その310 ~ウンタの策~
◇◇◇◇◇◇◇◇
秋の日はつるべ落とし。
太陽は西の尾根に沈み、メラサニ山の山中はすっかり暗くなっている。
月明かりに照らされた森の中。法王国の傭兵団、ヤマネコ団と、亜人村の防衛軍クロコパトラ歩兵中隊との戦いは続いていた。
意外と言っては失礼だが、ここまでクロカンの隊員達は、歴戦の傭兵達を相手に思わぬ健闘を続けている。
しかし、それもそう長くは続かないだろう。
一部の突出した強者の存在――ヤマネコ団の幹部クラスの凄腕達――が、膠着した戦場のバランスを崩そうとしていた。
それは奇妙な生き物だった。
大きさは牛や馬程。全体のシルエットも牛と馬を足して二で割ったような形をしている。
更にはヘビやトカゲのような爬虫類の特徴すら備えている。
それは”地竜”。
竜と呼ばれる魔法を使う生き物の一種で、クロ子が心の中で”牛トカゲ”と呼んでいる存在である。
臆病な地竜は、自分の周囲で始まった戦いにすっかり怯えていた。
大きな棍棒を担いだ傭兵――仲間内からは調教師の名で呼ばれるシレラ――が、ずっとすぐ横でなだめ続けていなければ、前後不覚のパニックを起こして逃げ出していただろう。
それでも亜人が襲い掛かって来てすぐは、シレラですら手を焼く程神経過敏になっていた。
地竜は身を守る牙も、敵から逃げる健脚も持たない。この大きな体では、地面に潜ったり物影に隠れたりする事も出来ない。
厳しい自然を生き抜く中、地竜が編み出した生存戦略は、「探知魔法を使って、敵に見つかる前に見つけて逃げる」であった。
そんな地竜が突然、激しい戦いの只中に放り込まれたのだ。強いストレスを覚えたのも当然と言えるだろう。
しかし、戦闘が続くにつれ、地竜は次第に落ち着きを取り戻しつつあった。
自分の所属する群れは強い。
その事が分かったからである。
確かに、戦闘状態は拮抗している。しかし、それも長くは続かない。
地竜は臆病な性格であるが故に、敏感に戦場の空気を――襲撃者側の切羽詰まった気配を――感じ取っていた。
気を取り直した地竜は、いつもそうしているように、自分の周囲に魔力波を放った。
クロ子が魔視と呼んでいる魔法――魔法による周辺の探知を行ったのである。
例の存在は――恐ろしい程膨大な魔力を持つあの生き物は――探知範囲のギリギリ先。ここからずっと離れた場所にいる。
全く動いていない事から考えても、気付かれていない、と判断しても大丈夫だろう。
クマやトラ、そういった強力な捕食者も近くにはいない。
ただ、小さな魔力を持つ存在が数十体。こちらを回り込むように移動している点だけが気になった。
地竜は再び魔力波を放つと、その集団に対してより詳しい情報を集めた。
数は約四十。
移動速度と大きさ、それと群れの数から考えて、猪ではないだろう。
この辺りは妙に野犬の数が多い。おそらくこれも野犬の群れではないだろうか。
ならば危険はないだろう。
なにせ、周囲ではこれほど派手な音を立てて争っているのだ。
犬の耳の良さなら、とっくに人間の存在に気付いているはずである。
そして彼らはこの場を大きく回り込んでいる――つまりは、人間の集団を避けて通ろうとしているのだ。
ここは安全だ。
地竜はそう判断した。
しかし、彼がそう思った瞬間。
野犬の群れはまるで解き放たれた矢のように、一直線にこちらに向かって走り出したのであった。
傭兵の一人が、傷付いた亜人が取り落とした剣をすかさず拾った。
「へえっ。コイツ亜人のくせに俺よりいい武器を使ってるじゃねえか。山ン中に住んでるくせしやがって、こんな武器、一体どこで手に入れたんだ?」
その様子を見た別の傭兵も、慌てて自分の周囲を探し始めた。
「どれどれ俺も。――あった! って、こりゃ仲間が落とした剣かよ」
男は拾った剣を放り捨てようとして、惜しくなったらしく腰ひもに挟むと、再び亜人の剣を探し始めた。
戦いの均衡はヤマネコ団の方へと傾きつつあった。
その流れを敏感に察した傭兵達は、今では精神的な余裕を取り戻している。
逆にクロコパトラ歩兵中隊の亜人達には焦りが見えた。
しかし、それが分かっていながらも、地力で劣る彼らは一度傾いた劣勢を覆すような手段を持っていなかった。
「あったあった! なる程、コイツは確かにいい剣だ。へへっ、よっしゃ、早速試し切りだぜ。ホレホレどうだ? 自分達の武器で切られる気分は?」
ようやく剣を見つける事が出来た傭兵は、嬉しそうに剣を振り回した。
その時である――
「うわっ! な、何だ?! 何かが俺の足元を駆け抜けて行きやがった!」
「どうした?! 何があった!」
「犬だ! 野犬の群れが戦場に飛び込んで来たんだ!」
突然、暗がりから野犬が飛び出して来ると、足元を駆け抜けて行ったのである。
野犬は次々と増え続け、戦場は一時騒然となった。
「なんだってんだ、くそっ! ここは野犬の通り道だったのか?!」
「だとしても、俺達が戦っている場所をわざわざ通り抜けるヤツがあるかよ!」
「俺が知るか! 文句なら野犬に言って来い!」
突然、戦場に現れた野犬の群れ。
もし、今が明るい昼間であれば、全ての野犬の額に黒く鋭い角が生えている事に気付いた者がいたかもしれない。
浮足立つ敵を前に、クロカンの隊員達は、亜人の青年――副隊長のウンタに振り返った。
「ウンタ!」
「ああ! マササン、頼む!」
ウンタの声に、野犬の群れの先頭を走るブチ柄の犬が大きく「ウオン!」と吠えた。
『黒い猟犬隊! さっきの魔法を目指して走れ!』
『『『『応!!』』』』
マサさんの声と共に、野犬達は――黒い猟犬隊の犬達は――戦場を駆け抜けた。
彼らは今まで戦場を迂回しながら、獲物の居場所を捜し回っていた。
そしてつい先ほど、彼らは敵集団の中央に魔法の発動を察知した。
その瞬間。彼らは解き放たれた矢のように一気に走り出した。
『人間達に構うな! 走れ! 走れ!』
『『『『応!! 応!! 応!!』』』』
彼らは黒い風となって戦場を突っ切った。
やがて、大きな動物が彼らの視界に入った。
『いた! アイツだ! 魔法を使ったヤツだ!』
『デカイぞ!』
『獲物、デカイ!』
黒い猟犬隊の犬達は、口々に吠えると獲物に――地竜へと殺到した。
「なんだ?! この犬共は! くそっ! 近寄るな!」
地竜の世話をしていた人間が――調教師のシレラが背中の棍棒を引き抜くと、大きく振り回した。
「キャイン!」
何匹かの犬が跳ね飛ばされるが、黒い猟犬隊の犬達は止まらない。
彼らは牙をむき出しにすると、四方八方から獲物の足に食らいついた。
「ピキーッ!」
地竜は声帯を持たない。だからこれは言葉ではなく、意味のない音――絶叫だ。
犬の鋭い牙は、四肢の肉を抉り、太い骨にまで食い込んだ。
たまらず地竜はドウッと地面に倒れ込んだ。
その喉元にブチ犬が――マサさんが食らいつく。
「グルッ! グルルルル!」
マサさんが激しく頭を振ると、鮮血が飛び散り、地面の草を熱く濡らす。
シレラは慌てて駆け寄ると棍棒を振りかぶった。
「や、止めろおおおおおおお!!」
巨大な棍棒がマサさんを襲う。
しかし、マサさんはギリギリの所で飛び退いて躱した。
シレラはそのまま地竜の前に立ちはだかると、棍棒を振り回して襲撃者達を威嚇する。
しかし、いかにシレラが凄腕であっても、たった一人で四十もの犬達から巨大な地竜を守り切るのは不可能だ。
黒い猟犬隊の犬達はシレラの棍棒を避けながら、次々と地竜に襲い掛かった。
「ガウッ! ガウッ!」
「ピキーッ!」
「くそっ! くそっ! 誰か、誰か来てくれ! 地竜が、地竜がやられちまう!」
「シレラ! どうした?!」
「見ろ! 野犬が地竜を襲ってやがる!」
この騒ぎを聞き付け、ようやく傭兵達が集まって来た。
最初に地竜が襲われてからここまでにわずか数十秒。
しかし、このわずか一分にも満たない時間で、マサさん達黒い猟犬隊はその目的を果たしていた。
地竜は全身から血を流しながら地面を弱々しく掻いている。
完全に致命傷だ。これではもう助からないだろう。
マサさんは作戦の成功を確信した。
そう。これがウンタの策。
クロカンの隊員全員で人間達を引きつけ、地竜の周囲が手すきになった所をマサさん達、黒い猟犬隊の犬達で仕留めるのである。
人間達に勝つ必要はない。あくまでも自分達の仕事は陽動。
作戦の目的は、生体レーダー探知機とでも言うべき地竜の排除。
本格的な戦いは、クロ子が戦場に来る事が出来るようになってからでいい。
俺達は俺達が出来る事をする。クロ子じゃなきゃ出来ない事はやらない
これがウンタの出した結論であった。
マサさんは天を仰ぐと、月に向かって大きく吠えた。
「オウ、オウ! オウーッ! オウ、オウ!」
すると彼に合わせて周囲の犬達も一斉に吠え始めた。
「オウ、オウ、オウ! オウ、オウ! オウーッ! オウ、オウ!」
突然、全員で遠吠えを始めた犬達。
集まった傭兵達は、目の前の異様な雰囲気にのまれて、その足を止めた。
「な、なんだ? 何が起きている?」
「コイツら一体、何をしているんだ?」
黒い猟犬隊は吠える。吠える。
短く、短く、長く、短く、短く。そして短く、短く、短く。
・・―・・ ・・・。・・―・・ ・・・。・・―・・ ・・・。
それは地球のモールス信号で言えば『トラ、トラ、トラ』
その意味は『ワレ奇襲ニ成功セリ』。
黒い猟犬隊の遠吠えは、山の中の野犬達に中継され、メラサニ山に響き渡る。
それは一つの作戦の成功を告げる合図。
戦いが次の段階に移った事を告げる合図。
それは傭兵団の団長、ログツォが最も恐れていた存在が――
”メラサニ山の忌まわしき血の夜”を生み出した、忌むべき魔獣が動き始める前触れでもあった。
次回「メス豚、参戦する」




