その407 ~竜討公の帰還~
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七将、百勝ステラーノの孫、マルツォ・ステラーノが王都から赴任先のランツィの町に戻って来たのは、そろそろ雪もゆるみ始める春の頭の事だった。
かつてハマス軍の策略に加担し、この地に左遷された少年は、町を襲った天空竜を討伐した功績を認められ、今や町の監督官の地位に加え、この国境の地、トラベローニの長官に任じられていた。
マルツォは代官屋敷に到着すると、部下に命じて新たな旗を掲げさせた。
風に吹かれ、旗に描かれた翼を広げた竜の意匠が露わとなる。
これこそが、マルツォが主君、ジェルマン・”新家”アレサンドロから直々に賜った栄誉の証。
この後、彼の代名詞となる呼び名。
【竜討公】の称号であった。
「それで? 俺が留守をしている間に何か問題はあったか?」
マルツォは屋敷に入るや否や、彼の右腕でありお目付け役の、副監督官ベルデに尋ねた。
ベルデは小さくかぶりを振った。
「いえ、大きな問題は特に。ただ――」
この時、ベルデはどう説明しようかと一瞬頭を悩ませた。
「ただ、メラサニ村の亜人絡みで多少。一応、解決しておりますが」
「メラサニ村? 亜人のヤツらに何かあったのか?」
マルツォはベルデに振り返ると、困り顔の侍女達――トリィとリッタの姿を見て、「おっと」と肩をすくめた。
「こんな所でいつまでも立ち話もなんだ。詳しい話は執務室の方で聞こうか。リッタはこのまま荷物の片付けを頼む。トリィ、お前は俺と副監督官の分のお茶を淹れて来てくれ」
「「かしこまりました」」
マルツォは手を振って侍女達を下げると、自分はベルデと共に執務室へと向かったのだった。
主人の到着に備え、執務室の暖炉には朝から火がくべられていた。とはいえ、ついさっきまで外にいたマルツォには、やや室温が高く感じられたようだ。
マルツォは上着を脱ぐと帽子掛けの上に放り投げた。
「それで? 亜人のヤツらが何か問題でも起こしたのか? さっきの話だと既に面倒事は解決済みのようだが」
「あ、いえ、私の言葉が足りませんでした。彼らが問題を起こした訳ではありません。どちらかと言えば彼らは巻き込まれたのですが・・・それでも、ただ巻き込まれただけと言い切れない所が何とも。――コホン。事の発端は、我々が亜人の兄弟を保護した所から始まります。彼等はこの国の者達ではなく、隣国ヒッテル王国から逃れて来たもので――」
副監督官のベルデは、一連の事態のあらましを――自分達がロイン達亜人の兄弟を保護した所から始まり、二人の身柄をメラサニ村の亜人達に預けた事。その二人を狙った隣国の犯罪組織が、彼らの宿泊先となっていたこの町の商人の店を襲おうとした事。その襲撃者達をメラサニ山の魔獣ことクロ子が返り討ちにした事。翌日、クロ子から事情を聞いた自分が主導してその犯罪組織の手入れを行った事――等を簡潔に説明した。
「残念ながら組織の首魁には逃げられてしまいました。捕縛した手下共を尋問した所、どうやら馬車を用いてこの国から逃げ出した模様で」
「・・・チッ。ここでもヒッテル王国の名が出て来るのかよ」
マルツォは不愉快そうに舌打ちをした。
彼はこの町に監督官として赴任して早々、商業ギルドの元締めマダム・ボーナを始め、特に隣国ヒッテル王国との繋がりが強いと思われる商人を何人か処罰している。
これでひとまずヒッテル王国の影響は減少したと思っていたのだが・・・どうやらかの国は、マルツォ達の想像以上にこのランツィの町に深く根を張っていたようだ。
マルツォは心の中でヒッテル王国に対しての警戒心を一段階上に上げた。
「それで? 一応は解決したって話だったが、首魁以外は一通りひっ捕らえたって事でいいんだよな?」
「はい。勿論、関わった者全てという訳にはいきませんが、間違いなく組織の中核は潰せたと考えています」
マルツォはベルデが有能である事を知っている。彼が中核は潰せたと言うのなら、この町のアゴストファミリーの支部は完全に排除されたと考えて良いだろう。
マルツォは小さく頷いた。
「それでいい。良くやった。それにしてもメラサニ山の魔獣というのは恐ろしいヤツだな。三十人からの襲撃者を一人残らず皆殺しとはな。出来る事なら直接、ヤツが戦っている所をこの目で見てみたかったぜ」
「冗談でも、そのような事を言うのはおやめ下さい」
ベルデは控え目な言葉で上司を窘めたが、その目は真剣だった。
彼は現場を調べた部下から報告を受けている。
それによると、襲撃者の半数程は同士討ちと思われる刀キズで死亡。しかし、残りの十数人は見た事もない謎の負傷によって死んでいたという事である。
恐らく、そのキズは魔獣の魔法によって出来たものだろう。
ベルデは、魔獣が魔法を使う事はマルツォから聞いていたが、まさかそれがたったの一撃で人の命を奪う程の威力とまでは知らなかった。
彼は一見、子豚にしか見えない(※実際に豚なのだが)魔獣の小さな姿を思い出した。
魔獣の魔法は大の大人を一撃で殺す。
では仮に、その魔法を、もっと体の大きな生き物が――例えば亜人の大人が使えばどうなるのだろうか?
想像し難い悪夢に、ベルデの背筋に悪寒が走った。
そんなベルデの気持ちを知ってか知らずか、マルツォは機嫌よく話を続けた。
「知ってるか? 魔獣は戦場でハマスの所の”双極星”のコロセオとかいう腕の立つ武将と互角に渡り合ったそうだ。何でも途中で横やりが入らなければ魔獣の勝ち。コロセオってヤツはやられる所だったらしいぞ。だとすれば、今の片腕の俺なら、魔獣とまともにやり合ったら、何も出来ずにイチコロかもしれんな」
「だからそのような事は、例え冗談でも――」
「そう真面目に取るなって。ただの例え話だっての。まあ実際、魔法がヤバイって事は俺にも分かってる。月影のヤツを知っているからな」
月影は亜人の女王クロコパトラに仕える影。――という設定のクロ子第二のアバターである。
マルツォはこの全身黒マント姿の怪人と、王都の南の避暑地、パルモ湖畔の町の路地裏で遭遇している。
(第八章 陰謀の湖畔編 その264 メス豚と七将の孫 より)
「月影はマジでヤバかった。特にあの目が――あ、いや、顔はマスクで隠れていたから、実際に目を見た訳じゃねえんだが、何と言うか、纏っていた気配が違っていた。
どんな剣の達人でも、戦いの後は平静ではいられねえ。多かれ少なかれ、気持ちは高ぶっているし、人を殺した場合なんて尚更だ。そりゃそうだろう。まかり間違えば、冷たい屍をさらしていたのは自分の方かもしれねえんだからな。
だが、俺はあの時、月影の仮面の奥の目からは何も感じなかった。アイツは息も乱れてもいなければ、気も乱れていなかった。平静そのもの。全くの無。虚無だった。お爺でもあそこまで達観はしていねえ。正直ブルったぜ」
マルツォはその時の事を思い出したのだろう。いつの間にか顔から笑みが消えていた。
もし、クロ子がこの場にいたら、『いやいや、月影のマスクの奥の目って言われても、最初からそんなのないし。月影の体は水母が作った骨組みにマントを被せただけの作り物だし。マスクの奥なんて何もないガランドウだし』と、マルツォの深読みにツッコミを入れたかもしれない。
あるいは、『水母、コイツから「心がない」って言われてるわよ。それってあんたの設定通りじゃん。分かってくれる人がいて良かったわね』と、ゲラゲラ笑いながら水母の事をからかったかもしれない。
どちらにしろ、マルツォ達にとっては(あるいは水母にとっても)不愉快な光景になっていたはずなので、ここにクロ子がいなかったのは幸いだった。
「まあ、全部片付いているならそれでいいや。で? そのヒッテル王国から来た亜人の兄弟ってのはどうしたんだ? まだメラサニ村にいるのか?」
「それなんですが・・・」
ここで副監督官のベルデは困り顔になった。
「亜人の部隊、クロカン(※クロコパトラ歩兵中隊)と魔獣で、隣国にあるという彼らの村まで送り届けに行きました」
「は?」
予想外の内容にマルツォの目が点になった。
「亜人の部隊、クロカン(※クロコパトラ歩兵中隊)と魔獣で――」
「いや、聞こえてなかった訳じゃねえよ。てか、行ったのか? マジで? 隣国に? アイツらだけで? つーか、つい先日、襲撃に遭ったばかりだろ?」
「はい。ですから私としては、しばらくの間は様子を見るようにと忠告したのですが・・・」
ベルデの言葉に、クロ子は『それはそれでアリな考え方だと思う』とは答えたが、結局、自分の考えを曲げる事はなかった。
「出来るだけ早く元の村に帰してやりたいから、との事でして」
「そりゃあ確かにそうだろうが・・・なんつーか、落ち着きがないと言うか、堪え性のねえヤツらだな」
七将の孫、竜討公をもってしても、クロ子の感覚は異質に映ったようだ。
とはいえ、これは彼がロイン達亜人兄弟の住む村――楽園村のひっ迫した状況を知らないが故の事であった。
「それにしてもこのタイミングかよ。最悪の場合、下手すりゃ戦に巻き込まれて、アイツらこの国に戻って来られなくなっちまう所だぞ」
マルツォの呟きに、ベルデは目を見張った。
「戦とは・・・。王都ではヒッテル王国への遠征軍の話が、それ程までに進んでいるのでしょうか?」
「いや、今の所は殿がそういう考えを持っているというだけに過ぎねえ。だが、お爺が奥方様から聞いた話によると、そのうち軍議に上がる可能性は高いみてえだ。殿の最終目的が西にある以上、東のヒッテル王国をこのままにしておく訳にはいかねえからな」
ジェルマン・”新家”アレサンドロの最終目的は西――”執権”アレサンドロ家との決着にある。
昨年、ジェルマンはその執権に命じられ、このサンキーニ王国へと進軍したが、そもそもこれは、ヒッテル王家から、執権アンブロード・アレサンドロに送られた援軍要請が元となっている。
つまりは、執権とヒッテル王家は繋がりがあるのである。
ジェルマンが執権との戦いを前に、ヒッテル王国を併呑し、後顧の憂いを断っておきたいと考えるのは当然であった。
「とはいえ、具体的に遠征軍の話が出るのはしばらく先の話だろうよ。藪をつついて蛇を出す、じゃねえが、今、下手にヒッテル王国に攻め込んだら、流石に執権も黙っちゃいねえだろうからな。そうなりゃ昨年、この国がやられた事を、今度は俺達がやられちまうって訳だ」
もし、ジェルマンがイサロ王子を大将とする遠征軍をヒッテル王国に派遣した場合、ヒッテル王家は慌てて執権に救援要請を送るだろう。
そうなれば執権は、これを好機と大軍をもってジェルマンに襲い掛かって来るに違いない。
「敵の総大将は”賢将”ボローティー辺りになるかもな。そうなりゃお爺とボローティー、七将が戦場で相まみえる事になる訳だ。どっちが勝つか、王都の貴族共のいい賭けのネタになりそうだ。その場合、お爺の方がオッズは高くなるかもな」
「笑い事ではありませんよ」
マルツォは真剣な面持ちの副官に、笑って手を振った。
「だから仮の話だっての。本当にクソ真面目なヤツだぜ。殿だって今は執権との戦なんて望んじゃいねえさ。ヒッテル王国に関しては、まあ、その前にどうにかしとかなきゃいけねんだが、それとて別に急ぎの話って訳じゃねえ。少なくとも大義名分ってヤツが出来るまで、こっちから手を出すような事はないはずだぜ」
「・・・そうですか」
明らかにホッとするベルデ。
マルツォは心配性な副官に思わず苦笑するのだった。
この時、マルツォは「この時点で軍が動く事はないだろう」と考えていた。
そして彼のこの見立ては概ね正しかった。
確かにこの時期、ジェルマンは、今は来るべき戦いに備えて戦力を蓄える時だと考え、積極的に軍を動かすつもりはなかった。
ヒッテル王国への進軍はジェルマンの腹案の一つ。
密かに準備こそ進められてはいるものの、具体的な時期等を公言されている類のものではなかった。
しかし、マルツォがランツィの町に戻った二日後の事。
町の東の街道――ヒッテル王国へと通じる街道に、豪華な馬車の列が姿を現した。
その馬車にはヒッテル王国の王族の馬車にのみ使用が許される、王家の紋章が描かれていた。
彼らは、コルヴォ伯爵率いる反乱軍によって占拠された王都から逃げ延びた王族達であった。
王族達はジェルマン(※対外的には執権の配下と思われている)に対し、自分達を保護し、無道な無法者達から王都を取り返してくれるよう、頼み込んだ。
そう。あの日、マルツォが必要だと言っていた大義名分。
その大義名分が向こうからこちらに飛び込んで来たのである。
次のお話でこの章は終わりになります。
次回「船上のメス豚」




