その335 メス豚と最後の悪あがき
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その日、ランツィの町の守備隊の兵士達は、悪夢の中にいた。
突然、南の空から舞い降りた白い厄災、天空竜。
熊よりも大きな巨体。前足から伸びた長く鋭い爪。ゾロリと並んだ尖った牙。
天空竜はまるで欲しかったおもちゃを与えられた無邪気な子供のように、嬉々として町の人間達に襲い掛かった。
彼は獲物の手足を引きちぎり、あるいは噛み砕き、哀れな犠牲者が悲鳴を上げて苦しむのを見ては、耳障りな甲高い笑い声を上げた。
この邪悪な怪物を前に、ランツィの守備隊はなすすべがなかった。
彼らの放つ矢は、怪物の分厚い皮膚に阻まれて肉まで届かず、決死の覚悟で突き出された槍は、怪物の体に届く前に鋭い牙で噛み砕かれた。
正に絶対的な強者。絶望の体現者。
人間達は天空竜の前に差し出された、哀れな生贄でしかなった。
辛うじて生き残った兵士達は建物の影に身をひそめ、この地獄が一刻も終わってくれる事を幸運の神ラキラに祈る事しか出来なかった。
そんな怪物が――自分達が全員でかかっても敵わなかった恐るべき怪物が――翻弄されている。
いつの間にか現れた小さな黒い子豚。
頭には四本の角が生え、首にはヨレヨレのスカーフを巻いている。
一部の者は、その不思議な姿をした子豚に見覚えがある事に気付いた。
つい先程、領主館まで案内した亜人達。彼らが連れていた子豚が、丁度、こんな姿をしていたのである。
そう。それはたった一匹の小さな子豚だった。
白い巨大な怪物対、黒い小さな子豚。
普通に考えれば、一瞬で子豚が虐殺されるだけ。
戦いになどなるはずがない。そのはずであった。
しかし、怪物の必殺の攻撃はことごとく、この一見、無害な子豚を捉える事が出来なかった。
逆に、あちこちに転がっていた瓦礫がひとりでに宙に浮かび上がると、礫となって怪物へと襲い掛かった。
「なんだ今のは?! 瓦礫が勝手に怪物に向かって飛んで行ったぞ! 一体何が起きているんだ?!」
「あれは魔法? まさかあの子豚は魔法を使っているのか?」
守備隊の誰かが呟いた。
彼は軍に同行した事があり、走竜と呼ばれる竜が、敵に向かって魔法で礫を飛ばしているのを見た事があった。
しかし、走竜の魔法は、小さな小石を一つ、相手に向かって飛ばすだけ。
今のように、無数の瓦礫が一斉に飛び交い、一抱えもある建物の柱が唸りを上げて飛んで行くようなものではなかった。
男達は悪い冗談に付き合わされているような気持ちになりながら、この悪夢さながらの光景を固唾をのんで見守っていた。
やがて黒い子豚は城壁の上まで駆け上がると、振り返って鋭く鳴いた。
「ブヒ、ブヒ! ブヒヒーッ!(悔しかったらついて来い! 町の外で相手してやるわ!)」
子豚は町の外へと身を躍らせた。
天空竜も、今のが挑発だった事には気付いたのだろう(※実際は天空竜は翻訳の魔法で、天空竜なりにクロ子の言葉を理解しているのだが)。
腹立たしげに大きく吠えると、子豚の後を追って町の外へと飛び出した。
こうして町は静けさを取り戻したのであった。
「えっ? 俺達、助かった・・・のか?」
誰かが呆けたように呟いた。
町の外では再び戦いが始まったのだろう。天空竜の吠える声。そしてドスンドスンと地響きに似た低い音が続いている。
しかし、町の中は先程までの喧噪から一転、火のついた家が焼けるパチパチという音だけが響くのみである。
彼らは信じられない思いに、煤に汚れた黒い顔を見合わせた。
その時、静けさを取り戻した殺戮の現場に、男達の声が響いた。
「うおっ! コイツはひでえ! 全員、天空竜のヤツにやられちまてるんじゃねえか?」
「いや待て、カルネ。まだそう決めつけるのは早い。町の外の音が聞こえるだろう? クロ子はまだ戦っている。ここに転がっているのが死体だけなら、この場に残って戦っているはずだ」
「確かにそうだ。おおい! 誰か生きているヤツがいるなら返事をしろ! 助けに来てやったぞーっ!」
生き残りの兵士達が恐る恐る物陰から顔を出すと、そこには異形の男達が――顔の下半分が犬や猫のように前に突き出た、亜人と呼ばれる種族の男達が――いた。
「おっ。本当にいやがった。意外と無事なヤツらが残ってるじゃねえか」
亜人の中でもひと際体格の良い、キズだらけの男が嬉しそうに彼らに駆け寄った。
「気を抜くなカルネ。天空竜はクロ子が相手をしているが、空にはまだ大鳥竜がいる。ヤツらはこちらの隙を狙っているんだぞ」
「言われなくても分かってるっての。ちっ。天空竜のおこぼれ狙いのザコ竜共め。全くタチの悪いヤツらだぜ」
カルネと呼ばれた大男は、腹立たしげに大きく舌打ちをした。
おそらく天空竜というのがあの怪物の名で、大鳥竜というのが大型の鳥の名なのだろう。
空を仰ぐと確かに。猛禽類のように翼を広げた大型の鳥――大鳥竜が、上空を大きく旋回しているのが見えた。
「お前達。剣を持ってる者は武器を抜け。隙を見せるとアイツらは襲い掛かってくるぞ」
「えっ? ちょっと待ってくれ。あんたらはさっき、助けに来てくれたって言ってたじゃないか? まだ俺達は戦わなきゃいけないのか?」
兵士が一人、露骨な不満顔を見せた。
命からがら逃げ回ってようやく助かった。そう思ってホッとした途端、また戦えと言われたのである。
身勝手なようだが、生き残った兵士達は皆彼と同じ気持ちだった。
「いや、心配はいらない。ヤツらはええと、ハイエナ? だ。つまりは腐肉を漁る動物で、死んだ動物や傷付いて弱った動物しか襲って来ない。だからこちらが武器を持って戦う構えを見せていれば手を出して来ないはずだ」
「おおい、ウンタ! こっちの兵士はまだ息がある! 手を貸してくれ!」
その時、瓦礫の山を調べていた亜人の男が、小柄な亜人の男――ウンタと呼ばれた男――を呼んだ。
「分かった、今行く! ・・・という訳だ。天空竜は――あのデカイ敵は俺達の仲間が引きつけている。だからお前達は急いでここから離れてくれ。大鳥竜は家の中までは入って来ない。天空竜に襲われても大丈夫なくらい頑丈な建物に逃げるんだ。俺達はしばらくここに残って、まだ生きている者達を探してから行く」
ウンタは彼らにそう指示すると、仲間の方へと振り向いた。
その肩を、先程文句を言った兵士が乱暴に掴んだ。
「おい、待てよ!」
「――何だ? まだ何かあるのか?」
「当たり前だろうが! 勝手に決めるな!」
苛立ちにウンタの眉間に皺が寄った。辺りに険悪な空気が立ち込める。
ここで言い争っている時間も惜しい。町の外ではまだクロ子が天空竜と戦っているのである。
「俺達も生き残りを探すのを手伝うぜ。ここに倒れているのは守備隊の仲間達だ。お前らにだけ任せて、俺達だけ安全な場所に逃げるなんて出来る訳ないだろうが。なあ、みんなだってそうだろう?」
男の言葉に、煤だらけの男達が大きく頷いた。
ウンタは驚きと――戸惑った表情で彼らを見回した。
「いや、だが、お前達はさっきまで天空竜と戦っていて疲れている。それにケガをしている者も多いようだ。ここは俺達に任せて安全な場所まで下がった方がいいんじゃないか?」
「おい、ウンタ」
亜人の大男、カルネがウンタの肩を叩いた。
「コイツらがせっかく手を貸してくれるってんだ。ここは有難く受け取ろうぜ。生き残りを探すなら人手は多いに越したことはねえんだし。違うか?」
ウンタは少し考えていたが、小さくコクリと頷いた。
「確かに、カルネの言う通りだ。今は一刻を争う。お前達も手伝ってくれ」
「勿論だ! みんな、手分けして、まだ生きている仲間を探すぞ!」
「「「おう!」」」
こうして守備隊の兵士達は、全員一丸となって生存者を探し始めた。
町の上空では大鳥竜が、元気を取り戻した獲物達の姿を見て、悔しそうにギャアギャアと鳴くのだった。
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ダメだコレ。最初から知ってたけど、無理ゲーだわ。
私は内心で舌打ちをした。
戦いの場を町の外に移して数分。
私は早くも後悔していた。
こちらの焦りが伝わっているのだろう。天空竜が余裕の笑みを浮かべた。
『死、死、死、死、死・・・』
くそっ。殴りたい、この笑顔。
戦いの場を町の外に移したのは、間違いなく私のミス。悪手だった。
建物の多い町中とは違い、開けた外は天空竜の巨体を遮る物がなく、また、私が身を隠す事が出来るような障害物も少なかった。
条件が五分と五分なら、地力に勝る相手の方が有利になるのは必然。
今の所、私は天空竜の攻撃、その全てを躱している。
しかし、これは逆に言えば、一発も当たることが許されないギリギリの戦いを強いられている、という事にもなる。
そして私の攻撃は天空竜に全く通じていない。
正確に言えば、全く、ではないはずだが、ほとんど効いていないのは間違いない。
この調子だと、仮に一日中戦い続けても致命傷を与える事など出来はしないだろう。
最もその場合、負けるのは私の方だ。
なぜならこちらはオワタ式。そして、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。
たまたままぐれでラッキーパンチが一発入ればそれっきり。その瞬間、ゲームオーバーである。
そうでなくても、いつまでも今の集中力を維持出来るとも思えない。
疲れて集中が落ちた所に一発被弾。そんな絶望の未来が容易に想像出来てしまう。
勝ち筋の全く見えない戦い程、気力の萎える物もない。
『打ち出し! くそっ! 頑張れ私!』
何とかならないかと辺りを見回すと、町の上空を旋回しているハイエナ竜こと大鳥竜達が、腹立たしそうにギャアギャア騒いでいるのが見えた。
私という邪魔者がいなくなった以上、ヤツらは嬉々として獲物に――負傷者達に襲い掛かっていそうなものである。
それが、ああして空の上から物欲しげに見下ろしているだけでいる。
つまりはあそこにはヤツらが手を出せない存在がいる、という事になる。
『しめた! クロコパトラ歩兵中隊の隊員達が到着したのね!』
ハイエナ竜の本質は腐肉食動物。
あの大きな体で、実は狩りを苦手としている。
彼らは寄生、じゃなかった、片利共生相手の天空竜がいなければ、ロクに餌を得る事も出来ないのである。
『だったらこれ以上の時間稼ぎは必要無い? ここらが潮時? まだ体力が残っているうちに、逃げ出す算段を付けるべきかも』
私は戦いながら注意深く天空竜の様子を観察した。
天空竜は最初こそ、私の魔法攻撃に戸惑い、怒りを覚えていた様子だったが、私に自分の命を脅かす攻撃がないと気付いたのだろう。
今は小癪な敵に対して多少苛立っているだけに見えた。
完全にこちらを侮っているその姿。
私の事を、必死こいて逃げ回るだけの小者。小うるさいだけのザコだと思っているのは間違いないだろう。
『そんな相手に背中を向けて逃げる? 本当にそれでいいのか私?』
確かに私は天空竜にとってはザコかもしれない。
だが、一寸の虫にも五分の魂。ザコにはザコのプライドってものがある。
私は天空竜を睨み付けた。
いつまでもそうやって余裕の態度を見せていろ。私の最後の悪あがき、見せてやんよ!
次回「メス豚、焼かれる」




