その320 メス豚と天空の王者
◇◇◇◇◇◇◇◇
それは突然、空の上から現れた。
あるいは山の天気が良ければ、大空を舞うそれの接近に気付けたかもしれない。
しかし、犠牲者にとって不幸な事に、先程から雪が降りしきっていた。
彼らは――生き残ったヤマネコ団の傭兵達は――四人共、雪を避けるために顔を伏せて、足元だけを見て歩いていた。
「ひいいいい、イ、イヤだ、死にたくねえ」
「ギャアアアアア! 俺の、俺の足がああああああ!」
「ハア、ハア、痛え、痛えよお」
血だらけの男達が泣きべそをかきながら、必死に雪の上を這いまわっている。
立つ事は出来ない。なぜなら彼らはことごとく四肢を欠損していたからである。
「キキキキキキキキ・・・」
癇に障る鳴き声が雪山に響き渡った。
この惨状を生み出した元凶の鳴き声――いや、愉悦の哄笑だ。
異形の怪物である。身長は十メートル程。
馬の背中に鳥の羽根を付け、爬虫類風にしたような姿、と言えば伝わるだろうか?
体色は雪のような純白。左右の側頭部から生えた角は、天を突くように高く伸び、途中で何本かに枝分かれしている。太い後脚に対して前脚はやや細目だが、指先からは獲物を引き裂く鋭い爪が長く伸びている。鳥のような嘴には尖った歯が並び、犠牲者の血で赤黒く濡れていた。
「くそっ! くそっ! ラキラのイカサマコインにかけて! 俺達が一体何をしたってんだ!」
法王国から来た傭兵団、ヤマネコ団の団長ログツォは、激痛に涙とよだれを垂らしながら、第二十四神の一柱、幸運の神ラキラを激しく罵った。
ラキラは幸運の神であり、賭け事の神でもある。ラキラのコインは、表が出ればこの世の全ての財宝を、裏が出れば破滅をもたらすと言われている。
どうやら自分達は、知らない間にラキラのコインを投げていたらしい。結果は言うまでもなく裏。破滅である。
「誰か、誰か助けてくれ! ニードル! フォルダ! オーク! グラナダ! アルード! マンツォ! シレラ! ルッティ! 誰でもいい! コイツを、この化け物をどうにかしてくれ!」
ログツォはこの場に居ないヤマネコ団の幹部達の名前を叫んだ。
自分の力で助かるという選択肢はない。彼の手足も部下達同様、怪物に引きちぎられ、既に失われているからである。
ちなみに幹部の半分以上は三日前の夜、魔獣によって殺害されている。そして残りの者も、ログツォの知らない所で既にこの世を去っていた。
「誰か・・・誰か俺を助けてくれ。誰か・・・誰か・・・」
ログツォはこんな姿になりながらも、まだ助かる道を諦めていなかった。
そんな彼の死に物狂いの姿が、余計に怪物を喜ばせる事になっているのだが、当然、ログツォに知る由はなかった。
彼は絶望的な状況の中、迫りくる死から一分一秒でも遠ざかろうと、必死になって雪の上を這いずっていた。
「誰か・・・誰・・・」
その時、彼の目が遠くの人影を捉えた。
亜人の男達だ。一人は大柄な男。もう一人は小柄な男。
そして二人に挟まれるようにして、黒い小さな影が一つ。驚いた様子でこちらを見ていた。
「魔獣・・・」
忘れもしないその姿。見た目はただの黒い子豚だが、頭には禍々しい四本の角が生えている。
思えばコイツのせいで、自分達は何日も厳しい冬山を歩き回らされる羽目になったのである。
そして遂には多くの仲間を殺され、逃げ出した所をこの怪物に襲われてしまった。
全ての原因はこの魔獣。魔獣と関わったのが不幸の始まりだったのである。
「魔獣・・・テメエだけは・・・テメエだけは絶対に許しゃしねえ。クソッタレの魔獣め、地獄に落ちろ」
ログツォは必死に雪をかき分けると背後の怪物に振り返った。
怪物は軽い不快感を覚えた。
さっきまで見苦しく這いまわって自分を楽しませてくれていた獲物が、急にこちらを挑戦的な目で睨み付けて来たからである。
「怪物! テメエ、俺達四人をいたぶったくらいでいい気になってんじゃねえぞ! あそこを見ろ! あそこにいる魔獣はな、なんと俺の部下を五十人も殺した正真正銘、本物の化け物だ! どうだ?! 怪物め! 悔しいだろう?! だったらあの魔獣と戦ってみろ! 化け物は化け物同士、どちらかがくたばるまで殺し合え! それとも、そんなデカイ図体をしておきながら、あんな小せえ魔獣が怖いのか?!」
ログツォは思い付く限りの言葉で怪物を煽り、罵倒した。
勿論、怪物相手に言葉が通じるなどと本気で思っている訳ではない。
手足を失い、戦う力も逃げる力も失った彼に唯一出来る抵抗は口だけしかなかったのである。
しかし、怪物の正体は天空竜――魔法を使える”竜”だった。
竜の言葉は人間には理解出来ない。しかし竜は翻訳の魔法で人間の言葉を理解出来るのである。
『殺――――ッ!!』
天空竜は天に吠えた。同時に、降りしきる雪が渦を巻く。
やがてピリピリと大気が震えると――
ババババーン!
激しい閃光と轟音が辺りを埋め尽くしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『殺――――ッ!!』
天空竜が突然、吠えた。
ただならぬ気配にウンタとカルネが目を見張る。
その直後。天空竜を中心に雪が渦を巻き始めた。
「おい、見ろよ! あのデカイ竜を中心に雪がグルグル回ってるぞ!」
「天空竜が魔法を使おうとしているんだ! クロ子、ヤツが何をしようとしているか分かるか?!」
『わ、分からない。私も知らない魔法だわ』
魔法が使える生き物は魔法を――魔力の流れを感知する事が出来る。
私達は天空竜が何らかの魔法を発動しようとしている所までは分かったが、一体何の魔法を使っているかまでは分からなかった。
流石は天空竜。今まで感じた事もない程の膨大な魔力に、まるで大気までがピリピリと張り詰めているような――
『いや違う! 本当に大気が帯電してるんだ!』
「たいでん?! それはどういう意味だ?!」
『要警戒』
私の背中でピンククラゲがフルリと震えたと思った次の瞬間――
ドン! バリバリバリバリーッ!
凄まじい光と音の洪水が雪の冬山に炸裂した。
「うおおおおおっ?!」
「な、なんだ?! 何が起きた?!」
落雷だ。
天空竜は、魔法の力で人工的に雷を起こしたのである。
「魔法で雷を?! 本当にそんな事が出来るのか?!」
出来るかどうかで言えば、目の前でやられたのだ。出来ると言う他ないだろう。
天空竜が吼えた場所にたまたま雷が落ちた、なんて考えるよりは、そっちの方がよっぽど現実的だ。
落雷の範囲は、天空竜を中心に半径10~20メートル程。その範囲の雪が綺麗に消し飛び、山の地肌が覗いている。
まるで爆撃の跡地のようだ。
あちこちに転がっている黒こげの物体は、犠牲者となった人間達の成れの果てだろう。
なんとも悲惨な最期だが、今まで手足をもがれ、弄ばれていた事を考えると、これ以上苦しむ事無く死んで良かった、とも言えるかもしれない。
私はどっちにしろ、そんな最後はゴメンこうむるが。
しかし、恐ろしいのはその破壊力だ。
ヤツに接近戦を挑めば、この範囲攻撃魔法の餌食になるだろう。
空を飛ぶだけでも、地上の相手に対しては十分なアドバンテージになるというのに、接近戦用の魔法まで完備しているとは。
天空竜、ちょっとチート過ぎじゃね?
『殺、殺、殺、殺、殺・・・』
天空竜が高らかな鳴き声を上げた。――いや、違う。鳴き声じゃない。こいつは笑っているのだ。
目の前で生き物が死ぬのが面白くてたまらない。死んだ相手を煽り、「ザコめ」と嘲笑っているのである。
獲物が手に入った。これで飢えを満たせるから嬉しい。狩りが上手くいって嬉しい。狩りそのものが楽しい。そんな理由で喜んでいるのではない。
ネトゲで熟練者が初心者狩りをして遊ぶように、子供が虫の羽根や脚をもいで遊ぶように、圧倒的な強者として弱者を一方的にいたぶるのが、コイツにとっての娯楽なのだ。思わず高笑いしてしまう程、楽しくて楽しくて仕方がないのである。
なんといういびつな精神。歪んだ幼児性。
もし、これが種全体の精神性だと言うならば、天空竜とはおそろしく邪悪な生き物なのではないだろうか。
『情報によると、平均的傾向と推測』
『マジか・・・』
天空竜、最悪なんだけど。
てか、なんでそんなDQN生物がここに? ウンタ達のリアクションを見ていると、今までこの辺にはいなかったみたいだけど。
『推測、迷入個体。天空竜の生息域は、大陸南部の亜熱帯地方』
天空竜の本来の生息地はここよりずっと南の密林の奥地らしい。そしてコイツは群れからはぐれて迷い込んでしまった、迷子の個体ではないか、という事だ。
なる程。つまりは多摩川のタマちゃんなんだな。どう見てもそんな可愛い相手じゃないが。
天空竜は黒こげの死体を口に咥えると、空へ飛び立って行った。
獲物を巣まで運んでから食べるのだろう。
私達はその姿が消えるまで黙って見送った。
「・・・なあ、残った死体はどうする? まだ三人分転がってるが」
「俺達が片付けるしかないだろう――いや、待て。やはりしばらく様子を見よう。後でヤツが取りに戻って来るかもしれない」
「ああ、なる程。その時、獲物が無くなってたら、さぞ怒り狂うだろうな。それにしても、厄介なヤツが迷い込んで来たモンだぜ」
「確かに。元の住処に戻るか、こことは別の場所に移ってくれればいいんだが・・・。もしも居座られるような事にでもなれば面倒だな」
この時、ウンタは可能性を口にしただけに過ぎない。
しかし、私はイヤな予感がして仕方がなかった。
実はあの時、私が察知した魔力反応は――魔視の魔法に反応があった謎の魔力源は――二つあったのである。
一つは今の天空竜で間違いない。
しかしもう一つが、もし、別の天空竜だった場合。
しかもそれがオスではなく、メスの個体だった場合。
その時は最悪な事になる。
『・・・いや。まだそうと決まった訳じゃないし。それよりも、天空竜がいなくなった今のうちに村に戻りましょう』
「そうだな。こんな所をうろうろしていて、俺達までヤツに目を付けられたらたまらないしな」
「おい、ウンタ。そんなおっかない事を言うなよ」
『その場合は、カルネを囮にして逃げるのもいいわね』
「確かに。カルネの大きな体は良く目立つだろうからな」
「おい! お前らシャレになってねえぞ! 俺は黒焦げになって死ぬのはゴメンだからな!」
私達は不安を誤魔化すように、軽口を叩きながら殺戮の現場を後にした。
しかし、当たって欲しくない予想ほど良く当たるようである。
数日後。私は空を飛ぶ二匹の天空竜を目撃する事になる。
片方はあの時の立派な角の白い天空竜。そしてもう片方は角の短い灰色の天空竜だった。
やはり天空竜はつがいだったのである。
そう。彼らはこの山を縄張りに決め、子育ての場に選んでいたのだった。
次回でこの章も終わりとなります。
次回「メス豚、戦いに備える」




