その451 ~燃える亜人村~
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亜人の隠里、楽園村。
村の小道を走る亜人の中年男性。
村長のユッタは足を縺れさせるとたたらを踏んだ。
荒い息の中、肺は新鮮な酸素を求めて貪欲に空気を吸い込む。
その拍子に煙まで吸ってしまい、ユッタは大きく咳き込んだ。
どうしてこんな事に。
胸を焼く痛みに涙を浮かべながら、彼は日頃から妻に頼りないと言われがちな顔を歪めた。
村は紅蓮の炎に包まれていた。
昨年、村を騒がせた怪しい人影。
その知らせの直後、村人の一人が行方不明となった。
村の誕生以来、一度も起こった事のない不穏な事件に村人達は騒然とした。
村長のユッタは、事態を不安視する彼らにせっつかれ、自分の息子達――ロインとハリスを領主の下へと送った。
しかし、彼らは道中で謎の男達に襲われ、息子達は行方不明となってしまう。
村は一時、不安と恐怖で爆発寸前となった。
村人達は息をひそめ、戦々恐々とした日々を送った。しかし、時が過ぎて冬になり、年が変わっても、彼らが危惧しているような事は何一つ起きなかった。
「そう言えば、少し前にあった人影を見たとかいう話。あれって結局、何だったんだろうな?」
「さあな。だが何も無いのが一番だよ」
いつもと変わらぬ日常が繰り返される中、彼らの間から次第に危機感は薄れていった。
クロ子辺りがこの話を聞けば、『それって正常性バイアスね』とでも言ったかもしれない。
正常性バイアスとは災害心理学の用語で、ある種の先入観の事を言う。
人間は自分にとって都合の良くない情報、聞きたくない情報を無視、あるいは過小評価してしまう傾向があるのだ。
やがて冬が明け、春を迎えた最近では、一連の出来事が村人達の間で話題に上る事もすっかりなくなっていた。
彼らは少しずつこの一件を忘却しつつあった。
しかし、目には見えず、症状が現れなくても、病の病巣が患者の体を内側からじわじわと蝕むように、災厄は人知れず静かに楽園に忍び寄っていたのである。
今朝の事である。
その知らせをもたらしたのは、村の外に狩りに出ていた若い男衆達だった。
彼らは息も絶え絶え。シャツを汗でびっしょり濡らしながら村にたどり着くと、大声で村人達に警告した。
「みんな逃げろ! に、人間だ! 人間の兵隊が――すごい数の軍隊が山を登って来るぞ!」
男達の必死の形相に、しかし村人達の反応は鈍かった。
この温度差は、彼らが自分の目で人間の軍隊を見ていない事にあった。
カルテルラ山に楽園村が誕生してから七十年以上。
今や外の世界を知る者は――実際に人間達に迫害された経験を持つ者は――誰一人としていない。
閉ざされた村で平和に過ごして来た村人達にとって、戦争や略奪などは老人達が語る昔話の中の出来事でしかなかったのである。
「村長は?! 村長のユッタさんはどこにいるんだ?!」
男衆はこれでは埒が明かないと思ったらしく、村長の姿を捜した。
騒ぎに集まった村人の中から、見るからに人の良さそうな中年男性が進み出た。
村長のユッタである。
「みんな一体どうしたんだい、そんなにスゴイ剣幕で。まずはゆっくり落ち着いて、最初から事情を話してくれないか」
「ゆっくり説明している時間なんてないんだよ! すぐに逃げないと! もうヤツらはそこまで来ているんだ!」
村長のユッタは、焦る若者達からどうにか話を聞き取ると、途端に険しい表情になった。
「どうやら事態は一刻の猶予もないみたいだね」
「だから最初からそう言っているじゃないか!」
男達は反射的に怒鳴りはしたが、村の代表が自分達と危機感を共有してくれたのは有難い。
彼らはユッタの判断を待った。
「人間の軍勢は山の下から登って来ているんだね? ならばまずはそちらの方面に住んでいる者達にこの事を伝えて、村の中央に避難して貰おう。君達は少しでも人手を集めてくれ」
「人手を集めるって――まさかあの軍隊と戦うつもりなのか?!」
ギョッと目を剥く男衆達に、村長のユッタは諭すように言った。
「念のためだよ。勿論、相手がペドゥーリ伯爵家の軍なら、話し合いで解決するつもりだ」
「だ、だが村長。上手くいかない場合は戦う事になるんだろ? 俺達は動物相手の狩りは出来ても、人間の兵士との戦いの方法なんて知らないぞ」
「そうだそうだ。それに村長は見ていないから分からないだろうが、あれはヤバかったんだって。ヤツらは凄い人数で、その上、全員鉄の武器を持っていたんだ。とても俺達が戦って勝てる相手じゃないよ」
男達は怯えた表情でユッタに訴えた。
「それでもだよ。ここは僕達の村だ。何の抵抗もせず、みすみす人間達の自由にさせていい訳がない。君達にだってこの村に家族もいれば友人だっているだろう?」
「そ、それは確かにそうなんだが・・・」
「だがあの兵士の数は・・・いや、村長の言っている事は分かるんだけど」
男達はそれでもかなり渋っていたが、彼らとて村がどうなってもいいなどと思っている訳ではない。
結局、この場の流れに押し切られる形で、村の外で人間達を待ち受ける事になった。
今思えば、彼らはここで折れず、もっと真剣に村人達を説得すべきだったのかもしれない。
だが、彼らも平和な楽園村で生まれ育った者達。根本的な所で危機感が足りていなかったのである。
やがて村の外、山の下から人間の軍隊が姿を現したのだった。
現れた人間の数はざっと百~二百。あるいはここからでは見えないだけで、後方にはもっといるのかもしれない。
全員、鎧を着て剣と盾で武装している。
村の外に集められた男達は、緊張に汗ばむ手で弓矢を握りしめた。
もし、この光景をクロ子が見ていれば、彼らの武器のチョイスに大いに不満の声を上げたに違いない。
確かに弓は彼らにとって最強兵器。相手の攻撃を受けない距離から一方的に攻撃出来る優れものだが、ある意味では攻撃にパラメータを全振りしている武器とも言える。
敵に接近された時、弓では対応するどころか、自分達の身を守る事すら出来ないだろう。
そして楽園村には防衛のための設備は何もない。
一応は粗末な柵くらいはあるものの、それは対人用ではなく、山の野生動物が村に入って畑を荒らさないようにするための物である。
つまり彼らは堀もなく柵もない状態で――つまりは敵の接近を遮る物の何もない場所で――飛び道具で戦おうとしているのだ。
しかし、戦闘経験のない者達の悲しさ。彼らは自分達がいかに危うい状況にあるのか、全く気付いていなかった。
兵士達の間から鎧に身を包んだ男達が数名、進み出た。
彼らの中心にいるのは、見るからに立場が高いのが分かる中年の騎士。
おそらくこの部隊の指揮官に違いなかった。
「・・・ゴクリ。み、みんなはこのまま待機で。僕が話をして来るから」
楽園村の村長ユッタは、逃げ出したい気持ちを必死で堪えながら、彼らの前に出た。
「初めまして。僕はこの村の村長のユッタと申します。あなた方がどこのどなたかは存じませんが、我々の村に何か御用でしょうか? そのような軍勢を率いて、もしも村を襲うつもりならば、今のうちに引き返した方がよろしいかと思います。なぜならここはペドゥーリ伯爵様が我々の先祖にお与え下さった土地。あなた方もペドゥーリ伯爵様を敵に回したくはないでしょうから」
こういうのを、虎の威を借りる狐と言うのか。
だが、武装した人間の軍勢を前に、村長のユッタが取れる手段はハッタリくらいしかなかった。
相手の指揮官は黙ったまま、ジッとユッタの顔を見つめている。
胃が痛くなるような沈黙の時間は、しかし、実際にはほんの数秒程でしかなかったのかもしれない。
やがて指揮官は口を開いた。
「お前が村長という事で間違いはないのだな?」
「はい。僕がこの村の村長を任されているユッタです」
指揮官は「そうか」と頷くと、かたわらの騎士に命じた。
「標的はアイツだ。厳命する。ヤツだけは傷付けず、生かしたままで捕らえろ。他の者共はどうなっても構わん」
「はっ!」
「なっ?!」
ユッタは思わず自分の耳を疑った。
だが、騎士が兵士達に自分を捕えるよう、命令しているのを聞いて、慌てて踵を返した。
「村長! 何なんだアイツらは?! 何で村長を捕えるなんて話になってるんだ?!」
「僕にだって分からないよ! どこからそんな話が出て来たのか――」
「言い争っている場合か! ヤツらが来るぞ!」
ハッと我に返って振り返ると、山の下から武装した兵士達が駆け上がって来る所だった。
「「「ワアアアアアアア!」」」
「ひ、怯むな! 撃て、撃て!」
「だ、ダメだ! 全然止まらない!」
「一人でも多く足止めするんだ! 絶対にヤツらを村に入れさせるな! ぎゃあああ!」
「ひっ! く、来るな! 来る――ぎゃあああ!」
敵兵は村人達の矢を物ともせず、彼らに肉薄すると手にした剣を振り下ろした。
こうなってしまえば村人達になすすべはない。
それは戦いではなく、一方的な虐殺だった。
「死ね! 薄汚い亜人共め!」
「何が自分達の村だ、偉そうに! 俺達人間様の土地に勝手に住み着きやがって!」
「お前達、何をしている! そんなヤツらはどうでもいい! それより村長を捕えるんだ!」
「ひえええええっ!」
ユッタは悲鳴を上げて逃げ出した。彼が兵士達に捕まらなかったのは、たまたま幸運の神ラキラが彼の味方をしてくれたからだろうか。
あるいは身軽なユッタに対して相手が武装していた事。そしてあくまでも敵が彼を生かしたまま捕えようとしていた事もあったのかもしれない。
しかし、彼の幸運も長続きはしそうになかった。
敵は村の男衆の死体を踏み越えると、次々に村の中に突入して来た。
やがて建物が炎に包まれた。
人間の兵士が家に火を放ったのか、それとも慌てた村人の誰かが家の中で火を倒してしまったのか。
青い空に黒い煙が立ち上った。
次回「メス豚、人間の部隊を見つける」




