その355 ~|生贄の羊《スケープゴート》~
◇◇◇◇◇◇◇◇
新監督官マルツォ・ステラーノ率いる大モルト軍、メラサニ山に巣食う天空竜を討伐。
その知らせはたちまちのうちにランツィの町を駆け抜けた。
「おい、聞いたか? あの化け物が退治されたってよ」
「へえ~、そいつはスゴイ。大モルト軍もやるじゃないか」
「何でも、新しい監督官は、あの七将の孫らしいわよ」
「まあ、どうりで若いのに随分と貫禄があると思ったわ」
町はすっかりマルツォ達、大モルト部隊の噂で持ちきりになった。
それから数日後。ようやく遠征軍が戻って来る事になった。
前日からその知らせを聞いていた町の者達は、朝から通りを埋め尽くし、彼らの到着を今か今かと待ち受けていた。
太陽が高く昇り、そろそろ昼になろうかという頃。遂に遠征軍が戻って来た。
先頭を行くのは馬に乗った凛々しい隻腕の若武者。
七将の孫。部隊の指揮官、マルツォ・ステラーノだ。
「「「「ワアアアアアアア!」」」
その瞬間、町は大きな歓声に沸き返った。
勿論、中には「みんなどうかしているんじゃないか?! ヤツらは俺達の国に攻めて来た侵略者だぞ!」などと息巻く者もいたが、それは少数の人間。
ほとんどの者達は、自分達の町を荒らした恐ろしい怪物を倒してくれた大モルト兵達に感謝の言葉を送った。
「良くやってくれたーっ!」
「あの怪物には俺のカミさんの弟も殺されたんだ! 仇を打ってくれてありがとう!」
「今夜は祝杯だ!」
兵士達は自分達に向けられた予想外の好意に戸惑いの表情を見せた。
一人の兵士がおずおずと小さく手を振ると、周囲から大きな歓声が上がった。
「・・・おい」
「・・・ああ」
兵士達は次々に手を振ると、周囲の歓声に応えた。
彼ら大モルトの兵士達はサンキーニ王国に攻め込んで以来、ずっと冷たい視線に晒され続けて来た。
他国に攻め込んだのだから、それも当然だ。
だが、他人から憎まれ、嫌われて平気でいられる人間などいるはずがない。
町の者達の笑顔と感謝の言葉は、彼らの乾いた心を十分に癒してくれた。
頑張って戦って良かった。
兵士達は久しぶりに感じる充実感に、頬が緩むのを止められなかった。
「お前達、何をしている! 行軍中だぞ! ――いやまあ、今日くらいは構わんか」
隊長も最初は部下を怒鳴り付けようとしたが、直ぐに肩をすくめて見て見ないふりをした。
大モルト部隊の隊列は、最初に先頭のマルツォ、それに兵士達が続き、その後ろに負傷者を乗せた荷車が続いた。そして列の最後には誰も見た事の無い巨大な塊が控えていた。
「「「おおーっ!」」」
「お、おい、なんてデカさだ」
「ああ。あれが怪物の死体か」
観客達から大きなどよめきが上がった。
隊列の最後尾。大きな荷車とその荷車に乗せられた巨大な塊。
特別性の荷車の上には、ムシロがかけられた大きな塊が乗せられ、何本ものロープでしっかりと固定されている。
それは天空竜(雄)の死体だった。
実は彼らの帰還が遅れたのは、この荷車を麓のグジ村(※クロ子の言う所のショタ坊村)で作らせていたからなのである。
こうして大モルト部隊は、人食いの巨大竜の討伐という前例のない作戦を終え、無事、ランツィの町へと帰り着いたのであった。
町の者達から感謝の声を受けながら。
まるでパレードのような凱旋から一夜が明けた。
ようやく落ち着きを取り戻した町の中心部。この町の代官の屋敷。
ここは現在、町の監督官マルツォによって接収され、監督府となっている。
その監督府の執務室で、マルツォは彼のお目付け役、副監督官のベルデから、留守中の報告を受けていた。
「全く。あれ程、ご自分では戦わないようにと注意しておいたというのに・・・」
「仕方ねえだろ。あの時はああするしかなかったんだからよ。隊長のヤツが、俺が出ないと天空竜には勝てない、って泣きついて来やがるからよ」
「そうですか? 私が昨日、彼から聞きとりをした内容とは少し異なっているようですが」
違った。
どうやら、副監督官から小言を貰っている最中だったようである。
「もう、いいじゃねえかその話は。こっちは昨日から、散々、トリィとリッタに泣きつかれて参ってんだ。お前にまで言われたら、いい加減、耳にタコが出来ちまうぜ」
「ならば反省して下さい。閣下はケガ人扱いされるのを嫌われますが、御自分が以前の体と同じでないのは事実なのです。それを十分にご理解して頂けているのであれば、これ以上私から申し上げる事は何もございません」
「・・・回りくどいなテメエは。片腕を失くして前のようには戦えないんだから、戦いの場にしゃしゃり出るなとハッキリ言えばいいじゃねえか」
「いえ。閣下のご活躍は兵士達からも聞いております。ただ、もう少しご自分の体を労わって頂ければと――」
「監督官閣下! 町の商業ギルドの代表が参りました!」
二人の会話が熱を帯びようとしたその時、部屋の外から屋敷の使用人が客の到着を告げた。
マルツォは一つ息を吐き、その顔から表情を消すと、深々とイスに体を沈めた。
「来たか。ここに呼べ」
「えっ? 応接室ではなく、この執務室にですか?」
「ああ。構わねえ。連れて来い」
「はっ!」
使用人が慌てて走って行くと、マルツォは誰にも聞こえない程の小声で、「応接室を汚しちまうかもしれねえからな」と呟くのだった。
執務室にやって来たのは、全身を宝石で飾り立てたふくよかな中年女性。
商業ギルドの元締め。町の経済界の支配者、マダム・ボーナであった。
マダムは肉付きの良いムッチリとした顔に、満面の笑みを浮かべた。
「監督官様におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。危険な天空竜を退治して頂き、感謝の言葉もございません。商業ギルドの――いえ、この町の全ての人間を代表してお礼申し上げます。
それで、至急、監督府へ来るようにとのご連絡を頂き、取るものも取り敢えず急ぎ参りましたが、この私めに一体、どのような御用でしょうか?」
ここでマダムは副監督官のベルデも同席しているのを見て、肉厚の手をハタと打った。
「ああ。天空竜の死体を王都まで運ぶためのご相談でしょうか? 確かに、冬とはいえ、このまま運んでいては腐ってしまうかもしれませんね。それでしたら私共の方で、防腐用の加工と、閣下のご活躍がより映えるように豪華に飾り立てさせて頂きます」
マルツォは無表情のまま小さく頷いた。
「ああ。商業ギルドにはその辺の段取りも頼もうと思っていた。だが、お前が気に掛ける必要はねえ。その話はお前の後任とするからな」
「私の後任? それは一体どういう意味でしょうか?」
マルツォはマダムの言葉には答えず、机の上のベルを鳴らした。
兵士が二人、執務室に入って来る。
不穏な気配にマダムの笑顔がこわばった。
「商業ギルドの代表、ベルヌーレ・ボーナ。お前のやって来た事は全部こっちで調べさせてもらった。随分と隣のヒッテル王国に便宜を図っていたみてえじゃねえか」
マダム・ボーナがこの町の経済界のトップでい続けられる理由。
時には敵を強引にねじ伏せ、あるいは懐柔して味方に付け、マダムの地位を支え続けて来た膨大な資金力。
その少なくない部分は、実は隣国ヒッテル王国から流れて来た資金によって成り立っていた。
そう。マダムは長年に渡ってヒッテル王国から金を受け取り、その金の力でこの町の頂点に君臨していたのである。
「ウチの副監督官は、戦うばかりの俺とは違い、こういった調査も得意でな。ベルヌーレ・ボーナ。言い逃れは出来ねえぜ」
「ヒッ! そ、そんな・・・」
血の気を失い、ガクガクと震えるマダム・ボーナ。
マルツォが手を軽く払うと、兵士達が両脇からマダムを拘束した。
マダムはヒイッと震えあがる。
恐怖で膝から力が抜け、ペタリと床に座り込んだ。
「そ、そんな、お、お慈悲を。なんで私だけ。 そ、そうよ! 待って! わ、私だけじゃないわ! ヒッテル王国の息がかかっている商人は他にも何人もいるの! 彼らの情報を教えるから、見逃して頂戴! お願いよ!」
「連れて行け」
マダムは必死に訴えたがマルツォは耳を貸さなかった。
兵士達はマダムの体重に苦労しながら、彼女を引きずって行った。
「・・・彼女から、ヒッテル王国に繋がっている商人達の情報を聞き出しますか?」
「お前の好きにしろ。どっちみち、あの女以外の商人には手を出すつもりはねえ。本人と家族は斬首。資産の全ては没収って所か。ここまでやりゃあ、まともに働く頭が付いてるヤツなら、ほとぼりが冷めるまでヒッテル王国の人間には近寄りもしねえだろうよ」
ランツィは国境に一番近い町である。例え、国同士は互いにいがみ合っていても、隣国との付き合いで利益を得ている商人は数多い。
その全てを罰するには牢屋の数が足りないし、町の経済もストップしてしまう。
マルツォは彼らを代表してマダムを苛烈に罰する事で、隣国と繋がっている他の商人達全てに釘を挿すつもりなのだ。
日本の熟語に一罰百戒というものがある。
意味は、一人の罪を罰する事で百人の(他の多くの者達の)戒めとする、というもの。
そう。マダム・ボーナはマルツォによって生贄の羊に選ばれてしまったのである。
副監督官のベルデは、マダムの宝石の見本市のような姿を思い出した。
「見るからに随分と贅沢な生活を送って来たみたいですからね。これまでに人の何倍も人生を楽しんで来たと思えば、少しは気分も紛れるのでは?」
「ふん。余計な気遣いだ。俺はお館様から命じられた役目を果たしただけ。テメエが思っているような事は何も感じてねえよ」
マルツォは不愉快そうに吐き捨てたが、強がっているのは明らかだった。
ジェルマン・”新家”アレサンドロが、マルツォをランツィの町の監督官に任命した理由。
それは裏切りを働いた彼を、前線から遠い場所へと左遷するためのものである。
しかし、実は部隊の中でも、彼と副監督官のベルデにしか知らされていないもう一つの理由があった。
それは出兵のための後方基地作り。
王都ではこの国の王子、イサロによる隣国への出兵計画が内々に決定されている。
マルツォに与えられた任務は、遠征の重要な拠点となるであろうランツィの町を、完全に大モルトの支配下に置く事だった。
今回のマダム・ボーナへの処罰も、その計画ための一環だったのである。
副監督官のベルデは、ふとマルツォの視線を辿り、ある物に気が付いた。
それは床に出来た丸い染み。
どうやらマダムは恐怖のあまり失禁していたようだ。
「・・・コホン。直ちに掃除させます。おい! 使用人に掃除道具を持ってくるように命じろ! 急げ!」
入り口に控えていた護衛の兵士が、弾かれたように廊下を走り去って行った。
マルツォは床のシミを眺めながら小さなため息をついた。
「やっぱ床が濡れちまったか。応接室を使わなくて良かったぜ」
この章も残り二話の予定です。
次回「メス豚と今年最後の仕事」




