その298 ~マサンティオ伯爵家の屋敷で~
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ここは王都の貴族街。イサロ王子の母でもある第三王妃ベレトニーネの実家、マサンティオ伯爵家の屋敷。
大モルト軍の王都入りを受け、現在、王妃は娘――ミルティーナ王女を連れ、王城からこの屋敷に避難していた。
昼。屋敷の食堂に少年が現れた。
線の細い、どこか中性的な印象の少年である。
少年は食卓についている夫人を前に背筋を伸ばした。
夫人が少年に声を掛けた。
「ルベリオ。熱は下がったようですね」
「はい。ご心配をおかけしました」
少年はルベリオ・ラリエール。国境近くのグジ村出身の少年。今はイサロ王子の軍師として働いている。
夫人は第三王妃ベレトニーネ。
三十代半ばとは思えない若々しい美しさ。そして落ち着いた温和な印象の女性である。
ルベリオの彼女に対しての第一印象は、「殿下とミルティーナ様の美貌は母親譲りなんだな」というものだった。
そして、「けど、性格は受け継がれなかったようだ」とも思った。
後に彼からその話を聞かされたベレトニーネは、「そんな事ないわ。私も昔は随分とお転婆だったのよ」とクスリと笑ったのだった。
ルベリオはつい先日。身代金の支払いが終わり、このマサンティオ伯爵家の屋敷に身柄を引き渡されていた。
なぜ、マサンティオ伯爵家なのかと言うと、ルベリオは王都に屋敷を持っていないからである。
もっとも、仮に屋敷があったとしても、少年を心配するミルティーナ王女が実家で彼を引き取るように、ゴリ押ししたのではないだろうか。
屋敷に到着したルベリオは、張り詰めていた気持ちが緩んだのか、その日の夜に熱を出した。
そのまま三日間。彼はベッドから出る事が出来なかったのである。
ルベリオは、食卓を見回した。
ここにいるのは王妃だけ。王妃の両親は既に食事を済ませているのかここにはいない。
「ミルティーナ様はまだお部屋にいらっしゃるのでしょうか?」
王妃は上品に小さくかぶりを振った。
「あの子は王城に呼ばれて出かけているわ。私も付いて行くつもりだったんだけど、あの子に止められちゃって」
「王城に・・・そうですか」
ルベリオは、ハッと目を見開くと痛ましそうな表情になった。
「その様子・・・どうやらあなたもあの子が呼ばれた理由に見当が付いているようね。本当に賢い子。ミルティーナと同じくらいの歳なのにスゴイわね」
「いえ、僕なんて別に・・・」
王妃から褒められても、しかし、ルベリオの心は晴れなかった。
「あなたが気に病む事はないわ。あの子も分かっていた事です。国が攻め滅ぼされてしまった以上、相手が王女の身柄を――この国の王家との血の繋がりを求めて来るのは当然です」
「・・・はい」
恐らくミルティーナはもう屋敷には戻って来ないだろう。
今日、ミルティーナが王城に呼ばれたその理由。
それは、この国の新支配者である、ジェルマン・”新家”アレサンドロとの婚姻以外にありえないのだから。
やがて昼食が運ばれて来た。
料理人が腕を振るった料理も、ルベリオの舌を楽しませる事は出来なかった。
王妃と交わした会話すらもロクに覚えていない。
ただただ、ひたすらに心が沈んでいた。
(こうなる事は分かっていたつもりだったんだけどな・・・)
ジェルマンとミルティーナとの婚姻。
頭では理解していたが、実際にその時が来た今、ルベリオは自分でも意外な程大きなショックを受けていた。
(こんな気持ちは生まれて初めて――ああ、幼馴染のベラナがロックとくっついた時もショックだったっけ)
ルベリオがグジ村で生活をしていたのは、たかだか半年と少し前の事である。
彼はいつか自分は幼馴染のベラナと結婚するのだと思っていたが、ルベリオが軍属として輜重部隊に付いて行っていた間に、彼女は村長の息子ロックと付き合い始めていた。
ルベリオは足元が崩れたかと思う程のショックを受けた。
彼は二人の仲の良い姿を見たくない一心でイサロ王子からの誘いを受け、逃げるようにこの王都までやって来たのだった。
(あの時は、ベラナも僕の事を好きだと思っていたから。だから今回とは違う。違うはずだけど・・・)
己惚れでなければ、ミルティーナは自分の事が好きだ。と思う。
少なくとも、気になる異性程度には好意を抱いてくれているはずだ。
ミルティーナが、彼に何も告げずに黙って屋敷を去ったのも、会って言葉を交わせば、それが未練になると思ったからだろう。
気の強い彼女なら十分にあり得る話である。
ルベリオは今でこそ男爵家の当主だが、元々は村の少年――平民だった。
王女のミルティーナとは、生まれも身分も違う。
だからどんなに二人が惹かれ合っていたとしても、決して結ばれる事はない。
(そんな事は分かり切っていたはずなのに・・・)
頭では理解していても。理屈では分かっていても。心は、感情は、止める事は出来ない。
ルベリオは、一見、いつものように見えても、その心は千路に乱れていた。
ベレトニーネ王妃はそんな少年の痛ましい姿に、いたたまれない思いを抱くのだった。
秋の日はつるべ落とし。午後になり、日が傾き始めた時間になって、屋敷の馬車が――ミルティーナを王城まで送って行った馬車が戻って来た。
馬車には驚くべき人物が乗っていた。
「ただいま! 聞いて、お母様! 私、結婚しなくて良くなったの!」
待ちきれずに自分からドアを開き、馬車から飛び降りたのは、元気な金髪の美少女。
ミルティーナ王女その人であった。
「ミルティーナ様?! 一体どうして?!」
「あっ! ルベリオ! 聞いて! 私、大モルトと結婚しなくて良くなったの!」
大モルトではなく、ジェルマン・アレサンドロではないか、というツッコミは野暮だろう。
ミルティーナはルベリオの手を握って大きく上下に振ると、それだけでは気持ちが抑えきれなくなったのか、今度は力いっぱい抱き着いた。
「ちょ、ミルティーナ様! お、お止め下さい!」
「何よルベリオ! あなた私が帰って来て嬉しくないの?!」
ルベリオは顔を真っ赤にしながら、「う、嬉しいです」と答えた。
「何?! ハッキリ喋りなさい! 聞こえないわよ!」
「嬉しいです! と、とても!」
「良し!」
ミルティーナは満足そうな笑みを浮かべると、カチコチになっていた少年を解放して家族に抱き着いた。
「お母様! お爺様! お婆様!」
「ミルティーナ。あなた良く帰って来られたわね」
「ええ! 私、結婚しなくて良いの!」
ルベリオは少女が離れた事でようやく頭が回るようになったのだろう。慌ててミルティーナに尋ねた。
「結婚しなくて良くなったと? そのために王城に呼ばれたのではないのですか?」
「そうよ! 私も――お母様もそうだと思ってたわ! だけど違ったの!」
ミルティーナは感極まっているのか、言葉が端的でどうにも要領を得ない。
しかし、ルベリオと王妃が辛抱強く質問を続けた事で、どうにか事情が理解出来た。
「大モルト軍は、ミルティーナ様ではなく、ガヴィアナ様を后候補と考えていると――」
中々信じられない話である。
新家アレサンドロの当主、ジェルマンは、ミルティーナではなく、彼女の姉のガヴィアナを后として求めていると言うのだ。
「でも、ガヴィアナは昨年、サバティーニ伯爵家の長男に嫁いだはずでしょう?」
「そうよ。でも、夫が殺されてしまったから、今は未亡人なの」
「ああ、伯爵家の当主が陛下をお救いするために兵をあげたという・・・長男も連座させられていたのね。それはお気の毒だったわね」
「ええ、そうね」
ベレトニーネ王妃は流石に気の毒そうな顔になったが、ミルティーナ王女はお構いなしに元気に頷いた。
「ガヴィアナ様は確かイサロ殿下より少し年上でしたか。確かにミルティーナ様よりもジェルマン様と年齢はお近いですね」
「そう。そうなのよ」
記憶を探り探り答えるルベリオに、ミルティーナ王女は頷いた。
というか、さっきからミルティーナ王女は頷いてばかりだ。余程、結婚せずに済んだ事が嬉しかったのだろう。
「ガヴィアナはもう王城に入っていたの。今は喪に服しているけど、それが終われば婚約を発表するかもしれないんだって」
「・・・なる程」
喪に服している、というのは事実だが、おそらく大モルト側は彼女が懐妊していないか様子を見ているのだろう。
数か月待っても彼女に妊娠の兆候が見られなかったら、その時点で婚約を発表するのではないだろうか。
もし、仮に彼女が夫の子を宿していたら? その時は、改めてミルティーナ王女に白羽の矢が立つ事になるのだろう。
ルベリオはそこまで察したが、喜んでいる王女に水を差すのも悪いと思ったのであえて言わなかった。
「じゃあ今日、あなたが王城に呼ばれたのは? それと、ここが屋敷だからと言って姉を呼び捨てにしない」
「はぁい。私を呼んだのはガヴィアナ様だったの。事情も彼女から教えて貰ったわ」
ミルティーナ王女は”様”の部分をイヤミっぽく強調した。それ程、今日のガヴィアナはそれはそれは有頂天になっていた。
それはそうだろう。
伯爵家の跡継ぎに嫁入りしたと思っていたら、一年もしないうちに当主の連座で夫は首を刎ねられてしまった。
未来の無いサバティーニ伯爵家のしかも長男の未亡人。
絶望していた所に、振って湧いたようなこの話である。
「本来なら、あなたが后の候補に挙げられる所でしょうね。ほんっっとう~にお気の毒様。なんでも私を閣下に推薦したのはあなたの実の兄のイサロ殿下だそうじゃない。ひょっとしてあなた、殿下に嫌われているのではなくて?」
鼻高々に妹を見下すガヴィアナに、ミルティーナ王女は心の中で「マジで?! でかした、お兄様!」とガッツポーズを取っていた。
それからもガヴィアナは喋るわ喋るわ。サバティーニ伯爵家に対する恨み辛みに、可哀想な自分への憐れみ。選ばれなかった妹へのイヤミに、自分の輝かしい未来への賛美。
ミルティーナ王女が屋敷に戻って来るのが遅くなったのは、姉の長話に延々と付き合わされていたからであった。
「私も機嫌が良かったから、最後まで付き合ってあげたけどね」
「はあ、そうだったのね」
ミルティーナ王女は満足そうに話を締めくくると、ルベリオに向き直った。
「という訳だからルベリオ! これからもよろしくね!」
「は、はい! こ、こちらこそよろしくお願いします!」
心からの笑顔を浮かべるミルティーナ王女に、顔を赤く染めながら背筋を伸ばすルベリオ。
ベレトニーネ王妃はそんな二人の姿を、微笑ましく見つめるのだった。
次回「メス豚、避けられる」




