その296 ~最大の山場~
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大モルト軍の指揮官、ジェルマン・”新家”アレサンドロは、彼にしては珍しく、イサロ王子の処遇を決めかねていた。
(生かしておいて良い事は何もないのだが・・・)
彼は本来、敵には容赦しない。そもそも大モルトでは敵は殺すものであり、決断を躊躇うような主君は惰弱とみなされ、部下も付いて来ないのだ。
そんな大モルトで新家アレサンドロの当主を務めるジェルマンが、イサロ王子の処断を迷っている理由。それは、王子が大モルト軍に対して従順で、敵対的な態度を取らない事にあった。
そう。ジェルマンは敵には容赦しないが、相手が敵対しない場合、無下に切り捨てる事が出来ないのである。
(しかし、いつまでも迷っている訳にはいかない)
このまま決断を先送りにする訳にはいかない。その理由は今も国境付近に居座る、”ハマス”オルエンドロ軍にある。
ハマス軍は、”執権”アレサンドロ本家から戦力を補充。体勢を立て直しつつあった。
先日のコラーロ館襲撃の一件といい、ハマス軍とは近いうちに、戦場で雌雄を決する事になるだろう。
(その時には俺も王都を離れ、戦場に向かわなければならない。そうなれば手薄になった王都で、イサロを担ぎ上げる者達が立ち上がるやもしれん。いや、おそらくそうなるだろう)
ジェルマンは可能な限り穏便な形で王都を手に入れる事に成功している。
だが、禍福は糾える縄の如し。幸福と不幸は一枚のコインの表と裏。
王都を無傷で手に入れたという事は、豊富な財産と同時に、大モルトの支配に反対する不穏分子をも取り込んでしまった事になるのである。
例えば王都の金融を牛耳る大商会、オスティーニ商会。
ここはいち早く大モルト軍に――ジェルマンに協力を申し出ている。
しかし、商会主のロバロは、裏でサバティーニ伯爵を支援し、国王バルバトス救出計画に力を貸していた事が、潜入させていた諜報部隊からの報告で分かっている。
よくもいけしゃあしゃあと、と思わないでもないが、オスティーニ商会が王都の経済に与える影響を考えると、無視する事も出来ない。
ジェルマンにとってはもどかしい状況である。
(いや、今はそんな話を考えている時ではない。イサロをどうするか決めなくては)
ジェルマンは小さく咳ばらいをするとイサロ王子に向き直った。
分からなければ、いっそ直接本人に聞いてみるのも手かもしれない。
ジェルマンはイサロ王子に尋ねた。
「こうして王城が――サンキーニ王国が俺の手に渡った訳だが、イサロ殿下。今後お前はどうしたい? 何か望みはあるか?」
漠然とした問いかけに、イサロ王子はハッと目を見張った。
(ここだ。ここで返事を間違えれば俺の命はない)
王子はジェルマンが自分を殺したいと考えている事も、決めあぐねている事にも気付いていた。
自分からきっかけを与える訳にはいかない。
イサロ王子はテーブルの下で汗ばむ手を強く握りしめた。
彼の脳裏に幼い軍師、ルベリオの顔が浮かんだ。
(まさか直接聞かれるとは思わなかったが、この答えは既にルベルトと話し合っている)
イサロ王子は緊張でゴクリと喉を鳴らすと口を開いた。
「よろしければ兵をお貸し頂けないでしょうか」
「何?」
ジェルマンの目がかすかにすがめられた。
それだけで部屋の空気がピンと張り詰める。
流石は役なしとはいえ、大モルトを牛耳る大貴族、アレサンドロ家に連なる当主である。
その迫力に、イサロ王子は背筋に氷柱を差し込まれたような寒気が走った。
「俺から兵を借りてどうするつもりだ?」
「はい。大モルト軍の力があれば東を――隣国のヒッテル王国との長年の因縁に決着が付けられるのではないかと思いまして」
「――ほほう」
サンキーニ王国は長年に渡って隣国ヒッテル王国と争いを続けている。その事はジェルマンも知っている。
そもそも、大モルト軍の侵攻のきっかけも、ヒッテル王国との争いによるものなのだ。
こうして大モルト軍の配下に入った今、その力を利用して恨み重なる隣国を攻め滅ぼす。確かに、話としては筋が通っていた。
(コイツめ、意外と好戦的なのだな。いや、それだけ両国の因縁が深いという事か。ふむ・・・)
ハマス軍との戦いが間近に迫っている今、イサロ王子に兵を貸し与えるのは正直惜しい。
だが――
(だが、この要求、俺にとってもメリットはある)
一つ目のメリットは、言うまでもなく、イサロ王子に貸しを作れる事である。
大モルト軍の戦力を貸し与えるのだ。当然だろう。
更にはこの国の貴族達にも、イサロ王子が大モルト軍と行動を共にする姿を見せつける事にもなる。
王子は大モルト軍に下ったと、彼らに知らしめる良い宣伝となるはずである。
二つ目のメリットは、邪魔なイサロ王子を中央から切り離して戦地へと――国境の向こうへと追いやれる事である。
(仮にコイツが、俺が西に向かった隙を突いて、王都に戻ろうにも、国境の向こうからでは距離がある。それに一度戦端を開いた以上、ヒッテル王国軍がイサロの自由にさせまい。最悪、背後から攻められ、討ち取られる危険もあるはずだ。いや。もしも裏切るようであれば、わざわざヒッテル王国軍など待つ必要は無い。俺が貸し与えた兵に命じて首を刎ねさせればいいのだ)
三つ目のメリットは、イサロ王子の言葉にウソ偽りが無かった場合である。
その場合、イサロ王子はヒッテル王国を攻め滅ぼしてしまうだろう。
サンキーニ王国の弱兵でハマスの大軍と互角に渡り合ったイサロ王子だ。彼の武勇に大モルトの精鋭が加われば十分にあり得る話である。
(それならそれでこちらとしては助かる。ハマス軍との戦いなど、いずれ来る執権との戦いの前哨戦に過ぎん。その時になって、ヒッテル王国ごときに後背を脅かされるのは面倒だ。平定するなり力を削ぐなり、早めに手を打っておくに越したことはないだろう)
そう考えると、イサロ王子からの要求は中々悪くない気がして来た。
ここで王子を殺しても、この国の者達の心が離れるだけである。それならば多少戦力が割かれることになっても、王子の要求を認めてやる方が良いのではないだろうか?
(優秀な部下は――特に一軍を任せられる将は、喉から手が出る程欲しいからな)
ジェルマンは大きく頷いた。
「分かった。次の軍議の際に俺から提案しよう」
「! ありがとうございます!」
イサロ王子は深々と頭を下げた。
(一先ず、この場で即座に殺されるという目は消えたか)
ジェルマンは暴君でもなければ暗君でもない。
相手に利用価値がある限り、そして自分に対して従順である限り、ジェルマンはむしろ寛大である。
百勝ステラーノの孫、マルツォの情報にウソはなかったようだ。
(後は相手の機嫌さえ損ねなければ、当分は大丈夫のはずだ)
しかし、最後まで気を緩める訳にはいかない。
母と妹の言葉によると、自分はかなりの皮肉屋らしいので、特に口には気を付けておいた方がいいだろう。
返事は最低限に。そして下出にさえ出ておけば問題はないはずである。
こうしてイサロ王子は最大の山場を乗り切った――はずであった。
「お前には妹がいたな。確か同じ母を持つ実の妹だそうだが」
ジェルマンはふと思い出したように切り出したが、当然そんなはずはない。
イサロ王子は、ここでその話題をするのか? と、軽く驚きの表情を浮かべた。
「はい。ミルティーナと申します」
「そうか。歳はいくつだ」
「今年十一になった所でございます」
イサロ王子は、ジェルマンの言葉に答えつつも、軽く混乱していた。
確かにその可能性はルベリオから指摘されていた。
ジェルマンがサンキーニ王国を手に入れるためには、王家と血縁関係になるのが一番波風が立たない。
つまり、王女との婚姻である。
ルベリオの予想はこうである。
国王バルバトスは高齢の上、近年では体調を崩しがちである。おそらくこれ以上の子宝には恵まれないだろう。
そして王家の血を引く男児は、既にイサロ王子を除いて他にはいない。
もし、イサロ王子がこの世からいなくなれば、その瞬間、サンキーニ王国を継ぐ者はいなくなってしまうのである。
王家の血を残すためには、王女を女王として戴冠させ、生まれて来る子を世継ぎとするしかない。
「だからジェルマン様は殿下を殺害し、サンキーニ王家の男子を途絶えさせた後で、ミルティーナ様とのご婚礼を発表されると思います」
「兄を殺しておいて、その妹を娶るか・・・。あ~、ウチのお館様ならそのくらいやるだろうな」
七将の孫、マルツォは苦笑しながら肩をすくめた。
イサロ王子としては、笑い事ではない。だが、彼も王子である以上――幼い頃から帝王学を学んでいる以上――そういった策が有効である事は良く分かっている。だから不満はあるが納得は出来る。
納得は出来るが、だが――
「だが、ルベリオ。お前はそれでいいのか?」
イサロ王子はつい衝動的に、彼の軍師に尋ねてしまった。
ルベリオは寂しそうな笑みを浮かべながら、「私などが何か出来る事でもありませんから」と答えたのだった。
「そうか、十一歳か。まだ若いな」
ジェルマンの声に、イサロ王子はハッと我に返った。
幸い、ジェルマンは特に不審には思わなかったようだ。彼は言葉を続けた。
「お前の妹、ミルティーナはいずれ俺の妻として迎えるつもりでいる。そうなればお前は俺の義兄になる訳だな」
イサロ王子は、驚きに言葉を失った。
(ジェルマンは俺が思っている以上に、俺を評価しているらしい)
そうでなければ、わざわざこんな話をする意味はない。
どうやらジェルマンは本格的にイサロ王子を取り込む気になっているようだ。
つまりは、「俺がこれだけ認めているのだから忠義に励めよ」と告げているのである。
正に死の淵からの大逆転勝利である。
イサロ王子は安堵のあまり、口元に笑みが浮かんで来るのを隠し切れなかった。
(全てはルベリオのおかげだ。しかしルベリオのヤツも、まさかここまで自分の考えが上手くハマるとは思わなかっただろうな)
イサロ王子は今回の立役者、ルベリオに心の中で感謝した。
王子の心の中のルベリオは――
――小さく寂しそうな笑みを浮かべていた。
その瞬間、イサロ王子はのぼせていた頭に冷水を被せられた気がした。
彼は王女が――妹がルベリオに好意を寄せている事に気付いていた。
そしてルベリオも、彼女の気持ちを薄々察していたのだろう。
だからこそのあの寂しそうな笑顔だったのではないだろうか?
「ん? どうしたイサロ殿下」
急に顔色が変わったイサロ王子に、ジェルマンは怪訝な表情を浮かべた。
(よせ、イサロ)
イサロ王子は静かに背筋を伸ばした。
(よすんだイサロ。ルベリオが立ててくれた策を無にするつもりか?)
そう。自分でもバカな事をしようとしているのは分かっている。
だが、俺は――
次回「臣下の礼」




