その283 ~生き残った者~
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マルツォは突き刺すような痛みで目を覚ました。
しばらくベッドの上で激痛に歯を食いしばっているうちに、どうにかまともに物を考えられるようになった。
(・・・今は、夜、なのか?)
鎧戸を閉め切られた部屋は暗く、辺りはシンと静まり返っている。
あれからどのくらい時間が経ったのかは分からない。この様子から見ると、日が暮れて少し経ったくらいではないだろうか?
意識がハッキリとしたのを待っていたかのように、再び右腕がズキズキと耐え難い痛みを発した。
(ぐっ。古参の兵から聞いた話は本当だったんだな。もう存在しないはずの腕が痛んで仕方がねえ)
そう。マルツォの右腕は――右の肩口から先は――存在していなかった。
祖父、百勝ステラーノことロドリゴ・ステラーノとの戦いで、彼の腕は切り飛ばされてしまったのである。
腕の損失だけで済ませる事が出来たのは、マルツォの武人としての高い能力によるものだ。
マルツォが平凡な能力しか持たない武人なら、あるいは後ほんの一瞬、身を躱すのが遅れていれば、ロドリゴの穂先はたちまちのうちに彼の体を切り裂いていただろう。
(これもテメエで選んだ道だ。何一つ後悔はねえ。――なんて言えりゃカッコいいんだろうがよ。やっぱダメだ。へこむぜ)
父親に頼まれ、マルツォは主君であるジェルマン・”新家”アレサンドロを――そして祖父のロドリゴを裏切った。
この決断に至るまでは随分と思い悩んだし、こんな選択を強いる父親を恨んだりもした。
だが結局、彼は父の頼みを断らなかった。
いや、断れなかった。
祖父ロドリゴがアンナベラに誘われて新家に移ってしまった事で、現在、マルツォの父は”執権”アレサンドロ内での立場を失っている。
彼が今回の作戦を立案したのも、執権に自分の忠誠心を示す必要に迫られたからである。
マルツォも子供の頃とは違い、家を出て祖父の下で働くようになってからは、世間と言う物が分かって来た。
父からの手紙の文面から彼の置かれた立場の辛さを察してしまうと、協力しない訳にはいかなかったのである。
(んな事言っても、その結果、失敗してるんじゃ様にならねえよな。俺は一体どこで間違っちまったんだろうな)
祖父に切られてからの事は良く分からない。
痛みと出血で意識が混濁していたし、治療が終わるとそのまま気を失ってしまったからである。
時々、痛みで目を覚ましはしたものの、痛みを堪えているうちに、再び気を失うの繰り返しで、あれからどのくらい時間が経ったのかも分からない。
どうやらここは前日まで自分が使っていた自室のようだが、痛みのせいで全く体が動かせないため、それすらもハッキリしない。
この状況から考えるに、父の計画は――ジェルマンの殺害は、おそらく失敗に終わったのだろう。
もし成功していれば、裏切り者の自分がこうしてのうのうと生きていられるはずがないからである。
(・・・とは言っても、武人としての俺はもう死んだも同然なんだがな)
右腕は完全に失われている。
こんな体では、もう槍は使えない。
武人としての死。
マルツォも戦の中で負傷し、体の一部を失いながら生きながらえた者達を何人も知っている。
彼らの事をどうこう言うつもりはないが、マルツォ自身は彼らのような生き方をするつもりはなかった。
(おジイの下手くそめ。どうせなら一思いにバッサリやってくれれば良かったものをよ)
裏切り者となり、片腕となり、それでも生きながらえている。
マルツォは未練がましく生に執着する気はなどサラサラなかった。
生き恥を晒すくらいなら、戦いの場で華々しく散った方がマシだ。
彼は常日頃から、そう考えていた。
(――このまま生き腐れるなんてまっぴらだ。自分の始末くらいは自分でつけてやる)
マルツォは無事な左手で自分の体を確認した。
治療のためだろう。装備の類は全て脱がされている。
剣どころか、ナイフ一本持っていなかった。
(もし、ここが俺の使っていた寝室なら、隣は俺の部屋に繋がっている。確か机の中にナイフをしまっておいたはずだ。あれを手に入れられれば・・・)
最悪、ナイフが無くてもここは二階。頭から石畳の上に落ちれば首の骨を折って死ねるだろう。
武人としてはそんな無様な死に方はごめんだが、背に腹は代えられない。
自殺用の武器が見つからない場合は、やむを得ないと覚悟するしかないだろう。
「先ずは隣の部屋に・・・いっ! 痛つつ! ゲ、ゲホッ! ゲホッ! ガホッ! ゲハッ!」
マルツォは体を起こそうとして、あまりの激痛にうめき声をあげ、そのせいで激しく咳き込んだ。
(く、くそっ! 今から死のうってのに、痛さでのたうち回ってる場合かよ! 何やってんだ俺は!)
マルツォは自分の情けなさに目から涙をこぼした。
(無様だ・・・あまりにも無様過ぎる)
マルツォは歯を食いしばってうめき声を堪えた。
ここには誰も見ている者はいない。しかし、彼の矜持がこれ以上、醜態を晒す事に耐えられなかったのだ。
(こんな事なら祖父の槍を躱したりせず、あの場でバッサリ切られていれば良かった)
マルツォは過去の自分を激しく恨んだ。
その時だった。低く良く通る男の声が――絶対にこの場にいないはずの男の声が――マルツォの耳朶を打った。
【随分と酷い目に遭ったようだな。腕は失くしたようだが、命が無事で何よりだ】
マルツォはハッと目を見開いた。
一度聞いたら忘れられない、男らしい低い声。
亜人の女王クロコパトラの影。謎の黒マントの声であった。
黒マントの男とは先日、兵士達の死体が転がる路地裏で出会った。
たった一度の遭遇だったが、男の存在感はマルツォに忘れられないインパクトを残していた。
(まさかヤツが?! いや、そんなはずはねえ! ここは大モルト軍の本陣! 猫の子一匹入り込めるはずがねえ!)
マルツォは痛みも忘れて、懸命に声の主を探した。
いた。
暗い部屋の中。男は記憶にある姿のまま、当たり前のように静かに立っていた。
小柄な男だ。
まるで闇の中から滲み出したかのような艶の無い漆黒のマント。
唯一外に出ている顔は、奇妙なデザインのマスクに覆われている。
「お、お前!――ゲッ、ゲハッ! ガハッ! ガハッ!」
【無理に喋ろうとするな。その様子だと傷に障りそうだからな。それに、部屋の外の見張りの兵に声を聞かれて騒ぎになるのも面倒だ】
黒マント男の言葉から、彼がこっそり忍び込んで来たのは明白だ。
しかし、ここはコラーロ館。大モルト軍の本陣である。
怪しげな黒マントが入り込めるような場所ではない。
そもそも、昨夜あのような事があったばかりだ。館の警備はいつもにも増して厳重なはずである。
ならば、この男はどうやって本陣の、しかも最奥となるジェルマンの館に現れたというのだろうか?
(まさか、本当に闇から滲み出た、なんて事は言わねえだろうな?)
涼しい顔で立っている黒マント(と言ってもマスクに隠されて表情は見えないのだが)の姿に、マルツォはそんな益体も無い事を考えた。
(そもそも何の目的でココに? ドアが開いた音はしなかった。いつ、どうやって部屋に入って来たんだ? 外の見張りは、コイツの存在に気付かなかったのか? いや、そもそも、どうやってこの館に入り込んだんだ?)
考えれば考えるだけ訳が分からない。
混乱するマルツォをよそに、黒マントは音もなく、滑るような動きでベッドの横までやって来た。
【少しの間ジッとしていろ】
「? い、一体何をする気だ?」
黒いマントが持ち上がり、傷口の上をフワリと覆うと、ジョキジョキと音がして包帯が切り刻まれた。
『えっ?! 水母何やって――コホン。【騒ぐな。治療をするだけだ】』
「いや、俺は何も言っていないが。てか、治療って何だ? 今の鳴き声は何だ? 豚か何かの声――うぐっ! いっ、痛つつ!」
『診断開始――初期の感染兆候。菌血症も要警戒』
『ええと、それって医者が手術に失敗したって事?』
『施術はおおよそ許容範囲。衛生管理面に問題あり。術後合併症の恐れあり』
『あ~、戦時救護だからねえ。昨日の騒ぎでケガ人も大勢出ただろうし、完璧な治療を求めるのは流石に無理があるかな』
「て、テメエ! さ、さっきから何を訳の分かんねえ事を言ってやがる! 俺にも分かるように話しやがれ!」
黒マントは意味不明な言葉をブツブツと呟きながら、マルツォの傷口を弄り回している。
『抜糸。患部の清浄。鎮痛剤投与。腐敗細胞の切除。抗菌薬投与。造血剤投与。血管の縫合――』
「ぐっ・・・くそっ! ふざけんな! ぐううううっ!」
黒マントは一体どのような道具を使っているのだろうか?
まるで何本もの針にチクチクと刺されるような奇妙な痛みに、マルツォは歯を食いしばって耐えた。
そして数分後。
『――再縫合。化膿止め注入。傷口の固定・・・』
ここで黒マントの言葉はハタと止まった。
どうやら包帯を巻こうとして、さっき自分が切り裂いてしまった事に気付いたようである。
『水母、あんたね・・・』
『――再使用は衛生上に問題ありと認める。現地調達を開始する』
マントの端から細い触手が数本、ニュルリと伸びると、ベッドの横に置かれていた清潔な布を掴み上げた。
黒マントから『あっ、コラ! また勝手に!』という声が漏れる中、触手は素早く縦横に動くと白い布を細い帯状に切り裂いた。
『見られたらどうすんのよ! ――って、痛みでそれどころじゃないか』
そう。マルツォは激しい手術の痛みに悶絶中で。周囲を気にしている余裕はなかった。
その隙に触手は巧みな動きで傷口に包帯を巻きつけると、『施術完了』という言葉と共に黒マントの中に戻って行ったのだった。




