その331 メス豚と襲われた町
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メラサニ山の上空。高度八千メートルの高高度を巨大な翼が舞っていた。
体長10メートルを超える巨大な体。雪のような白い姿。
頭頂部からは鹿のように枝分かれした角が生えている。
法王国の南、熱帯雨林のジャングルの奥深くにそびえるニーヴェン・ブジ山。その山頂からこのメラサニ山にやって来た狂暴な竜。
高空の支配者。邪悪な死の遣い。
天空竜である。
天空竜は苛立ちを覚えていた。
雪に閉ざされたメラサニ山は静まり返っている。
本格的な冬の訪れと共に、山の生き物達は冬眠に入っている。
こうして朝から飛び回っていても、彼が(この天空竜は雄の個体である)獲物とするような大型の動物の姿はどこにも見当たらなかった。
実は天空竜はあまり目が良くない――と言うと語弊があるが、少なくとも鷹などの猛禽類のように、森の中のネズミの動きすら見逃さないような優れた視力は持っていない。
彼らの生息するニーヴェン・ブジ山の麓には、巨大なジャングルが広がっている。
その熱帯のジャングルでは、天空竜は食物連鎖のヒエラルキーの頂点に位置している。
天空竜達は、何者にも脅かされない強力な力を持ち、ジャングルという一年を通して獲物が豊富な餌場の近くに住んでいる。
平たく言えば、彼らは別に目など良くなくても――狩りが上手くなくても――生きて行くには困らないのだ。
また逆に言えば、ジャングルに生き物が溢れているのは、天空竜達の狩りが下手なおかげとも言える。
もしも、こんな生き物の命を弄ぶのを娯楽にするような邪悪な生き物が、優れた狩人だった場合。今頃ニーヴェン・ブジ山の周囲の生き物は面白半分に駆り尽くされ、ジャングルは動物のいない死の森になっていただろう。
天空竜は大きく吠えた。
メラサニ山に恐ろしい鳴き声が響き渡る。
しかし、その声を聞いて慌てて逃げ出す生き物の――獲物の姿はどこにもなかった。
・・・巣からはあまり離れたくはないが、仕方がないか。
天空竜は山の麓、まだ行った事の無い北の平地へと頭を向けた。
平地には人間達が群れを作って住んでいる――つまりは彼にとって餌となる生き物の集落がある。
それは遠いジャングルから、はるばる法王国を北上している間に得た知識である。
法王国の傭兵達、ヤマネコ団の生き残りを襲ったのも、彼らがここまでの道中で人間の村を襲いながら、メラサニ山までやって来たがゆえ。
そう。この天空竜のつがいは人間の味を知っていたのである。
天空竜は翼を翻すと北の空へと向かった。
途中でショタ坊村ことグジ村の近くも通ったが、村人は村長の言葉を守り、家の中に閉じこもっていたため、彼の注意を惹く事はなかった。
先程も説明した通り、天空竜は目があまり良くない。
村の存在は視界の片隅に入っていたが、動く物の姿がないため、獲物の住む場所だと認識されなかったのである。
こうして平地を飛ぶ事しばし。
やがて前方に城壁に囲まれた大きな町が姿を見せた。
このトラベローニ地方最大の町、ランツィである。
城壁の上では、巨大な生き物の接近に気付いた守備隊の兵士達が大騒ぎをしている。
天空竜は生きの良い獲物の姿に思わず喜びの声を上げた。
『喜、喜、喜、喜、喜、喜、喜・・・』
甲高い、耳障りな鳴き声だった。
この日の惨劇を経験したランツィの町の者達の多くが、今後数年間、悪夢と共に思い出す事になる鳴き声である。
今、ランツィの町に邪悪な災厄が舞い降りようとしていた。
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ドドーンという落雷に似た轟音が辺りに鳴り響いた。
代官の薄っすらハゲが、連絡に来た若い兵士に振り返った。
「な、何だ今の音は?! おい、説明しろ! 町で一体何が起きている?!」
「わ、分かりません・・・そ、そうだ! 怪物が何かしたのかも!」
彼の報告にあった、人食いの空飛ぶ巨大な怪物。そして先程の落雷に似た轟音。
私には心当たりがある。
というよりも、私はその存在に対抗するためにここへ来たのだ。
【て、んなコトのんびり考えてる場合か! 魔視!】(CV:早〇沙織)
「うおっ! 今度は何事だ?!」
突然の大声に、薄っすらハゲがビクッとしたが、今はそれどころじゃないので無視。
魔法の発動と同時に、私を中心に魔力波が広がった。
この世界では、それが生物であれ無機物であれ、必ず何らかの魔力を持っている。
魔視の魔法はレーダー探知機のように、それらの魔力を探知するのである。
まず最初に目に入ったのは、ワラワラと無秩序に動き回る生き物の群れ。
これはおそらく、逃げ惑うこの町の人間達だろう。
乱雑に動き回るそれら魔力の中心。まるで台風の目のようにポカンと開いた空間。
その真ん中に存在する、ひと際巨大な魔力の塊。
この禍々しい反応。
間違いない。
【天空竜。しかも雄の方ね】
「て、天空竜だと?! ば、バカを言うな!」
薄っすらハゲが私を怒鳴り付ける。
バカを言うなって何だよ。私はちゃんと魔法で調べてだな・・・って、ああそうか。
人間は魔力を感じる事が出来ない。薄っすらハゲは私の魔法の発動が――私が魔視の魔法で天空竜の存在を確認した事が――分からなかったのだ。
今までずっと同じ部屋にいたヤツが、突然、天空竜が来たとか、相手の性別まで自信満々に言い放ったのだ。そりゃまあ、「コイツ何言ってんだ?」ってなるわな。
そして天空竜の方は私の魔法に気が付いたに違いない。
そりゃそうだ。なんならアイツ、魔力量だけなら私並みのモノを持ってるからな。
自分に向けられた魔法ではないとはいえ、これだけ近くで強力な魔法の発動があったのだ。気付かない方がどうかしている。
メス豚夫人がイスに埋まったまま、慌てて私に尋ねた。
「天空竜って、さっきあなたの話に出ていた危険な竜の名前ね? あなたこの町が今、天空竜に襲われているって、そう言っているのかしら?」
「マダム、亜人の言葉など信じてはならんぞ! どうせこいつらの女王が何か企んでいるに違いないのだ!」
いや、亜人の言葉って、天空竜が――怪物が出たって知らせに来たのは、お前の所の兵隊じゃん。
一体コイツにはどう説明すれば伝わるんだ・・・って、う~ん。まあいいか。
なんだか説明するのも面倒だし。
良く考えてみれば、私的には別に薄っすらハゲにどう思われようがどうでもいいし。
確かに彼の持っている戦力は魅力的だが、町が襲われた以上、貸して貰えるとは思えないし。
てか、コイツとの会話はもう沢山。いい加減うんざりしていた所だったから。
私はスックと立ち上がった。
そしてこの時になって、ようやく私――ええと、子豚の本体の事じゃなくて、アバターである女王クロコパトラの巫女ヒミコの事ね――が、イスすら勧められず、立ちっぱなしだった事に気が付いた。
いい加減にしろや、この薄っすらハゲ。客にお茶すら出さないどころか、ずっと立たせっぱなしで話をさせていたのかよ。
いやまあ、私の本体は水母が作ったガワの中で、ゴロゴロしながら話をしていたんだけど。
お茶を出されても飲めなかったし、イスを勧められても座れなかったんだけど。
けどそこはホラ。出来る出来ないの話じゃなくて、気持ちの問題じゃん。誠意の問題じゃん。
・・・まあいいや。薄っすらハゲの応対は確かに不快だったが、コイツの部下や屋敷で働く使用人達には罪はない。
天空竜に私の存在が気付かれた以上、いつヤツがこの屋敷に向かって来るか分からない。
そうなる前に、さっさとお暇するとしようか。
私は部屋の奥、開け放たれた窓へと向かった。
そして『風の鎧』。身体強化の魔法をかけると、ベランダの手すりの上にヒラリと飛び乗った。
「――ヒッ!」
「おい、よせ! 何をしている! バカなマネはよさんか!」
メス豚夫人が息をのみ、薄っすらハゲの慌てる声が聞こえる。
ここは代官屋敷の三階。この建物の最上階にあたる。
二人は私が絶望のあまり見投げをしようとしているようにでも見えたのか。
私は彼らの慌てぶりに少しだけ溜飲が下がった気がした。
しゃーない。サービスだ。最後に一言だけ忠告してやるか。ホンマ、私もお人好しやで。
【昼間は建物の中に身をひそめていれば、天空竜をやり過ごす事が出来るでしょう。外に出るのは日が落ちてからにするべきです。天空竜は夜は山の巣に戻り、獲物を探して飛ぶ事はありませんので】
そうやって身を守っている間に、私らがヤツらを追い払う――予定。
本当はこの町の兵隊にも手を貸して欲しかったが、こうなった以上、それも望み薄だろう。
「おい、クロ――じゃなかった、ええと、何って言うんだっけ? 俺のコートを着ているお前! そう、お前だ! 外からスゴイ音が聞こえたけど、一体何事だ?!」
怒鳴り声に下を見下ろすと、二階のベランダにクロコパトラ歩兵中隊の隊員達がひしめき合っているのが見えた。
私に声を掛けて来たのは第一分隊の隊長、キズだらけの大男カルネだ。
どうやら轟音に驚いて窓から外を見回していた所で、私が出て来た事に気が付いたらしい。
【天空竜が現れたわ! 町の人間達を襲ってる!】
「ちっ! やはり今のは天空竜の魔法の音だったのか!」
「くそっ! 庭の木が邪魔で町の様子がさっぱり分からねえ! おい、俺達はどうすりゃいい?! ヤツと戦おうにも武器なんて持って来てねえぞ!」
副官のウンタが舌打ちをし、カルネが私の指示を仰いだ。
【そうね、アンタ達は町の人達の避難の手伝いをお願い! 私は先に町に向かって情報を集めとくわ! 状況によっては天空竜の迎撃に手を貸す事になるかもしれないから、一応は覚悟しといてね!】
「そうか! 俺達が行くまでやられるなよ! おい、ウンタ」
「分かっている。みんな部屋に戻って荷物を持て。今から町に向かうぞ」
「「「おう!」」」
私は屋敷を立ち去る前に、最後に部屋の中に振り返った。
薄っすらハゲとメス豚夫人は、信じられない物を見る目で私の方を見ていた。
「ワシらが天空竜を倒すのに協力してくれるのか?」
【勘違いしないで。迎撃に手を貸すって言ったでしょ。倒すのはムリね】
天空竜は準備も無く、おっとり刀で戦って倒せるようなぬるい相手じゃない。
ワンチャン、天空竜だけなら。それもつがいのどちらか片方だけなら、どうにか出来るかもしれないが、それも状況次第だろう。
【それに私達が手を貸すのはあなたのためじゃない。町の人達のためよ】
薄っすらハゲがハッと顔をこわばらせる。
てか、ぶっちゃけ、コイツのために力を貸すとか、考えただけで萎えるわ。
町の人達に無駄な犠牲を出さないため。そうとでも考えなきゃやってられるかっての。
だったら放っておけばいいだろうって? いやまあ、それは流石に薄情じゃね? 一応、同じ地方に住むご近所さんだし。
それにこの町には我々の御用商人、ザボの店だってある。被害は少しでも少ない方がいいだろう。
後、薄っすらハゲには否定したが、守備隊の力を借りた上での総力戦に持っていけたら、天空竜を討伐出来る可能性も少しくらいは――それこそ十連ガチャでSSRが出るくらいの確率くらいはあるかもしれないしな。
それって四~五パーセントくらいの期待値じゃないかって? いやまあそうなんだけど、ガチャだって回さなければ当たらない訳だし。期待を持つ位いいじゃんか。
私はヒラリとベランダから身を躍らせた。
「キャアアアアア!」
「バカな! ここは三階だぞ!」
私はメス豚夫人と薄っすらハゲの悲鳴を背に、庭の木の枝に着地。
そのまま木から木へと飛び移りながら、屋敷の敷地の外、天空竜が暴れる町中へと向かったのであった。
次回「メス豚と腐肉食動物」




