その306 メス豚、相談される
少しだけ時間を巻き戻し、我々が王都から亜人村に戻った後の話。
私はブチ犬のマサさんから相談を受けていた。
『黒豚の姐さん。あっしらがスイボの手術を受ける事は出来ないんでしょうか?』
『手術って、アンタ達もクロカンの隊員達のように、魔法を使えるようになりたいって事?』
マサさんは大きくコクリと頷いた。
今生の私は、ショタ坊村のガチムチ邸の家畜小屋で生まれ育った。
まんまと村を脱走した後は、マサさん達、野犬の群れのリーダーとして、このメラサニ山を駆けまわっていた。
その後、私の同胞――地球からの転生者のパイセンと出会い、それ以降は亜人の村に居付くようになった。
犬というのは群れの中の序列を気にする生き物である。
この時点でマサさん達は私が――群れのリーダーが、亜人の村の中でどのような立ち位置にいるのかが分からず、ひいては自分達の立ち位置も分からず、非常に落ち着かない気分になっていたようである。
そんな中、私はクロコパトラ歩兵中隊の隊員達という部下を持った。
マサさん達の意識は、同じリーダー(つまりは私)の下にいるクロカンの隊員達と自分達のどっちが上でどっちが下か。その序列の上下に向けられた。
そして先日、私はクロカンの隊員だけを連れて王都に向かった。
マサさん達は私に置いていかれた形になる。
彼らの受けたショックは大きかった。自分達がクロカンの下である事を思い知らされてしまったからである。
勿論、私にそんなつもりはない。人間の国と交渉に行くのに野犬の群れを連れては行けない。ただそれだけの理由だったのだ。
しかし、野犬達は激しく不満を抱いていた。
元々、クロ子は自分達のリーダーだったのに。
その気持ちは、群れの仲間を纏めるマサさんも同じだった。
彼は考えた。自分達とクロカンの隊員達。一体何が違うのだろうか、と。
そして彼は気が付いた。そうだ、魔法だ。
クロ子は魔法を使って戦っている。
亜人達に水母の手術を受けさせたのも、より強い魔法を使えるようにするためだ。
ならば自分達も角さえあれば――魔法が使えるようになれば――見直して貰えるのではないだろうか。
こうしてマサさんは、水母の手術を受ける事を決意したのであった。
『いや、私は別にマサさん達が魔法を使えなくても、ないがしろにしているつもりはないんだけど』
実際、村長代理のモーナは水母の手術を受けていないが、それでも私は彼女に敬意を払っている。
しかし、マサさんは納得してくれなかった。
『どうしてもダメなんでしょうか?』
『いや、ダメって事はないけど・・・。ええと、水母はどう思う?』
『極めて興味薄』
をい、言い方! マサさんは真剣なんだから、ちゃんと考えてよ!
『リソース不足』
『黒豚の姐さん』
『ああ、もう、分かったわよ! 手術を受けさせるにしても、全員という訳にはいかないからね』
私の部隊に入るという事は、戦争にも行かなければならなくなる。
最低でもその覚悟がある者でなければ、手術を受けさせる訳にはいかない。
『注意喚起。最低限の資質も必要』
『そう、それな』
魔法は知能の高い生き物にしか使えない。例え魔力増幅器官を移植しても、地頭があまりにもお粗末では使える魔法もたかが知れてしまう。それでは戦力にならない。
私に対しての忠誠心が高く、かつ、頭も悪く無い者。それが手術を受けさせる最低条件だ。
『どう? この条件は絶対に外せないけど、それでもいい?』
『・・・分かりやした。姐さんのおっしゃる条件を満たす者達を選びます』
こうしてマサさんは、百匹近くの群れの野犬の中から(てか、いつの間にそんなに増えてたんだ、オイ)四十匹程の候補者を選別したのだった。
ちなみにそのメンバーの中にマサさんの子供、アホ毛犬コマは入っていなかった。
彼は私に対する忠誠心は問題ないと思うが、おつむの出来の方で選ばれなかったんだろう。多分。
しかし、本人は何も分かっていないらしく、嬉しそうに尻尾を振っていた。
そういうトコロだぞ。コマよ。
こうして水母の手術を受けた野犬達は、クロコパトラ歩兵中隊の分隊長、魔法使いハリィの指導の下で魔法の使い方を学んだ。
そして今日、彼らは”黒い猟犬隊”の名を付けられ。初陣を迎える事になったのであった。
『傾聴! 黒い猟犬隊の諸君! 諸君らの任務はその優れた嗅覚を生かし、メラサニ村から逃げ出した敵偵察員の追跡にある! なお、相手は亜人の女の子を人質にしている! 人質の安全の確保と救出を最優先とするべし!』
『『『『応!!』』』』
黒い猟犬隊の犬達は、尻尾をブンブン振りながら大きく「ウォン!」と吠えた。
『ウンタ。彼らをよろしく。各分隊ごとに数頭ずつ割り当てて、上手く使って頂戴』
『ああ、分かった。マササン、よろしく頼む』
『こちらこそよろしく、ウンタ』
マサさんは嬉しそうにウンタの周りをグルグル回った。
今のマサさん達は、翻訳の魔法が使えるようになっている。
つまりは犬同士だけではなく、亜人達とも言葉が通じるようになっているのだ。
『じゃあ俺の部隊はお前達に頼む』
『わーい、わーい! 嬉しい、嬉しい!』
『なら、ウチはお前達だ』
『撫でて、撫でて! もっと撫でて! 次はお腹を撫でて!』
ああ、うん。少しばかり頭が良くなったとはいえ、所詮は犬。
人間同士が会話をするようにはいかないようだ。
『ハイハイ、いつまでもはしゃがない! 日が暮れるまで、もうあまり時間は残されていないんだからね! みんな頼んだわよ!』
『『『『応!!』』』』
返事だけはいいんだよな。返事だけは。
黒い猟犬隊の犬達は勢い良く走り出した。クロカンの隊員達が慌てて後に続く。
「おい、待てって!」
「俺達の魔法! って、コイツらマジで足が速えええ!」
私はウンタと一緒に走り出したマサさんを呼び止めた。
『マサさん、ちょっと待って』
『なんでしょうか、黒豚の姐さん』
『他の子達は、一度にいくつも命令しても覚える事が出来なさそうだから、マサさんに言っておくわね。もしもの時の話なんだけど――』
私はマサさんに説明した。
『――という訳なの。もしそうなったら、その時は黒い猟犬隊の指揮をお願い。勿論、ムリをする必要はないわ。あくまでも、チャンスがあればでいいからね』
『分かりやした。このマササンにお任せ下さい』
『大丈夫だクロ子。マササン。その時は俺達も手を貸すぞ』
『頼みやす、ウンタ』
ウンタが頷くと、マサさんが「ワン!」と吠えた。
君らすっかり仲良しさんだな。
それはそうと、マサさんの名前は、あくまでも「マサ」であって「マササン」ではないのだが。
特にウンタ。君は何か勘違いをしてないか?
ちなみに後日、彼にこの事を尋ねたら、「はあ? 分かる訳がないだろう。お前が人をさん付けで呼んでいるのなんて一度も聞いた事が無いぞ」と驚かれてしまった。
失礼な。人を礼儀知らずか何かのように言いいおって。そんな訳が――あれ? あるのか?
むむっ。そういやメス豚に生まれ変わって以来、人をさん付けで呼んだ記憶がないような・・・
いやいや。これはたまたま、そういう場面に出くわしていないだけだから。私は社交的な場面では、ちゃんと目上の人の事をさん付けで呼べるから。前世の両親からそういう教育を受けてるから。
ウンタとマサさんが仲間の後を追って行くと、私は一人だけポツンと取り残された。
牛トカゲの探知能力に引っかかるせいで一緒に行けないとはいえ、みんなに任せて後方で待つのがこんなに心にくるとは思わなかった。
私の背中でピンククラゲがフルリと震えた。
『疑問』
ああ、うん、ごめん。水母もいたわね。
サーセン。
いつまでも仲間の去った方向を見つめる私に、村長代理のモーナが声をかけた。
「クロ子ちゃん。今はみんなの事を信じて待ちましょう」
『みんなの事? 勿論、信じてるわよ。みんななら絶対、人間達に追い付くって。プルナを無事、取り戻してくれるって』
それは信じている。信じているのだが・・・
「それでも、心配なのね?」
私は黙って頷いた。
そう。それでも私は心配だった。
実戦にはイレギュラーが付き物だ。
そもそも今の状況が――敵の偵察員に入り込まれて、村の女の子がさらわれた事自体が、予想外の出来事だったのだ。
もしも、縄張りに侵入して来た人間の数が私の想定よりも多かったら。
もしも、敵の中に大モルト軍の五つ刃や七将のような規格外の達人がいたとしたら。
もしも、黒い猟犬隊が、何らかの理由で敵偵察員を発見出来なかったら。
もしも、敵が――。もしも、隊員達が――。もしも――もしも。
考えれば考える程、不安が湧き上がって来て止まらなくなる。
「クロ子ちゃん・・・」
モーナはその場にしゃがみ込むと、私の背中を撫でた。
「今からそんなに気を張り詰めていたら体がもたないわよ。村に入って待っていましょう。何か食べるのもいいかもしれないわね」
腹が減っては戦が出来ない――か。
確かにそうだ。
それに、状況次第によっては私の出番だって来るかもしれない。いざその時になった時、お腹が空いて力が出ない、では、お前はどこの腹ペコキャラだよ、って話になるだろう。
『――分かった。ここに居ても出来る事は何も無いしね』
決して食べ物という言葉に魅力を感じたからではない。ないったらない。
私はそれでも後ろ髪を引かれながらも、モーナに続いて村の中に入って行ったのだった。
この時の私の不安は、悪い形で的中する事になる。
人間の偵察員は、私の想像以上に山野の移動を得意としていたらしい。
なんと彼らは、黒い猟犬隊とクロカンの隊員達が追いつく前に、自分達の仲間と――敵本隊と合流する事に成功していたのであった。
次回「追跡行」




