その289 ~山を越える者達~
◇◇◇◇◇◇◇◇
澄み切った冬の青空の下、白い雪を纏った尾根がどこまでも見渡す限り連なっている。
どこまでも真っ白な、まるでシルクの布を敷き詰めたかのような一面の銀世界。
ここは大陸の中央を東西に貫くメラサニ山。
その光景は、正に大自然が創り出した芸術そのものであった。
そんな白い山肌に不意にポツンと黒い影が現れた。
その動きから生き物――大型の四つ足獣である事が分かる。
やがて獣の後に続いて、二足歩行の生き物達が――人間の集団が現れた。
みるみるうちに五十人程まで増える。
どこかの軍隊だろうか? 全員、槍を持ち、武装している。
厚い防寒具のあちこちが不自然に膨らんでいるのは、その下に防具を着込んでいるためだろう。
彼らの中でもひと際巨漢の男が両手を天に突き上げると叫んだ。
「うおおーっ! 三日ぶりの太陽だーっ!」
「うるせえぞオーク。しかし、やれやれだ。やっと、しみったれた洞窟生活ともおさらば出来るぜ」
洒落たつば広帽子を被った男が、気取った仕草でホッとため息をついた。
そう言われてみれば、男達の後ろ、崖には深い切れ目が見える。
どうやらその切れ目が洞窟で、奥はどこかに通じているようだ。
彼らはそこから来たのだろう。
「団長」
浮かれる仲間を尻目に、鷲鼻の男が無精ひげの男に呼びかけた。
「団長。ここは本当にサンキーニ王国なんでしょうか?」
「さあてな。でなきゃ困るってもんだ。おい、そこの所はどうなんだ?」
団長と呼ばれた男は、大きな棍棒を担いだ男の肩を掴んだ。
「あ、ああ、はい、団長。・・・多分」
「多分だぁ?」
「あ、いや、ま、間違いないです。・・・多分」
「・・・チッ」
団長は大きな舌打ちをした。
「無理ですよ団長。シレラのヤツはビビリなんだから」
「そうそう。このヤマネコ団一の臆病者、ビビリのシレラってね」
「う、うるせえ! お、俺はビビリなんかじゃねえぞ!」
この大声に驚いたのか、シレラがリードを握っていた大型動物が怯えて硬直した。
「ああっ! ゴ、ゴメン、ゴメン。お前に怒鳴ったんじゃないんだよ。おお、よしよし」
シレラは慌てて動物に駆け寄るとなだめすかした。
団長はシレラをからかった部下達をジロリと睨み付けた。
「アルード、ベネ。テメエら、下らねえ事を言ってる暇があるなら、周囲の様子でも探って来やがれ」
「へ、へい、団長。おい、行くぞ小僧」
「小僧って呼ぶな!」
アルードと呼ばれた男は慌てて、ベネと呼ばれた少年はふくれっ面で、雪山の中を走って行った。
とても雪山を走っているとは思えない速度だ。
彼らの姿はあっという間に見えなくなった。
鷲鼻の男は、さっきからジッと黙って辺りの風景を見ている仲間に声を掛けた。
「フォルダ。この中でサンキーニ王国に行った事があるのはお前だけだ。どうだ? ここがサンキーニ王国かどうか分かるか?」
フォルダと呼ばれた男はムッツリと黙ったまま、無言で首を左右に振った。
「お前にも分からないのか?(コクコク) サンキーニ王国に来た事があるのは間違いないんだよな?(コクコク) なら、どこかに見覚えくらいあるんじゃないか?(フルフル)」
どうやらフォルダというのは極端に無口な性格のようだ。鷲鼻の男は苦労して、フォルダが知っているのはサンキーニ王国の王都、アルタムーラの近辺だけという事を聞き出した。
「なら何の役にも立たないじゃねえか」
「んだ。んだ」
つば広帽子の男の呆れ声に大男がウンウンと頷いた。
鷲鼻の男は眉間にしわを寄せて振り返った。
「グラナダ、オーク。お前達も突っ立ってないで辺りを――団長。どうしました?」
赤ひげの団長は油断なく周囲を見回している。
まるで戦場にでも立っているかのような緊張感に、鷲鼻の男はゴクリと息をのんだ。
「団長? どうかしたんですか?」
「いや・・・どこからか怪しい鳴き声が聞こえたような気がしたんだが・・・気のせいだったようだ」
団長はそうは言ったものの、辺りを警戒したままで部下達に振り返った。
「この場所は周囲から見通しが良すぎる。おい、移動するぞ」
「はっ。――おい、お前ら! いつまでも浮かれているんじゃない! とっとと立って荷物を担げ!」
「「「「へい」」」」
鷲鼻の男の言葉に、男達は慌てて荷物を背負い直した。
「どのみち、今夜野宿する場所を探さなければならない事には変わりはねえ。アルード達が上手く水場を見つけてくれればいいが」
野宿する場所なら後ろの洞窟もありだが、今は飲み水の残りが心もとない。
最低でもどこかで一度、水を補充する必要があるだろう。
アルードは仲間内では”狩人”の名で呼ばれている。
この傭兵団――ヤマネコ団の中において、彼ほど山野の野外活動に優れている者は他にいない。
彼に任せておけば、ひとまず間違いはないだろう。
「一緒に行ったベネのヤツが足を引っ張らなければいいですが」
鷲鼻の男が心配そうに呟いた。
ベネはヤマネコ団で一番若い団員だ。
年齢は十五歳。青年というよりも、まだ少年と言った方がいい歳である。
鼻っ柱の強い生意気な性格で、団員達からはマスコット・キャラクターのような扱いを受けていた。
「思ったよりも山を越えるのに手間取った。副団長。本格的に雪が降り積もる前に仕事を終えるぞ」
「――はい」
副団長と呼ばれた鷲鼻の男は、コクリと小さく頷いた。
「メラサニ山にあるという亜人の村。その村を探し出して亜人の奴隷を捕まえる。俺達はそのためにはるばる山脈を越えてこのサンキーニ王国まで来たんだからな」
彼らヤマネコ団は、メラサニ山を挟んで南、アマディ・ロスディオ法王国を活動拠点とする中規模傭兵団である。
人員は百人程。とは言っても、他に仕事を持っている者や、臨時雇いのような者もいるため、組織の核となるメンバーはその六~七割程度と考えていい。
アマディ・ロスディオ法王国はこの世界では珍しく、唯一神アマナを崇めるアマナ教――アマディを国教とする宗教国家である。
その法と秩序は法王庁に所属する教導騎士団によって守られている。
教導騎士団とは評議会議員である高位聖職者の直下、赦免院の直属部隊で、神の教えを知らない者達を相手には、どこまでも非情で残忍に振る舞う事で知られている。
法王国では彼らは軍人であり、警察官であり、裁判官でもある。
その力と権力は神の名において保証されており、法王国では貴族家の当主ですら、教導騎士団に目を付けられれば無事では済まないと言われる程である。
そんな神の先兵達が隣国で一敗地に塗れるという事件が起きた。
場所はここ、サンキーニ王国メラサニ山。
”メラサニ山の忌まわしき血の夜”と呼ばれる惨劇である。
事件は外務部の上位聖職者の司教、カルドーゾが立てた計画から始まった。
それはメラサニ山に隠れ住むと言われている亜人達を捕獲し、法王庁に献上するというものだった。
彼らは亜人の村を襲い、二百人程を確保した。
しかし、その夜。彼らの野営地を、後に魔獣と呼ばれる事になる謎の生き物(※クロ子)が襲撃。
部隊は壊滅寸前の被害を負ってしまったのであった。(第三章 対決・亜人狩り部隊編より)
教導騎士団の壊滅。法王庁に激震が走った。
すぐさま魔獣を討伐するための軍を向かわせるのは当然として、サンキーニ王家に対しても強く責任を追及すべし、との声が上がった。
しかし、出兵のための準備を整え、交渉を重ねているうちに状況は大きく変わった。
ヒッテル王国の一部隊がサンキーニ王国の国境を侵犯したのである。
この争い自体は小競り合い程度で終わったのだが、その後に始まったのが大陸の三大国家、大モルト軍の出兵であった。
これにより、法王庁とサンキーニ王家との交渉は完全にストップしてしまった。
当然、魔獣討伐隊も動かせない。
もし、この状況で進軍すれば、大モルト軍は「法王国が横から獲物をさらいに来た」と判断するだろう。
大モルト対法王国。
国境沿いの領主同士の小競り合いなら、比較的いつもの事である。
しかし、法王庁の直属部隊が大モルトの、しかも末席とはいえ、国の三役を独占するアレサンドロ家の軍と直接ぶつかるのは流石にマズい。
そんな事をすれば、国と国との全面戦争の引き金になりかねない。
法王庁は事の成り行きを静観するしかなくなった。
こうして法王庁は魔獣討伐の機会を完全に逸してしまったのである。
――といった話が傭兵団、ヤマネコ団の団長ログツォの耳に届いた。
亜人の村とは聞き捨てならない情報だ。
法王国は公式には奴隷を認めていない。人間はアマナ神が自らに似せて作りたもうた創造物――いわば神の子で、それを奴隷とするのは神に対する不敬となるからである。
しかし、現実に法王国内には奴隷が存在している。
彼らは汚れた魂を持つ者達。神の救いの手からこぼれ落ちた罪人である。
全ては神の課した試練で、彼らはこの辛く苦しい試練を乗り越える事で魂が清められ、神の救いを得られる――とされている。
つまり、彼らは奴隷のようで奴隷ではない。法王国には建前上は奴隷という社会階級は存在しない事になっているのである。
「だが、亜人は人じゃねえ。少なくとも、アマナ教においては、亜人は人ではなく、獣と同じとされている。だから亜人は奴隷――いや、家畜にしても大丈夫だって訳だ」
大丈夫どころか、人の言葉を喋り、人と同じ仕事が出来るだけで家畜としての利用価値は非常に高い。
しかも数の少ない珍しい家畜となれば、いくら金を積んでも欲しがる金持ちはどこにでもいるだろう。
まとまった数の亜人奴隷なら、どれだけの金になるか想像もつかない。
「しかし」と、鷲鼻の男――副団長のニードルが、団長の言葉に水を差した。
「しかし、サンキーニ王国は今、大モルト軍に攻め込まれていると聞いています。危険なのでは?」
「はんっ! 戦場に潜り込んでの火事場泥棒の真似事なんていつもの事だろうが。そもそも、現場のメラサニ山はサンキーニ王国の東の端。大モルト軍が攻め込て来た西の端とは国を挟んだ真反対だ。お宝の山の前にはこのくらいのリスク、なんて何て事はないぜ」
団長は「いや待て。本当に火事場泥棒をやらかすのもアリか。東には戦火を逃れて逃げて来た奴らも大勢いるだろうしな」などと独り言ちている。
「問題はメラサニ山を越える方法だが・・・コイツに関しては丁度タイミング良くいい物が手に入った所だ。――これは風が向いて来やがったぜ」
団長ログツォは頭の中で算段を付けるとニヤリと笑った。
山脈に獣の鳴き声が響き渡った。
ログツォはハッと我に返ると周囲を見回した。
流石に今の声は部下達にも聞こえたらしい。あちこちで不安そうに顔を見合わせている。
「なんだ? 今の不気味な遠吠えは」
「獣の鳴き声――で間違いないよな? サンキーニ王国には俺達の知らない獣が住んでいるのか?」
「まさか、今のが噂に聞く魔獣じゃ・・・」
魔獣――。
ログツォは「チッ」と舌打ちをした。
(今回の計画で、唯一の不安要素。それは魔獣の存在だ。――あまり縄張りを刺激しないように人数を絞って来たが・・・そいつが裏目に出やがったか)
法王国においては、装備、練度、士気の高さ(狂信度合いの高さ?)、そのいずれにおいても教導騎士団は精強を誇る。
だが、魔獣はその教導騎士団の精鋭達をも一蹴したという。
そんな魔獣に百人にも満たないヤマネコ団が敵うとは思えない。
ならば最初から戦いを避ける。
ログツォは戦力を削ってでも、機動力と隠密性を重視していた。
(とはいえ、それで亜人に返り討ちにされちゃあ元も子もねえ。だからギリギリのバランスで五十人にしたんだが・・・。まさか部下達が人数の少なさに不安に思っちまうとは計算外だったぜ)
ログツォはしり込みする部下達を怒鳴り付けた。
「うろたえるな! 教導騎士団が魔獣に襲われた場所はこの辺じゃねえ! 魔獣の縄張りは、もっとずっと麓の方だ! つまり、麓にさえ近付かなければどうという事はねえんだよ! 分かったか!」
「「「「へ、へい」」」」
そもそも、亜人達も魔獣の縄張りの近くに村を作るはずはない。
だから大丈夫。危険な事など何もありはしない。
ログツォは自分自身にそう言い聞かせた。
その時、再び不気味な遠吠えが冬の雪山にこだました。
だが、今度は誰一人うろたえる者は出なかったのだった。
次回「メス豚、故郷に錦を飾る」




