その368 ~頼りない子供~
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サンキーニ王国、王都アルタムーラ。
町を見下ろす王城の楼閣。その一室でジェルマン・”新家”アレサンドロ率いる大モルト軍による軍議が行われていた。
新家アレサンドロの若き当主ジェルマンは、部下の報告に頷いた。
「ハマス軍は完全に領地に撤退。再侵攻の動きはなし、か。であろうな」
当主カルミノ・オルエンドロを失ったハマス軍は、占領していたアロルド辺境伯領を放棄。全軍が本拠地であるハマスの町へと撤退した。
敵軍の足元まで迫りながら追撃を怠ったキンサナ将軍に対して、ジェルマンが怒りと不満を露わにしたのはつい先日の話。
当初こそジェルマンは、みすみす敵軍を取り逃がした将軍に怒りを覚えていたが、日が経つにつれ、その激情は次第に収まりつつあった。
キンサナ将軍は二万の軍を良くまとめ、ハマスによって荒らされた辺境伯領の慰撫に勤めていた。
そう。彼は際立った名将でこそないものの、決して無能な指揮官という訳ではないのである。
だが、もしもあの時、彼ら重臣達が出兵に反対していなければ。
もしも彼らがハマス当主が討ち取られたという報告を頑なに信じず、ジェルマンの足を引っ張るような事がなければ。
あるいは今頃、ハマス軍は壊滅し、ジェルマンは”執権”アレサンドロ家に対して痛撃を与えていたかもしれない。
逃がした魚の大きさを考えれば、いかに今、キンサナ将軍が辺境伯領でその手腕を発揮しているとはいえ、ジェルマンは素直に彼を評価する気分にはなれなかった。
黙り込んだジェルマンに、重臣達は怪訝な表情を浮かべた。
「殿、いかがされたのでしょうか?」
「――いや、なんでもない。それで何の話をしていたんだったか?」
ジェルマンの問いかけに文官の男が答えた。
「はっ。キンサナ将軍から早急に物資の支援が必要との要請が届いております」
ハマス軍は撤退の際、多くの物資をアロルド辺境伯領から持ち去っていた。
そうでなくてもハマス軍から略奪を受けていた辺境伯領領にとって、この損失は大きな痛手となった。
このままでは飢えて凍死する者達も出て来る。
キンサナ将軍は軍事物資の一部を解放。領民に分け与える事で急場を凌いでていたが、それもいつまでももつ物ではなかった。
ジェルマンは「分かった」と頷いた。
「至急、必要とされる分を送ってやれ。それとハマスに動きが無い以上、いつまでもあちらに大軍を張り付けておく理由もない。防衛に必要なだけの兵を残して、残りは王都に引き上げさせろ」
「はっ」
話し合いの結果、領都アボリーニに三千。大モルトとの国境の渓谷、コルターツィ砦に千の戦力を残して残りを引き上げさせる事になった。
「それで良い。大軍の維持にはその分だけ物資を必要とする。領民のために送った物資をあちらの我が軍が食いつぶしていたのでは、何のために送っているのか分からんからな」
それに――と、ジェルマンは心の中で続けた。
(それにいずれイサロがヒッテル王国を攻める際に戦力は必要となる。ならば今のうちに兵達を前線から戻し、休養を取らせておく必要がある)
イサロ王子による、隣国ヒッテル王国への出兵。
ちなみに現時点においては、まだ王子とジェルマンの間の口約束であって、正式に決定している訳ではない。
いずれタイミングを見て軍議にかけようと思っているうちに、ハマス軍に大きな動きがあり、それどころではなくなってしまったのである。
結果としてご存じの通りハマス軍は撤退。
西に存在していた大きな脅威がなくなった事で、イサロ王子の出兵は意外とすんなり受け入れられそうな雰囲気となっていた。
(そう考えると、イサロにとって今回の一件は願っても無い形になったという訳だな。運もこれ即ち将器のうち、などというが、これもイサロが持って生まれた天運というヤツなのかもしれんな)
ジェルマン含め、大モルト軍の将軍達は、イサロ王子の将としての能力を高く評価している。
これは多分に買い被りと言ってもいいが、実際の所、イサロ王子が幸運に愛されているのは間違いない。
イサロ王子の初陣は、敵軍に対して数で勝りながらも、敵の隠し玉、狂竜戦隊に不意を突かれて敗走するというものだった。
この戦いでは、指揮を執っていたルジェロ将軍までもが意識不明の重体となっている。
王子にとっては惨憺たる結果。完全な負け戦だった。
しかし、ここでイサロ王子は、輜重部隊に編成された村の少年ルベリオとの運命の出会いを果たす。
ルベリオのアイデアにより、王子は隘路アマーティで敵の追撃軍を迎撃、クロ子の密かな活躍もあって、敵軍を撃退する事に成功したのであった。
とはいえ、あくまでも自分は敗軍の将。そう考えていたイサロ王子だったが、王都に戻る途中でもう一つの幸運が起きる。
植物状態で余命幾ばくも無いと思われていたルジェロ将軍が、突然、意識を取り戻したのである。
しかし、ルジェロ将軍は脳に障害が残り、これ以上は軍務を続ける事は出来なかった。
長年、国家に対して貢献して来た将軍の最後の戦いが敗戦では外聞が悪い。
王家は最初の敗戦結果を無視、アマーティでの勝利を大きく取り上げる事で、今回の戦いを勝ち戦としたのであった。
その後のイサロ王子の活躍は割愛するが、このように彼が今までに幾度となく予想外の幸運に助けられて来たのは事実である。
とはいえ本人が聞けば、「国が滅ぼされて、自分も首に縄をかけられているも同然なのに、それを幸運などと言われてもな」と、皮肉の一つも言うかもしれないが。
それはさておき、こうして大モルト軍の軍議は終わった。
重臣達は各々の仕事に、ジェルマンは執務室代わりにしている応接室へと戻った。
ジェルマンは運ばれて来たお茶で喉を潤すと、長い会議で疲れた頭を軽く振った。
「殿。少しお疲れのご様子。今日はこのまま休まれてはいかがでしょうか?」
「――いや、構わん。で? 次の予定は?」
心配する側近の言葉に、ジェルマンは軽く手を振って応えた。
出来れば彼の言う通りに休みたい所だが、征服者であるジェルマンにそんな贅沢は許されない。
勿論、最高権力者であるジェルマンは、その気になれば一日中遊んでいる事も可能なのだが、その場合、その代償は最悪、自分達の命で支払う事になる。
いかに大軍を擁しているとはいえ、あくまでもここは他国。サンキーニ王国国民全ての数に比べれば、大モルト軍三万も一部隊にしか過ぎないのである。
側近は躊躇いながらも、主人に次の予定を告げた。
「はっ。この国の男爵家当主、ラリエール様との面会となっております」
「ラリエール男爵――?」
ジェルマンは一瞬、なぜ、たかが男爵家当主などが自分の面会予定に入っているのか不思議に思った。
「はい。ハマス家当主を討ち取った件で、褒美を受け取るために王都に戻って来た所を、殿自らが一度会ってみたいとおっしゃられ、今日の面会予定に入れたものでございます」
そう、そうだった!
ジェルマンはハッと目を見開いた。
ちなみにラリエール男爵家とは、クロ子が言う所のショタ坊ことルベリオ少年の家名である。
「確かイサロ殿下の腹心だったな。分かった、会おう。直ぐに呼んで来い」
「はっ!」
側近は部屋の外の使用人にルベリオを呼ぶように告げた。
ジェルマンはすっかり軍議の疲れを忘れて、ルベリオが到着するまでの時間を、興奮と好奇心に包まれながら過ごしたのであった。
「ラリエール男爵が参りました!」
「る、ルベリオ・ラリエール男爵です。お初にお目にかかります、アレサンドロ閣下」
部屋にやって来たルベリオは、線の細い中性的な顔立ちの少年だった。
極度に緊張しているのだろう。哀れにも顔色は紙のように白く、指先は細かく震えている。
ジェルマンのルベリオに対しての第一印象は、『頼りない子供』『全く場違いな存在』といった所だった。
(これでも本当に男爵家の当主なのか? これならこの国の領主達の方がはるかにマシなのだが)
中でも亜人の女王クロコパトラ。
大モルト軍の指揮官を前にしても、欠片も緊張を見せなかった(※水母が作った作り物の体なので当然なのだが)あの絶世の美女は、ジェルマンに強いインパクトを残していた。
特にその美貌には、危うくこちらの方が呑まれかけた程である。
実際、あの場に”七将”百勝ステラーノがいなければ、ジェルマンはクロコパトラの美貌に言葉を失くしたまま、いつまでもバカのように見惚れていただろう。
(何と言うか――残念なヤツだな)
勝手な物で、ジェルマンはこの時点でルベリオに対して半ば興味を失っていた。
「座ってくれ。報告ではお前が国境近くの町でハマスの当主を討ち取ったと聞いたが?」
「あ、は、はい。サグサダの町です」
「そうだったな。その時の話を詳しく聞かせて欲しい」
「わ、分かりました」
ルベリオは最初はガチガチに緊張していたが、話を続けていくうちに少しずつそれもほぐれて行った。
そしてジェルマンは、ルベリオの分かりやすく、理路整然とした説明に、彼の持つ秘めた知性を感じ取っていた。
(想像していたのとは違ったが・・・。なる程。イサロの腹心と聞いていたので、こう見えて武官タイプだと思っていたが、どちらかと言えば武よりも知に優れたタイプだったか)
ジェルマンのイサロ王子に対しての印象は、巧緻に秀でた知将タイプの指揮官、というものだった。
そのため、その腹心には自分が立てた策を任せられる相手、つまりは自分の欠点を補い、自分が持っていない物を持っている相手。武官タイプの人間を置いていると考えていたのである。
これに関しては、七将、百勝ステラーノの孫マルツォが、ルベリオの事を弟分のように気に入っているという噂も、思い込みを後押ししていた。
(つまり、コイツはイサロの腹心というよりも直弟子。あるいはイサロ本人を一回り小者にしたような、小イサロといった感じなのかもしれんな。ふむ)
噂ではイサロ王子はこの国の四賢侯、ルジェロ将軍によってその才能を見出され、直々にその教えを受けたと聞いている。
ならばこのラリエール男爵は、四賢侯の弟子の弟子という事になる。
(最初は時間の無駄だったかと思ったが、これは意外な掘り出し物だったのかもしれんな)
ルベリオはジェルマンが自分の説明を聞きながら、実は頭の中ではそんな事を考えているとは想像もしていなかった。
次回「ミルティーナとナタリア」




