その440 ~暗殺者・無貌《むぼう》~
◇◇◇◇◇◇◇◇
クロ子達が館の兵士と共に深淵の妖人の迎撃に向かったその頃。
しんと静まり返った館の廊下を、一人の使用人が歩いていた。
小柄な女だ。まだ若い。二十歳前後といった所だろうか。
この胡蝶蘭館は山の中に建っている。
通勤には不便な場所という事もあって、住み込みで働いている者達も多い。
こんな深夜に館の中を歩いているという事は、彼女もまたそういった使用人の一人なのだろう。
彼女は階段を昇ると二階に。そのまま奥へと進んだ。
「止まれ。こんな時間に何の用だ?」
男の声に彼女の足が止まった。
現れたのは若い一組の男女。タイロソスの信徒、ビアッチョとマティルダだった。
女使用人はおっかなびっくり。あたふたと説明を始めた。
「ひ、昼間、二階の奥の部屋を掃除した際、道具を仕舞い忘れてしまったんです。朝になって誰かに見付かったら、私、使用人頭様に叱られてしまいます。お願いします。どうかそこを通して頂けませんか?」
女使用人はそう言って縋るような目で二人を見つめた。
小動物系と言うか、どことなく庇護欲を掻き立てられる雰囲気を持つ女性である。
しかしビアッチョとマティルダは眉一つ動かさず、微塵も警戒を緩める事はなかった。
「あ、あの、私の話が聞こえて――」
「そこまでだ。お前、館の主人を狙った殺し屋だな」
その時、女性の背後から男の声が響いた。
背後からの声に女使用人は驚いて振り返った。
そこに立っていたのは傭兵風の二人の男。一人は二十代後半のタイロソスの信徒の紋章を胸から下げた男、アーダルト。もう一人は目元以外は見えない大柄な男であった。
「殺し屋? 殺し屋ってどういう事ですか? 私は見ての通り、この館の使用人で――」
「はんっ、誤魔化そうったって無駄だぜ。使用人に化けて俺達の目は騙せたとしても、コイツらの鼻は誤魔化せねえからな」
大柄な傭兵(声から察するに若い男のようだ)が、少し体を横にずらすと、その足元から額に角の生えた犬が姿を現した。
「ワンワン! ワンワン!」
「ホラな。お前からは血と鉄の匂いがプンプンするってよ。そんな物騒な匂いをさせている使用人なんざいやしねえよ。化けるなら使用人じゃなくて、兵士にでもしとくんだったな」
傭兵は自分がまるで犬の言葉が理解出来ているかのような事を言うと、犬に向けて軽く手を振った。
「お前は危ねえからもう下がってろ。さあ、殺し屋、観念しやがれ。大人しく降参するなら殺さずにおいてやるぜ」
「トトノ、油断するな。コイツは深淵の妖人かもしれないんだ。どんな隠し技を持っているか分かったもんじゃないぞ」
青年戦士ビアッチョが、大柄な傭兵――クロコパトラ歩兵中隊の第二分隊隊長トトノ――に注意を促した。
「そうよ、トトノ。クロちゃんも、深淵の妖人が五人だけとは限らない。他にもいる可能性がある、って言ってたじゃない。相手の見た目に騙されて調子に乗っちゃダメよ」
「うっ。そ、そうだったな。わ、悪い」
トトノはバツが悪そうに頭を掻――こうとして、兜に邪魔されて表面をツルリと撫でた。
女使用人は呆然とその場に立ち尽くしている。
突然の出来事に頭が追いついていないのか、あるいは逆にこの場から逃れる方法を必死に考えているのか。
普通に考えるのならば、この状況は絶体絶命、逃げ場はない。
左右は廊下の壁に阻まれ、前後に二人づつの傭兵(プラス一匹の犬)に取り囲まれている。
そしてアーダルト達、タイロソスの信徒に油断はない。
だが、もしも彼女が本当に深淵の妖人ならば、何か規格外の殺しの魔法を持っている可能性は十分にあるだろう。
不意に女の口から、自嘲気味の笑い声がこぼれた。
「ふ・・・ふふ。さしもの俺の術でも犬の鼻までは騙せなかったか」
女の手が帽子を掴むと、髪の毛ごとむしり取った。どうやら長い髪はカツラだったようだ。
短く刈り揃えられたイガグリ頭の下は、地味だが整った若い女の顔。
その顔が突然、ビクビクと脈打つと、驚くべきことに、地味で印象に残らない平凡な顔へと姿を変えて行った。
いや、違う。姿を変えたのは顔だけではない。
「うおっ! お、お前、その体はどうなってるんだ?!」
「体が伸びた? それがお前の正体なのか?!」
女の体がブルブルと震えたかと思えば、腕に脚、胴体までが数十センチ伸びたのである。
彼女は小柄な体から一転。今の身長は190センチ程。細身の筋肉質なアスリート体型へと変化していた。
女使用人は――いや、今まで女に化けていただけで、実は男だったのだろう。男は驚愕するアーダルト達を見回した。
「これが俺の正体かって? 違うね。戦い易いように体を変化させただけだ。俺の名は【無貌】。顔なしの【無貌】。本当の姿は俺も覚えていないのさ」
男は――【無貌】はそう言い放つと、隠していた短刀をスラリと抜き放った。
その刀身は、拭っただけでは落としきれない血脂によって僅かに曇っていた。
【無貌】の固有魔法は、特殊な身体強化。体中の筋肉を自分の意志で自由自在に動かす事が出来る、というものである。
彼はその能力で、顔の表情筋を動かして顔の形を変えるばかりか、手足の筋肉を動かして身長すらある程度自由に伸び縮みさせられるのだ。
誰の顔や誰の姿にもなれるが、どこの誰でもない。
貌を持たぬ者。【無貌】。
その能力から、彼は今回のように深淵の妖人の仲間とは別行動を取ることが多かった。
(くそっ。まさか犬に見破られるとはな。この俺としたことがやらかしちまったぜ)
余裕の態度を見せている【無貌】だったが、その内心では激しい焦りを感じていた。
彼の狙いは、今夜の混乱に乗じて密かに館に侵入。ターゲットを――ベルベッタ・ペドゥーリを――始末するというものだった。
その能力と使用方法を見ても分かるように、彼はあまり戦闘を得意としていない。
規格外の【言の葉】は別としても、【百足】や【三十貫】、【手長足長】のような戦闘向きの魔法を持っている訳でもなければ、【手妻の陽炎】のような剣の達人でもない。
彼の魔法の強みは、そういった戦闘行為ではなく、潜入工作において最大限に発揮される。
顔や姿を自由に変え、人知れず敵の内部に潜入し、誰にも気付かれないようにターゲットだけを殺して脱出する。
仲間の誰よりも暗殺に向いた能力。それが【無貌】の持つ魔法の力なのである。
(どうする? どうやってこの場を切り抜ける?)
【無貌】は懸命に頭を働かせ、打開策を探った。
ちなみに、彼は全く戦う事が出来ないかと言えばそうでもない。
むしろ普通に戦える部類に入るのではないだろうか?
しかし、普通に戦える。という事は、特別な強さは持っていない、とも言える。
今のように四対一で敵に囲まれているような不利な状況では、当たり前に戦い、当たり前のようにやられてしまう、という事でもあった。
(一度追手を振り切りさえすれば、再び姿を変え、逃げ延びる事が出来る。そのためには先ずはこの場を切り抜けなければならない。しかし、どうやって?)
しかし、敵は【無貌】にそれ以上、考える時間を与えてくれなかった。
青年戦士ビアッチョは、仲間のマティルダに指示を出した。
「マティルダ。この廊下で二人同時に戦うのはムリだ。俺が前に出るから、お前は俺のフォローを頼む」
「分かったわ、ビー君」
「なる程。じゃあこっちは俺が前に出るぜ。いいよな? アーダルト」
「・・・ああ」
クロカンの分隊長、トトノはそう言うと剣を構えてアーダルトの前に出た。
アーダルトも剣を構えると――
目の前のトトノの無防備に晒された背中へと突き立てた。
「ぐはっ――は? な、何が?」
トトノは突然、胸を襲った灼熱の痛みに思わず膝をつく。
その目は信じられない思いで、腹から突き出た血に濡れた剣先を見つめている。
アーダルトは無造作に剣を引き抜くと、トトノの背中を蹴り付けた。
トトノがうつ伏せに倒れると、アーダルトは容赦なく、その頭をサッカーボールのように蹴り飛ばした。
ガンッ!
トトノの被った兜はアーダルトの蹴りを受けても、僅かにへこんだだけだったが、衝撃まで吸収する事は出来なかった。
彼の頭は向いてはならない方向へとねじ曲がり、ピクリとも動かなくなった。
完全に首の骨が折れている。即死だ。
突然の出来事に混乱する【無貌】。
だがそれはビアッチョとマティルダにとっても同じだった。
「あ、アーダルトさん?! なんで?!」
「アー兄さん! 一体何をしているの?!」
アーダルトはトトノの死体を飛び越えると、【無貌】の横をすり抜け、弟子二人に迫った。
ガキン!
アーダルトの振り下ろした剣をビアッチョの剣が受け止める。
「アーダルトさん! 一体どうしたっていうんです?! はっ! まさか深淵の妖人の術で操られているんですか?!」
「・・・違う。俺は正気だ」
「アー兄さん!」
その声に我に返った【無貌】がマティルダに切りかかった。
マティルダは防戦一方。精神的な動揺のあまり、本来の力が発揮できないようだ。
「アーダルトさ――ぐっ!」
アーダルトの剣がビアッチョの肩を切り割いた。
ビアッチョもマティルダ同様、ショックのあまり実力が出せずにいた。
いや。仮に彼の調子が万全であったとしても、剣の師匠であり、王都騎士団の精鋭でもあったアーダルトに敵うはずもないのだが。
「ビー君!」
「ま、マティルダ! このままだと二人共やられる! 俺の事はいいから逃げろ! 逃げて助けを呼んで来るんだ!」
「け、けど! ――わ、分かった!」
マティルダは一瞬躊躇したが、強く歯を強く食いしばると、背中を向けて走り出した。
心から信頼していたアーダルトの裏切り。そしてトトノの死。突然の訳の分からない状況に、彼女の心は千々に乱れ、目からはとめどなく涙が溢れた。
(アー兄さん! なんで! なんで、こんな事したのよ! なんで私達を裏切ったりしたのよ!)
マティルダの背後から【無貌】が迫る。
このままでは逃げ切れないと判断したマティルダは、躊躇なく二階の窓から身を躍らせたのだった。
次回「メス豚、館に侵入する」




