その279 ~祖父と孫~
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「おジイ・・・やっぱりアンタだったのか。まさかここにいるなんてな」
マルツォはゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
愛用の槍は下げられたままで構えられてはいない。
だが、決して油断している訳ではない。
もしも僅かでも相手の隙を見付ければ、穂先は電光石火の速度で跳ね上がり、相手の喉を貫くだろう。
そう確信させるだけの殺気を身に纏っていた。
それが分かっているロドリゴは決して気を緩めない。
例え家族であろうと、戦場で敵味方になれば容赦はしない。
ロドリゴは今までずっとそうやって生き延びて来たし、孫を――マルツォをそのように教育していた。
「マルツォ。お前は――ふんっ!」
「覚悟ォ! ギャア!」
ロドリゴはマルツォの登場に気を取られている。
そう判断したマルツォの部下が、ロドリゴに切りかかり、突き出された槍に胸を貫かれた。
ロドリゴが大きく槍を振ると、男は軽々と吹き飛ばされて床に転がる。
白ヒゲの老人とは思えない、人間離れした驚くべき膂力である。
マルツォは軽率な部下に舌打ちをした。
「ちっ。誰も動くんじゃねえ。俺達が相手をしているのは百勝ステラーノ。テメエらじゃ何人束になってかかっても敵わねえよ」
マルツォの表情は固い。
彼は敵に回って、初めて七将の恐ろしさを思い知らされていた。
「最悪、おジイとやり合う覚悟はして来たつもりだったが・・・。頭で考えるのと、実際に向き合うのとでは天地の差だな。マジでケツまくって逃げ出してえ」
「・・・マルツォ。それならなぜ、お館様を裏切る」
マルツォとは逆にロドリゴの顔からは一切の感情が抜け落ちている。
それだけ彼が本気になっているという証拠である。
ピンと張り詰められた空気の中、マルツォは腰を落とすとゆっくりと槍を構えた。
「・・・許してくれ、とは言わねえよ。言えるような立場じゃねえってのは分かってるからな」
「・・・倅に――お前の父に、こうするように命じられたのか?」
「ああ、そうだ」
その時、初めてロドリゴに感情が浮かんだ。
それは怒りでもあり、苛立ちでもあった。
「お前も知っておるだろう。あやつはどうしようもない小者だ。執権もその事は知っているが、ワシに対して利用するために、わずかばかりの捨扶持を与えて飼い殺しにしているに過ぎん。なのにあやつはそんな相手に尻尾を振るような愚か者だ」
マルツォの父は偉大な父親の武勇を全く受け継がなかった。
彼は百勝ステラーノの息子であるという血筋と、少しばかりの知恵を買われて、”執権”アレサンドロ家に仕えていた。
「ああ、知ってる。オヤジはいつも他人の功績を妬んでは文句ばかり言っていた。そのくせ自分でどうにかしようという気概はまるでねえ。あれでおジイの血を引いているのが不思議なくらい、おジイとは正反対の軟弱者だ」
マルツォが祖父であるロドリゴに頼み込んで新家アレサンドロ家に移ったのは、そんな父親がいる家から出たいという気持ちが強かったからである。
実際、新家の武将となってからのマルツォは、水を得た魚のように生き生きとしていた。
「ならばなぜ? なぜお前はそんなヤツの命令を聞く。なぜお館様を裏切る。お館様も奥方様もお前に目を掛けておられるのだぞ。それともワシの下にいるのが不満なのか? だがワシももう歳だ。いずれは一線を退くだろう。それまで待てなかったのか?」
「おジイの事はむしろ好きだぜ。メシ時に酒を強引に飲ませようとして来るのは困るが、文句があるとすればそれくらいだ」
「ならばなぜ? なぜあんな父親のために主君を裏切る」
ロドリゴは本気で理解出来ないようだ。
マルツォは「おジイらしいな」と苦笑した。
「あんなオヤジでも、俺にとってはオヤジだからだよ」
「――むっ?」
ロドリゴは両親の顔を知らない。彼が物心付く前には死んでいたからである。
その後、彼は親戚の家をたらい回しにされながら成長した。
武勇に秀で、政治力もあり、思慮深く決断力にも長けている。およそ武将としてはほぼ理想的な形で完成しているロドリゴだが、彼には親や子――肉親に向ける愛情というものに欠けていた。
マルツォは祖父であるロドリゴの血を最も強く受け継いでいる、と周囲には見られているが、唯一、祖父とは大きく違う点がある。
それはまっとうな家庭に生まれ、ちゃんと両親の愛情を受けて育ったという点だ。
マルツォの父は、軟弱で、仕事の愚痴を家でこぼすようなダメな人間だが、それでもマルツォの前ではちゃんと父親でいた。
例え家族といえども人を能力で推し量るロドリゴには、マルツォの心が正しく理解出来なかった。
マルツォは父親に反発して家を出たが、決して本心から嫌っている訳でも、いなくなればいいなどと思っているわけでもなかった。
彼は日本で言えばまだ高校生。丁度、家族に反発を覚える年頃の、いわゆる思春期だったのだ。
「お館様の下で働く未来に未練はないのか?」
「お館様には悪いと思っている。勿論、おジイにもだ。――だが、オヤジからの手紙で頼まれちまったんだ。すまねえ」
「手紙だと?」
マルツォは文盲――文字の読み書きが出来ない人間だ。
家族から届いた手紙も、届いた先から机に放り込んでいる。
ロドリゴは今までずっとそう思っていた。
「いや、いくら俺がバカでも、流石に文字くらいは習っているぜ。おジイが『文字では真意が伝わらない。むしろ誤解を生む元だ』とか言うもんだから、ずっと言い出せなかっただけだ」
「はあっ?! じゃあお前、家からの手紙もワシに隠れてコッソリ読んでおったのか?!」
マルツォは「悪りぃ」と、申し訳なさそうに少しだけ頭を下げた。
ロドリゴはそんなマルツォの態度と、今まで疑問すら抱かなかった自分の不注意さに呆れ返った。
間の抜けたやり取りに、この場に張り詰めていた殺気が一瞬緩む。
しかし、直前に百勝ステラーノの槍の冴えを見せつけられていたマルツォの部下達は誰も動く事が出来なかった。
「おジイには悪いと思ってる。だから隠さずに全部言うぜ。今回の一件、裏で糸を引いているのは”ハマス”・オルエンドロだ。
目的は言うまでもなくジェルマンの殿様の殺害。
俺のオヤジはハマスからの要請で、協力させられているに過ぎねえ。
俺の仕事はこの軍に残っているハマスの残党を、密かにこの館に招き入れる事。そしてこの国の国王をかっ攫って、ハマス軍まで連れて行く事だ」
「なぜ国王バルバトスを? ――なる程、そういう狙いか」
ロドリゴの目に理解の色が広がった。
ハマスの狙いは、国王バルバトスの身柄を人質に、この国の軍をジェルマン・アレサンドロ軍に敵対させる事。
ハマス軍はその隙を突き、背後からジェルマン軍に襲い掛かる。
なる程。ジェルマンが殺され、浮足だっているジェルマン・アレサンドロ軍は、この挟み撃ちにひとたまりもないだろう。
仮にジェルマンの殺害に失敗したとしてもそれはそれ。
挟み撃ちという優位に変わりはない。
ハマスはこの計画のため、恥を忍んで執権アレサンドロ本家に協力を求めた。
要請を受けた執権は、マルツォの父に命じ、彼の息子に裏切るように手紙を出させた。
おそらく今頃、ハマス軍の支配下にあるアロルド辺境伯領では、執権本家から送られた物資と補充の兵が続々と到着しているはずである。
「本当ならもう少し準備に時間をかけたかったが、サンキーニ王国のヤツらも自分達の国王の奪還に動き始めたからな。仕方なく作戦を前倒しせざるを得なかったって訳だ」
「――いや、悪くない判断だ。ワシでもおそらくそうしておっただろう」
兵は拙速を尊ぶ。
どんなに念入りに策を練り上げ、十分な準備を整えたとしても、絶対に戦に勝てるという訳ではない。
戦は水物。こちらの都合で動いてはくれないのだ。
ちなみに国王救出計画の実行者、ロレンソ将軍に密かに大モルト軍側の情報を流していたのもマルツォである。
情報を渡す事で、逆に彼らの行動に探りをいれていたのだが、まさかこれ程早く彼らが計画を実行に移すとは思っていなかった。
大モルト軍諜報部隊によるオスティーニ商会の襲撃。これによる、ロバロ・オスティーニの国王救出計画からの離脱。
これ以上、戦力の補充が見込めなくなったロレンソ将軍は、ならば今の戦力でやるしかないと決断。
そして今夜、計画を実行に移したのだった。
色々な人間の思惑に、各勢力の事情、それにいくつかの偶然が重なり、巡り巡って今、祖父と孫が対峙する事になっている。
互いに望んでこうなった訳ではない。だが、敵として相対してしまった以上、刃を交えるしか道はない。
いや。本当は別の道もあるのかもしれないが、この老人と若者はそれ以外の方法を知らなかった。
マルツォはどこかスッキリとした顔で槍をしごいた。
「言いたい事は全部言ったし、じゃあ、おジイ。そろそろ始めようか」
「ふん。このひょうろく玉が。勝手に喋って勝手にスッキリした顔になりおって」
「ひょうろく玉って。おジイ。今時誰もそんな言葉使わないぜ」
マルツォは苦笑しながら一歩、足を踏み出した。
同時にロドリゴも一歩。
二人は互いに歩を進めると――「疾っ!」鋭く吐息を吐いた。
ガチン!
穂先と穂先が激しくぶつかり、火花を散らす。
「ふっ!」
「はっ!」
ギンギンギン!
連続で突き出される槍を、相手の槍が払いのける。
狭い室内を所狭しと振り回される凶器に、マルツォの部下達は「ひいいっ!」と悲鳴を上げて慌てて部屋から逃げ出した。
「ふっ! ふっ! しっ!」
今の所、マルツォが激しく攻めたてているように見える。
ロドリゴは防戦一方か。
しかしその表情に焦りは見えない。
無表情に、しかし、機械のように正確な動きで、的確に相手の攻撃を凌いでいる。
二人の攻防はガッチリと噛み合い、その動きは真剣勝負というよりもまるで息の合った演舞か何かのような美しさがあった。




