その441 メス豚、館に侵入する
深淵の妖人達を倒し、胡蝶蘭館に戻った我々が見たのは、門の所に倒れた女戦士マティルダだった。
クロコパトラ歩兵中隊の副隊長、ウンタが慌てて彼女を抱き起こした
「マティルダ! しっかりしろ! 一体何があったんだ?!」
『酷いケガね。水母』
『診察開始』
私の背中からピンククラゲがフワリと浮き上がると、触手が数本、ヒョロリと伸びて、マティルダの治療を始めた。
「ビーくんが! ビーくんが! アー兄さんがトトノを――」
マティルダはかなり混乱している様子だ。
治療を受けながら一生懸命何かを訴えようとしているが、気持ちだけ先走って中々要領を得ない。
それでもウンタが粘り強く質問を重ねた結果、ようやく館で何が起きたのかを知ることが出来た。
『深淵の妖人がまだいたのか・・・』
【手妻の陽炎】達、五人の深淵の妖人。
彼らとは異なる、第六の妖人がこの胡蝶蘭館に現れたと言うのだ。
マジかよ。
深淵の妖人が他にいる可能性は考えていたものの、実際にいるとかマジ勘弁して欲しいんだけど。
最初に敵の侵入に気が付いたのは、私が館の警備として残しておいた黒い猟犬隊の犬達。
彼らから知らされた、第二分隊隊長のトトノが、同じく留守部隊のマティルダ達、タイロソスの信徒に連絡。館の二階で暗殺者を待ち受ける事にしたという。
だがそこで誰もが予想外の事が起こった。
「アーダルトが俺達を裏切っただって? 一体なぜだ?」
マティルダは力なくかぶりを振った。
彼女は、そして同僚の青年戦士ビアッチョも、アーダルトがトトノに手を掛けたその時まで、師匠の裏切に全く気が付いていなかったそうである。
クロカンの大男、カルネがいきり立った。
「いいや、トトノのヤツがそう簡単にやられるとは思えねえ! クロ子、こんな所でのんびり話なんてしてる場合じゃねえぞ! 急いで助けにいかねえと!」
「待てカルネ、先走るな! クロ子――」
『うん。これって【言の葉】と似たような魔法を使う深淵の妖人の仕業かもね』
【言の葉】の固有魔法は、相手を自分の言葉に従わせるというものである。
ひょっとして、他にも類似した能力を持つ妖人がいて、アーダルトはその敵によって操られているのかもしれない。
『アーダルトの裏切りは本心の意志ではなく、そいつに操られた結果かもしれない。あくまでも可能性としては、だけど。けどもし、本当にそんな敵がいるのなら、迂闊に館の中に飛び込むのは危険だわ』
ミイラ取りがミイラになる、ではないが、敵がそんな能力を持っているなら、我々も操られて同士討ちの恐れがある。
何の対策も考えずに館に入るのは悪手だ。
「だからって放っておけるかよ! トトノのヤツが死んじまったかもしれねえんだぞ!」
カルネの焦りは良く分かる。私だって同じ気持ちだ。
『分隊ずつに分かれて、互いに距離を空けながら館に侵入しよう。もし、敵がこちらの誰かを操ろうとしても、これなら後ろの分隊の人間が気付くと思う・・・多分。もし、味方の異常に気づいたら、大きな声を出して他の分隊の仲間にも注意を促す事。【言の葉】と同じように言葉で操って来る可能性もあるから、マサさん達、黒い猟犬隊は、それぞれの分隊に同行して周囲を警戒して頂戴』
『分かりやした、黒豚の姐さん』
『『『応!』』』
『トトノの第二分隊の隊員は、ここでマティルダを守ってて。もし、サステナ達、館の警備兵が戻って来たら、事情を説明して、中に入らせないように』
「わ、分かった。トトノを頼む」
「それでクロ子、お前はどうするんだ? 俺の第一分隊と一緒に来るか?」
私? 私は団体行動が苦手だからなあ。一人で行かせて貰おうか。
『私が一番先頭に行くわ。みんなは私の後ろに付いて来て』
私なら鼻も利くし、例え敵が隠れてこちらを待ち構えていたとしても、そいつより先に見つけられる可能性は高いだろう。
敵を見つけるなら魔視の魔法を使えばいいだろうって? あれは結構、魔力を使うからなあ。
魔法を使う生き物は、他者の魔法の発動を察知する事が出来る。
深淵の妖人も、私の魔法の発動を殺気という形で察知出来るようだし、警戒させるようなマネをするのはやめておいた方が無難だろう。
「気を付けろよ、クロ子。もしもお前が敵に操られるような事にでもなったら、俺達じゃ止められないんだからな」
分かってるって。
私はウンタにブヒッと返事を返した。
『水母も周りの警戒をお願い。怪しいヤツがいたらすぐに教えて頂戴』
『了解』
さて。鬼が出るか蛇が出るか。まさか入っていきなり敵と鉢合わせ、なんて事はないよね?
私は緊張にゴクリと喉を鳴らすと、館の中に足を踏み入れたのであった。
入って直ぐの玄関ホールには明かりが灯っていた。
ここは私の前世、日本とは違い、スイッチを押せば即座に灯りがつくような便利な世界ではない。
夜でもこうして灯りを残しておかないと、暗くて夜中にトイレにも起きられないのだ。
館の中はシンと静まり返り、侵入者の気配は感じられない。
しかし豚の鼻は誤魔化せない。
館には人間には分からない程の微かな異臭が漂っている。
間違うはずもない。血の匂いだ。
「なんだ、一階は誰もいないみたいじゃねえか」
「カルネ、気を抜くな。どこに敵が潜んでいるかも分からないんだぞ」
私の後ろに、副官のウンタとカルネが続く。その後ろに黒い猟犬隊のリーダー犬マサさん。それから少し距離を空けて第一分隊の隊員達が続いた。
『階段は・・・あっちか。二階に行くわよ』
私は周囲の警戒をしたままポテポテと階段を上った。
階段を上がるにつれ、次第に血の匂いが濃厚になっていく。
ウンタとカルネもそれに気付いたようだ。
背中越しに二人の緊張感が伝わって来る。
二階に上った私は左右の廊下を見回した。戦いの現場はすぐに見付かった。そこには傭兵姿の二人の男と一匹の犬が倒れていたのである。
「トトノ!」
「待てカルネ! 不用意に近付くな!」
クロカンの大男、カルネが、ウンタの制止の声を振り切り、走り出した。
カルネはうつ伏せに倒れた男に駆け寄ると、抱き上げようとした所で「ウッ!」と動きを止めた。
「カルネ、周囲を警戒しろと――トトノなのか・・・」
ウンタはカルネの背中越しにトトノの姿を視界にとらえて絶句した。
トトノはうつ伏せに倒れているにもかかわらず、その首は180度近くねじ曲がり、ほとんど天井を向いていた。
背中の大きな刺し傷からは大量の血が流れ、床をベッタリと濡らしている。
水母に確認してもらうまでもなく、トトノは既にこと切れていた。
「トトノ、トトノ・・・くそっ! なんだってお前がこんな目に。最近彼女と付き合い始めたって、酒の席で俺に偉そうに自慢したばかりじゃねえか。これが全部片付いたら、町で彼女にあげるお土産を探すんじゃなかったのかよ? それなのにお前、こんな所で死んじまってどうすんだよ」
「トトノ・・・済まなかった。俺達がもう少し早く館に戻っていたら、お前一人を戦わせたりしなかったものを」
カルネは歯を食いしばって悲しみに堪え、ウンタは沈鬱な面持ちで死者に向かって謝罪した。
私はショックのあまり立ち尽くしていた。
女戦士マティルダから話を聞いていた時点で、トトノの生が絶望的になっている事は分かっていた。あの時点で十分に覚悟は出来ていた。そのはずであった。
だが、頭で”そう”と思っている事と、実際に”それ”を目にするのとは全く違う。
私は久しぶりに経験する仲間の死に、頭の中が真っ白になっていた。
『黒豚の姐さん』
『・・・うん。分かってる、マサさん』
ここは危険地帯。どこに敵が潜んでいるか分からない。呆然と立ち尽くしている訳にはいかない。
私はブチ犬マサさんに頷くと、辺りを見回した。
血を流して死んでいる犬は、額の角を確認するまでもなく、黒い猟犬隊の犬だ。
もう一人、廊下の先に倒れている傭兵は、タイロソスの信徒、青年戦士ビアッチョである。
ビアッチョはアーダルトと戦っていたという話だが、流石に師匠相手には分が悪かったようだ。
それでも必死に抵抗を続けたのは、全身に残された刀キズを見れば良く分かる。
だが、最後は力尽きて倒れた所を、喉に一突き。
こちらも水母 に確認して貰うまでもなく、既にこと切れていた。
「うっ! こ、これは! ウンタ、カルネ、それってまさかトトノなのか?!」
「トトノ・・・くっ。間に合わなかったのかよ」
後続の隊員達が二階に上がって来たようだ。次々に驚きと嘆きの声が上がる。
私はウンタとカルネに振り返った。
『ウンタ、カルネ。悪いけどトトノ達の事は、後から来るみんなに任せて、私達は先に進むわよ。無理そうなら、ここに残っていても構わないけど、どうする?』
「俺なら大丈夫だ。カルネ、お前はどうだ」
「――んなモン、聞くまでもねえよ。行くに決まってんだろうが。この先にトトノ達の仇がいるんだ。絶対に見つけ出して、この落とし前を付けてやるぜ」
カルネは拳を握りしめると、力強く立ち上がったのだった。
館の二階を歩く私達。
『・・・敵の狙いは、やっぱり館の主人の命みたいね』
館の主人、ベルベッタ・ペドゥーリことゴッドの娘。・・・いや逆か。まあいいや。
この奥はゴッドの部屋があるとの事で、我々は近付く事すら許されていなかった区画なのである。
そんな所にいていいのかって? 今は非常事態だし、誰にも「ダメ」って止められなかったし。
『まあ、物理的に止めるのは不可能なんだけど』
そう。護衛は全員殺されて、廊下に転がっていた。
侵入者は余程の手練れらしい。まあ、敵は深淵の妖人だし、アーダルトもいるしで、そこらの兵士ごときじゃ敵わなかったのも仕方がないが。
本当に厄介な事になったもんだ。
『ここで行き止まり、という事は、このドアの向こうがゴッドの娘の寝室って訳ね。水母、お願い』
『了解』
背中のピンククラゲから触手が伸びると、ドアノブを回した。
大きなドアが音もなく静かに開く。
廊下と違い、灯りの消えた部屋の中は薄暗い。とは言え、全く物が見えない闇の中、という程ではない。
開け放たれた窓から月の光が入っているのだ。
常識的に考えて、まだ肌寒いこの季節(※初春)に、窓を全開にして寝ているお年寄りがいるとは思えない。
考えられる理由は一つ。敵は殺害の目的を果たし、窓から逃げ去った後だったのだ。
「どうしたクロ子?」
立ち止まったままの私に、ウンタが尋ねた。
『どうやら一足遅かったようね。もう敵は逃げ出した後みたい』
「なに?」
「くそっ! 深淵の妖人め!」
私は血の匂いの立ち込める寝室へと足を踏み入れた。
広い部屋だ。薄暗い闇の中でも、贅を尽くした豪華な内装である事が分かる。
そんな部屋の真ん中に置かれた、天蓋付きの大きなベッド。
まるでお姫様が使うようなベッドに倒れているのは、胸元を血でベッタリ濡らした痩せた老婆。
私の予想通り、ゴッドの娘は既に殺されているようだ。
しかし、私は彼女の死よりも、彼女の素顔の方に衝撃を受けていた。
『なっ! こ、これって?!』
そうか、そういう事だったのか。
ゴッドの娘が、昔から絶対に人前に顔を出さなかった理由。
私はようやくその理由を理解した。
そう。彼女は、顔を”出さない”のではなく、顔を”出す事が出来なかった”のだ。
老婆の顔の下半分。
その鼻から下は、まるで猫か犬のように前に突き出していた。
そう。ゴッドの娘はクロカンの隊員達と同じ、”亜人”だったのである。
次回「かりそめの楽園」




