その417 メス豚と槍術師範
謎の魔法を使う人間、深淵の妖人、【手妻の陽炎】。
そして昨夜、伯爵家の別邸を襲ったという二人の深淵の妖人。
現在、この【西の王都】ベッカロッテには、最低でも三人の妖人が潜んでいるという。
勿論、二人の賊が【手妻の陽炎】と同様に魔法を使える人間かどうかは分からない。しかし、こういった場合、最悪の可能性を予想しておくべきだろう。
つまり、残りの妖人二人も魔法が使えるという可能性である。
――そしてまた悪い予感ほど良く当たるんだ、コレが。クソが。マジでこの世界の悪意はどこまでタチが悪いんだ。
私は女戦士マティルダの膝の上でお腹を撫でられながら、こみ上げて来る怒りにギリリと奥歯を鳴らした。
「ん? どうしたクロ子?」
『・・・なんでもない。それでその二人の賊はどうなったの?』
私の疑問をクロコパトラ歩兵中隊の副隊長ウンタが、アーダルトへ翻訳した。
「その場に居合わせた伯爵家の槍術指南役が相手をしたが、敵わないと見て逃げ出したそうだ」
槍術指南役――伯爵家の騎士団に槍術を教えている達人が、その館で世話になっていたらしい。
あるいは彼は指導者兼、要人の護衛だったのかもしれない。
その達人が深淵の妖人達を追い払ったのだという。
クロカンの大男、カルネが「なんだ」と鼻を鳴らした。
「ヴェヌドの暗殺者と言っても、案外大した事ねえんだな。全員が全員、今日、俺達が戦ったアイツみたいに強い訳じゃねえんだ」
「館の護衛はほとんどがその賊に殺されたらしい。ちなみに護衛は二十人以上いたそうだ」
「なっ・・・マジかよ」
アーダルトの言葉に絶句するカルネ。
賊の人数は二人。単純計算でも、賊は一人で十人以上殺した事になる。
有名なFPSゲーム、CoDのキルストリーク報酬(※マルチプレイ中に連続キルをする事で使用可能となる報酬)ですら、最大で7キルまでだ。
ゲームですらそうなんだから、ましてや現実となれば何をか言わんや。十人を殺すのがどれだけ難易度が高い事か容易に想像がつくだろう。
『やっぱりそいつらも魔法が使えると考えておいた方が良さそうね』
そいつらが使う魔法が【手妻の陽炎】と同じ物かは分からない。だが、危険な相手である事だけは疑いようもない。
なんだよクソ。
ペドゥーリ伯爵領に上陸早々、立ちはだかった困難に、私はテンションがダダ下がりにならずにはいられなかったのだった。
ヒラリと窓から飛び降りた私に、黒い猟犬隊の犬達が反応した。
おっと、ここは彼らの寝床に当てられた、厩のすぐ近くだったのか。
柵の中で退屈していた彼らは、尻尾を振りながら私の方に集まって来た。
犬達のまとめ役、ブチ犬のマサさんが私に尋ねた。
『黒豚の姐さん。やっぱり昼間の人間達を始末しに行くんで?』
物騒だな、おい! マサさんは私の事を何だと思ってるんだ? 人を殺人鬼みたいに言わないで欲しいんだが。
『ちょっと宿の周りを見回って来るだけよ。一応、ほら。アゴストファミリーの襲撃が無いとは言えない訳だし』
見回り、とは言っても、実の所は気晴らしの散歩のようなものである。
ここは敵の黒幕、カロワニー・ペドゥーリの本拠地――とは言っても、町に住む人達のほとんどは、何も知らない善良な一般人である。
実際、こうして見ていても割と治安の良さそうな町だし。
そもそも、自分では表立って動けないからこそ、カロワニーはアゴストファミリーなんていう反社の組織を手駒として使っているのだ。
そんな場所でアゴストファミリーが好き勝手をやるとは思えない。
ん? アゴストファミリーの幹部ヴァロミットは、深夜にザボの店に押し入って、メラサニ村の亜人達を皆殺しにしようとしたじゃないか、だって?
あれは彼らにとって無関係な土地、外国の町での事だから。
その点、この【西の王都】ベッカロッテはカロワニー・ペドゥーリのお膝元。彼らがカロワニーの不興を買ってまで、宿屋を襲撃するとはちょっと考えられないかな。
『とは言っても、油断していて襲われでもしたらバカバカしいしね。だからあくまでも念のためよ』
『なる程、分かりやした。風の鎧』
『えっ?』
マサさんは身体強化の魔法をかけると、ヒラリと柵の上を飛び越えた。
ていうか、マサさんって風の鎧の魔法が使えたの? マジで? 劣化・風の鎧こと俺達の魔法じゃなくて?
『ええまあ。アッシの他にはまだ二匹しか使えませんが』
『風の鎧』『風の鎧』
誇らしそうに胸を張るマサさん。次いで二匹の犬が身体強化の魔法を使うと、次々に柵の上を飛び越えた。
興奮した犬達がワンワンと騒ぐと、宿の中から「うるせえぞ!」と誰かの怒声が上がった。
『黒豚の姐さん。マササンとコイツらもお供してよろしいでしょうか?』
『ええと、さっきも言ったけど散歩みたいなもんだから。それでもいいなら別に構わないけど』
二匹の犬は嬉しそうに尻尾を振ると『『応!』』と答えた。
すると他の犬達もワンワンキャンキャン、興奮しながらアピールを始めた。
『俺、俺、俺も行きたい!』
『ボス、俺も! 俺も行く! 外出たい!』
『ボス! ボス!』
「いい加減にしろ! さっきからうるっせえぞ犬っころ!」
おっと、この騒ぎに怒った宿の人間がこっちに来るようだ。
私は面倒事が起きる前に、マサさんと二匹の犬を連れて宿を脱出するのだった。
宿から出たし、それでは早速、と、身体強化の魔法をかけて、いつものように建物の屋根に登ろうとした私は、マサさん達の悲しそうな目を見て踏みとどまった。
『・・・すいません、黒豚の姐さん』
『あ~うん。最初に確認しておかなかった私の方が悪かったから』
マサさん達は風の鎧の魔法こそ使えるようになったものの、持続時間はほんの数秒だけらしい。
そりゃそうか。魔法のナチュラルボーンマスターの私とは違い、彼らの魔力はそれ程高くはない。
柵を飛び越えるくらいは出来るが、使いっぱで、屋根の上を自由に走り回る事は出来なかったのである。
あれ? なんだろう、今の。何かが心の片隅に引っかかるような・・・
『黒豚の姐さん?』
『ああうん。なんでもない。それじゃ道路を歩いて行こうか』
元々、目的地があった訳でもない。知らない町をのんびり歩いて見て回るのも悪くはないんじゃないかな。
二匹の犬達は尻尾を振り振り、早速、建物の壁や柱の匂いを嗅いではマーキングに励んでいる。
てか、毎回二匹の犬とか呼び辛くて仕方がないな。じゃあ全身黒毛で耳がピンと立ってる方がタロで、お腹と鼻面に白い毛が生えていて、耳が片方寝ている方がジロで。
それはそうと、こうなると知ってたら、ウンタか誰かに付き添いを頼んだんだがな。
女戦士マティルダ? 彼女の場合は私を抱っこして離さなそうだな。別に抱きかかえられるのは構わないけど、流石に散歩の時くらいは自分の足で歩きたいかな。
「なんだなんだ? 角の生えた犬なんて珍しいな」
「犬かと思ったら、一匹は豚じゃないか。一体どこから逃げ出して来たんだ?」
「おい、誰か捕まえろよ。肉屋のオヤジの所に売りに行こうぜ」
むっ。いかんな。マサさん達はともかく、流石に子豚の姿は町では目立ってしまうようだ。
早速、軽い人だかりが出来てしまった。
てか、肉屋に売り飛ばすとか、冗談じゃないぞ。
お調子者っぽい若い男が、ヘラヘラと笑いながら私の方へと近付いて来た。
「よし、俺が捕まえてやるぜ」
『黒豚の姐さん』
『大丈夫。風の鎧!』
私は身体強化の魔法を発動。男の手からヒラリと逃れた。
「よっ! はっ! こ、コイツ、なんてすばしっこいヤツだ!」
「ハハハハハ! おいおいどうした!? もう顎が上がってるじゃないか! 若いくせしてだらしないヤツだな!」
「いいだろうが別に! そんなに言うならあんたが捕まえてみろよ!」
「いいとも。こんなのは後ろからそっと近づいて捕まえればだな――あ痛っ!」
私は後ろから近付いて来たオジサンをヒラリと躱すと、オジサンは勢い余って地面に腹ばいになった。
ドッと沸き返るギャラリー達。
「ハハハハハ! おいおい、お前さんの方がだらしないじゃないか!」
「う、うるせえ!」
「ほら、豚にだって笑われているぜ!」
ブヒヒヒ、そんな事ありません事よ。ブヒヒのヒ。
マサさん達は、興奮しながら男とオジサンの周りを走り回っている。
『マサさんにタロとジロ! 人間には噛みついちゃダメだからね!』
『『・・・応?』』
『あの、黒豚の姐さん。タロとジロというのはひょっとしてコイツらの事でしょうか?』
あっと、そういえばタロとジロは、私がさっき心の中で勝手に付けた名前なんだった。
『そう。あんたがタロであんたがジロ。――おっとっと(ヒラリ)。これからあんた達の事はそう呼ぶから。いいわよね?』
『『応!』』
タロとジロは元気よくワン! と吠えた。
「おい、誰か手を貸せ!」
「網を持って来い! 大きな駕籠でもいいぞ!」
おっと、騒ぎが大きくなり過ぎたようだ。
これはこれで良いトレーニングになるわい、とか思って、ちょっと調子に乗り過ぎたか。
この調子じゃ見回りなんて出来そうにないし、ウンタ達にバレないうちに撤退するかな。
『マサさん、タロとジロ! これ以上、騒ぎが大きくなる前に宿に戻るわよ! 私は先に行くから、アンタ達は後に付いて来て!』
『『応!』』
『分かりやした』
私は伸びて来た手をヒラリと掻い潜ると、最初の男の方へと走った。
「この野郎! ――あ痛?!」
私は覆いかぶさって来た男の頭を蹴って大きくジャンプ。集まっていたギャラリー達の頭上を飛び越えた。
あ~ばよ、とっつぁ~ん。てれってれってれってれ~(※『ル〇ン三世のテーマ』)
ん? あれあれ?
人混みを抜け出したと思った私は、隻眼の中年男性が伸ばした手にいつの間にかキャッチされていた。
えっ? マジで? ていうか何で? どうして?
混乱する私の耳に、渋いイケボが響いた。
「おいおい、やけに人が集まっているから、何の騒ぎかと思ったら。まさか角の生えた子豚を追い回していたとはな」
こちらに振り返ったギャラリーが、驚きにハッと目を見開いた。
「おい、あれサステナ様だぞ!」
「えっ? サステナ様って、あの伯爵家の槍術指南役のサステナ様?」
サッカーニ流槍術師範、マルコス・サステナ。
槍の天才。サッカーニ流創始者の生まれ変わり。今サッカーニ。
数々の異名を持つこの男と私の、これが初めての出会いであった。
次回「メス豚と伯爵家のお家騒動」




