その353 ~青天の霹靂《へきれき》~
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大モルトにおける主要な三役。その全てを牛耳るアレサンドロ家。
その中でも最も歴史が古く、かつ最大の勢力を誇る”執権”アレサンドロ家。
その執権に連なる領主が治める領地、サグサダの町。
大モルトの東に位置し、隣国サンキーニ王国へと続く街道沿いのこの町に、深夜、忍び寄る謎の一団があった。
しんしんと降り積もる雪を踏みしめ、先頭の男が町の城壁に取り付いた。
若い男だ。年齢は二十四五。痩せた体に目だけがギラギラと輝いている。
傭兵だろうか? 野趣あふれる整った顔には、横に一文字に傷跡が刻まれている。
「おい、貴様。本当にこの場所で正しいんだろうな?」
青年の後ろから、大柄な男が尋ねた。
こちらは見るからに、どこかの貴族家に仕える騎士、といった出で立ちだ。
青年は「はんっ!」と鼻を鳴らした。
「心配なのは分かるが、まあ任せときなって。蛇の道は蛇ってヤツさ。――ホウッ! ホウホウ!」
青年がフクロウの鳴きまねをすると、城壁の上から「少し待て」と男の声がした。
雪の中を震えながら待つ事しばらく。やがてバラリと音を立てて縄梯子が降りて来た。
「御覧の通り。ささ、どうぞお先に」
青年が気取った仕草で膝を折ると、騎士は「うむ」と頷いて縄梯子に手を伸ばしたのだった。
建物から火の手が上がると共に、男達が大騒ぎしながら飛び出して来た。
「火事だーっ! 火事だぞーっ!」
「違う、敵襲だ! 賊が忍び込ん――ぎゃああ!」
不寝番の騎士が賊に切られて悲鳴を上げて倒れた。
騎士を背後から切ったのは顔にキズのある青年――つい先ほど、城壁を縄梯子で乗り越えて来たあの青年だった。
青年は周囲の喧噪を見回して大きな舌打ちをした。
「ちっ。見張りに気付かれたばかりか、始末すら出来ねえとはな。こんなので奇襲をかけようってんだから騎士なんてヤツらは使えやしねえ」
「おい、ハディック!」
青年は――ハディックは仲間の声に振り返った。
「どうする? このままだと直ぐに町中に騒ぎが広がっちまうぞ。身動きが取れなくなる前に俺達だけでもずらかるか?」
「いや、ダメだ。ナタリアのお嬢と約束しちまったからな。騎士のマヌケ共に足を引っ張られたとはいえ、仕事を果たせずに逃げ帰ったとあっちゃあ、俺のメンツが丸つぶれだ」
「けどよ」
「それにお前ら忘れてないか? ナタリアのオヤジは守備隊の隊長だ。守備隊に睨まれちゃ、今後の稼ぎがブッ飛んじまうぞ」
彼らは社会の狭間に生きる者達。
アマディ・ロスディオ法王国との国境に近い町、サイラムを根城にするあぶれ者達である。
いわゆる半グレの若者達。その多くは法王国から流れて来た棄民である。
彼らはまともな仕事にも就けず、かと言って、裏社会に入ったとしても、外国人の彼らでは便利に使い潰され、野垂れ死にする未来が待っているだけ。
そんな行き場のない彼らをまとめ上げているのが、このハディックという青年だった。
ハディックはどんな困難な状況でも諦める事を知らない。
そんな彼のバイタリティーに惹かれた若者たちが、彼の周囲には集まっていた。
ハディックはその行動力で、上は町の守備隊に取り入り、下は裏社会の組織に顔を売った。
こうして彼はサイラムの町を中心に自分達の居場所を作り上げていたのである。
そんなハディックが今回、受けた依頼。
依頼主はナタリア。
明るいオレンジ色の髪を持つ十三歳の少女で、町の守備隊長の娘でもある。
「ナタリアのお嬢の期待を裏切ったら、俺達はあの町でまともな仕事にありつけねえ。それこそ裏社会で死ぬまでこき使われる未来しか残されていねえんだ」
「けどよ、ハディック。最初にヘマをしたのは騎士のヤツらだ。それにヤツらを町に招き入れた所で俺達の仕事は果たした事になるんじゃねえか?」
「そうだそうだ。それにメンツとか言ったって、具体的にどうするつもりだ? 相手はオルエンドロの当主なんだぞ。護衛だって腕の立つヤツらが大勢付いているはずだぜ。俺達だけじゃ流石にムリだろう?」
彼らが受けた依頼。
それは、サグサダの町に宿泊中のカルミノ・”ハマス”オルエンドロ――ハマスの当主に対しての襲撃作戦。その作戦に協力する事だった。
とはいえ、実際の戦闘は騎士達が行う事になっている。
ハディック達の役目は彼らのサポート。騎士達を密かに町に潜入させ、カルミノが宿泊中の代官屋敷まで案内する事だった。
事前に忍び込ませていた仲間の手引きで、彼らは守備隊に見付からないように、上手く城壁を乗り越え、町へと潜入した。
しかし、順調だったのはここまで。不寝番の兵士に見付かると、騎士達は町中で大立ち回りを始めてしまったのである。
ハディックは不満げに口をへの字に曲げた。
仲間の言葉が正しい事は分かっている。
町中でのチンピラ同士のケンカならともかく、正面切っての殺し合いとなれば、流石に訓練を受けた正規の騎士に敵うはずもなかった。
「なあ。今からでも騎士のヤツらを捜して合流した方がいいんじゃないか?」
騎士達とは暗闇の中での戦闘で、はぐれてしまった。
今も戦いの音が聞こえているという事は、まだどこかでハマス兵とやり合っているのだろう。
彼らと合流して、当初の計画通り、ハマス家当主が泊っている代官館を目指す。
ハディックにも、それが最も合理的なアイデアである事は分かっていた。
しかし同時に、彼の中で焦りに似た何かが、「ここで立ち止まってはダメだ。もっと先に急げ」と急き立てていた。
彼は己の本能に突き動かされるまま、衝動的に言葉を発した。
「いや。後戻りはしねえ。今の状況は俺達にとってチャンスだ」
そう言語化した事で、ハディック本人も自分自身が何を感じていたのかに気が付いた。
本来の作戦では、町に入った後、誰にも見つからないように密かに代官館を目指す事になっていた。それが不寝番の兵士に見付かり、このような騒ぎになっている。
作戦としては失敗だ。しかし、逆に考えれば、これは味方の騎士が敵の目を引きつけている状況にある、とも言えるのではないだろうか?
そう。敵の目は派手に暴れる騎士達に集まり、ハディック達の存在には誰も気付いていない。
本来の目的を考えた時――ハマスの当主を討ち取るという目的を考えた時――これは願ってもない絶好のチャンスであるとも言えるのだ。
「やってみる前から無理だ、出来ねえと決めつけてどうする。案外、やってみれば出たとこ勝負で上手く行くかもしれねえだろうが」
ハディックの無責任とも取れる発言に、しかし呆れる仲間は誰一人いなかった。
彼らは苦笑すると互いに顔を見合わせた。
「出たよ、ハディックの出たとこ勝負」
「ハディックはいつもそれだからな」
「人呼んで手なりのハディックってね」
手なりの意味は「手の成るように」。元々は麻雀の言葉で、役などをあまり考えず、引いて来た牌に素直に従って手を作る事を言う。
どうやらこの世界にも麻雀に似たゲームがあって、似たような用語が作られているようだ。
「う、うるせえ! 手なりで悪いかよ!」
「いや。ハディックの場合、いつもそれで上手くいってるからな。誰も文句はないって」
「そうそう。手なり上等。きっと今回も上手くいくんじゃないか?」
仲間はそう言うと白い歯を見せて笑った。
ハシェックはきまりが悪そうに顔の傷跡を撫でると、ゴホンと大きく咳をした。
「ふん。そうと決まれば善は急げだ。行くぞ、テメエら。はぐれんなよ」
「「「おう!」」」
こうしてハシェック達、サイラムの町の半グレ共は夜の町へと消えた。
彼らの去った火災現場では、しばらくの間、ハマスの騎士達と謎の襲撃者達の戦いが続いていた。
しかし、じきにそれも収まり、襲撃者の騎士達は全員、騒ぎの中で切り殺されたのであった。
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その二日後。執権アレサンドロ領、ハマスの町に激震が走った。
連絡兵が夜を徹してもたらした火急の知らせ。
それはハマス・オルエンドロ家当主、カルミノ・オルエンドロが、襲撃者の手によって殺されたというものであった。
現場は国境近くの町サグサダ。
カルミノは執権の主催する新年式に参加するため、出兵先であるサンキーニ王国から領地に戻る所だった。
当日の夜、護衛の騎士達は連日降りしきる雪を避けるため、各々散らばって町の家に泊っていた。
現場から離れた家に泊まった者の中には、騒ぎに気付かなかった者すらいたという。
襲撃者は遺留品からジェルマン・”新家”アレサンドロの家臣だと考えられている。
彼らのほとんどは護衛の騎士達によって殺されたが、混乱の中、極一部の者達が密かに代官館を急襲した。
襲撃があったその時、カルミノは建物の外にいた。
たまたま尿意を催して厠に立った所で、慣れない屋敷に迷ってしまったようだ。
彼は一度建物の外に出て、正面から入り直そうとした所を運悪く襲撃者と鉢合わせしてしまったらしい。
不意を突かれたらしく、ほとんど抵抗をした跡が無かったという。
正に不運としか言いようがなかった。
こうして執権アレサンドロ公爵の最大派閥、ハマス・オルエンドロの当主は死んだ。
それは正に青天の霹靂であった。
彼が生前、跡継ぎとみなしていた彼の娘婿、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロは、先日、魔女クロコパトラの魔法で殺され、既にこの世にはいない。
そう。ハマスは当主と跡継ぎの二人を失ってしまったのである。
今後、後継者を巡り、領内では激しい争いが起こるだろう。
大モルトにおける争いは政争だけに留まらず、より直接的な武力も行使される。
文字通り、血で血を洗う骨肉の争いが始まるのである。
そして彼の死が与えた影響はそれだけに留まらない。
ハマスの町から遠く離れた戦地。アロルド辺境伯領には今も彼が率いていた軍が残されている。
当然、彼らもカルミノの死を知る所となった。
部隊は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
慌てて領地に戻ろうとする者。報告が信じられずに、あちこちに確認の使いを出す者。当主の死が兵士達に伝わり、動揺が広がる前に、急いで新家アレサンドロ軍との決戦を行うように主張する者。
唯一残った、たった一人の”五つ刃”。”双極星”ディンターはこの訃報を受けると絶望に天を仰いだ。
「ああ。ハマス軍は終わりだ・・・」
あの時、自分は身命を賭してでも、主君を諫めるべきだったのだ。
ディンターは激しく後悔したが、全ては後の祭り。
聡明な彼には、ハマス軍の最後が見えていた。
「こうなれば一刻も早く、ハマスの町に戻らなければならない」
自分は確かに失敗した。そのミスは今更何をしても取り返す事は出来ない。
しかし、最悪の事態を避けるためには、今度こそ全力を尽くして――そう。命を懸けてこの撤退作業を成功させる必要がある。
「そうでなければ、この異国の地で将兵のことごとくが枕を並べて討ち死にする事になる」
ハマス・オルエンドロ家を守るためにも。自分の家族を守るためにも。それだけは絶対に防がなければならない。
ディンターは悲壮な覚悟を決めるのだった。
次回「二人の天才」




