その400 メス豚とアゴストファミリー
こちらの世界の庶民の建物にはガラス板なんて高価な物は入っていない。
だから普通の家の窓は全開オープンの開けっぱなし。
例外として貴族の屋敷や神殿なんかには、ロンデル窓だっけ? 丸いガラス板を繋げたような窓ガラスが使われているようだが、そういうのは極一部でしかない。
というわけで、私は何物にも阻まれる事なく、開け放たれた窓からザボの店の中に入ったのであった。
ンな事をせずに、普通にドアから入ったらいいだろうって? おいおい、私は豚やぞ。この蹄でどうやって開けろっちゅーねん。
みんな、クロ子ちゃんやぞ。今、帰ったでー。
「お、クロ子。やっと戻ったのか。今まで一体どこに行っていたんだ?」
部屋で酒盛りをしていたクロコパトラ歩兵中隊の隊員達が、赤くなった顔で一斉に振り返った。
『をい、お前ら。なんで人がいない間にお酒なんて飲んでんだ。私が出ている間に打ち合わせをしとけって言っといただろうが』
「そうは言うがな、クロ子」
クロカンの副隊長ウンタは、困り顔になった。
「タイロソスの信徒になるのを決めたのはお前だ。そのお前がいない状態で、一体何を話し合えって言うんだ?」
「そーそー。やることがないなら酒でも飲んでるしかねーだろ?」
クロカンの大男カルネが、ご機嫌な様子で酒臭い息を吐き出した。
殴りたい、その笑顔。
私は酒盛りの場をグルリと見回した。
『あれ? 彼らは? 冒険者――じゃなかった、ええとタイロソスの教導者の・・・』
『アーダルト、ビアッチョ、マティルダ』
私は背中のピンククラゲが説明を入れた。
そうそう、そいつらな。アーダルトビアッチョマティルダね。
「ああ、アーダルト達三人なら、店の方に行ってるぜ。何でも前の仕事で使った分を補充したいとか。ザボが安くしてくれるって言った途端、喜んで飛びついてたぞ」
ああ、なる程。それだったらしばらくしたら戻って来そうだな。
ふむ。どうせ話をするなら全員が揃ってからの方が無駄がないか。
どれ、それじゃあ、彼らが戻って来るまでの間、私もお呼ばれするとしますかな。
私がトコトコと酒の席に近付くと、カルネ達は慌てて酒壺を抱え、部屋の隅に逃げ出した。
「バカ! よせ、クロ子! お前、ここでも暴れるつもりかよ!」
「そうとも! ザボの店に出禁になったら、もうここの美味い酒が飲めなくなるだろうが!」
『誰が酒なんて飲むかい。小腹が空いたからおつまみを頂こうとしただけだっつーの』
ちなみに雰囲気イケメンの兄ロインと、弱気ショタ坊こと弟のハリスは、顔どころか手足まで真っ赤にして部屋の隅で寝ている。
お前ら、子供に酒を飲ませたのかい!
いやまあ、ここは地球じゃないからいい、のか?
ちなみに日本に未成年者飲酒禁止法が出来たのは大正11年。それまでは(※あくまでも法律上では)子供がお酒を飲んでも構わなかったのだ。
私はさっきまでカルネ達がいた場所に座り込むと、おつまみの干し肉をブヒブヒと齧った。
ん? ああ、干し肉じゃなくて燻製肉だったのか。結構いいモン食ってんじゃん。う~ん、デリシャスマイルゥー。
カルネ達は、未だに疑いの眼差しで私を見ている。
「ホントか? ホントに酒が狙いじゃないのか?」
「いやまだ信用出来ないぞ。なにせクロ子は俺達が作っていた酒を全部平らげたんだ。こんな美味い酒を前にして飲もうとしない訳はないぜ」
しつこいなお前ら。だから私は好き好んでお酒なんて飲まないっての。
いや待て、そこまで言われたら、逆に気になって来たぞ。
私の喉が無意識にゴクリと鳴った。
一口くらいだったら別にいいんじゃない?
「あっ! クロちゃん、帰って来てたんだ!」
女性の声に振り向くと、冒険者パーティーことタイロソスの信徒の一人、女剣士のマティルダが部屋に入って来た所だった。
マティルダは満面の笑みで私の背後に回り込むと、無造作にヒョイと持ち上げた。
その拍子に食べかけの燻製肉が私の口からポロリと落ちる。ああっ。私のお肉が。
「・・・やっぱりゴワゴワしてる」
そして私の手触りにガッカリするマティルダ嬢。だったら抱かなきゃいいのに。
「むっ。魔獣が戻って来たのか」
「てか、そいつって本当に魔獣なのか? 魔獣ってかなりヤバいヤツなんだろ? そんなのを町中で自由にさせてて本当に大丈夫なのか?」
マティルダに続いて、彼女のチームメイトの・・・ええと、誰だっけ? 『アーダルトとビアッチョ』そうそう、アーダルトとビアッチョも現れた。
二人共神殿にいた時には持っていなかった布袋を背負っている。あれがここで買った商品なんだろうか?
タイロソスの傭兵が一体どういうものを必要とするのか、ちょっとだけ気になったけど、そこはまあいいや。
今はそれよりも、みんなに話しておかなきゃならない事があるのだ。
てなわけでウンタ、彼らにも通訳ヨロシク。
「ああ。――その様子だと、厄介な事になっているのか?」
私の態度からトラブルの予感を感じ取ったのだろう。ウンタの眉間に皺が寄った。
さて。今を遡る事、小一時間程前。タイロソスの神殿を後にした我々は、全員でザボの店を目指して歩いていた。
その道中の事である。私の背中のピンククラゲ水母が、不意に私に警告を発した。
『監視者、再度出現』
『例の監視者がまた現れたって事?』
私は思わず水母に振り返った。
『それって、さっき隠し部屋に潜んでいたのと同じ相手?』
『断言は不可能。推論。可能性は高目』
なしよりのありね。断言は出来ないけど、可能性としては「あり」だと。
先程、途中で消えた謎の監視者は、どうやら我々の先回りをするために早目に部屋を抜け出しただけだったようだ。
もしも相手が神殿関係者だった場合、急に姿を消したら余計な注目を集めてしまう事になりかねない。そうならないように事前の準備が必要だった、という訳か。
謎の監視者はずっとつかず離れず、我々の後をつけて来たが、こちらがザボの店に入るのを確認すると、その場を離れて行った。
おっと、このまま逃がしてなるものかい。
『ウンタ。ちょっと気になる事が出来たから行ってくる。そっちで話は進めておいて』
「おい、クロ子! 気になる事って何だ?! 待てって、おい!」
私は『風の鎧』。身体強化の魔法をかけると、窓からヒラリと飛び出した。
そのまま正面の壁を蹴ると三角飛びの要領で屋根の上に登ると、サッと辺りを見回した。
すると背中のピンククラゲから細い触手がニュルリと伸びて、町の一点を指し示した。
『進行方向』
『ありがと、水母。引き続き監視者の追跡ヨロシク』
こうして私は逆追跡を開始。やがて相手の本拠地? 拠点? そういった物と思わしき怪しい建物へとたどり着いたのであった。
『いやあ、死神とか呼ばれてるヤツがこっちを見た時には、ちょっとだけドキッとしたけど、まさか相手も屋根裏に私みたいな子豚が忍び込んでいるとは思わなかったみたいね』
といった所で私の話は終了。
部屋の中は重い空気が立ち込めた。
「神殿の事務長が・・・。いや、確かにあまり評判の良い人じゃなかったが、まさかそんなヤツらの手下になっていたなんて」
タイロソスの信徒の若手剣士、ビアッチョが信じられないといった表情で呟いた。
アーダルトは先程から難しい顔をしたままで黙り込んでいる。
そんなリーダーに女剣士マティルダが尋ねた。
「アー兄さん。ひょっとしてアー兄さんはアゴストファミリーの事を何か知ってるの?」
「! そうなんですか?! アーダルトさん!」
「・・・アゴストは隣国ヒッテル王国の犯罪組織だ。あのヴェヌドの流れをくむ一派と聞いている」
アーダルトの言葉にビアッチョとマティルダの表情がこわばった。
ヴェヌド? 何だかまた知らない単語が出て来たな。
それはそうと、いい加減にマティルダは私を降ろして欲しい。さっきから食べかけの燻製肉の事が気になって仕方がないんだが。
「ヴェヌド? ヴェヌドって、あの穢れの三風神の?」
穢れの三風神? ああ、それなら聞き覚えがある。
この世界で信仰されている大二十四神。その中でも特にヤベー三柱の神がいる。
それが疫病神コロドゥソスと、恐怖神マーヤソス、そして腐敗神カジャソス。
生き物に苦しみを与え、時には死に至らしめる事もある病。
感情を持つ動物であれば、必ず心の中に潜む負の感情、恐怖。
そして生き物が生きるために絶対必要な”食”という行為。その根幹となる食べ物を奪い去る腐敗。
北西から吹く風は、それら生き物に苦しみを与える三柱の神を運んで来る、忌むべき風とされている。
それもあって、この三柱の神は穢れの風の神。穢れの三風神とも呼ばれるそうだ。
「ヴェヌドは北西から吹く風。穢れの三風神を運ぶ風の名だ。そしてこの忌み名で呼ばれている組織がある。それがヴェヌド。その正体は北の大国、カルトロウランナ王朝の闇に巣食う大犯罪組織だ」
カルトロウランナ王朝は、大陸の三大国家の中でも最も古い歴史を持っている。
なにせ大モルトもこの国も、元をただせばカルトロウランナ王朝の一地方。王朝の辺境に過ぎなかったのである。
ちなみに現在、アマディ・ロスディオ法王国のある辺りは、かつてはカルトロウランナ王朝から「南蛮の地」と呼ばれ、蛮族が住む遅れた土地として蔑まれていたそうな。ざまあ。アマディ・ロスディオざまあ。
「ヴェヌドはカルトロウランナの裏社会だけではなく、表の世界にも深く食い込んでいるため、その全容を知る者はいない。組織はファミリーと呼ばれる集団に分かれていて、アゴストは隣国ヒッテル王国における最も大きなヴェヌドのファミリーだ」
なる程。要はヴェヌドはマフィアみたいなもので、アゴストはそのファミリーの出張所みたいなものと。
ちなみにこの国にも同様の組織はあるらしく、そちらは王都から西を主な縄張りにしているそうだ。
マジか・・・って、そりゃあ小国のヒッテル王国なんぞを相手にしているよりも、大モルト相手に力を入れる方が儲けが期待出来るってもんか。
それはそうと、アゴストファミリーとやらは、どうやら私が想像していたよりもかなりヤバイ相手だったようだ。
次回「メス豚と深夜の襲撃」




