その297 ~臣下の礼~
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イサロ王子が気まぐれで拾った、国境近くの小さな村の少年。
まだ幼い少年は、その恩に報いるべく、日夜猛勉強に励んだ。
彼は努力の甲斐あって軍師となり、王子と共に危険な戦場へと挑み、今は捕虜として捕らえられている。
(そんな状況になっても、アイツは――ルベリオは、俺のために情報を集め、生き延びる策を授けてくれた)
ルベリオの策は想像以上に功を奏し、結果、ジェルマン・”新家”アレサンドロから目を掛けられるまでになった。
予想以上の大成功と言っていいだろう。
(なのに俺は、アイツの努力を無にしようとしている。全てをぶち壊そうとしている)
ジェルマンは先程までの好意的な態度から一転。不審そうな目でイサロ王子を見ている。
彼が一声、護衛の騎士に命じれば、イサロ王子はその場で取り押さえられ、首を撥ねられてしまうだろう。
イサロ王子は死をも恐れぬ鋼の精神を持つ武人ではない。死ぬ事を恐れるごく普通の精神の持ち主である。
(だが、ダメだ。これだけは譲れない)
イサロ王子は生まれたばかりの頃、極端に体が弱かった。
彼が家督争いに加わるのが遅れた理由も、彼を支持する取り巻きがいなかった理由も、そのためである。
つまり、彼は周囲から、完全なハズレ扱いをされていたのである。
しかし、その事が彼にとっての不幸であったかどうかは分からない。
結果として、イサロ王子は権力争いから無縁の立場へと追いやられた。余計な取り巻きがいなかったおかげで、誰にも邪魔されずにずっと母と――妹が生まれてからは妹とも――過ごす事が出来た。
幼い頃から権力闘争の中心にどっぷりと浸かっていた二人の兄が、共に歪んだ性格と狭い価値観を持つ人間に育っている事を考えると、家族との生活がイサロ王子の情操教育に良い影響を与えたのは間違いない。
あるいはイサロ王子の若干皮肉屋の性格も、彼の甘さであり、周囲への甘えでもあるのかもしれなかった。
イサロ王子はジェルマンの目を正面から見つめた。
「妹と――ミルティーナとの婚約の話。考え直していただけないでしょうか」
予想外の言葉に、ジェルマンの眉が危険な角度に釣りあがる。
ああ。言ってしまった。
イサロ王子は、激しい後悔の念と同時に、なぜか不思議なやり遂げた感に包まれていた。
彼はむしろサバサバした気持ちでジェルマンの返事を待つのだった。
「それはどういう意味だ?」
ジェルマンはたっぷり考えた後でそう尋ねた。
「言葉通りの意味ですが」
護衛の騎士が身じろぎをした。
イサロ王子の態度に不遜な物を感じ、いつでも取り押さえられるように身構えたのだ。
「それを要求できる立場だと思っているのか?」
「いえ全く。しかし、兄として妹の、そして友人として友の幸せを望まない訳にはいきませんので」
イサロ王子はゆっくりと立ち上がった。
護衛の騎士が一歩前に出る。
イサロ王子はそのまま一歩下がると、胸に手を当てて片膝を付き、頭を下げた。
臣下の礼を取ったのである。
「・・・何をしている?」
「私の忠誠を閣下に捧げます。父も閣下に忠誠を誓うよう説得致します。この国は閣下のものです。ですからどうか妹との婚約はお考え直し下さい」
ジェルマンは混乱していた。
イサロ王子は確かに従順だった。だが、流石にここまでする程ではなかった。
何がそこまでこの男を駆り立てるのか。ジェルマンはイサロ王子の意図を計りかねていた。
言葉を失ったジェルマンをよそに、イサロ王子はジェルマンから顔が見えないのを良い事に、皮肉な笑みを浮かべていた。
(どうせ実質的に滅んだ国だ。捧げた所で減るものじゃなし。まあ、父上は激怒するだろうが)
イサロ王子としては、ジェルマンの部下として生きるのも、それ程悪くはないと思っていた。
元々、二人の兄のどちらかが王を継いだ後は、飼い殺しのような人生が待っていると諦めていたのだ。
兄の性格を良く知るイサロ王子は、どちらが国王になった所で大した違いはないだろう、と考えていた。
(結果的に兄達が死んだ事で、俺に王太子の座が巡って来た訳だが・・・。それを自覚する間もなく大モルト軍の侵攻を受けたからな。今更、王になれなかったとて別にどうという事はない。それに、ジェルマンが兄並みの無能というならまだしも、二人を合わせても足元にも及ばない程の傑物だ。どうせ誰かの下で働く事になるのなら、むしろ理想的な条件ではないか)
イサロ王子は、自分から言い出した事ではあるが、ジェルマンが隣国ヒッテル王国の併呑を望むなら、本気で取り組んだっていい、と考えていた。
というよりも、サンキーニ王国だけ滅ぼされるのは何だか不公平だ。
ライバル国同士。どうせなら滅ぶ時も一緒に滅ぶべきだろう。
(そもそも、ヒッテル王国のヤツらが大モルト軍を呼び込んだからこんな事になったのだ。次は自分達の番だ)
具体的な戦略は全く浮かんでいないが、大モルトの軍勢と”目利きの”カサリーニ伯爵の智謀と経験、それに軍師ルベリオの奇策があれば大丈夫だろう。
この時、イサロ王子はジェルマンが機嫌を損ねて、「やはり殺す」と考えるとは思っていなかった。
良くも悪くも彼は”温室育ちの王子様”であり、本質的にはどこか浮世離れしているのである。
そこが彼の欠点でもあるし、ルベリオなどが惹き付けられて止まない魅力となっているのだ。
そしてこの時は、イサロ王子のこの個性が良い方向へと働いた。
「もう良い。座れ。イサロ殿下がそこまでするのなら、しなければならないだけの理由があるだろう。とくと話してみよ」
王子の堂々とした態度に(※本人は単に開き直っているだけなのだが)、ジェルマンが興味を惹かれたのである。
イサロ王子はイスに座ると、ジェルマンに事情を説明した。
妹はルベリオという少年に好意を寄せている事。
ルベリオも薄々それを察している事。
ジェルマンは話を聞いても困惑が増すだけだった。
(コイツは何を言っている? その少年は男爵なのだろう? 男爵ごときが王女を娶ったなどという話は聞いた事が無い。確かに身分違いの恋という話は聞くが、しょせん恋は恋。現実は家柄の差もあれば、甲斐性のあるなしもある。互いに好き合っていれば結ばれる、というものでもあるまい)
ジェルマンはイサロ王子が二人をどうしたいのか全く分からなかった。
家と家どうしの婚姻――政略結婚が当たり前の世界なのである。
もし、王子が可能性の一つとして、妹が望むならルベリオを母親の実家、マサンティオ伯爵家の養子にして、二人の格の差を埋めてもいいと考えていると聞かされたら、彼の正気を疑ったかもしれない。
イサロ王子にはそうしてもいいと思えるだけの理由が――ルベリオにはそれだけの価値が――あるのだが、流石にそれを他人に理解して貰うのはムリがあるというものである。
ジェルマンはイサロ王子の話が理解出来なかった。
しかし、この男が妹のために、危険を冒してまで、自分の情けに縋って来た事だけは分かった。
(ひょっとして妹の将来を心配しているのか? 亡国の姫として俺が妹を粗略に扱うのではないかと? いやいや、いくらこの国を手に入れるための手段だからと言って、妻となった女に冷たくするつもりはないのだが・・・)
ジェルマンは妻、アンナベラとも政略結婚で結ばれたが、だからと言って妻をないがしろにして来た覚えはない。
既婚者の部下達から聞いた話と比べても、自分はむしろ良き夫なのではないかとも思っている。
あくまでも自己評価の上でだが。
しかし、それを自分で口にするのは、いかにも言い訳めいていて具合が悪かった。
(というか、ここまで大人しくこちらに従っておきながら、なぜ妹の話が出た途端にこうなるのだ? 意味が分からん)
もし、この場にクロ子がいたら、「えっ、王子様ってシスコンなの!?」と驚いた事だろう。
しかし、ジェルマンはシスコンという概念自体を知らなかった。そのため、理解し難い物を見る目でイサロ王子を見つめる事しか出来なかった。
ジェルマンは、ひょっとしてイサロ王子の策略――妹が弱点だと思わせておいて、油断した所で武装蜂起する策略――である可能性も疑った。
(いや、ないな。そもそもバカげている。血の繋がった母親や自分の血を継いだ娘ならまだしも、妹はしょせん妹。いずれは嫁に出て他家の女になるのだ。どうしてそれが弱点になると思える。ウソをつくならもっとそれらしい物にするはずだ)
兄弟同士で争う事も珍しくない世界だ。いや、むしろ兄弟の方が同格なだけに、一度敵に回ると危険な相手であった。
(そもそも、このタイミングで言い出す意味も分からない。俺の不興を買って、首を刎ねられるとは思わなかったのか?)
ジェルマンは、イサロ王子の従順な仮面の下の本心を計りかねていた。
今、王子はその仮面を脱ぎ捨てているが、それはそれでジェルマンは王子の本心が理解出来ずに混乱していた。
結局、ジェルマンは理解を諦めた。
(・・・もういい。この男にとって妹は弱点だ。つまりは、妹の身柄さえ押さえておけばこの男は俺に逆らえない。それが分かっただけ良しとしよう)
分からない時はシンプルに考える事だ。そうでなければ思考の迷路にはまってしまう。
そして、自分では理解出来ないが、ひょっとして知恵者である妻なら何か分かるかもしれない、とも考えた。
(今晩、奥に相談してみよう)
ジェルマンは気持ちを切り替えるとイサロ王子に向き直った。
「イサロ殿下の言い分は分かった。だが、ミルティーナとの婚姻は、俺がこの国の正統な支配権を得るために必要なものなのだ。残念ながら俺の一存だけでは――」
「それでしたら、昨年、私の二つ上の姉がサバティーニ伯爵家の長男に嫁いでいます。まだ懐妊したとは聞いておりませんし、閣下がお召しになると聞けば、きっと伯爵家の者達も喜んで姉をよこすと思われます」
「お、おう」
食い気味に切り出すイサロ王子に、ジェルマンは思わず「姉はいいのか!?」と言いそうになった。
だが、イサロ王子にとって家族とは一緒に過ごしていた母と妹の二人のみ(※父親は国王として息子達に接していた)。
腹違いの姉は、遠い親戚と言うか、彼の感覚的にはほぼ赤の他人に等しかった。
「お前、それでいいのか?」
「姉も落ち目のサバティーニ伯爵家より、閣下の下に来られる方が喜ぶでしょう」
サバティーニ伯爵家は当主が反乱を企てた罪で首を刎ねられている。
長男がどうなったかは覚えていないが、流石に妻にまでは類が及んでいないだろう。
とはいえ、サバティーニ伯爵家は既に終わったも同然なのは事実である。
彼女も、この国の新たな支配者であるジェルマンから妻になるように求められれば、喜んで伯爵家と縁を切るだろう。
なにせ、ゆくゆくは自分の子が国を継ぐ可能性すら出て来るのだ。
未来の無い伯爵家の妻から一転、国母となる大出世である。さぞ喜び勇んで王城にはせ参じる事だろう。
「私の妹はまだ子供です。その点、姉は今年で十九歳。閣下と歳も近いですし、話も合うのではないでしょうか。姉は器量よしで引く手あまただったと聞いています。そうそう、ダンスが得意で、社交界では――」
「もう良い。分かった、分かった。考えておく」
どの道、婚約の話はもう少し周囲が落ち着いた後の事になる。
今はそれよりもまず、国内を鎮めなければならない。
既に秋も深まり冬が間近に迫っている。治安が乱れたままでは多くの餓死者が出かねなかった。
「下がって良い。軍議の結果は追って知らせる」
「よろしくお願い致します」
イサロ王子は慇懃に頭を下げると部屋を後にした。
ジェルマンは何とも言えない疲労感から、誰にも気付かれないように小さくため息をついたのであった。
次回「マサンティオ伯爵家の屋敷で」




