだけじゃない。四か所全ての陣地で、ここと同じように死傷者が出ているに違いない)
敵に増援があったのは最早疑いようもない。
戦いの潮目は変わった。
一ヶ月続いていた膠着状態は崩れ去ったのだ。後は戦えば戦う程、こちらの被害は雪だるま式に増えていくだけ。完全な負け戦だ。
ここから自力で盤面をひっくり返すのは不可能に近い。少なくとも私には勝ち筋は見付けられない。ならばここは――
(ならばここは未知の可能性に――楽園村の先祖が子孫に残した遺産に賭ける他ない)
私の心の中で一つの決意が形になりつつあった。
次回「メス豚と大きな賭け」




