その371 ~町の噂~
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年も明け、新年もそろそろ一月が経とうとする頃。
王都アルタムーラは昨年に引き続き、大モルト軍の占領下にあった。
とはいえ、当初の混乱は既に収まりを見せている。
これは町の者達が恐れていたような略奪や暴行を、大モルト兵達が行わなかったせいである。
だがそれは、彼ら大モルト兵が特に高い道徳心や克己心を持っているという事にもならなければ、占領国の民に対しての慈悲に満ちているという事にもならない。
実際、王都に進駐してしばらくの間は、一部の不心得者達による略奪も行われたようである。
しかし、それらの犯罪は後日、当の大モルト軍によって厳しく調査され、略奪を行った兵士達は全員捕縛された上で厳格な裁きを受けている。
これもひとえに、大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロの目的が、『自分の活動基盤として可能な限り無傷でこの国を手に入れたい』というものであったためである。
ジェルマンは、自軍の兵であろうがこの国の者であろうが、犯罪を犯した者に対しては、等しく厳しい罰を与えた。
そのため、王都に巣食う犯罪組織の類も今ではすっかりなりを潜め、住人の中には「大モルト軍が来てからの方が逆に治安が良くなった」などと言う者もいた程である。
こうして、王都はかつての活気を取り戻しつつあった。
そんな王都アルタムーラは、言うまでもなくこの国の政治の中心地だが、また、経済の中心地でもある。
と言うよりも、農地も無ければ森も持たない大都市は、外部から食糧や布、薪などの生活必需品が入って来なければ、早晩、誰も住めなくなってしまうのだ。
大モルト軍の侵攻で一時停滞していた経済は、現在、急速な活性化を見せている。
それと同時に、王都を訪れる商人の数も、元の数に戻りつつあった。
そしてそんな商人達の間で今、話題になっている出来事があった。
「ああ、それなら勿論、私も見ましたよ。えっ? 驚いたかって? そりゃあそうですよ。なにせ本当に化け物みたいに巨大な竜でしたからね」
ここは一般街の大通りに面した酒場。浅黒く日焼けした商人が、取引相手の小太りの中年商人と商談後の酒を酌み交わしていた。
小太りの商人は今一番のホットな話題に、思わず身を乗り出した。
「ほうほう、本物を見られたのですか? それでどうでしたか? こちらでは作り物ではないかと疑う者もいるようですが」
「あれが作り物ですって?! いやいや、とんでもない!」
日焼け商人は両腕を広げると大袈裟にかぶりを振った。
「ひと目見れば、誰にだって作り物かどうかくらい分かりますよ! そりゃあまあ見世物小屋なんかでは、人食いの大虎とか人食いの巨人とか、随分と人食いも安売りされてますが、やっぱり本物はね。凄みというか、恐ろしさが全く違いますよ。あの大きな爪なら人間なんてひとたまりもないでしょうし、あんな大きな牙に咥えられたら、骨ごとバリバリ砕かれてしまうでしょうなあ」
日焼け商人物騒な事を何だか楽しそうに語った。
小太りの商人は余程興奮しているのだろう。「ほうほう」と鼻息を荒くしている。
日焼け商人はその様子にすっかり気を良くしたらしく、カップの酒を一息にあおると話を続けた。
「私も東サンキーニでは随分と長く商売をしていましたが、まさかメラサニ山にあんな人食いの化け物竜が住んでいたなんて全く知りませんでしたよ。昨年の魔獣騒ぎといい、ずっと噂だけはされていた亜人が実は本当に存在していて、急に里に下りて来たりと、ここ最近のメラサニ山は何だか一気に魔境めいてきましたな」
彼の言う所の魔獣とは、説明するまでもなくクロ子の事である。
SNSどころか、TVや新聞もないこの世界では、ニュースや情報は人伝手に聞く噂話でしか知る事は出来ない。
そして今、この王都の町で最もホットな話題は、この国の東の端に位置する土地、トラベローニ――クロ子達が住んでいるいわゆる東サンキーニと呼ばれる土地。そこの中心都市ランツィを襲った人食いの化け物を、大モルト軍の若武者が退治したという噂であった。
この話をもう少し詳しくすれば、人食いの化け物は天空竜という名の大型の肉食竜。それの雄と雌のつがい。
そして天空竜を討伐したのは、大モルト軍の”七将”百勝ステラーノの孫、マルツォ・ステラーノであった。
「流石は有名な七将の孫。あんな化け物を退治するなんて、竜の子は竜とは良く言ったものですなあ」
日焼け商人は感心しきりである。
大モルトの七将と言えば、この国の子供ですらその存在を知っている。(※とはいえ、実際に七人全員の名前を言える者はほとんどいないだろうが)
人食いの化け物を殺し、この国の町を救った七将の孫は、今や王都の民の間ではまるで英雄のような扱いとなっていた。
いや、それだけなら小太りの商人がこれ程興奮するような事にはならない。
国の僻地で怪物のような生き物が出て退治された。なる程、それだけ聞けばさして面白味もないありがちな噂話である。
しかし相手が名だたる七将の孫で、そして彼がその化け物を連れてこの王都に凱旋するとなれば話は別であった。
つまり、自分も噂の化け物をこの目で見る事が出来るかもしれないのだ。
とは言え、実際は生きている化け物ではなく、倒した化け物の死体から元の姿を復元した剥製なのだが。
「なにせ翼を広げたらこの酒場の端から端まで届くような大きな竜ですからな。大モルトはそいつを運ぶために特別製の大型の荷車を作ったという話です。なにより凄いのは、そいつが町に入っただけで、見物客達からは悲鳴が上がり、大騒ぎになった事です。事前に動かない死体というのが広く告知されていたにもかかわらず、その恐ろしい姿に恐怖のあまり失神して倒れる者すら出た程ですからな」
「ほうほう、そいつは凄い!」
七将の孫マルツォは自ら部隊を率い、堂々と隠すことなく天空竜の剥製を運んで街道を行軍していた。
そもそも大モルトでは、自らの武勇を誇る事はなんら恥ずかしい行為ではない。むしろ変に隠す方が、何か後ろめたい理由があるのではないか――例えば他人や部下の手柄を奪ったのではないか――などと邪推される原因にもなるのである。
それに占領軍である大モルト軍にとっては、自分達がこの国の町を守った、自分達はこれ程の化け物を退治できる力がある、という事実を民衆にアピールするまたとないチャンスでもある。
こういった理由もあって、マルツォは仰々しい程の隊列を組んで、王都まで行軍を行っていたのであった。
そして彼の狙い通り、この行軍は行く先々で話題になり、遂にはこのように、彼の英雄譚が彼の到着に先駆けて王都の民の耳にも届くようになったのである。
「赴任早々、そのような化け物竜を退治するとは、流石は七将の孫。聞けばまだ十代の青年だそうではないですか。七将、百勝ステラーノ殿にとっても、さぞや将来が楽しみな事でしょうな」
「そうですな。それに大モルト軍の指揮官にとっても、そのような部下を持ってさぞかし鼻が高いでしょうなあ」
王都の民はマルツォの赴任に秘められた本当の理由を知らない。
彼は主君であるジェルマンを裏切り、敵であるハマス兵をジェルマンの館に招き入れた所を祖父である百勝ステラーノにとがめられ、その場で利き腕を根元から切り落とされたのである。
東サンキーニのランツィ町に監督官として派遣されたのも、ハマス軍との戦いの前に、彼を主戦場となる国の西から遠ざけるたため――つまりは体の良い左遷だったのである。
ところがその後すぐにハマス軍はこの国から撤退。
期待されていた決戦は行われず、勿論、誰も手柄を立てる事は出来なかった。
逆に左遷させられていたはずのマルツォは、赴任先の町を襲った天空竜を退治。
なんと早々に手柄を立てる事に成功していたのである。
これにはジェルマン配下の保守派に存在する、マルツォを裏切り者として蔑む者達も愕然とした。
ずっと王都で腕を撫していた自分達は何も出来ず、僻地に追いやったとばかり思っていたマルツォの名声だけが高まったのである。
一体、どうしてこんな事に。
彼らは、面白くない状況に不満を募らせていたのであった。
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ここは王都の東。
王都アルタムーラは、北に大河をのぞみ、南と東を山に囲まれた平地に作られている。
その東の峠道を進む一軍の姿があった。
「やれやれ、コイツを越えるとやっと王都に到着か」
馬車の窓から顔を出しているのは、十代の青年武将。
七将、百勝ステラーノの孫、マルツォであった。
「毎日毎日馬車に揺られ続けて、いい加減、俺の尻の皮もお前らみたいに分厚くなるんじゃないかと心配していた所だぜ」
馬車に乗っているのはマルツォと彼のお付きの二人の侍女――トリィとリッタであった。
「そんな事はありません!」
「マルツォ様は、ご自分で馬ではなく馬車に乗るとおっしゃったんですよ?」
「・・・チッ。仕方がねえだろ。あの天空竜を倒すのには何人もの兵が犠牲になったんだ。俺みたいな片腕のガキでも倒せる程度のヤツだった、なんて変に舐められる訳にはいかねえからな」
マルツォはつまらなさそうに舌打ちをすると渋面を作った。
かつてマルツォは弟分であるルベリオ少年に、「お前が謙遜するのは構わないが、それじゃお前の下で命を張ってくれた部下があまりに報われねえだろうが」と苦言を呈した事がある。
今回彼は、自分の言葉と主張を実践している――共に戦ってくれた部下に報いるために、自分達の武勲を最大限に演出している――のであった。
ちなみにこの場には彼のお目付け役、副官のベルデはいない。
彼は天空竜との戦いに参加していなかったから――ではなく、マルツォの代理としてランツィの町に残っているのである。
「しかしまあ、行く先々で町の連中に驚かれるのは中々に愉快だったぜ。ランツィの職人はいい仕事をしてくれたもんだ」
マルツォは背後をチラリと振り返った。
勿論、こんな場所で後ろを振り返っても目に入るのは馬車の内装だけでしかない。彼が本当に見たかったのは馬車の後方。部隊の最後尾に控えた特注の荷車に乗せられている天空竜の剥製であった。
「何せ、最初に見た時にはトリィが驚いて悲鳴を上げたくらいだからな」
「も、もうあの時の話は止めて下さい!」
「プフッ!」
慌てるトリィに、リッタが小さく吹き出した。
「リッタ!」
「だ、だってあの時のトリィって、まるで豚の鳴き声みたいな悲鳴を上げてたじゃない。『ピギャアアア』って」
リッタの指摘にトリィの顔が羞恥で真っ赤に染まる。
この時、『何、豚だって?』と、どこかでクロ子が反応したとかしなかったとか。
リッタは日頃は落ち着きのあるトリィの醜態が余程ツボに入ったようで、どうにも笑いを堪えられずにいた。
「リ、リッタ、あんたいい加減にしなさいよね!」
「きゃあ、きゃあ!」
「おい、二人共馬車の中で止めろ」
「失礼します!」
少女二人がワチャワチャともみ合い始めたその時、馬車の外から声がかかった。
「何だ?」
「この先の砦の兵士達がやって参りました。自分達が先導するので許可を頂きたいとの事です」
「そうか、分かった。許可を与えろ」
「はっ!」
この砦を越えれば峠の上りももう終わる。
そうすればじきに王都が見えて来るはずである。
(さてと、思ったよりも早く戻って来る事になっちまったな。俺は一体どんな顔をして殿やお爺に会えばいいのやら)
マルツォはこの楽観的な青年にしては珍しく、気分が沈み込むのを止められなかった。
そしてそんな物憂げな主人の横顔を、トリィとリッタ二人の侍女は心配そうに見つめるのであった。
次回「少年の凱旋」




