その322 ~ランツィの代官ボンティス~
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サンキーニ王国で最も東の端に位置する土地、トラベローニ。
黒豚クロ子が生まれ育ったこの地は、北に大コルシ川、そして南にメラサニ山地を望む、肥沃な農業地帯である。
その豊かな土地を巡って、古くから隣国との争いも絶えず、初代サンキーニ国王もこの地を国防の要地と定め、自分の子を地方長官として派遣。この地を守らせた。
それが現在まで続く東サンキーニ家。いわゆるトラベローニ侯サンキーニである。
初代トラベローニ侯はサンキーニ国王の側室の子、つまりは庶子であった。そのため、長子に生まれながらも王位を受け継ぐ事は出来なかった。
幸いにも彼は野心が少ない人物だったらしく、父親の命令に大人しく従い、この地へと赴いたという。
しかし、それも彼の代までの事。
彼の息子が後を継いだ時点で、密かな不満を抱くようになっていた。
「なぜ、父は知勇共に優れているというのに、庶子というだけで地方長官に甘んじなければならないのか」
「なぜ、父の弟は正妻から生まれたというだけで、国王の座が約束されているのか」
それは一言で言えば、「なぜ、俺には継承権がないのか」というものだった。
現在の所、トラベローニ侯の不満は表には出て来ていない。
しかし、この暗い思いは、硬いしこりのようになって、代々のトラベローニ侯の当主に受け継がれている。
この国に大モルト軍が攻め込んで来た際、トラベローニ侯が国境の守りを理由に兵を出さなかったのも、暗にそういった事情があったのかもしれない。
ここはトラベローニで一番大きな町、ランツィ。
隣国ヒッテル王国との国境に最も近くに位置する、堅牢な城塞都市である。
そんなランツィの町の高級住宅街。その中でもひと際存在感を放つ大きな代官屋敷。
その一室で、代官のボンティスは昼間から酒の杯を傾けていた。
四十がらみの小太りの男だ。冴えない容姿。薄くなり始めた頭頂部に、酒焼けした赤い鼻。
彼がこの町の代官に任命されてから十数年。
度重なる商人達からの接待漬けと付け届けのせいですっかり骨抜きにされ、今や商会の利益を守る書類にサインをするだけの、商会の飼い犬に成り下がっていた。
ボンティスが新たな酒をカップに注いだその時、鈍いノックの音が響いた。
「ボンティス様、失礼致します」
分厚いドアが開かれると、背の高い色黒の中年男性が入って来た。
この町の守備隊、その隊長のバシッドである。
「おお、バシッドか。一体どうした? そうだ、話の前にお前も一杯やらんか? つい先日、ザボが持って来た品だが、コイツは中々の美酒だぞ」
代官のボンティスは、「流石は王都にその名を知られたオスティーニ商会だ。贈答品も一級の品だわい」と、嬉しそうに酒瓶を掲げた。
ザボは最近、このランツィの町に店を出した若い商人である。
その背後には、王都の金融を牛耳る大商会。オスティーニ商会の商会主、ロバロ・オスティーニが付いている。
ザボはそれなりに目端が利き、商才のある商人ではあるのだが、勿論、そんな理由だけでロバロ老人が彼に投資している訳ではない。
ロバロ老人の狙いはただ一つ。
ザボが行商人をしていた時に偶然得たコネクションを利用して、メラサニ山に住む亜人達に――ひいては彼らの守護者であるクロコパトラ女王(※その正体はクロ子)に――恩を売り、彼らの持つ魔法の力を利用する事にあった。
勿論、代官のボンティスはそんなロバロ老人の思惑など知る由もない。
彼にとって重要なのは、オスティーニ商会との繋がり。そして、オスティーニ商会がザボに便宜を図るように頼んで来たので、自分の職権の範囲で融通し、その謝礼として金品を受け取った。ただそれだけである。理由など知る必要はない。
代官のボンティスは、ザボという金のなる木を手に入れ、すっかりご機嫌であった。
「王都は今も大モルト軍に占拠されているそうだが、こんな美味い酒が無事に残っているなら、意外と大した被害は無かったのだろうな」
ブラマニ川の戦いで国王軍は大モルト軍に敗れ、国王バルバトスは囚われの身になった。その情報が伝わって来た時、誰もが「この国の最後が来たのか」と絶望した。
トラベローニ侯の家臣の中でも、穏健派と過激派――降伏派と徹底交戦派に意見が分かれ、一時は内紛にまで発展し兼ねない状態にあったという。
そんな最中、大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロから、各地の領主に招集命令が来た。
当然、罠の可能性は考えられる。だが、もし、命令に逆らえば領地を攻撃する恰好の口実を与えてしまう事になるのは明白だった。
それに、降伏を選ぶにしろ、交戦を選ぶにしろ、正確な情報は必要である。
トラベローニ侯は――そして各地の領主は――悲壮な覚悟を胸に、指定された話し合いの地、王都の南に位置するリゾート地、パルモへと向かったのであった。
結論から言うと、彼らは降伏の道を選んだ。
国王バルバトスが囚われているのみならず、王都まで無血開城してしまったからである。
もしもトラベローニ侯が戦いを選んでいたら、城塞都市ランツィはトラベローニ領における最重要拠点となっていただろう。
そうなれば町の代官であるボンティスはどうなっていただろうか?
ボンティスは九死に一生を得て、ホッと胸をなでおろしたのであった。
そして数日後。
戦争の危機が回避された事で、町に逃げ込んでいた人間も、それぞれの村へと返す事になった。
それらの作業、そしてその作業に付随する様々な処理が終わり、ようやく町に落ち着きが見え始めたのがつい最近の事である。
それを思えば、代官のボンティスが解放感から酒を飲みたい気分になっているのも、仕方がないのかもしれない。
「それでどうだ? 法王国の酒だが、中々のものだぞ? あちらの司教が好んで飲んでいる銘柄だそうだ」
代官のボンティスはもう一度酒瓶を掲げて見せた。
アマディ・ロスディオ法王国は大陸の三大国家の一つである。この国からはメラサニ山を挟んで南に位置している。
唯一神アマナを信仰する宗教国家で、その社会は法王庁を頂点とする極めて厳しい身分制度によって成り立っている。
貧富の差の激しい国で、社会カースト最下層となる隷民ともなれば、ほとんど人としての扱いをされないと言われている。
法王国では、彼ら隷民が作った作物を地主がタダ同然で買いたたき、更にその上前を法王庁がゴッソリと撥ね、それら安く手に入った品々を周辺国へと輸出する事で、多大な外貨を稼いでいた。
そういった事情もあって、一般には法王国の品は「安かろう悪かろう」の品として良く知られている。
とはいえ、権力の頂点、法王庁に納められる品がそのような安物であるはずもなく、高位聖職者クラスの司教が飲む酒ともなれば、隷民が一生働いても手が出ない程の高級品となっている。
つまり法王国の品は、その激しい格差社会と同様に、品質もピンからキリ。安物の粗悪品から高級品まで極端な差があるのである。
司教が好んで飲む銘柄、という言葉に守備隊長のバシッドの目が輝いた。
しかし彼は自制心を振り絞ると、「いえ、これからまだ仕事がありますので」と断った。
代官のボンティスは意外そうな顔で酒瓶を下ろした。
「そうか。それでどうした?」
「はい。国境近くのグジ村の村長が訪ねて参りました。ボンティス様との面会の取り次ぐよう、頼まれまして」
「グジ村の村長――ホセ・ティエロか」
ボンティスはご機嫌な様子から一転、不愉快そうに表情を歪めた。
グジ村の村長、ホセは、かつてクロ子がガチムチと呼んでいた中年男性である。
ここからはクロ子が知らない話だが、彼の本名はホセ・ティエロ。元々はサンキーニ王家に仕える近衛隊の隊長だった男で、とある事件で妻を失ったのをきっかけに職を辞し、今は国境近くの村の村長となっている。
本人としては前職とは完全に縁を切っているつもりだが、代官のボンティスにとって――トラベローニ候の家臣にとって――は、ホセはあくまでも王都から来た人間。
つまりは王家側の人間である。
憎しみを覚える程ではないにしろ、煙たく感じてしまうのも無理のない話であった。
「それで? ヤツがワシに何の用だ?」
「村人を町に避難させたいので受け入れを願いたいとの事です」
「なに?」
ボンティスは怪訝な表情を浮かべた。
「大モルト軍が攻めて来る危険はなくなった。ようやく町から避難民がいなくなった所だというのに、まだ何かあると言うのか?」
可能性としては隣国、ヒッテル王国による進軍である。
ホセが村長をしているグジ村は、最も国境に(※正確には両国の緩衝地帯に)近い場所に作られた村である。
しかし、ヒッテル王国軍が来たなどという情報は耳にしていないし、そもそも、あの国は現在、大規模な内乱の最中である。
とても他国に攻め込む余裕があるとは思えなかった。
「なんでも亜人の女王が、山に危険な竜が現れたので、村の者達は至急、全員町に避難するように、と指示したそうでして」
「なにっ?! 亜人の女王だと?!」
その瞬間、ボンティスの顔が怒りで朱に染まった。
亜人の女王クロコパトラ。この世の物とは思えぬ美貌の持ち主である。
彼女は大モルト軍との戦いの際、サンキーニ王家と密約を結び、戦いに参加する条件としてグジ村の統治権を譲り受ける約束をしたという。
王家としては、たかだか国境近くの村一つ。報酬として与えた所で大して懐も痛まない。そう考えての約束だったのかもしれない。
だが、後になってこの話を聞かされたトラベローニ侯とその家臣達は激怒した。
それはそうだろう。
たかが村一つとはいえ自分達の領地を、しかもサンキーニ王家が、こちらに何の話も通さずに勝手に渡す約束をしたというのだ。
結局、クロコパトラ女王は統治権は放棄、商品の取引を約束するだけに留まった。
しかし、そんなものはあくまでも結果論に過ぎない。
国家存亡のかかったゴタゴタの中、やむを得ない事情があったとはいえ、自分達の知らない所で無断で領地の一部が取引きの道具として利用されていたのだ。
トラベローニ侯がサンキーニ王家に大きな不信感を抱く事になったのも――そしてクロコパトラ女王を警戒するようになったのも――無理のない話であった。
酔いが回っていた事もあったのだろう。代官のボンティスは怒りの感情に任せてデスクを叩いた。
衝撃でカップが倒れ、半分程残っていた酒がデスクの上を濡らす。
「女王がなんだ! あの女が何を言おうと知った事か! 村人の受け入れなど不許可だ! 構わんから追い返せ!」
「い、いえ、しかし・・・」
「黙れ! この町の代官であるワシが許さんと言っているのだ! いいからサッサと行かんか!」
「は、はい!」
ボンティスの剣幕にバシッド隊長は慌てて部屋を飛び出した。
「ああクソ! 腹が立つ! 酒でも飲まんとやっとれんわ!」
ボンティスは強く叩いたせいで痛む手を押さえた。
ジンジンと痺れるような痛みが、彼の怒りに火を注ぐ。
ボンティスは収まらない怒りに、酒瓶を手に取った。
そして瓶に直接口を付けると、喉が焼けるほどに酒精の強い酒を一息に飲み干すのだった。
次回「メス豚、状況を整理する」




