その342 ~曇天の空~
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アロルド領はサンキーニ王国の西端に位置する領地である。
領内最大の都市アボリーニ。かつてアロルド辺境伯領によって治められていた城塞都市は、現在、”ハマス”オルエンドロ軍によって占拠されていた。
町を南に望む高台に作られた堅牢な城。アロルド城。
領主の名を冠したその城内を、一人の若武者が血相を変えて歩いていた。
彼こそは、”五つ刃”の一人。”双極星”ペローナ・ディンター。
ハマス軍でその名を知られた五つ刃も、現在、残っているのは彼一人となっていた。
五人の中で一番の若手、”フォチャードの”モノティカは、クロコパトラ女王の仕掛けた悪辣な罠にかかって戦死。
奴隷の身から部隊の隊長にまで登り詰めたという、異色の経歴を持つ”不死の”ロビーダは、亜人村での戦いの混乱の中で生死不明。(実際はクロ子に挑んで返り討ちにあっている)
家柄に優れ、巨大な大身槍を操るもう一人の極星、”双極星”コロセオは、同じ五つ刃、”一瞬”マレンギの裏切りによって討ち取られている。
主人である”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロを失い、同僚の五つ刃は最早誰一人残っていない。
今や双極星ディンターは、軍の中での立場を大きく失っていた。
ディンターは激しい焦りの表情を浮かべながら、辺りを見回した。
いた。
彼の視線先。腹心の部下達を引き連れて、廊下を歩く四十がらみの男。
ハマス軍の指揮官であり、ハマス・オルエンドロ家の現当主。カルミノ・オルエンドロである。
当主カルミノの姿は、彼の記憶よりも遥かに精彩を欠き、その背中は随分と小さくしぼんで見えた。
「お待ちを! 殿! お待下さい!」
ディンターは慌てて主人の下へと駆け寄った。
カルミノの取り巻きの将達が、咄嗟に腰の剣に手を掛ける。
「何やつ!」
「むっ?! 貴様は若の部下だった五つ刃か? 確かコロセオ殿のご子息と同じ”双極星”を名乗っている・・・そう、ディンターであったか」
誰かの言葉に、この場に張り詰めた剣呑な空気が収まった。
どうやら彼以外は誰もディンターの顔を知らなかったようである。
他家にまでその名を知られた五つ刃とはいえ、古参の将軍達にとってはその程度の扱いであった。
「して何用だ。殿はお前ごときが話しかけても良い相手ではないぞ」
「横紙破りは百も承知! それでもどうしても殿にお尋ねしたい事があって、御無礼つかまつりました!」
その場に膝を付こうとするディンターを、カルミノは鷹揚な仕草で押しとどめた。
「そのままで構わん。聞こう。申すが良い」
「はっ!」
ディンターは緊張にゴクリと喉を鳴らした。
ディンターが信じられない話を聞いたのは、つい先ほどの事。
彼の知り合いの若手の文官。その男の所に、物資の報告に出向いた時の事であった。
「何だと?! 殿が領地に戻られる?! そんなバカな!」
それはハマスの当主、カルミノが腹心の部下達だけを連れ、一時、自領であるハマスの町に戻るというものだった。
「”新家”アレサンドロ軍との戦いは、まだ決着が付いていないのだぞ! それなのに指揮官が軍を離れ、後方へ引き上げるなどあり得ない! 殿は一体何を考えている!」
ディンターが思わず声を荒げたのも分かる。
新家の当主ジェルマンの率いるジェルマン軍との戦いはまだ終わっていない。
というよりも、バハッティ平原での戦はハマス軍の敗北で終わっている。
現在、ハマス軍は敗戦の雪辱を晴らすべく、部隊の補強を行っている最中である。
そんな時に最高指揮官が首脳部を引き連れ、軍を離れて本国に戻るという。
ディンターでなくとも、怒りを覚えるのも仕方がない事だろう。
彼にコッソリ事情を教えてくれた仲の良い文官は、困り顔で眉間に皺を寄せた。
「それがな。その部隊の補強。補充物資が滞り始めておるのだ」
「? どういう事だ?」
文官によると、ハマス領からの物資の到着が遅れているという。
これはハマスの主家筋、”執権”アレサンドロからの援助物資に関しても同様だった。
「要は政治だよ。お前も知っての通り、大モルトという国は、とかく年中争いが絶えない。上は上で互いを飲み込もうと争い、下は上にとって代わろうと、虎視眈々と機会を狙っている。
ご当主様は長くハマスを離れ過ぎたのさ。それだけならまだしも、新家に反乱軍扱いされただけではなく、直接の対決でも負けてしまった。それに跡継ぎである若殿を失ったのも、殿の威光を著しく傷付けた。ハマスでは今こそご当主様を追い落とそうと、不遜な輩共が蠢動を始めた、という訳だ」
「しかし、それは殿に遠征を命じた執権殿にどうにかして貰わねば困るだろう。殿の体は一つしかないのだ。前線とハマス、遠い二箇所で睨みを効かせる事など出来はしないぞ」
「だからこそさ、そこが政治の話という訳だ。いいか? 後半月もすれば年が明ける。執権の本家では毎年新年に、各地の当主を集めて祝いの式が行われる。
殿にはその式典に参加して頂く。そうする事で、執権本家との繋がりを周囲に見せる結果となり、殿のお力がまだ衰えていないと示す事にもなる訳だ」
男は「ついでに、こちらに戻って来る時には、追加の援軍を率いて来て貰う予定になっている。これでハマス軍も安泰だな」と言って笑顔を見せた。
彼の誇らしげな様子を見るに、恐らく、この意見は彼ら文官達の代表から提案されたものだろう。
ディンターは激しい怒りに眩暈すら覚えた。
(何という愚策! これだから文官共は度し難い! 敵はこちらの都合では動いてくれんのだぞ! このような絶好の機会を、新家の本隊が指をくわえて見ている訳はないではないか! 戦は帳簿を前にソロバンをはじくようにはいかないという事が、なぜコイツらには理解出来ん!)
年始の式典に参加するなら、すぐにでも本国に向かう必要がある。
当主カルミノの翻意を促すなら、一刻も早く彼に会わなければ間に合わないだろう。
ディンターは乱暴にドアを開け放つと、カルミノを捜して城の奥へと向かったのであった。
ディンターの説得は最初から難航した。
援助物資の減少は現実のものだったし、カルミノも将軍達も、文官達から目に見える形で示されては、彼らの提案に耳を傾けるしかなかったのだ。
いや。実際は、一部の将軍に至っては「なる程、これぞ妙案」と、逆に乗り気になっている程である。
ディンターはカルミノの不在中、新家軍による総攻撃の可能性を強く訴えたが、その意見も却下された。
現状でも都市を防衛するだけの戦力は十分に整っている。そう考えられていたためである。
「それにこの町が守りを固めている間に、我らが本国から増援を率いて戻って来れば、内と外での挟み撃ちとなる」
「左様。逆に戦局を決める好機ではないか」
将軍達は威丈高に自分達の考えを語った。
当然、ディンターもその可能性は考えた。しかし、考えた上で、「この考えは危うい」と感じて切り捨てたのである。
「それは推論に過ぎません。敵がこちらの思惑通りに動いた場合、そうなるに違いない、といった仮定でしかありません。こちらが戦力的に大きく劣っている状況ならまだしも、十分な戦力があるにも関わらず、最初から籠城戦を選ぶのは、選択肢の幅を狭めるだけの危険な行為に他なりませんぞ」
「・・・むうっ」
相手は初戦の勝利で勢いに乗っている。兵の士気の差は明確だ。
それに敵軍には、大陸中にその名を轟かせる”七将”、百勝ステラーノがいる。
百戦して百勝。負け知らずの老将を相手に、そんな消極的な策が通じるだろうか?
しかし、彼の慎重論は将軍達の心を動かす事は出来なかった。
逆に「そんな考えは弱気だ」「左様。兵の士気を損ねる」と総スカンを食らった程である。
(バカな! 精神論や理想論で戦の策が立てられるか!)
ディンターは内心の叫びを押し殺した。
彼の実家はハマスの陪臣。家臣の家臣でしかない。
家柄の優れた将軍達に真っ向から意見できるような立場にはないのである。
「殿。どうか私の意見を熟考の上、ご再考をお願いいたします」
「貴様、まだ言うか!」
「自らの不明を恥じぬばかりか、殿の情けに縋るとはこの恥知らずめ!」
「身の程をわきまえないにも程がある!」
彼らから何と言われようと、ディンターは当主カルミノの理性的な判断に期待するより他はなかった。
カルミノは鷹揚に頷いた。
「お前の心配はしかと理解した。しかし、既にワシと家臣達の間で決めた事だ。これに気を落とす事無く、今後も忠義に励むがいい」
「・・・ははっ」
全ては失敗に終わった。
もし、彼の主人、”古今独歩”ボルティーノ・オルエンドロが生きていれば、このような結果にはならなかっただろう。
あの時、若様が魔女の魔法でやられていなければ。
ディンターは深々と頭を下げる事で、顔に浮かんだ失望の表情を隠すのであった。
翌日。ハマス当主カルミノは、重臣の一部を連れてアロルド城を出立した。
護衛の数は僅か五百。
年末まで後二週間程。道中の速度を重視した結果、騎馬隊中心の編成となり、このような少数精鋭の部隊となったのである。
ここでもディンターは反対したが、やはり彼の意見が取り入れられる事は無かった。
ここより西は完全にハマス軍の占領地となる。
新家の部隊に襲われる可能性は考えられない。また、仮に敵の襲撃があったとしても、騎馬隊の速度を生かして逃げ切る事は十分に可能。そう考えられたのである。
ディンターははカルミノの部隊を見送りながら呟いた。
「俺は・・・例え身命を賭してでも殿をお止めするべきだったのかもしれない」
心配のし過ぎという可能性も勿論ある。ディンターが慎重過ぎただけで、案外、カルミノの判断の方が正しかった。そんな結果も十分にあり得る話ではある。
しかし、この遠征が始まって以来、ハマス軍は常に裏目を引き続けていた。
悪い流れの時はあれこれと策を弄すべきではない。
今は亀のように手足を引っ込め、悪い流れが過ぎ去るまでジッと堪えるべきではないのだろうか?
ディンターとカルミノ。どちらの考えがより正しいか、今はまだ分からない。
空には一面、分厚い雲が立ち込めている。土地の人間の話では、夕方には雪が降るそうである。
ディンターの心はこの空のように重い不安に覆われ、決して晴れる事はなかった。
次回「メス豚、共闘を約束する」




