その483 ~最後通告~
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ペドゥーリ伯爵領の領都ベッカロッテ。
【西の王都】とも呼ばれるこの町の南には、美しい庭園が広がっている。
高名な造園家によって設計された花壇と生垣は、調和のとれた幾何学的な模様を描き、訪ねる者達の心を捉えて止まない。
芸術と音楽の神アネリソスの持つ土笛から、土笛の庭園――オカリナ・ガーデンと名付けられたこの庭の奥には、石造りの大きな屋敷が建てられている。
人呼んで【ペドゥーリ城】。
ここはそのペドゥーリ城の一室。
広い部屋の中に置かれた大きなデスク。そのデスクに向かっているのは二十代後半の着飾った男だった。
身長は普通。やせ型。細い目に低い鼻。えらの張った顔。
このペドゥーリ伯爵家の実質的な支配者。カロワニー・ペドゥーリである。
「ええい、まだか! まだドッチから亜人共の村を制圧したという報せは届かんのか!」
カロワニーは怒りに任せて部下を怒鳴り付けた。
ドッチとは彼の傘下のランズベルト・ドッチ男爵。現在、楽園村でクロ子達と戦っているカロワニーの軍の総指揮官である。
ドッチ男爵率いるカロワニー軍が、楽園村に対して攻撃を開始してからそろそろ一ヶ月が経とうとしている。
遅々として進まぬ攻略に、最初の頃こそ余裕の表情を見せていたカロワニーだったが、最近では激しい焦りを覚えていた。
「あの薄汚い謀反人が折角、王都から離れているというのに! ドッチのヤツは亜人ごときに一体、何を手間取っているのだ!」
王家に対する謀反人、狂騎士ドルド。
昨年、王都ケッセルバウムを陥落させたこの大罪人は、今は軍を引き連れてロヴァッティ伯爵領へと戻っていた。
その理由は、大モルト、ジェルマン・【新家】アレサンドロ軍と戦うため。
ジェルマンは、亡命して来たヒッテル王家からの要請を受け、奪われた王都を奪還すべく、一万五千の軍を派遣した。
総大将は亡国の王子イサロ。
それを知ったドルドは、王都の守りを投げ出し、隣国との国境に面した自領へと戻ったのだった。(第十四章 楽園村の戦い編『その476 ~イサロの東征~』より)
カロワニーの部下達は主人の勘気を恐れながらも、おずおずと返事を返した。
「男爵も閣下のご期待に応えるべく、奮闘している物かと思われます」
「左様。先日届いた報告によると既に村の半分以上を占領下に置いているとの事。亜人共が音を上げるのも時間の問題なのではないでしょうか?」
カロワニーは反射的に呑気な部下達を怒鳴り付けたくなったが、ギリギリの所で言葉を飲み込んだ。
彼らは事の重大さが分かっていない。楽園村を亜人達の隠れ里程度にしか思っていない。だがそれも仕方がないと言えた。
(亜人共が隠し持っているというトンネル。この秘密だけはまだ誰にも知られる訳にはいかないからな)
カロワニーの派閥も決して一枚岩とは言えない。そして大婆様ことベルベッタ・ペドゥーリを始末したとはいえ、保守派の勢力を全て排除した訳でもない。
どこからどのような形で秘密が漏れるか分からない以上、最大の切り札となるトンネルの存在は誰にも知られる訳にはいかなかった。
(亜人共のトンネルを利用する事で、俺は狂騎士ドルドの裏をかき、王都ケッセルバウムを取り戻す! その偉業を成す事で、カロワニー・ペドゥーリの名は国を救った大英雄として未来永劫語り継がれる事になるのだ!)
カロワニーの野望。それは国を救った忠臣として自分の名を歴史に轟かせるというものだった。
かつてのカロワニー・ペドゥーリは、享楽と男色にうつつを抜かすだけの、怠惰で無能な貴族そのものといった人物であった。
そんな彼の退廃的な人生に大きな転機が訪れたのが昨年の事。当主が戦死した事で、急遽、彼に当主代理の座が転がり込んで来たのである。
なんという幸運、などと羨む者は誰もいなかった。
その時、天下の大罪人、狂騎士ドルドの軍が勝利の余勢を駆り、【西の王都】ベッカロッテを火の海に沈めようとすぐそこまで迫っていたからである。
そう。誰もが領地を逃げ出す中、カロワニーは体よく貧乏くじを押し付けられただけだったのである。
一体なぜ自分がこんな目に。カロワニーは絶望のあまり死んだ兄すら恨んだ。
彼は悲壮な覚悟でドルドとの会談の場に赴いた。
結果だけ言えばこの不安は全くの杞憂に終わった。
ドルドの標的はあくまでも王都ケッセルバウムにいるヒッテル王家であって、こんな場所で時間を取るつもりなどなかったからである。
仮にカロワニー以外の誰が交渉の場に出て来ようが、ドルドは行軍の邪魔さえされなければ眼中にも入れなかったに違いない。
こうして【西の王都】ベッカロッテを襲った災厄は去った。悲壮な覚悟をしていた分だけ、カロワニーとしてはキツネにつままれたような面持ちだった。
しかし、何も知らない世間の反応は違っていた。
彼らはカロワニーの事を【西の王都】を救った救世主として、熱狂的に褒め称えた。
何も成す事のない無味乾燥な人生を送るだけだった男から、一転して領地を救った英雄へ。その刺激はまるでドラッグのように彼の脳を激しく焼いた。
この時の強烈な成功体験がカロワニーという男を変えた
これ以降、彼は強い承認欲求を抱くようになっていった。
そんなカロワニーに接触して来たのが、大国カルトロウランナ王朝の犯罪組織、ヴェヌドだった。
ヴェヌドは言葉巧みにカロワニーに取り入ると、彼に亜人の隠し持つトンネルの情報を伝えた。
そう。亜人が隠し伝えて来たトンネルの秘密を知っていたのは、カロワニーではなくヴェヌドだったのである。
カロワニーはヴェヌドを便利に使い潰して自分の名声を高めるつもりでいる。
だが、歴史ある大国の闇に潜み、表社会を裏から支配しているような大組織が、ただの幸運で地位を手に入れただけの空虚な男に利用されるままでいるだろうか?
真相は違う。
ヴェヌドの総統はとある目的のため、数年に渡ってこの国の犯罪組織に静かに根を張っていた。
カロワニーに取り入ったのも、トンネルの情報を与えたのも、その目的を達成するための手段に過ぎない。
カロワニーは、自分が組織の掌の上で踊らせているだけの小者である事に気付いていなかった。肥大化した虚栄心が彼にそれを気付かせていなかった。
カロワニーは自分の意志で動いているつもりでいるが、それすらもそうなるように仕向けられた結果でしかなかったのである。
(もう一歩。後もう一歩で、俺の名がこの国の歴史にひときわ大きく刻まれる所まで来ている)
踊らされているとも知らず、湯水のように私財を投資し、虚栄心にまみれた夢に盲目的に突き進むカロワニー。
確かに彼はヴェヌドにとって、操り易い優秀な手駒なのかもしれない。
だがここで組織にとって(そしてカロワニーにとっても)想定外なイレギュラーが現れた。
ご存じ、クロ子とクロコパトラ歩兵中隊である。
クロ子達はトンネルを使う資格を持つ楽園村の村長の息子、ロインとハリスの亜人兄弟を保護すると、深淵の妖人達を撃破。次いでベッカロッテのアゴストファミリー支部も壊滅させると、楽園村の防衛戦へと参加。現在もカロワニー軍を相手に獅子奮迅の大活躍を続けている。
もしもクロ子達がいなければ、今頃カロワニーは楽園村の制圧を終え、引いてはヴェヌドの総統もその目的を果たしていたに違いないだろう。
カロワニーの部下の一人が、苦々しげにつぶやいた。
「それにしても大モルト軍も存外情けない。たった一度の負けで怖気づいて国境の町に引きこもってしまうとは」
男の言葉に何人かがウンウンと頷いた。
イサロ王子の軍はロヴァッティ領へと進軍すると、待ち構えていたドルド軍との間に戦端を開いた。
王子軍一万五千に対して、ドルド軍は一万。場所はカルデナの荒野。
奇しくもここは、昨年、イサロ王子軍がドルド軍の秘密兵器、恐竜戦隊によって敗北を喫した、因縁の場所でもあった。
戦いは三日間に渡って行われた。戦局はほぼ互角。
イサロ王子は決め手を欠いたまま戦いを続けていても、借り物の兵を無駄にすりつぶすだけだと判断。一旦仕切り直しを行うべく、軍を自国まで下げる事にした。
整然と後退するイサロ王子軍に対し、ドルドは追撃を行わなかった。いや、行えなかった。
狂騎士と恐れられる彼をもってしても、自らの運命を捻じ曲げたと言ってもいい、一年前のアマーティでの敗戦を忘れられなかったのである。
こうしてイサロ王子軍は無事にランツィの町まで後退した。イサロ王子と狂騎士ドルドは部隊の再編成を行いながら、互いの情報を探り合う事になったのであった。
(俺にとっては戦闘の長期化は願ってもない状況と言える。その分、あの謀反人が長く王都を空ける事になり、裏をかいてトンネルから兵を進めるのが容易になるからな)
とはいえ、いつまでもこの幸運が続くと期待する訳にもいかないだろう。
カロワニーは部下を見回した。
「やはりこれ以上、待つ事は出来ん。ドッチに増援部隊を送る」
「ぞ、増援ですか? しかし、ここまで戦って来た男爵に対して、それはいささか酷なのでは?」
戦局がほぼ決している状況で新たな指揮官が戦場に赴けば、手柄の横取りをしに来たと思われても仕方がないだろう。
味方からの恨みは敵からの恨みよりも厄介である。
部下達の顔は、「そんなに焦らなくても、放っておけばそのうちドッチ男爵が制圧するだろうに」と言いたげだった。
「これはドッチに対しての最後通告だ。お前がいつまでも亜人共の村を制圧出来ないようなら、新たに派遣した指揮官にその立場を引き継がせる、という意味のな」
「そ、それは――!」
「た、確かにそれでしたら男爵も発奮されるでしょう。ですが、その指揮官は誰になさるおつもりなのでしょうか?」
ドッチ男爵に代わる指揮官というなら、モントレド男爵が真っ先に候補に上がる。しかし、モントレド男爵は亜人村を巡る初戦の攻防で、剣豪ベルフィゴ共々戦死している。
仮に半端な指揮官を差し向けた所で、ドッチ男爵は納得しないかもしれない。
カロワニーは小さく鼻を鳴らした。
「それならもう考えておる。おい、誰か離れにいるあの男を呼んで来い」
使用人が慌てて駆け出してしばらく後。
一人の男が部屋に案内されて来た。
「閣下、私をお呼びとの事ですが」
「うむ。お前の腕を振るって貰う時が来たようだ。千の兵を預ける。頼んだぞアーダルト」
それは胡蝶蘭館での戦いでクロコパトラ歩兵中隊のトトノを背中から刺し、館の主人ベルベッタ・ペドゥーリを殺害した後に逃亡した裏切り者。
タイロソスの教会の教導者アーダルトだった。
次回「メス豚と寝不足の朝」




