その409 深淵《マーヤソス》の妖人
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ペドゥーリ伯爵領の中心都市、ベッカロッテ。
町の人口は十数万。これは王都ケッセルバウムに次いでこの国では二番目に人口の多い大都市となる。
別名、【西の王都】。
その西の王都ことベッカロッテの一角。
見るからに胡散臭い看板や、けばけばしい色どりの建物が立ち並んだ歓楽街。
一日中人通りの絶えないその大通りを外れ、裏路地を進んだ先にある一件の屋敷。
異様な建物だ。
敷地を囲う壁は高く、窓は明かりを取るための最低限の大きさで、ベランダもなく、窓枠には鉄格子が入っている。
極端に出入り口を制限された建物は、まるで砦か要塞のようでもある。
昼間だというのに辺りに人影はなく、まるでここだけ街の喧噪から切り離されたかのように、シンと静まり返っている。
そう。この町に住む人間は、ここが誰の屋敷か知っているのだ。
アゴストファミリー。
王都ケッセルバウムに本部を持つこの国最大の犯罪組織は、近年では【西の王都】こと、このベッカロッテにまでその勢力範囲を伸ばしていたのである。
「クソが! メラサニ山の亜人共め! よくもこの俺に恥をかかせてくれたな! 絶対に許しちゃおかねえ!」
男は屋敷に入って来るなり、怒りの声を上げた。
年齢は三十代後半。広い肩幅に太い手足。潰れた顔には大きな刀キズが走っている。
明らかに堅気の者ではない。
この凄みのある男こそ、アゴストファミリー・ベッカロッテ支部の支部長、ヴァロミットその人であった。
ヴァロミットは、隣国サンキーニ王国へと逃げ込んだ亜人の兄弟――ロインとハリスを追って、自ら腹心の部下達を率いてランツィの町へと乗り込んだ。
そこで彼は、メラサニ山に住む亜人達が兄弟を保護している事を知らされた。
ヴァロミットは、亜人達が兄弟を連れてランツィの町に現れたタイミングを見計らい、彼らを皆殺しにして二人を手に入れようと画策した。
だがこの目論見は、事前に待ち構えていたクロ子によって阻まれる事となる。
実行部隊は全滅。ヴァロミット本人も、大モルト軍による手入れに遭い、這う這うの体で町を逃げ出す羽目になったのであった。(第十二章 亜人の兄弟編 より)
「おい、幹部を招集しろ! 大至急だ! 急げ!」
「し、招集ですかい? ボス」
ヴァロミットの命令に、出迎えに来た部下達は目を白黒させて驚いた。
「あの、ボス。幹部の皆さんは、まだ寝ている時間ですので。それにボスも町に戻って来たばかりですし、少しごゆっくりしてはいかがでしょうか?」
「ああん?!」
日和見な部下の言葉に、ヴァロミットの表情がみるみるうちに険しくなった。
「テメエ! 大至急と言ったのが、聞こえなかったのか! まだ寝ているだぁ? それが何だ! 寝てるなら叩き起こせ!」
「は、はいいいい!」
慌てて駆け出した部下に代わって、別の部下がヴァロミットに尋ねた。
「ぼ、ボス。一体どうしたってんですか? サンキーニ王国で一体、何があったってんですかい?」
「戦争だ! メラサニ山の山猿共を一匹残らずくびり殺してやる!」
「せ、戦争?! ちょ、ボス! メラサニ山と戦争って一体?!」
「ぼ、ボス! 待ってください、ボス!」
「ああん?! さっきからいちいちうるせえぞ! テメエら俺のやる事に文句でもあんのか?!」
「――ひっ!」
クロ子にはしてやられたが、ヴァロミットもこの国最大の暴力組織の支部を任されている男である。
その殺気にあてられ、部下達は恐怖で喉を引きつらせた。
「そ、そそそその、あのボス、ほほほ、本部の方から――」
「ああん?! だからさっきから何なんだテメエは?! 本部が一体どうしたってんだ!」
「何やら賑やかだな。ここはいつもこうなのか?」
その時、軽く揶揄するような声が、彼らの会話に割って入った。
ヴァロミットは眉間に皺を寄せると振り返った。
若い男だ。年齢は二十代半ば。
傾奇者と言うのだろうか。長い髪を女のように結い、派手な柄の服を着崩している。
一見、街で良く見かけるチンピラのようだが、青年の良く鍛えられた体、そして左右の腰に佩いた細身の剣がその印象を否定している。
すり減って黒ずんだ握りを見れば、その剣が良く使い込まれた物である事が――そして何度も人の血を吸った凶器である事が――ヴァロミットには分かった。
コイツは一体何者だ?
ヴァロミットの直感が激しく警鐘を鳴らしていた。
「――知らねえツラだな。ケッセルバウム(※この国の王都)のモンか? この俺に何の用だ? 亜人村の件なら、俺がオヤジ殿から直々に命じられている。今更本部の連中から口出しされるようないわれはねえぞ?」
「ケッセン・・・何だって? ああ、この国の王都がそんな名前だったか。確かに俺は組織から亜人村の件で命令を受けてやって来た。この話はお前達の――ええとアゴストだったか? アゴストのボスも了承済みだぞ」
王都ケッセルバウムの事を『この国の王都』と呼び、自分達の頭領の事を『アゴストのボス』と言う。
青年はアゴストファミリーの本部の者ではないのだろうか?
だとすれば、彼の所属している組織とは一体?
ヴァロミットはそこまで考えてハッと目を見開いた。
「ヴェヌド・・・」
その瞬間、周囲の者達は(※今も涼しい顔をしている青年を除き)気温が一~二度下がったのを感じた。
大陸の三大国家の一国。カルトロウランナ王朝の地下に潜む巨大犯罪組織ヴェヌド。
穢れを運ぶ北西の風の名を冠するこの組織は、王家の内部にすらもその根を伸ばしているとも噂されている。
ヴェヌドはアゴストファミリーの母体でありながら、基本的には暴力団体の範疇を出ないアゴストファミリーとは一線を画す異質な存在なのである。
犯罪組織からも恐れられる犯罪組織。
それがヴェヌドなのだ。
誰かの喉が緊張でゴクリと鳴った。
「――う、噂だけは聞いた事がある。本部に誰も姿を見た者のいない凄腕の殺し屋がいるって。そしてそいつはヴェヌドから来たヤツだって話も」
「ああ、それなら俺も知ってる。そいつに殺された死体は、どうやったのかも分からないような奇妙な形をしているっていうアレだろ?」
謎の組織からやって来た凄腕の殺し屋。あやかしの技を使う謎の殺し屋。
裏社会に良くある噂話。今まではそう思っていた。
だが、まさかこの青年が?
男達は驚きと戸惑いの目で青年を見つめた。
青年は周囲の視線に動じる様子もなく、小さく肩をすくめた。
「深淵の妖人。俺達の事をそう呼ぶヤツらもいるな。人の身では操れないあやかしの技を用いる者達。深淵の底に潜む神、マーヤソスの眷属。人外の妖怪、妖人。まあそういった所だ」
大二十四神の陰神、恐怖と苦痛の神マーヤソスは、光の一切届かない真の闇の中に潜んでいるという。
迂闊にその深淵を覗き込んだ者は、マーヤソスの眷属の魑魅魍魎に引きずり込まれ、この世の終わりが来るまで永遠の恐怖と苦痛を受け続けるのである。
青年は「フッ」と鼻を鳴らした。
「まあ他の連中の場合はともかく、俺が使えるのはちょっとした手妻(※手品、奇術)くらいだがね」
「・・・ほう。手妻。例えばどんな?」
ヴァロミットの言葉に、青年は軽く周囲を見回した。
「そうだな。例えばこれだ。――ホラよ」
青年は壁に掛けられていた小さな絵を外すと、ヴァロミットの方へ軽く放った。
ヴァロミットは咄嗟に手を伸ばして絵を受け止めようとしたが、大きく空振り。彼は顔面で絵を受け止める事になった。
「痛っ! ――なに?!」
痛みに鼻を抑えようとしたヴァロミットの目の前に、いつの間にか青年が移動。その胸に剣の切っ先を突き付けていた。
い、いつの間に?
ヴァロミットのこめかみに冷や汗が伝った。
「ぼ、ボス?! て、テメエ、ボスに何しやがる!」
「野郎! ただじゃおかねえぞ!」
「バカ野郎! 騒ぐんじゃねえ!」
慌てて武器に手を掛ける部下達を、ヴァロミットが一喝した。
青年は流れるような動きで剣を鞘に納めた。
「まあこんな感じだ。どうだ? 楽しい手妻だったろ?」
「・・・ああ。確かにな」
ヴァロミットはチラリと部下達を見回した。誰もがボスに剣を向けた青年に対して、怒りの表情をあらわにしている。
だが、それだけだ。
誰も今の異常に気付いていない。
確かに青年の剣捌きは大したものだった。あるいは達人と言ってもいいのかもしれない。
だが、問題はそこではないのだ。
(一体どういうこった・・・確かに俺は絵を受け止めたはずだった。それが突然、顔面に痛みが走ったと思ったら、急に目の前に絵が飛び込んで来やがった。あれは一体何だったんだ? 受け止め損なったとかそういう生易しいモンじゃねえ。俺に一体何が起きた? コイツは俺に何をした?)
自分は妖人――青年のあやかしの技に、化かされたのだろうか?
青年は混乱するヴァロミットに近付くと、馴れ馴れしく肩を組んだ。
「今後は亜人村の件は俺が担当してやる。あんたはゆっくり旅の疲れでも癒してくれ。なぁに、礼ならいらないぜ、これも仕事だからな。良かったな、やって来たのが俺で。これが仲間の誰かなら――そうだな、【百足】辺りなら、あんたら全員、今頃この世にいない所だぜ」
青年は「アイツは頭の線がキレているからな。人を殺すのを小石を蹴飛ばすくらいにしか思ってない」とかぶりを振った。
涼しい顔でとんでもない事を言い放つ青年に、ヴァロミットの部下達はすっかり毒気を抜かれている。
ヴァロミットは青年の背中に声を掛けた。
「――お前、名前は?」
「ん?」
「お前の名前だよ。殺し屋だって名前くらい持っているだろうが」
今の言葉のどこが彼のツボに入ったのだろうか? 青年は皮肉そうに口角を上げた。
「【手妻の陽炎】。――仲間からはそう呼ばれている。本当の名前はもう忘れた」
【手妻の陽炎】。それがこの深淵の妖人の通り名らしい。
次回「メス豚、上陸する」




