その290 メス豚、故郷に錦を飾る
「クロ子ちゃん。クロ子ちゃんいる?」
どこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
その時、私はママが買ってきてくれた、丸ごと一個のホールケーキをどう食べようか思案中だった。
切り分ける? いやいや、それだとホールケーキとは呼べなくなるだろ。
だったら、直接パクリと行く? それができれば最高だが、残念ながらこのケーキは私の口にはあまりに大きすぎる。
ぐぬぬっ・・・悩ましい。
私は美味しそうなケーキを前に、口の中に唾液を一杯に溜めながら、ウンウンと唸っていた。
――という夢を見ていた。
「クロ子ちゃん――って、やっぱりいるじゃない」
頭上から聞こえた声に、私はハッとまどろみから覚めた。
声の主は犬のように鼻から下が伸びた若い女性――亜人の少女。
村の村長代理のモーナだ。
『わ、私のホールケーキが! ・・・こんな事なら食べ方になんてこだわらなきゃ良かった』
私はショックのあまりパタリと倒れた。
嗚呼・・・。折角のホールケーキが・・・。イチゴとベリーたっぷりのショートケーキが・・・。
私はそっとまぶたを閉じた。
願わくばこのままさっきの夢の続きが見られますように。
そして二度とこんな悔しい思いをしないよう、次は貰い次第即座に食べてしまおう。私はそう固く心に誓ったのであった。
「ちょっと、なんで寝直してるの?! 今日は人間の村に行くんでしょう? 昨日、私に起こしてって頼んだじゃない」
ん? ああ、そういやそうだったっけ。
仕方がない。私は渋々目を開けると体を起こしたのだった。
我々が人間の村――ショタ坊村に到着したのは翌日の事だった。
私が全力で走れば一日もかからないんだが、今回はクロコパトラ歩兵中隊の隊員達と一緒だったからな。
まあこんなもんだろう。
「ふうん、あれが人間の村か」
「随分と小さな村だな」
「ああ、小さい」
隊員達はショタ坊村を見てそんな感想を漏らしている。
てか、何だよ、その上から目線。
お前らの住んでる亜人村だって大して違いはないだろうに。
なんなら建物はこっちの方がまだマシまであるからな。
身の程知らずにも程がある。しばらく王都に行ってたからか? 都会かぶれになりおって。
先日。我々は王都の南、富裕層御用達の避暑地、パルモの町で大モルト軍の指揮官との対面を果たした。
そこに至るまでには、あれやこれや、色々と物騒な事件もあったがそれはさておき。
会談自体は滞りなく、無事に終了した。
ショタ坊と交わした契約は、この国の新たな支配者、ジェルマン・アレサンドロが引継ぐ事を約束してくれ、亜人村は正式にこの国に組み込まれる事となった。
こうして「亜人の権利を守る」という、私の当初の目的は果たされたのである。
大モルト軍が攻めて来た時には、一時はどうなるかと思ったが、人間万事塞翁が馬。
案外、私らにとって悪くはなかったのかもしれない。
そもそも、こんな事でも無ければ、私ら亜人の代表ごときが国のトップと直談判なんて出来なかっただろうしな。
まあそのためには、何度か死線をくぐらなければならなかったのだが。
さて。対談が終わった以上、これ以上、人間の町にいても良い事は何もない。
てか、大モルト軍が王都に向けての進軍を再開した以上、ここにいては危険まである。
我々はとっとと亜人村に帰ったのであった。
亜人村に戻った我々は、村人達から熱烈な出迎えを受けた。
大モルト、と言われても全然ピンと来ない彼らにも、私達がかなり厳しい交渉に出向いた事くらいは分かっていたのだ。
先ずは全員無事に戻って来た事を喜び、そして人間達との話し合いがどうなったかを知りたがった。
私は鼻高々に交渉の成果を発表した。
『――という訳で、概ねこちらの希望が通ったから安心して』
「「「「おお~っ」」」」
いや、どこまで分かっているのやら。
喜んでるみたいだから良いけどさ。
『そのうち調査のための役人が来るってさ。――て、そういや、この村の名前は何ていうの?』
「名前?」
村人達はキョトンとした表情で顔を見合わせた。
「村の名前がどうかしたのか?」
『どうかしたのかって、知っとかないとダメでしょ。国に組み込まれるんだから。まさか”亜人村”なんて呼ばれる訳にはいかないし』
「私達ならそれでも構わないけど」
いや、ダメだろ。
『そんな名前にしてたら、将来、村が大きくなって、いくつかに増えた時に困るじゃない』
「そうは言っても、いつも”この村”とか”俺達の村”とか、そんな風に呼んでたしなあ」
「そうそう。この山に俺達の村は一つしかないから、名前なんて無くても困らなかったし」
マジかよ。いやまあ、他に亜人の村が無い以上、今まではそれで十分だったんだろうけど。
ここで村長代理のモーナが私に尋ねた。
「ねえクロ子ちゃん。人間達はこの山の事をなんて呼んでいるのかしら?」
『この山? メラサニ山だけど?』
「だったらメラサニ村でいいんじゃない? メラサニ山にある村なんだし」
そんなのでいいの? と思ったら、みんな問題なさそうだった。
『モーナ村でもいいけど?』
「絶対にイヤよ!」
さいですか。
という訳で、村の名前はメラサニ村に決まったのだった。
ちなみにメラサニ村は旧亜人村――今は要塞化した村――の名前とする事にした。
『ジェルマンは多分、信用出来ると思うけど、彼の部下がどんなヤツかまでは分からない。今の時点で、こちらの手の内を全て人間側に明かすのはマズいと思う』
国の役人には、位置がバレている旧亜人村の方だけを見せておけばいいだろう。
そしてこの新亜人村の存在は秘密にしておくのだ。
『こっちの村の名前は・・・そうね。近くに水母の施設もあるし、スイボ村で』
『不支持』
スイボ村の名前は水母が嫌がったので、崖の下にある事から”崖の村”と呼ぶ事になった。
まあ地図に載る予定もない隠里だし。絶対に名前が必要って訳じゃないから、それでも別に構わないんだけど。
「おい、クロ子。そろそろグジ村に到着するぞ」
私はクロコパトラ歩兵中隊の副官、ウンタの声でふと我に返った。
『グジ村?』
「人間の村の名前じゃないのか? お前がそう言っただろう」
おお。そう言えば。
頭の中では毎回ショタ坊村って呼んでたから、一瞬、何の事を言われたのか分からなかったわ。
ショタ坊村改め、グジ村の村人達は、私達の姿を見ると慌てて家に逃げ込み、戸を固く閉ざした。
シンと静まり返った村はまるでゴーストタウンのようだ。
何とも心温まる歓迎だこと。
私がショタ坊と交わした契約の中には、グジ村の譲渡も含まれていた。――が、そちらは「土地の所有権のやり取りは、その地を治める領主と直接行って欲しい」と言われてやんわりと断られている。
土地の所有権と川の水利権は、昔から揉め事の二大原因になっているそうで、大モルト軍といえども気軽に手を付けられない問題なんだそうだ。
私としては、「人間との交易の場が欲しい」と考えていただけで、どうあっても村が欲しい、という訳ではない。
なので、「だったら代わりに、村で商売をする権利と、取引をしてくれる商人を紹介して欲しい」と告げると、彼らは明らかにホッとしたのだった。
これで話は終わったのだが、どこからかこの話が漏れてしまったらしい。
つまりは、「亜人達が俺達の村を狙っている」という噂が村人達の間に広まってしまったのだ。
『――で、その結果がこの光景、という訳なんだけど。どうしてこうなったし』
『自業自得』
私の恰好?
まあ、確かに。前回村に来た時も、今日も、普通に黒豚の姿で来てるけど。
いや、最初はクロコパトラ女王の姿で来た方がいいかとも思ったんだけどさ。ぶっちゃけ面倒くさいというか。
これから何度もこの村に来るだろうっていうのに、その度に毎回、あの狭苦しい義体に入らなければならないのはストレスマッハなのだ。
だったら最初から子豚の姿の方がいいかな、と。
最初は不思議に思われるかもしれないけど、直ぐに慣れてくれるかな、と。
まあ、そう思った訳なのだ。
傷だらけの大男カルネが、人っ子一人いなくなった通りを見回して呟いた。
「魔獣だっけ? クロ子。お前、本当に人間に怖がられているんだな」
『――うっさいわ』
そう。私は忘れていたのである。
この国では私は魔獣として恐れられているという事を。
最初は敵意むき出しに、「亜人が来た」と殺気立っていた村人達だったが、彼らが連れているのが魔獣だと分かると、武器を放り出して一目散に逃げ出したのである。
『・・・・・・』
私は通りの先を見つめた。
他の家二軒分程の大きな平屋が見える。
このグジ村の村長、ガチムチの家である。
庭には柵が作られ、家畜小屋の屋根も見える。
私の今生の生まれた場所であり、兄弟豚達と共に授乳期を過ごした、懐かしの実家である。
家畜の――兄弟豚達の姿は見当たらない。ここからでは見えないのか、それとも本当にいないのか。
多分、いないんだろう。前回来た時も姿が見えなかったし、鳴き声も聞こえて来ない。
隣国ヒッテル王国の軍が国境を侵犯した時、村人は近くの町に集団疎開していたそうだ。その時につぶされたのか、それとも逃がされたかしたんだろう。
・・・家畜だし。仕方ないわよね。
大男のカルネが私の元気がないのを勘違いしたのか、慌てて言葉を続けた。
「お、おい、クロ子。怖がられているのを気にしてるのか? そんなの別にいいじゃねえか。俺だってこのガタイで村の子供達に怖がられてるんだぜ」
「まあ確かに。カルネは傷だらけになって一層凄みが増したからな」
「そうそう。俺の一番下の妹もお前の事を『あの怖い人』とか言ってたぞ」
「マジかよ・・・。自分で振った話だけど結構ショックだぜ」
実はカルネはこう見えても子供好きなので、ガチでへこんでいる。
やれやれ。世話が焼けるわね。
『ハイハイ。無駄話してないで、とっとと鍛冶屋に行くわよ。のんびりしてたら山に戻る前に日が暮れちゃうからね』
「おう! 分かったぜ!」
私は気持ちを切り替えると、仲間達と一緒に今日の目的地を目指すのであった。
次回「メス豚と村の鍛冶屋」




