その434 ~サステナvs手妻の陽炎~
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カルテルラ山に流れる小さな小川。
深淵の妖人、【手妻の陽炎】は一人、仲間とは別のルートで標的の住む胡蝶蘭館を目指していた。
この小川には、館へ水を取り込むための水路が作られている。
彼はその水路を辿る事で、館へと侵入する予定でいた。
水路の場所まであと少し。そう思った矢先、突如犬の遠吠えが鳴り響くと、槍を担いだ隻眼の男――槍聖サステナが現れたのであった。
月明かりの下、対峙する二人の達人。
サステナは手慰みに手で槍を軽くしごいた。
「あんな風にこれ見よがしに山道を登って来れば、誰だって臭いと思うぜ。つまり、向こうの深淵の妖人達は囮って訳だ。良くある陽動作戦ってヤツだな。邪魔な警備兵の目をあちらに惹き付けておいて、本命であるお前が別の進路から潜入するって寸法だ。どうよ、図星だろ?」
槍聖サステナは、ドヤ顔で胸を張った。
敵の狙いが陽動作戦である場合。その対策は限られる。
どうやら彼らは、あらかじめ敵が侵入して来そうなルートに網を張り――この場合は黒い猟犬隊の犬達を見張りにして――待ち構えていたようである。
実はこの小川の水路を辿る道は、先日、【手長足長】と【三十貫】が使用したと推測されていたルートである。
敵がやって来る可能性が最も高い場所として、最優先で見張りが配置されていたのであった。
ちなみに、サステナはまるで自分の手柄であるかのような顔をしているが、黒い猟犬隊が参加している事からも分かるように、今回の件を手配したのはクロ子である。
「テメエも、まさか俺がこんな場所にいるとは思わなかっただろう。どよ? さぞ驚いたんじゃねえか――って、そういう顔でもねえようだな。虚勢を張ってるようにも見えねえし・・・ふむ。まさかこれは俺達の方がしてやられたか?」
サステナは【手妻の陽炎】が焦りを見せない事に、違和感を覚えたようだ。
「待ち伏せをしたつもりが、逆に俺達の方が誘い出されたか」
「いや。邪魔がなければ、それはそれで構わないと思っていた。その場合は館に侵入して、本来の目的を果たしただけの事だ」
【手妻の陽炎】の立てた作戦は二段構えのものだった。
陽動作戦が上手くいけばそれはそれで良し。手薄となった胡蝶蘭館に潜入し、ターゲットであるベルベッタ・ペドゥーリを殺害する。
この場合、もう一つのターゲットである例の化け物は、また次の機会に始末する事になるが仕方がない。
逆に、敵がこちらの陽動作戦に気付いていた場合。
敵は戦力を二つに分け、それぞれに当てる事になる。
あらかじめ、囮となった仲間には、敵を引きつけるだけで、決して無理な戦いはしないように言っている。
ターゲットを――それがベルベッタ・ペドゥーリであっても、化け物(※クロ子)であっても、【今サッカーニ】であっても――殺すのは、あくまでも【手妻の陽炎】の仕事。
囮の役目は、【手妻の陽炎】の方に余計な妨害が入らないよう、邪魔者を引き留めるよう厳命されていた。
【手妻の陽炎】はサステナの動きを警戒しながら、横目でチラリと周囲を見回した。
「どうやらここにはあの化け物はいないようだな。だがこれはこれで好都合だ。先ずはお前から仕留めるとしよう」
【手妻の陽炎】の予想では、【今サッカーニ】が兵士を率いて囮と戦い、化け物の方が自分の方に来るのではないかと思っていた。
しかしどうやら敵は彼の予想と逆の選択をしたようだ。
だが、それはそれで好都合。手強い敵が――【今サッカーニ】が――囮の方に行くよりも、自分の方に来て貰った方が仲間の危険が少なくて済むというものである。
【手妻の陽炎】のまたの名は”達人殺し”。
彼はこと達人に対して、絶対的なアドバンテージを誇っていた。
遠くで野犬の遠吠えが響いた。
サステナは「はんっ」と鼻を鳴らした。
「俺にそんな口を利くヤツなんざ随分と久しぶりだぜ! いいだろう! お前が口だけじゃねえって事を証明して貰おうか!」
サステナは槍を肩に担ぐと走り出した。
サステナは槍を肩に担ぐと、川の上流を目指して走り出した。
「オラ、こっちだ! 付いて来な!」
と、叫んだかと思えば、川から外れて森へと入る。
彼の足元には小さな流れが見える。どうやらサステナは、【手妻の陽炎】の探していた水路に沿って走っているようである。
(このまま行けば館に到着する、か。どこかに兵を伏せていて、その場所まで俺をおびき寄せようとしているのか)
【手妻の陽炎】は一瞬だけ足を止めたが、再びサステナを追って走り出した。
(関係ない。多少敵が増えた所で俺には術がある)
【手妻の陽炎】の持つ固有魔法は、仲間内で最も貧弱と言っていいものだった。
自分の言葉に周囲の人間を従わせる事の出来る【言の葉】や、無差別に大量殺戮が可能な【百足】といった規格外の能力は当然の事、【手長足長】に【三十貫】。ここにはいないが【無貌】の持つ固有魔法に比べても、その効果は極めて微小で、限定的と言えた。
改造生物の手術の結果、異形となった仲間達とは違い、【手妻の陽炎】の外見は、手術前のそれとほとんど変わらない。
これはそれだけ彼に埋め込まれたインプラントが小さい――インプラントが生み出す魔力が小さく、使用出来る魔法が弱い――という事の証明でもある。
しかし、だからといって【手妻の陽炎】が弱いという訳ではない。
むしろその逆だ。
彼の持つ固有魔法は、元から剣の達人だった彼と異常なまでに相性が良かったのである。
ザッ!
茂みを突っ切ると、開けた場所に出た。
行き止まりだ。
目の前には岩の壁。十メートル程の小さな崖がそびえ立っている。
どうやらいつの間にか水路から逸れていたらしい。あるいは水路の横を走っていたのは最初だけで、その後は適当な場所を探してあてもなく走っていたのかもしれない。
サステナは息を整えると槍を斜に構えた。
「噂には聞いているぜ。テメエ、妙な術を使うそうじゃねえか。何でも目の前にいるにもかかわらず、一瞬、姿が消えるとか。なあ、その手妻、俺にも一度見せてくれよ」
「・・・言われるまでもない」
【手妻の陽炎】は軽く剣を構えた。
その身体がフラリと前に傾いた。そう見えた次の瞬間――
【手妻の陽炎】の体はサステナの目の前に迫っていた。
サステナの目が驚愕に見開かれる。
武術の奥義に『無拍子』という言葉がある。
これは攻撃の際の予備動作を隠し、敵に防御のタイミングを読ませない体さばきの事を言う。
今の【手妻の陽炎】の動きがその無拍子だったのだろうか? だが、相手は槍聖。槍の天才と呼ばれるサステナである。
いくら不意を突いたからと言って、いや、たかが不意を突いた程度で、容易く間合いに飛び込めるとは思えない。
使ったのだ。
【手妻の陽炎】は、彼の得意とするあの固有魔法を。
「シュッ!」
鋭い息吹と共に銀閃がサステナの胸元に奔る。
サステナは防具を付けていない。届けば確実に胸を貫かれる。
サステナは深く体を沈めながら、大きく捻った。
【手妻の陽炎】の剣先はサステナの肩をかすめ、服を切り割く。
サステナは体を捻った動きのまま、槍を水平に薙ぎ払う。
避けるための動きが、そのまま攻撃に直結している。
【手妻の陽炎】は慌ててバックステップ。だが地面に足が付くかどうかというそのタイミングで、躱したはずの槍が軌道を変え、今度は真上から振り下ろされる。
「ちっ!」
だが、舌打ちをしたのはサステナの方だった。
槍の動きが僅かに鈍った。そう見えたその隙に、【手妻の陽炎】は攻撃を躱し、相手の間合いの外へと逃げ伸びていた。
「・・・なる程。コイツは確かに厄介な手妻だ。弟子共が散々手を焼くはずだぜ。流石の俺も目で追えない相手と戦うのは厳しいぜ」
「・・・【今サッカーニ】。俺はどうやら少々、甘く見ていたようだ」
【手妻の陽炎】の額から血が一筋伝った。
どうやら先程の頭上からの攻撃は完全には躱しきれていなかったようだ。
自らが自信満々に繰り出した攻撃は、相手の肩を浅く切り割いただけに終わり、逆に厳しい反撃を受けて危うく頭を割られかける始末。
なまじ自分の腕前に自信があるが故に、【手妻の陽炎】は悔しさに奥歯を噛みしめた。
「だがもう一切の油断はしない」
「ほほう。テメエ、覚悟を決めたな? いい面構えだ」
【手妻の陽炎】が剣を構えると、サステナはニヤリと口角を吊り上げた。
二人の間の空気がピンと張り詰める――と思われた次の瞬間。
サステナは槍を大きく後方に振りかぶっていた。
「そら行けーっ! そい!」
「なに?!」
サステナは槍を投擲。技も何も無い無造作なその行動に、【手妻の陽炎】は固有魔法を使うのを忘れて慌てて避けた。
とはいえ、最初から避けるまでもなく、槍は大暴投。彼の体を大きく外れて茂みの向こうへと消えていた。
どうやら音に聞こえた槍聖も、投擲はまるで下手くそだったようだ。
一瞬にして唯一の武器を失ったサステナは、敵に背中を向けて逃げ出した。
だが、背後は切り立った崖によって阻まれている。
サステナは崖の切れ目に指をかけると、「よいしょ、こらしょ」と登り始めた。
「ヒイヒイ。こりゃヤベ。思ったよりもキツイぜ。そういや崖なんて登るのはガキの頃以来だったな」
まだ二メートルも登っていないのに、早くも弱音を吐くサステナ。
【手妻の陽炎】は一瞬、呆気に取られていたが、すぐさまその無防備な背中に向かって走り出した。
次回「メス豚、文句を言われる」




