その302 ~亜人の姉妹~
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最近では崖の村と呼ばれるようになった新亜人村。
その村長の家に、中年の亜人女性が訪ねて来たのは、午後をいくらか過ぎた頃だった。
「ねえモーナ。ウチの子達がここに来なかった?」
中年女性は、村長の家の娘に――村長代理のモーナに尋ねた。
「プルナとリッツの事? さあ?」
プルナとリッツは村の娘達である。
プルナはモーナと同い年。今年十六歳になる少女。リッツは二つ年下でプルナの妹である。
「二人共、化粧品を貰いに行って来るって言って、大分前に家を出たんだけど」
「化粧品? だったらウチに来たのかもしれないけど、分からないわ。私、朝から村の畑の方に行っていたから」
「全く。あの子達、一体どこをほっつき歩いているのかしら」
どうやら姉妹はモーナと行き違いになったようである。
「それに化粧品なら私も欲しいくらいだわ。クロ子ちゃんが王都に行く時に全部持って行っちゃったのよね」
化粧水を含む化粧品の製法は、クロ子(と水母)しか知らない。
別にクロ子が知識を独占している訳ではなく、あくまでも今は試作品の製作段階であり、現状は水母の施設の機械を使わなければ、精製すら出来ないからである。
元々、クロ子は化粧品を亜人村の特産品にしようと考えていた。
それもあって、王都行きの際に贈答用として持って行った訳だが、それらの品は、大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロの妻アンナベラに大変好評を博した。
その事に強い手ごたえを感じたクロ子は、現在、村でも精製出来るように手順を研究中である(水母が)。
見事完成の暁には、本格的に量産体制に入る計画となっている。
「ああ、そうなの。それならあの子達は、クロ子ちゃんを捜しに行っているのかもしれないわね」
クロ子は暇な時は、大抵村の周りで食べ物を漁っている。
そんな事をしなくても、村には食べ物の備蓄くらい十分にあるのだが、クロ子は『これは私の趣味みたいなものだから』『季節の味覚の探求だから』などと言って、食の探求を止める事はなかった。
「どうかしら? 最近、クロ子ちゃんは忙しそうにしていたから、村の近くにはいないかもしれないわよ?」
「あ~、じゃあスイボちゃんの所かしら。分かったわ、クロカンの男達に聞いてみるわね」
クロカンの正式名称はクロコパトラ歩兵中隊。その名の通り、女王クロパトラを隊長とする亜人歩兵部隊の事である。
隊員達は全員、水母の施設で手術を受け、額に角を生やしている。
ちなみに、対外的にはクロコパトラ女王は亜人の守護者という事になっているが、当の村人達の間では、「クロ子が連れて来た良く分からない人」という扱いであった。
村人達はクロコパトラの正体がクロ子である事を知らないためである。
最近クロ子が忙しそうにしていた理由。それは言うまでもなく、謎の人間の集団――アマディ・ロスディオ法王国から山を越えてやって来た傭兵団、ヤマネコ団に振り回されていたためである。
そしてクロ子は、縄張りの奥深くに偵察員が――凄腕の狩人が入り込んでいる事をまだ知らない。
狩人アルードと少年傭兵ベネの二人は、現在、野犬達の偵察網を潜り抜け、旧亜人村ことメラサニ村へと到達している。
もし、クロ子がこの事実を知っていれば、村人達に注意を呼びかけ、決して村の外には出ないように念を押していただろう。
しかしクロ子は、敵が自分を避け、縄張りの外をウロウロしているものだとばかり思っていた。
こうして姉妹の母親は去って行った。
そしてモーナも、忙しく働いているうちに、こんな会話をした事もすぐに意識の外に消えてしまうのだった。
崖の村から遠く離れた旧亜人村。
最近新たにメラサニ村と名付けられたこの村は、大モルト軍との戦いの際にクロ子達の手によって要塞化されている。
日頃はクロカンの隊員達が持ち回りで駐留しているが、間が悪い事に、この数日、村には誰もいなかった。
村の冬仕度が本格的に忙しくなり、男手が足りなくなったせいである。
そんな無人のメラサニ村を遠くから観察する二つの影があった。
「うひやぁ! これが亜人の村だって?! まるで砦のようじゃねえか!」
若い――まだ少年と言ってもいい男子の声だ。
「ここを攻撃して亜人を捕まえるのは骨だぜ! なあ、アルード」
アルードと呼ばれた男は、少年の襟首を捕まえると引き戻した。
「ぐへっ! 何すんだ!」
「頭を出すな、ベネ。亜人達に気付かれたらどうする」
少年は――ベネは謝るどころか、「はんっ!」と鼻を鳴らして胸を反らした。
「おいらがそんなドジを踏むもんかい! 土塁で隠れて村の様子は見えないけど、昼間だってのに煙一つ上がっていないんだぜ。つまり、亜人達は全員出かけていて誰もいないって事さ。仮にいたとしても子供と年寄りくらいだと思うぜ」
なる程、確かに。村はしんと静まり返っていて、人の声もなければ、かまどの煙も上がっていない。
少年の指摘通り、村にはほとんど人がいないのだろう(実際はほとんどどころか、誰もいない訳だが)。
アルードは不満そうに舌打ちをした。
「・・・見るべき所は見ているんだな。意外と抜け目のないヤツだ」
「あっ。アルードが悔しがってるぅ~」
「調子に乗るな。だからと言って騒いで良い事にはならない。ここはヤツらの村に近い。どこかに亜人がいたらどうする」
少年はニヤニヤと意地悪く笑っているが、それ以上、騒ぐ事は無かった。
アルードの言葉にも一理あると分かったからである。
「それでこれからどうする? もう少し近付いてみるかい?」
「いや、先ずはこの距離を保ったまま、村の周囲を一周見て回る」
意外と広そうな村だ。アルードは簡単に一周と言ったが、かなりの距離を歩かなければならないだろう。
アルードは一瞬、ベネが不満をこぼすかと思ったが、そんな事は無かった。
(俺達の役目が偵察という事が分かっている訳か)
偵察という任務は、後から来る本隊のために少しでも多くの情報を集める事にある、
ベネはまだまだ未熟だが、その事が分かっているのだろう。
(やはりコイツは偵察の役割に向いているのかもしれない)
アルードは、今回、一緒に行動した事で、ベネを見直すようになっていた。
「だったら、手分けして左右から回るかい?」
「いや、今回は一緒に行動しよう」
「・・・俺が頼りにならないって言うのかよ」
ベネはムッと機嫌を悪くした。
彼は日頃、仲間達から半人前扱いをされている。今回も侮られたと思ったのだろう。
アルードは小さくかぶりを振った。
「そうじゃない。一人だと気付かない点も二人ならば気付くかもしれない。亜人の村の規模は俺の予想を遥かに超えていた。ならば用心してし過ぎる事はあるまい」
「そ、そうか。確かにまるで砦みたいな村だもんな。だったらオイラに文句はないぜ」
実際は、まだベネには任せられない、というのも理由の一つである。しかし、アルードは少年のプライドに配慮して、あえて口にはしなかった。
「よし、行くぞ」
アルードとベネは、十分に村からの距離を保ったまま、移動を開始したのだった。
亜人の少女が二人、山の中を歩いていた。
先頭を歩くロングヘアーの気の強そうな少女は、日本で言えば高校生くらいの歳頃。
後ろを歩くおさげの少女は中学生くらいだろうか?
プルナとリッツの姉妹である。
「ねえ、お姉ちゃん。もう帰ろうよ」
妹のリッツは、先程から何度も後ろを――村の方を振り返っている。
姉のプルナは眉間にしわを寄せると妹に振り返った。
「なによリッツ。あんたが自分もお化粧をしてみたい、なんて言うから私が付き合ってるんじゃない」
「それは・・・そうだけど」
クロ子が村の特産品として生み出した化粧品は、村の女性達の間でちょっとしたブームになっていた。
元々、村に娯楽が少ない事も影響しているのだろう。若い娘達の間で、特にその影響は顕著だった。
彼女達はそれこそ奪い合うようにして、貴重な化粧品を手に入れようとしていた。
「クロ子がもっと沢山、コスメを作ってくれたらいいのに」
「だからそれを頼みに行くんじゃないの。ホラ、文句ばかり言ってないで行くわよ」
二人は村人から、「クロ子なら今朝、メラサニ村の方に走って行ったよ」と聞かされ、後を追って来ていた。
実はクロ子は、メラサニ村に向かった訳ではなく、たまたま野犬達から連絡を受け、向かった方向が、村のある方角と一致していただけだったのだが。
「私はお姉ちゃんのを使わせてくれるだけで良かったんだけどな」
「イヤよ。私の分が減るじゃない。もうあれだけしか残っていないんだからね」
リッツは「お姉ちゃん・・・」と、ジト目で姉を睨んだ。
「さてはお姉ちゃん、私にかこつけて、自分の分をクロ子に作って貰おうと思ってるでしょ」
「な、何よ。悪い?」
プルナは図星を突かれて目を泳がせた。
どうやらプルナは妹の化粧品を作って貰うついでに、自分の分も追加でおねだりするつもりだったようだ。
いや、この様子だと、むしろ妹の話は口実で、本当の狙いは自分の分の確保にあったに違いない。
「わ、私だってコスメが欲しいのよ。それにアンタだって、クロ子がもっと沢山、コスメを作ってくれたらいいのに、って言ってたじゃない」
「そりゃあ言ったけど・・・」
「じゃあこの話はこれでおしまい。ホラ、村が見えて来たわよ。――相変わらずスゴい事になってるわね」
プルナは呆れ顔でメラサニ村を取り囲む土塁を見上げた。
「まさか村がこんなになるなんて、全然思わなかったわ。ここで人間達との戦いがあったのね。ねえ、リッツ、知ってる? 戦いが終わった後、この堀の中には、こーんなに沢山の人間の死体が積み重なっていたんだってさ」
「ちょっと、止めてよお姉ちゃん!」
怯える妹にプルナは「アハハハ」と笑った。
「何、怖がってるのよ。いくら沢山ったって、死んでしまった人間よ。そいつらはもう何も出来ないんだから、怖がることなんて何も無いわ。本当に怖いのは生きてる人間の方。私達亜人を殺そうとしたり、無理やり捕まえようとする悪い人間の方よ」
プルナはそう言って妹をからかった。
しかし彼女は気付いていなかった。
今まさに、生きている人間が二人――ヤマネコ団の傭兵、狩人アルードと少年傭兵ベネの二人が――ジッと息をひそめてこちらの様子を窺っている事を。
男達は武器を構えると、足音を殺しながらそっと姉妹に近付いた。
次回「メス豚、思い出す」




