その344 ~亜人の砦~
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ここはランツィの町からメラサニ山へと向かう街道。
ランツィの町の新任監督官マルツォは、実に数か月ぶり、片腕になってからは初めて馬上の人となっていた。
彼に従うのは約二百の歩兵。
残りは副監督官のベルデの指揮の下、町での治安活動に準じている
部隊の隊長が、隊列の後方から馬を走らせて来ると、彼の横に並んだ。
「マルツォ様。お体の方は大丈夫でしょうか? そろそろ休憩に致しますか?」
「・・・テメエも俺をケガ人扱いすんのかよ」
マルツォは隊長を睨み付けたが、それがやせ我慢であるのは誰の目にも明らかだった。
顔は血の気を失い、キズの痛みに表情は硬くこわばり、額には脂汗が浮かんでいた。
「しかし、あの・・・」
どう返事をして良いか分からず、しどろもどろになる隊長に、マルツォは大きなため息をついた。
「分ぁったよ。どうせ俺のお目付け役のベルデや、トリィとリッタ――俺の侍女達から『無理をさせるな』とか言われてるんだろ? 小休止にする。そう部隊に告げろ」
「はっ!」
隊長は慌てて馬首をめぐらせると、「休憩ー! 休憩ー!」と叫びながら部隊の後方に走り去って行った。
マルツォは隊長の姿が消えると、一瞬、ホッと安堵の表情を浮かべたが、直ぐに眉間に皺を寄せた。
(ちっ。面倒くせえな。少しでも気が緩むと右腕の痛みがぶり返して来やがる)
事故などで四肢全体を、あるいは部分的に失った患者の約八十パーセントは、未だに手足が存在しているような感覚を訴えるという。
さらに約五十パーセントの患者は存在しないはずの手足に痛みを発症するとも言われている。
この手足が存在しているような感覚の事を幻肢。痛みの症状の事を幻肢痛という。
幻肢痛は感覚神経が損傷、障害された事で生じる痛みとされている。
マルツォは腕を失った右肩をチラリと見た。
右腕を失ってから二ヶ月と少々。未だに深夜、右腕の痛みに目を覚まし、無意識のうちに腕を押さえようとしてハッと我に返る時もある。
ベッドの中、湧き上がってくる喪失感に、歯を食いしばって耐えた事も一度や二度ではない。
(・・・はんっ。我ながら女々しいこった。無くなっちまったモンに、いつまで未練を残しているんだか)
彼が自嘲的な笑みを浮かべている間に行軍が止まった。
小休止は五分から十分程度の軽い休憩である。兵士達は僅かな時間も無駄にすまいと道端に座り込むと、各々休憩を始めるのであった。
マルツォの指揮する部隊は、その日はメラサニ山の麓、ショタ坊村ことグジ村で一泊すると、翌日。まだ朝日が昇り切っていない早朝からメラサニ山の登山を開始した。
計画では日が落ちる前に、旧亜人村ことメラサニ村まで到着する予定である。
登山、と言っても、ハマス軍の仇討ち隊によって、メラサニ村までは、そこそこ整った道が作られている。
昨日、案内人から、馬に乗ったままでも問題無いと聞かされ、マルツォは内心、「助かった」と安堵のため息を漏らしていた。
正直、実際に経験するまで、自分の体がこれ程弱っているとは思ってもいなかったのである。
無理をして途中で倒れ、兵士に担いで貰う事になってはとんだ恥さらしだ。
彼は初めてハマス軍に感謝の気持ちを抱いた。
山に入ってからは、移動速度が落ちたせいか、あるいは体が馬上で力を抜くコツを思い出したのか、今日は昨日よりも体の負担が軽い気がする。
気持ちに余裕が出来たマルツォは、案内人に目的地の亜人村について尋ねてみた。
「おい。亜人達の村はかなり堅牢に作られているという話だが、実際、どの程度のものなんだ?」
「それは・・・私も自分の目で見た訳ではないので。ただ、亜人の村から戻って来た兵士達が言うには、大きな堀と高い土塁に囲まれ、まるで砦のようだったとの事です」
案内人の名前はタウロ。元々はサンキーニ王国の騎士で、ショタ坊ことルベリオの護衛を務めていた青年である。イサロ王子がハマス軍に投降した際、彼はいち早くハマス軍に取り入り、その配下に入った。
五つ刃、”双極星”コロセオに率いられた仇討ち隊がメラサニ山に出兵した際は、かつての知識を買われ、彼らに同行している。
その後、クロ子達に敗れたコロセオが”一瞬”マレンギに討ち取られると、残された兵士達と共にジェルマン軍の捕虜となっていた。
「そうかい。兵士達に聞いた話、ねえ」
マルツォはランツィの町に監督官として赴任する前、亜人達の情報を仕入れようと、とある男に面会している。彼はその時の事を思い出し、何とも言えない不快感を覚えた。
マルツォが面会した相手は一瞬マレンギ。ハマス軍では五つ刃と呼ばれる腕の立つ武将の一人だったが、ハマス軍を裏切り、ジェルマン軍に寝返った男である。
マルツォ的には、出来れば直接亜人達と戦った仇討ち隊の兵士達からも話を聞きたかったが、ジェルマン軍を裏切ったマルツォがハマス軍の捕虜達と接触するのは、周囲に良からぬ誤解を招く恐れがあった。
彼の前に現れた一瞬マレンギは、驚く程覇気のない男だった。
兵士達が良く使う表現に「影が薄い」というものがある。
戦場で生き残る者は、力が強い人間でもなければ、剣術の技量が優れている人間でもない。
泥水をすすってでも生き延びる。そんな執念にも似た生命力。バイタリティーを持つ者こそが、生と死のギリギリのラインの上で生の側に踏みとどまる事が出来るのである。
兵士達はそれを経験で知っている。だから、何だか元気の無い者や、どこか上の空の者を見ると、「アイツは近頃、影が薄い」と言い、「次の戦いで帰って来られないんじゃないか?」と噂し合うのである。
マルツォが面会した一瞬マレンギは、正に「影が薄い」男だった。
「おまえ、本当にハマス軍の五つ刃だったのか? 何だか影が薄いぞ?」
マレンギは、マルツォの歯に衣着せぬ物言いに目を見開いた。
――しかし、それもほんの数秒の事。彼は直ぐに最初の覇気のない印象に戻ってしまった。
「影が薄い、ですか。そうかもしれませんね」
マレンギはハマスでの出世の道が閉ざされたと知り、ジェルマン軍の誘いに乗った。
しかし、ジェルマン軍に下った彼に与えられた立場は、肩書が立派なだけの閑職でしかなかった。
マレンギが安定した生活を求めてジェルマンの下に来たのならそれでも良かっただろう。だが、彼が求めていたのは、自分にとって相応しい場所。自分の能力を生かせる場所だった。
俺はまだまだこれからの男だ。俺には実力がある。もっと上に登ることだって出来るに違いない。
マレンギはそんな情熱を胸に、ハマスからジェルマン軍へと鞍替えした。
だが、気付いてみればこの有様である。
(仲間を裏切ってまで、手に入れた物がコレか・・・)
彼は自分の出世が”上がり”に到着してしまった事を悟った。
それはマレンギの気持ちが完全に萎えてしまった瞬間でもあった。
マレンギはマルツォに向き直った。
「マルツォ様のお噂は聞いております。何でもお父上に頼まれ、ご当主様に対して不義理を働かれたとか」
「・・・テメエ、何が言いたい」
マルツォのまなじりが吊り上がった。
「いえ、何も。ただ、まだお若いのに、これから大変だなと心配しただけの事でございます」
マレンギは組織の裏切り者であるマルツォに自分の姿を重ねたのか。
その視線はマルツォの胸をざわつかせる物だった
マレンギは仇討ち隊の兵士達から聞き取りをした亜人村の情報を、隠す事無くマルツォに語った。
その情報は非常に貴重で、マレンギとの面会は非常に有意義なものとなった。
しかし、マルツォの心にはいつまでも不快な感情が、まるで澱のように残ったのであった。
道中が思いもかけず順調だったせいだろうか。
マルツォの率いる部隊は、予定より随分と早く亜人達の村――メラサニ村へと到着した。
「「「「おおーっ・・・」」」」
兵士達から驚きの声が上がる。
「オイオイ、砦のようだと聞いてはいたが、流石にコイツは予想以上だぜ」
見ると聞くとでは大違い、とは良く聞くが、目の前の光景は正にその通りだった。
メラサニ村はまるで砦そのものだった。
村の周囲にグルリと張り巡らされた幅広の堀。見上げるばかりの高い土塁。四方には屋根付きのやぐらが作られ、その上では亜人達が仲間に何か叫んでいるのが見える。
やがて物見からの報告を受けたのか、正面の門が音を立てて開いた。
「なんと! 虎口まで作ってやがるのか。こりゃまた随分と本格的だな」
開いた門の奥に高い壁がそびえているのを見て、マルツォが嬉しそうに身を乗り出した。
虎口とは小口。本来は狭い出入り口の事を指す言葉である。
マルツォが言ったのは、いわゆる枡形虎口。
門の内側に壁に囲まれた広場を作る事で、門を破って攻め込んだ敵兵の勢いを削ぎ、足止めを狙う設備である。
門が最後まで開き切ると、亜人の男達に担がれた駕籠が現れた。
全員額に小さな角を生やしている。彼らはクロコパトラ歩兵中隊と呼ばれる女王の兵士。
つまりは、あの駕籠に乗っているのは女王クロコパトラその人なのだろう。
「おっと。おい、全員馬から降りろ! それと誰か俺に手を貸せ!」
マルツォは全員に下馬を命じると、自らも兵士の手を借りて馬から降りた。
亜人達の行列は彼らの前まで来ると、駕籠を地面に降ろした。
シャッ。
軽い音を立てて駕籠の側面のブラインドカーテンが引き上げられた。
駕籠の質素な作りを侮っていた兵士達は、見た事も無い高度な仕掛けに思わず目を見張った。
しかし、そんな驚きも、駕籠の中の美女を前に、瞬時に吹き飛んでしまった。
亜人の女王は類まれなる美貌の持ち主だ。
これは噂好きの兵士達によって、今や知らない者がいないまでに広まっている話である。
兵士達は「噂の美女とは一体どんな女だろうな」「なあに、美人といっても亜人達の女王だ。きっと犬みたいな顔をしているに決まってるさ」「あ~確かに。そいつは残念だな」「・・・俺はむしろそっちの方が」「ちょ、お前本気かよ?!」などと、勝手な事を言い合っていた。
町に残る事になった兵士も、怪物と戦わずに済んでホッとする一方、噂の美女を見るチャンスを逃した事を非常に残念に思っていた程である。
女王クロコパトラの美貌は、そんな噂を根底からひっくり返すものだった。
美人という言葉すら生易しい。完璧な美そのものがそこには存在していた。
白磁のような白い肌。長く伸びた艶やかな豊かな黒髪。筆で刷いたような眉。涼し気な眼差。紅く濡れた唇。見た事も無い意匠の黒いドレスから伸びたスラリとした手足。女性らしさを強調する蠱惑的なボディーライン。
神々しさすら感じるその姿。それはまるで命を得て動き始めた芸術そのものであった。
この瞬間、彼らの時間は間違いなく止まっていた。
どのくらいそうしていただろうか?
やがてマルツォが小さくポツリと呟いた。
「・・・参ったぜ。ここまでの美人とは、誰も教えてくれてねえぞ」
その言葉はここにいる全員の気持ちをこれ以上ない程代弁していた。
次回「メス豚と大口契約」




