その300 メス豚と不気味な敵
ここは新亜人村こと崖の村。
早朝。私は村の近くの水場で、柔らかい地面を掘り返していた。
『おっ。中々の大物発見』
十センチ程の丸々とした土の塊――ではない。大きな蛙だ。
すっかり冬眠の準備に入っているらしく、掘り返されても眠そうに目を開けるだけでジッとして動かない。
さて、私が何をしているのかというと。
『ほんじゃ、いただきまーす』
私はペロリ。蛙を丸飲みした。
そう。これぞ最近の私のマイブーム。蛙の踊り食いである。
喉の辺りで、「ギュッ」という蛙の断末魔が聞こえた。
ごちそうさまでした、と。
この季節、蛙たちは冬眠に備えて餌を食べまくり、丸々と肥え太っている。
しかも寒さのせいでやたらと動きがトロく、捕まえたい放題、食べたい放題なのだ。
『う~む、これぞ季節の味覚。どれ、もう二~三匹、いや、もう十二~三匹・・・ちいっ、またか』
私はブヒッと鼻を鳴らすと顔を上げた。
ジッと耳を澄ませると、遠くから野犬の遠吠えが聞こえて来る。
短く、長く、短く、長く長く・・・
・ ― ・ ― ―
テ連送。その意味は、”敵機動部隊見ゆ”。
縄張りを巡回中の野犬達が、侵入者を発見したのである。
『またアイツらか。全く、毎度毎度、人間達も何がやりたいんだか』
例の謎の人間の集団が現れて、今日でもう四日目になる。
その間、私は一度も相手の姿を捕える事が出来ずにいた。
敵――でいいんだろうな? 多分。
敵は、初日同様、私が近付こうとすると一目散に縄張りの外へと逃げてしまうのである。
ここまで繰り返されると、いくらなんでも偶然ではあり得ない。
相手は何らかの方法で私を識別しているのだ。
だが、不思議なのはその方法だ。
私の姿を見た後でなら分かる。
しかし、彼らは姿どころか、遥か遠くから私が近付こうとしただけで逃げ出してしまうのだ。
『あるいは、野犬の群れの遠吠えの合図が気付かれているのかも、とも考えたんだけど・・・』
試しに合図の種類を変えてみたが、それでも結果は変わらなかった。
むしろ野犬達が混乱しただけだったので、今は元の合図に戻している。
小柄な亜人の青年が、キョロキョロと辺りを見回すと、私を見つけて駆け寄って来た。
「おい、クロ子! 今の合図、また人間達が現れたのか?!」
クロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタだ。
『どうもそうみたいね。毎日毎日、しつこいったらありゃしないわ』
「どうする? 今日こそ俺達も出るか?」
う~む。人海戦術というのもアリっちゃあアリか。
私と一緒にショタ坊村まで出かけていた隊員達は、キャンプ跡地で一泊。翌日には全員村へと戻っている。
昨日、敵発見の知らせが入った時にも、「俺達も一緒に行った方がいいか?」と聞かれたが、その時は同行を断っている。
先ずは情報収集を優先するつもりだったので、少人数の方が動きやすいだろう、と判断したのである。
それがまさかこれ程までに手間取るとは・・・。
手間取るどころか、丸三日も追いかけ回しているのに、未だに敵の姿を見る事すら叶わないと来ている。
偵察能力には密かに自信があっただけに、実は軽くへこんでいた。
『ん~、やっぱ私達だけで行くわ。今日は相手が縄張りの外に出ても、しばらく追ってみるつもりだから』
「ああ、なる程。だったら俺達が一緒に行ったら、かえって足手纏いか」
スマンな。
基本、私達は縄張りの外には出ない。
この広いメラサニ山には、私らと敵対している野犬の群れもいるし、危険な野生生物――トラや大型のヤマネコ、それにクマなんかも生息している。
そんな相手に不意打ちを食らえば、犠牲者が出る危険すらある。
ましてや今の季節は秋。動物達は冬眠の準備のため、エサを求めて活発に動き回っている。
動き回れば、当然、バッタリ出会ってしまう確率だって高くなってしまうのである。
前世の日本でも、秋は登山客がクマに襲われる事件が増加していたという。
だったら、敵集団は襲われないのかって? いや、知らんし。
流石のクマでも、五十人からの武装集団に挑みかかる程、命知らずではないんじゃない?
『とりあえず、一度は自分の目で相手を確認しとかないとね。みんなに手伝って貰うのはその後かな』
群れの野犬達は、数が多い分だけ、広範囲に偵察する事が出来る。それは便利なのだが、いかんせん所詮は犬。
侵入者が二~三人程度ならともかく、十人を超えてしまうと、途端に情報があやふやになってしまうのである。
要はアレだ。「一、二、三、いっぱい」というヤツ。彼らの頭では大きな数が数えられないのだ。
という訳で、正確な情報を得るためには、私が直接、現場に行かなければならない。
それは分かっているのだが・・・それでもう、三日も空振りに終わっているんだよなあ。
敵は一体何者なのか。何を目的としてここへやって来たのか。どういう手段で私の接近を察知しているのか。
何一つ分からないままなのである。
ウンタが心配そうな表情になった。
「クロ子、気を付けろよ。お前がそう簡単にやられるとは思えんが」
はんっ。あたぼうよ。
私は元気に「ブヒッ」と答えると、『風の鎧』。
身体強化の魔法を使って一気に駆け出したのであった。
結論から言おう。
結局、この日も私は侵入者達の姿を捕える事は出来なかった。
相手が縄張りを出た後も、結構頑張って追いかけたのだが、いかんせん、私一人で追うには無理ゲーだった。
全力で、しかもどこに逃げたかも分からない相手を追うには、山は広過ぎるし、遮蔽物が多過ぎた。
私は途方に暮れて立ち止まった。
『・・・たく、不気味なヤツらめ。一体何がしたいのよ』
無視すれば縄張りに入って来る。追えば追うだけ逃げる。
まるで真綿で首を締められているように、ジワリジワリと精神だけが削れる。
こんなつかみどころのない、厄介な敵は初めてだ。
何か手を打たないとヤバイ気がする。
だがどうすればいいのか分からない。
現状打破の糸口すら見えない状況に、私は激しい焦りと苛立ちを覚えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
大きな棍棒を担いだ男が、大型動物の背中を優しく撫でた。
動物は大人しく草を食んでいる。
棍棒の男は無精ひげの男に振り返った。
「だ、団長。魔獣はもう追って来ないようです・・・多分」
「ちっ。ようやく撒いたか。おう、テメエら、しばらくこの場で休憩だ」
傭兵団、ヤマネコ団の団長ログツォは、部下に声を掛けると、近くの岩の上にドッカと腰を下ろした。
鷲鼻の男が、ログツォに水筒を手渡した。
「魔獣のヤツ、今日はやたらとしつこく追って来ましたね」
「ああ。・・・ひょっとして目を付けられたのかもしれねえな」
ログツォは部下に聞かれないように声を潜めた。
メラサニ山を越え、このサンキーニ王国へと入って来るまでは順調だった。
あまりに順調過ぎて、今回の仕事を終えて一儲けした後はどの町で豪遊するか、その予定を考えていた程である。
ヤマネコ団の今回の仕事。
それはサンキーニ王国に住む亜人達を捕え、奴隷として売り飛ばすというものであった。
アマディ・ロスディオ法王国からサンキーニ王国に向かうには、険しいメラサニ山脈を越えなければならない。
普通なら不可能な話だが、彼らは誰も知らない洞窟を通る事で、山頂の迂回に成功していた。
ここまではログツォの目論見通り。いや、ログツォ本人すら、ここまで上手く行くとは思っていなかった。
だが、彼らの幸運もそこまでだった。
山脈を越えてサンキーニ王国側に入った途端、彼らは恐るべき魔獣の縄張りへと足を踏み入れてしまったのである。
鷲鼻の男――ヤマネコ団の副団長、ニードルは、紙を広げると現在位置を書き込んだ。
「この辺りを越えた所で、魔獣は我々に反応して襲おうとして来ますね。おそらく、ここが魔獣の縄張りなんでしょう」
「クソが! 魔獣のヤツめ、一体、どれだけ広い縄張りを持ってやがるんだ!」
この四日間、彼らはどうにかして魔獣の縄張りを迂回出来ないか、努力を続けていた。
魔獣はその度に敏感に彼らの動きを察知し、恐るべき速度で接近して来た。
ログツォは怒りに任せて水筒を地面に叩きつけた。
「魔獣は化け物か?! なんで見えてもいねえのに俺達が縄張りに入ったのが分かる?! なんで遥か彼方にいながら獲物の接近が分かるんだ?!」
ニードルは棍棒男――フォルダの方へと振り返った。
フォルダはさっきから、かいがいしく動物の世話を続けている。
「魔獣の魔法・・・ではないでしょうか? アイツとおなじような。それにしても、アイツがいなければ、俺達はとっくに魔獣に捕まっていたはずです。団長の考えは間違っていなかった。俺達が無事に済んでいるのは団長の勘が冴えていたおかげです」
ニードルの言葉にログツォは少しだけ落ち着きを取り戻した。
確かに状況は悪い。だが、最悪ではない。
こちらは魔獣の接近を察知する手段を持っている。
魔獣とはいえ、相手も生物。
見えない程遠くから魔法の手を伸ばし、獲物の息の根を止めるようなデタラメさはないようだ。
ニードルは言葉を続けた。
「確かに魔獣は恐ろしい相手かもしれません。戦えば犠牲が出るかもしれません。しかし、こちらには魔獣を避ける切り札があります」
「・・・そうだったな。そもそも今回は魔獣退治に来た訳じゃねえ。勿論、いざという時には戦うが、好き好んでダソスのしみったれた懐に手を出す盗人はいねえ」
大二十四神の一柱、ダソスは貧者の神と呼ばれている。そんなダソスの懐に手を突っ込む――財布をすり取ろうとする者がいるはずはない。そんな事をしても無駄に決まっているからである。
「休憩が終わったら、今度は東のルートを試すぞ。亜人の村を探そうにも、先ずは魔獣の縄張りを迂回しなきゃ話にならねえからな」
「はい!」
ニードルは団長が立ち直ってくれた事にホッとした。
良くも悪くもヤマネコ団は、ログツォを中心としたワンマン体制の組織である。
ひと癖もふた癖もある荒くれ者達を束ねられるのは、団長のログツォを置いて他には居なかった。
ログツォは副団長の手前、機嫌が直ったふりをしたが、内心の苛立ちは消えていなかった。
(魔獣め。まるで底が見えねえ)
ジッと息をひそめて危険な相手をやり過ごす。まるで凍った湖の上を歩いているような緊迫感。
堪え性のないログツォが苦手とする空気だった。
せめて相手の姿が見えていれば。そう思わないでもないのだが――
(ダメだな。見えた時は、戦わなきゃならねえ時だ。みすみすそんな危険は冒せねえ)
ログツォは、魔獣も――クロ子も、彼と同様に焦りと苛立ちを覚えている事を知らない。
クロ子とログツォは、敵の姿の見えない特殊な戦いに、互いに精神を消耗させていくのであった。




