その319 メス豚とヤマネコ団の最後
◇◇◇◇◇◇◇◇
山頂にほど近いメラサニ山。山肌は一面の白い雪に覆われていた。
「くそっ・・・また降りだしやがった」
法王国の傭兵団、ヤマネコ団の団長ログツォは、周囲に舞い始めた雪に力無く悪態をついた。
山の天気は変わりやすい。もし、昨日のように吹雪になれば、山歩きに慣れていない彼らはまた一歩も先に進めなくなるだろう。
こんな事で、本当に目的地に――彼らが山越えに使った例の洞窟に――到着する事が出来るのだろうか?
ログツォの胸に不安が湧き上がった。
(ちっ、面倒くせえ。狩人アルードが生きていてくれたら・・・)
ついつい、死んだ仲間の顔を脳裏に思い浮かべてしまう。
現在、ログツォに従っている団員の数は三人。
山越え時には五十人近くいたヤマネコ団が、あの一晩だけで、たったの四人になってしまったのである。
残りの団員達は全員、殺されたか、捕虜になったか。
ひょっとしてこの場にいないだけで、上手く逃げ延びている者もいるかもしれない。あまり過剰な期待は出来ないが。
あれから三日。
冬山の空気は、相変わらず肌を刺すような冷たさで、僅かに残った体力すらも奪っていった。
(ふざけんな! この俺がこんな所で死んでたまるかよ!)
ログツォは弱気になりかけた心に活を入れた。
ヤマネコ団にとって最悪の夜。
あの夜、突然、襲来した魔獣によって、団の腕利き達はなすすべなく殺されてしまった。
信じられない光景に、ログツォはショックのあまり呆然と立ち尽くしていた。
そんなログツォを正気に戻したのは、彼のふところ刀、副団長のニードルだった。
「団長! ここは俺達に任せて下がって下さい!」
「下がれったって、一体どこに? 魔獣は目の前にいるんだぞ」
ニードルはログツォを後ろに押しやると、腰の剣を抜き放った。
「俺達が何とかして時間を稼ぎます! だからその隙に団長はこの場から逃げて下さい! 行くぞ、お前達! 俺に続け! うおおおおおっ!」
ニードルはログツォの返事を待たずに走り出した。
「俺はヤマネコ団の団長ニードル! お前達はここから一歩も先へは行かせんぞ!」
ニードルは自らが団長であると高らかに宣言する事で、敵の注意を引き付けようとした。
魔獣は大声で叫びながら駆け寄って来るニードルに、一瞬驚いたような顔になったが、直ぐに気を取り直すと――
パンッ! 夜の森に乾いた破裂音が響き渡り、ニードルはあっさりとその場に転倒した。
それでも彼は苦しい息の中、「戦え! 敵をここで食い止めるのだ!」と、懸命に周囲の仲間達を鼓舞し続けた。
だが、二度目の破裂音が虚しく響くと、その声も聞こえなくなった。
「ニードル――チクショウ!」
ログツォは脇目もふらずに逃げ出した。
ニードルはどうなったのか? 死んだのか? 気絶したのか? さすがに、この距離からでは分からない。
しかし、このままこの場に残っていれば、敵が自分の存在に気付くのは間違いない。そうなれば命を懸けてまで敵の気を引いてくれたニードルの献身を無にしてしまう事になる。
ログツォは全力で走った。
こんなに本気で走ったのはいつ以来だっただろう?
ふと気が付くと、周囲に部下は誰もいなかった。
ログツォはそれでも死に物狂いで走り続けた。
その後、同じように逃げ出す事に成功していた三人の部下が合流したが、その中に幹部クラスの者は誰もいなかった。
巨漢のオーク、調教師のシレラ辺りは、殺された所を見ていないので、ひょっとしたら逃げ延びている可能性もあるかもしれない。しかし、今のログツォには彼らの安否を確認しているだけの余裕はなかった。
「団長、これからどうするんで?」
「・・・国まで戻るしかねえだろうが。たったの四人で一体何が出来るってんだ」
国に戻れると聞いて、三人の部下達はホッと安堵の表情を浮かべた。
しかし、その道のりは容易な物では無かった。
追われる立場になった彼らに、メラサニ山の自然は牙をむいた。
それでもどうにかここまで脱落者を出さずに来られたのは、全員が体力自慢の傭兵だったからだろう。
戦場で生き残れるのは強い人間ではない。生き急がない者。人より生に執着する力の強い、いわば”しぶとい”者達である。
その点で、彼ら傭兵の右に出る者はいなかった。
法王国側に通じているトンネルはもうすぐ近くだ。
後少し。もう少しで国に帰れる。
雪の降りしきる中、彼らはその一念だけで、疲れ切った体に鞭を入れ、棒のようになった足を無理やり動かして前へ前へと進み続けた。
確かにこの遠征は最悪の結果に終わった。しかし、命さえあればどうとでもなる。生きてさえいればやり直せる。
本当に最悪な時は終わった。不幸のピークは過ぎ去ったのだ。
いや、違う。
彼らの不幸はまだ終わっていない。最悪の最後はこれから始まるのである。
その時、山に不気味な鳴き声が響き渡った。
ヤマネコ団の終わりを告げる合図である。
ログツォはイヤな胸騒ぎを覚えて立ち止まった。
彼は荒い息の中、記憶を探った。
「この鳴き声は・・・。そうだ。確かトンネルを出て、このサンキーニ王国に来た時にも聞いた気が――」
次の瞬間、巨大な何かが彼を押しつぶしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『あ~あ、また雪が降り出したか。てか、アイツらどこまで登って行くのよ。まさかこのまま山のてっぺんを越えるつもりじゃないわよね?』
『超低確率』
私の背中でピンククラゲが呆れたようにフルリと震えた。
いや、本気で言った訳じゃないし。退屈を紛らわせるための会話のアクセント? 小粋なジョークのつもりだし。
法王国の傭兵団、ヤマネコ団との戦いから三日。私は逃げ伸びた敗残兵達の後を追っていた。
私のお目付け役――じゃなかった、同行しているのは二人の亜人。クロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタと、キズだらけの大男、第一分隊の分隊長のカルネである。
カルネの左腕は添え木を当てられ、包帯に包まれている。
何とも痛々しい姿だが、見た目ほど酷いケガではないのか、それとも痛みに対して我慢強いのか、本人は至って平気な顔でケロリとしている。
「あっちの尾根には見覚えがあるぜ。前にこの国のヤツらと隣の国に攻め込む時に通った場所だな。まあ、あん時はまだ夏だったが」
「ここはこの辺では一番高い山になるな。なあクロ子。本当に人間達はこんな場所を通って、法王国からやって来たのか?」
さあ? ヤツらがここを目指しているって事は、多分、そうなんじゃない?
我々が逃げた敵を発見しながら、何もせずに泳がせている理由。
それは敵の今回の進軍ルート――冬の険しいメラサニ山を越えて、ここまでやって来た方法――を調べるためであった。
「捕虜が一人でも残っていれば、そいつから聞き出せば済んだんだがな」
『もう。だからそれは何度も謝ってるじゃない。あの時の私は私じゃなかったのよ。言ってみれば黒クロ子。ほら、漫画でもアニメでもストーリーが終盤に向かう前に良くあるじゃない。主人公が一度”闇落ち”するって展開。いわばあれは私の闇落ちバージョンだったのよ』
「何を言っているのか分からん」
「黒クロ子って、クロとクロが被ってないか?」
何を言うかカルネ。いいじゃん、黒クロ子。くろくろこ、くろくろこ、くろくろこ。ホラ、何度も繰り返していると口が楽しくなって来る。
「こうやって、もう三日もヤツらの後を追い回しているんだ。さすがにそろそろ分かるだろ」
『まあ、追い回しているって言っても、私の魔法でなんだがな』
地竜こと牛トカゲ――ん? 逆か? まあいいや。牛トカゲも使っていた探知の魔法。
魔視の魔法によって、我々は敵から見付からない距離を保ってヤツらを尾行しているのである。
ていうか、やっぱり魔視の魔法は便利だわ~。敵に使われると本気で厄介だけど。
今回の一件ではその事を思い知らされましたわ。
『定時観測』
『ハイハイ、魔視』
唯一の弱点は、常に使いっぱなしには出来ないって所だが。まあ、こればっかりはしゃーない。
私は魔力波を周囲に飛ばした。
『――ん?』
「どうした、クロ子?」
急に真顔になった私に、ウンタとカルネが怪訝な表情を浮かべた。
何だろう、この反応。
今までに一度も見た事のない巨大な魔力反応だ。
一番近い――と言えるかどうかは分からないけど、似ているのは牛トカゲ辺りか?
とはいえ、魔力の大きさは雲泥の差だ。一体コイツは何だ?
その時、不気味な鳴き声が山に響き渡った。
「何の声だ? 今まで一度も聞いた事の無い鳴き声だが?」
「ひょっとしてこれって地竜の鳴き声か? 人間のヤツら、他にも地竜を隠していたのか?」
カルネは地竜の声を疑っているようだが、地竜は大きな体に似合わない臆病な性格で、鳴き声で自分の居場所をバラすような事はしない。というか、そもそもウサギと同じで声帯を持っていないので、地竜は声を出せないのだ。
「おい! 上を見ろ! あそこだ!」
ウンタの声にハッと空を見上げると――
「あれは・・・何だ?」
カルネがポツリと呟いた。
雪の舞い散る空の上。灰色の雲を背景に異形の生き物が悠々と空を飛んでいる。
対比物のない空の上なので正確な大きさは分からないが、かなりの大さである事は分かる。
シルエットは私の知ってるどの生き物とも似ていない。強いて上げるならグリフォン? 空想上の生物だが。
鳥と馬と爬虫類とを足して割ったような姿。と言って想像出来るだろうか?
そんな見た事もない不思議な生き物が、メラサニ山の空の上を舞っていた。
『さっき探知した馬鹿デカイ魔力の持ち主。あれってアイツだったのか。だとすればアイツは竜――』
「おい! ヤツめ、何かを狙っているぞ!」
カルネの声と同時にグリフォンモドキは急降下。森の梢の向こうに姿を消した。
あの方向は、まさか――
私は『風の鎧』。身体強化の魔法を使うと走り出した。
「おい、クロ子! 俺達の魔法!」
「待てよ、二人共! 俺達の魔法!」
ウンタとカルネが私に続いて走り出す。
私達は森の中を駆け抜けると、開けた場所に出た。
『!』
雪に覆われた斜面は赤い血で染まっていた。
その中心には、体長十メートルはあろうかという巨大なグリフォンモドキが。獲物の体を前足で引きちぎっていた。
「こ、これは・・・」
「ひ、酷え・・・」
ウンタとカルネが絶句する。
そうグリフォンモドキの獲物は人間だったのである。人数は四人。この三日間、私達が尾行していたヤマネコ団の最後の生き残りだ。
だが、ウンタとカルネは人間が食われている事に驚いた訳ではない。いや、それにも驚いたのかもしれないが、真に彼らを驚かせたのはその悲惨な光景だった。
「ひいいいい・・・」「うああああああ・・・」
風に乗ってこの距離まで犠牲者の悲鳴が届いて来る。
グリフォンモドキは、わざと獲物を殺さず、手足だけを引きちぎっていたのだ。
『喜、喜、喜、喜、喜、喜、喜・・・』
そう。グリフォンモドキは、まるで子供が虫の脚や羽根をむしって遊ぶように、獲物に痛みと恐怖を与え、絶望に悶え苦しむ姿を見て楽しんでいたのである。
私の背中のピンククラゲがフルリと震えた。
『天空竜。角の形状の特徴からオスの個体と推測』
天空竜――
それが私達の前に現れた、新たな敵の名前だった。
次回「メス豚と天空の王者」




