その446 ~謎の武装集団~
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時間は少し前にさかのぼる。
山の中を必死に走る一組の男女の姿があった。
男の年齢は四十歳前後。少女の年齢は十代後半。
歳の差から考えて親子であろうか?
服装はいかにも村人といった質素な見た目ながらも、生地や作り自体はしっかりとしている事が分かる。
だが、それよりも目に付くのは二人の顔立ちである。
親子共に鼻から下が前に伸び、まるでネコや犬のように突き出していた。
このカルテルラ山に隠れ住んでいる人非ざる者達――亜人である。
「はあ! はあ! はあ! はあ!」
「大丈夫か、サロメ。まだ走れるか?」
少女の――サロメの父は、心配そうに背後の娘に振り返った。
整地もされていない自然のままの山は、足元も不確かで普通に歩くだけでも体力と精神を消耗する。
ましてや少女はそんな山の中を昨夜からずっとさまよい通しだったため、最早限界を迎えつつあった。
「流石にここまで来れば――いや、ダメか。なんてしつこい獣だ。まだ諦めないのか」
サロメの父は立ち止まって耳を澄ますと、後方から聞こえて来る音に眉間に皺を寄せた。
「サロメ、しっかりしろ。もう少しの辛抱だ。村のすぐ近くまで行けば、ヤツも諦めるはずだ。仮にそうでなくとも、村には腕自慢の若い衆達がいる。最近は狩りにも出る事も出来ずにうっぷんが溜まっているだろうからな。彼らにとってはいい獲物になるはずだ」
「・・・はあ! はあ! はあ!」
父親の励ましの言葉に、サロメは息も絶え絶えに小さく頷く事しか出来なかった。
その時、彼女の背後で茂みがガサガサと音を立てて揺れた。
「グルルルル・・・」
「ひっ!」
「くっ! 走れ、サロメ!」
茂みをかき分けて現れたのは大きな体をしたクマだった。
大型獣のムッと鼻を突く臭気が辺りに立ち込めた。
今朝の事である。
サロメの父――グルドは、裏庭に畑仕事に出ようとしていた所で、妻から家に娘の姿が見当たらない事を聞かされた。
「たまたま朝早く目が覚めたんで、水汲みにでも行ったんじゃないか?」
「だったらいいんだけど・・・。あの子、ロインが行方不明になってから、ずっとふさぎ込んでいたでしょう? まさかとは思うけど、村を出て一人でロインの事を捜しに行ったんじゃ」
「まさかそんな――」
グルドは「そんなバカな」笑い飛ばそうとしたが、最悪の予感にその笑顔は引きつってしまった。
ロインとはこの村の村長の息子。歳は娘のサロメと同い年で、今年で18歳になる。
弓の腕前はかなりの物で、同世代の若者のリーダー的な存在。
そして娘のサロメとは結婚を誓い合った仲であった。
ちなみに彼は二人兄弟の兄で、弟のハリスは長老会の判断で次の村長になる事が決定している。
少し前の事である。
狩りに出ていた村の若い衆から、村の周りに怪しい人影がうろついているという報告が入った。
この村は亜人の隠れ里。
人間でその存在を知っている者は、山の所有者であるペドゥーリ伯爵だけのはずである。
事態を重く見た村長は、この件をペドゥーリ伯爵に相談すべく、次期村長となる自分の息子を使者として送り出す事にした。
ロインは護衛の一員として、弟と共に村を出発した。
しかし、その道中で一行は謎の男達の待ち伏せに遭ってしまう。
護衛の者達はどうにか無事に村まで逃げ帰って来たが、ロインとハリスの兄弟は途中で彼らとはぐれ、行方不明になってしまったのだった。
「怪しい人影の事もあるじゃない? ひょっとしてあの子の身にまで何かあったんじゃないかと心配で心配で」
「分かった。捜しに行って来よう」
グルドは農具を置くと、家を後にした。
娘のサロメの行方はすぐに分かった。
昨夜遅く、足早に村の外に向かう所を見ていた者がいたのである。
どうやら妻の心配が現実のものになってしまったようだ。
「だが村を出たとしても、あの子は一体どこを捜すというんだ? ――まさか山を下りてペドゥーリ伯爵様の屋敷に向かったのか? 早まったマネを」
グルドは慌てて娘の後を追った。
果たしてサロメはグルドの予想通り、山の麓にあるペドゥーリ伯爵家の屋敷に向かっていた。
しかし、居ても立っても居られずに家を飛び出したまではいいものの、彼女は実際に屋敷に行った事がないばかりか、ろくに村から出た事すらなかった。
そんな彼女が暗い山の中で目的地に到達する事など出来るはずもなく、すっかり道に迷っていたのである。
「私・・・一体何をやってるんだろう」
力なく呟くサロメ。
今となっては彼女は衝動的に村を出た事を深く後悔していた。
こうして一晩中、あてもなく山の中をさまよっていた彼女は、山を下りるのを諦め、村へと戻ろうとしていた。
そしてその帰り道の最中、不幸にも食事中の大きなクマにばったり出会ってしまったのである。
「ガフ、ガフ、グルァァァァ!」
「キャアアアアア!」
春になり、長い冬眠から覚めて、貪欲に腹を満たそうとしていたクマにとって、ノコノコと自分から縄張りの中に入って来た少女は格好の獲物であった。
サロメが逃げ出せたのは奇跡と言えた。
体の大きなクマにとっては、木が生い茂った森の中は障害物となる物が多過ぎた事。そしてついさっき食事を終えたばかりでクマの食欲がそこそこ満たされていた事が彼女にとって幸いしたようだ。
しかし、クマは百メートルをわずか六秒で駆け抜けるという。
一度追いつかれてしまっては、少女の力ではどうしようもない。サロメの命は風前の灯火だった。
グルドが娘の姿を見つけたのは、そんな絶望的な状況の最中であった。
「サロメ、こっちだ! こっちに来るんだ!」
「お、お父さん! クマが! 大きなクマが!」
グルドは腰紐にナタを挿してはいるものの、所詮は藪漕ぎをするための道具であってとても武器とは言えない。
そもそも、彼はクマと戦うどころか狩りに出た経験すらロクになかった。
もしも今、剣や槍を持っていたとしても、一人で大きなクマを相手取るなど想像すら出来ない。
出来る事があるとすれば、娘を連れて村まで逃げ帰る事。
その途中でクマが追跡を諦めてくれれば良いし。仮に村まで追って来たとしても、その場合は村の狩人達が総出でクマを仕留めてくれるだろう。それ以外に今の状況から二人が助かる方法はなかった。
「はあ! はあ! 頑張れサロメ! はあ! はあ!」
「・・・はあ! はあ! はあ!」
こうして父と娘の必死の逃亡が始まったのであった。
ようやく多少は見知った景色となった。
まだ村まで多少の距離はあるが、普段であれば誰かの姿があってもおかしくはない場所である。
しかし、例の怪しい人影の件もあって、今は村長命令で全員、村の外に出るのを禁止されていた。
いや、違う。前方に人影が。
人数は三人。こちらに背を向けているため顔は見えないが、槍を持っているのは分かる。
村の周囲の見回りをしている男衆に違いない。
グルドは「助かった」と安堵の笑みを浮かべた。
「おおい、助けてくれ! クマに追われているんだ! すぐ後ろに来ている! 頼む!」
男達はギクリと身をすくめると、慌ててこちらに振り返った。
「えっ?!」
グルドは男達の顔に見覚えがなかった。というよりも彼らは亜人ではなかった。
武装した人間達だったのである。
「なんで人間が――まさか、村の周囲で見つかったいう人影って・・・」
「はあ! はあ! はあ! ・・・あっ!」
遂に限界が来たのだろう。グルドの背後。ほんの数メートル後ろで娘のサロメが足をもつれさせて倒れ込む音がした。
その直後、木立の向こうから大きなクマが姿を現した。
「お、おい」
「チッ。面倒な事になった。仲間に集合の合図をしろ」
三人のうち真ん中の男が左隣の男に目配せをすると、彼は首に下げた笛を口に咥えて鋭く鳴らした。
「左右から挟み込むぞ」
「分かった」
その間に男達が槍を構えて足を進めると、クマは数の不利を察したのだろう。素直に背を向け、木立の中に消えてしまった。
それでも二人は念のため、クマの去った方へと調べに向かった。
残った男は油断なく武器を構えるとグルド達に振り返った。
「お、お父さん・・・」
「お、お前達は何者だ?! 人間がこんな所で一体何をしている?! こ、ここは俺達の村――伯爵様の土地だぞ! その事を知っているのか?!」
グルドは娘を背後にかばいながらも、目の前の男を問い詰めた。
いや違う。何かを喋っていないと恐怖と不安で胸が押しつぶされそうで仕方がなかったのだ。
だが、そんなグルドの虚勢もここまでだった。
笛の合図を聞きつけたのか、次々に武装した男達が姿を現したのである。
その数は十人と少々。
年かさのヒゲ面の男が笛を吹いた男に声を掛けた。
「ひ、ひぃぃ」
「どうした? 何があった? そいつらに見付かったのか?」
「そ、それが、村の方には注意はしていたんだが、まさか後ろから来るとは思わなくて。けど、まだ村のヤツらには気付かれていないはずだから」
「・・・ふむ。ならば騒ぎになる前に始末すべきか」
冬眠明けのクマに襲われるという最悪の事態から、武装した人間達に取り囲まれるという最悪の事態へ。
悪夢さながらの展開に、グルドとサロメは顔色を変えてガタガタと震える事しか出来なかった。
次回「メス豚と追跡者」




