その476 ~イサロの東征~
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楽園村の戦いが開始された前回の話から遡る事、数日前。
その日、サンキーニ王国、王都アルタムーラは異様な熱気に包まれていた。
大通りを進むのは大モルト、ジェルマン・【新家】アレサンドロの兵士達。
いつもであれば、市民達が彼らに向ける視線は、恐れと怯えを含んだ冷たい物となっている。
それも当然で、サンキーニ王国の国民にとって、彼らは侵略者であり、征服者。
相手の気分次第でいつ、自分達の町が火に包まれ、略奪や虐殺が行われるか分からないからである。
――実際はジェルマンは、この国を自軍の基盤とする方針でいるため、余程の事が無ければ、今の平和的な支配を崩す事はないと思われるのだが。
そんなジェルマン軍に対して、今日に限って市民達が熱い期待のまなざしを送る理由。
それはこの軍勢の指揮官の存在にあった。
「来た! イサロ王子だ!」
「わああああああっ!」
「イサロ殿下万歳! サンキーニ王国万歳!」
ドワッ!
大きな歓声が沸き上がると共に、王子の名を呼ぶ声が王都の空を揺るがした。
「「「イサロ殿下万歳! サンキーニ王国万歳!」」」
隊列の中央。観衆の声を受けながら、駿馬を進める凛々しい若武者。
光り輝く金色の髪。愁いを帯びた端正な横顔。
このサンキーニ王国に残された輝き。最大の希望。
イサロ王子であった。
「あの方がイサロ王子なのね! 噂通りのお美しい方だわ!」
「見た目だけじゃないぞ! 王子はバルバトス国王を父に持ち、政治は宰相のアンブロス様、軍事はルジェロ将軍から教えを受けられたという話だ! つまり、あの方は我が国の誇る四賢侯、その三人の後継者という訳だ!」
「正に神に愛された人間! 選ばれし存在とは、イサロ殿下のようなお方の事を言うのじゃろうな!」
このような称賛の声は、大きな歓声にかき消され、列の真ん中を進むイサロ王子までは届いていない。
しかし、列の端。馬に乗った少年騎士の所まではギリギリで届いていた。
「宰相閣下まで殿下の師匠って。殿下がこんな話を聞いたら、さぞイヤな顔をされるだろうなあ」
少年騎士は――ラリエール男爵家当主ルベリオは、脳裏にその光景を思い浮かべると小さく苦笑した。
ルジェロ将軍がイサロ王子の才能に惚れこみ、彼の師になったという噂。これ自体は少し前から宮廷貴族達の間で囁かれていた。
実際は、根も葉もない全くのデタラメなのだが、王子の輝かしい軍事的成功によって、今や庶民ですら知る所となっているようだ。
それにしても宰相ペドロの弟子という話はない。
イサロ王子は宰相を嫌ってこそいないものの、好ましいとも思っていなかった。
ペドロが四賢侯と並び称されているのは、あくまでも外交大使時代の実績においてであって、宰相としての能力は平均よりややまし程度。
当然、その程度の器量では、現在の国が消滅するかどうかの瀬戸際には力不足である。
結果、全てのしわ寄せはトップのイサロ王子が被る事となり、自然、王子の宰相に対しての評価は下がらざるを得なくなっていたのである。
ルベリオの呟きが聞こえたのだろう。横を歩いていた青年騎士が馬上の少年を見上げた。
「何か言――おっしゃいましたか? 旦那様」
「あ、いや、別に何も。・・・ハディックこそ大丈夫? 随分と顔色が悪いように見えるけど」
青年騎士は――ルベリオの家臣のハディックは、主人から気使いの言葉を受けて、居心地が悪そうに肩をすくめた。
「こんな風に注目を受けるのに慣れておりませんので。――てか、分かるだろ? なにせ俺達はほんの少し前までサイラムの町のチンピラだったんだぞ」
彼の通り名は、”手成りの”ハディック。元々は大モルトの国境の都市、サイラムで半グレ集団のリーダーをやっていた青年である。
現在は腹心の部下達と共に、王都のルベリオの屋敷で働いている。
今回は従軍するルベリオに従い、仲間共々彼の兵として参加しているようである。
「つまりはみんなに見られて緊張しているという訳だね。それなら大丈夫」
ルベリオは小さく頷いた。
「ここにいる人達は、みんな殿下をひと目見ようと集まっているだけだから。誰も僕達の事なんて見てやしないよ」
「そ、そんな事くらいは分かってるんだがよ・・・。あ、おい、お前ら! 何俺の後ろに隠れようとしてんだ!」
「け、けどよハディック。さっきから俺、落ち着かなくて」
「そうそう。ケツの辺りがムズムズしてよ」
「うるせえ! テメエらルベリオ――旦那様に恥をかかせるんじゃねえ!」
ハディックはベッタリくっ付いて来た仲間達を慌てて追い払ったのだった。
国を追われ、この国まで逃げて来たヒッテル王家。
思わぬ大義名分を手にしたジェルマンは、すぐさま出兵を決定した。
総大将はこの国の王子イサロ。軍監にジェルマン軍からマイネイラ。
軍監とは現代で言えば、軍本部から派遣される作戦参謀のような立場である。
兵数は一万五千を予定された。
これらの内容が軍議にかけられると、案の定、譜代の家臣達から一斉に不満の声が上がった。
「なぜ今なのですか? ヒッテル王家の者達など適当に言いくるめてしまえば良いではないですか」
「左様。ヤツらのために我らが軍を動かさなければならない道理などありません。それに一万五千もいささか過剰かと思われます。我々自体、まだサンキーニ王国国内を完全に掌握しているとも言えませんし」
「それにイサロ殿下が総大将というのもいかがなものかと。我が軍の中から他にもっとふさわしい人物がいるのではありませんか?」
しかし、日頃のジェルマンとは異なり、今日の彼は珍しく、これら家臣の意見に対して一歩も引かない構えを見せた。
「戦力の出し惜しみは最も愚策だ。戦いの長期化を招く恐れがある。今は”執権”内部が”ハマス”の後継者争いで荒れているとはいえ、西への警戒を緩める訳にはいかん。
それに一万五千と言っても、半分はサンキーニ王国に出させるつもりだ。
それに急がなければならない理由はそれだけではない。元々、我が軍は何のためにこの国に来た? お前達それを忘れたのではあるまいな?」
ジェルマン軍がこの国に攻め込んだそもそもの原因。それはアンブロード・“執権”・アレサンドロがヒッテル王家から救援依頼を受けた事による。
アンブロードはこの依頼を受理。これを利用して目障りなジェルマンを使い潰そうと画策した。
しかし、ジェルマンはこの出兵命令を逆利用。最小限の被害でサンキーニ王国を手に入れてみせた。
これは執権の手の届かない所で力を蓄えるためであり、最終的な目的は執権の打倒である。
「我々の敵は執権だ。そちらに集中するためにも、まずは東を平定しておきたい。だが、我々は元々、ヒッテル王家を助けるために出兵した身。それなのにヒッテル王国に攻め込んでしまっては卑劣漢とのそしりは免れない。最悪、執権に我らを討つための大義名分を与える事にすらなってしまうだろう。しかし先日、ヒッテル王家が我らに救援を求めてやって来た。つまりヒッテル王国に軍を進めるための口実が出来たのだ」
ジェルマンの指摘に家臣達はハッと顔を見合わせた。
「急がねばならないと言ったのはそのためだ。この話が本国に伝われば執権が横槍を入れて来るかもしれん。いや、アンブロードなら必ずそうするだろう。我々を本国に呼び戻し、自分達の手で事を進めようとするに違いない」
ジェルマン軍がサンキーニ王国に残っているのは、名目上は混乱の最中にある占領地域の住人達を保護するため――治安維持活動を行っている、という事になっている。
実際は混乱は早々に収まり、今はジェルマンによる支配を確固たるものにするために日夜動いているのだが。
(いつかは独立を宣言する事になるが、それは遅ければ遅い程いい。そのためにもこの地の地固めは急がなければならん)
モルト王家はとうの昔に形骸化し、現代では三役を牛耳る四家のアレサンドロ家が実質的に国の支配者となっている。
だが、未だ形の上ではモルト王家は存在しているし、ジェルマンはそのモルト王家の家臣である。
家臣である以上、王家からの勅命があればそれに従わざるを得ない。
無視をすれば反逆者として罪を問われてしまうだろう。
「なので執権が手を打つ前にこちらから動く。ヒッテル王家の要求を呑んで攻め込んでおけば、後から来て下がれとは言えまい。そんな事をすれば手柄の横取りになるからな」
執権と言えども何でも自由に出来るという訳ではない。国内に他の三役、北部管領アレサンドロに南部管領アレサンドロ。それに公方アレサンドロという敵を抱えているためである。
下手に手柄の横取りなどをして、彼らに付け入る口実を与えたくはないはずだ。
「し、しかし、総大将をイサロ殿下にするというのは流石に・・・それだけはどうかお考え直し下され」
「しつこいぞ。もう決めた事だ。この地に不案内な者が指揮を執るより、イサロ殿下に任せた方が良い。それともお前はイサロ殿下では物足りない。殿下が上げて来た戦果は取るに足らないとでも言うつもりか?」
「と、とんでもない! ま、まさかそのような事は!」
イサロ王子が上げて来た数々の実績においても、寄せ集めの寡兵でハマスの大軍と互角に渡り合ったというのは記憶に新しい。
ジェルマン軍の中でも特に語り草になっているこの出来事。
彼が敗戦国の王子でありながらも、将兵達から敬意を持って扱われているのはこのためである。
ジェルマンはすごすごと引き下がった家臣に、心の中で「ふん」と鼻を鳴らした。
(大方、自分達で手柄を独占しようという魂胆だろうが、そうはさせるものか)
先日、カルミノ・”ハマス”・オルエンドロが討ち取られたとの知らせを受け、ジェルマンは即座に討伐のための軍を動かそうとした。
しかし、それはここにいる家臣達が唱える慎重論によって阻まれ、結果、ハマス軍を取り逃がす事になってしまった。
あの時、自分がもっと出兵を強行していれば。
指揮官を彼らが選んだキンサナ将軍ではなく、自らが選んだ百勝ステラーノにしていれば。
今頃ハマス軍は壊滅、多くの将が討ち取られていたのではないだろうか?
逃がした大魚はあまりも大きく、魅力的過ぎた。
ジェルマンは何度もあの時の事を思い出しては、怒りと悔しさに歯噛みするはめになったのであった。
(俺はいつまでもお前達に担がれている神輿ではない。人生を守りに入った老害共に、俺の進む道を邪魔されてたまるものか)
こうしてジェルマンの強引な主導のもと、イサロ王子を指揮官とする遠征軍の派遣が決定されたのであった。
後に【イサロの東征】と呼ばれる事になるヒッテル王国への出兵。
その軍勢が今日、王都アルタムーラを出立したのだった。
次回でこの章も終了となります。
次回「メス豚とカロワニーの野望」




