その275 ~百勝ステラーノ、動く~
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この国の領主夫人を招いてのお茶会。
アンナベラから本領安堵を約束された夫人達は、ひとまず自分達の身の安全が確保された事に安堵した。
そして領主達も、戻って来た夫人達から話を聞かされた事で、大モルト軍に対しての警戒をやや緩めた。
勿論、完全に信じる事など出来はしない。
しかし、彼らの中に若干の心の余裕が――話の出来る余地が――生まれたのは事実である。
この領主達の態度の軟化を見て、ジェルマン・”新家”アレサンドロは会談をもう一度最初からやり直す事にした。
領主達は今までの保身を図るだけの卑屈なイエスマンから一転。征服者の顔色を窺いながらも、伝えるべき要望はきちんと口にする事が出来るようになった。
「・・・これでようやくまともに話が出来るようになったか」
ジェルマンは疲れ顔で独り言ちた。
統治者として、臣下に恐れられるのは別に構わないが、主人の勘気を恐れるあまりに表面だけを取り繕い、問題を秘密にされては困る。
いわゆるホウレンソウ――報告・連絡・相談が出来ない組織は、いずれ破綻するものである。
ましてやここは他国。
慣習も違えば常識だって異なるのだ。
必然的にジェルマンと彼の部下だけでは目の届かない所も発生する。円滑な統治には領主達の協力が必要不可欠であった。
「また奥の世話になってしまったか・・・」
先日、ジェルマンの妻――アンナベラが、領主の夫人達を招いて行ったお茶会。
その狙いは明確だ。
領主達を懐柔するために、先ずは彼らの夫人達から抱き込む。
そしてアンナベラの策は見事に功を奏していた。
「さすがは執権アンブロードも認めた才女。奥の前では俺も凡百な統治者の一人に過ぎんという事か」
女性ならではの発想。そう一言で片付けてしまうのは簡単だ。
しかしそれでは理解の放棄、単なる思考停止でしかない。
このような搦め手は、ジェルマンには思い付く事すら出来なかった。
彼はそこに己の限界を感じていた。
「いや。全てを自分でやる必要はない。親父殿もそう言っていたではないか」
ジェルマンの父、サルディレは、一代で莫大な財を成し、執権から独立を果たした鬼才である。
「人の上に立つ人間に必要なのは、部下より優れている事ではない。その部下に出来る仕事を与え、上手くいったら人前で褒めて褒美を与える事である。か。――ふむ。誰か奥をここに呼べ」
「はっ!」
アンナベラは妻だし、別に部下の前で褒める必要はないだろう。
夫に呼ばれ、今日もナチュラルメイクで現れたアンナベラに対し、ジェルマンは労をねぎらい、優しく接したのであった。
大モルトと会談を行う者達もいれば、征服者に従うを良しとしない者もいる。
”七将”百勝ステラーノこと、ロドリゴ・ステラーノは、軍議の中で町の警備を担当している部下から捨て置けない報告を受けていた。
「サバティーニ伯爵家の屋敷に兵が集まっている?」
部下からもたらされた知らせに、ロドリゴ・ステラーノは眉間にしわを寄せた。
「はい。およそ百人程。合わせて武器や物資も運び込まれている形跡があります」
「しかし、たった百人とは――いや、全体の一部。そう考えた方が自然か」
たかが百や二百の戦力で何かが出来るとは思えない。
恐らく敵の総数は千かそれ以上。
残りの戦力は他の場所に分散しているのか、見つからないように町の外に伏せているのではないだろうか?
白いヒゲをしごきながら考えに耽るロドリゴに、別の部下が尋ねた。
「ひょっとしてヤツらの目的は、この国の王、バルバトスの奪還にあるのではないでしょうか?」
サバティーニ伯爵が国王の奪還を狙い、活発に動いているという情報は、既に王都の諜報部隊からもたらされている。
ちなみに、先走った一部の工作員が事を起こし、逆に何者かに討ち取られたという報告も同時に届いていた。
「そう考えて間違いあるまい」
「やはり!」
「みすみす相手の好きにさせる事はありません! 先制して攻め入りましょう!」
ロドリゴが考えていたのも正にそれである。
相手が何かを企み、準備をしていると分かった以上、放置しておく意味はない。
疑わしきは罰する。証拠など必要ない。
彼らは武力でこの国に攻め込んだ占領軍なのだ。
(だが、殿がどうお考えになるか・・・)
ロドリゴはかぶりを振ると立ち上がった。
「ここで考えていても仕方がないか。分かった。殿にはワシから進言する。お前達はいつでも出られるように、兵の準備をしておけ!」
「「「「はっ!」」」」
ロドリゴは真っ直ぐジェルマンの下へと向かった。
しかし、報告を受けたジェルマンは、すぐには兵を動かさなかった。
「サバティーニ家は伯爵家。しかもただの伯爵家ではない。今は亡き先代のサバティーニ伯爵は、この国では四賢侯と呼ばれ、大きな影響力を持つ人物だったという。そんな館にハッキリとした証拠も無しに兵を差し向けるわけにはいかん」
「しかし、王都からの知らせでは、サバティーニ伯爵が国王の奪還を目論んでいるのは確実。ここは事を起こされる前に先んじるべきかと思います」
「分かっておる。が、根拠が密偵からの情報というだけではな。無論、お前の言葉を信じていない訳ではないのだが」
当代サバティーニ伯爵家当主は、偉大な父親の足元にも及ばないような凡人で、王家から与えられた閑職でどうにか名門の名を維持しているような状況だという。
とはいえ、この国では未だに四賢侯の名が持つ力は大きい。
可能な限り無傷でこの国を手に入れたいジェルマンにとって、サバティーニ伯爵家の影響力を無視する事は出来なかった。
「それに集まっている兵も百人程度と言うではないか。当主がこの地を訪れるにあたって屋敷の警備の兵を増やした。などと言われればどうしようもあるまい」
「それは・・・確かにそうですが」
ジェルマンは今回、王都に住む貴族には――サバティーニ伯爵には――招集をかけていない。
しかし、状況から考えて、いずれ会談の席が設けられるのは誰の目にも明らかだった。
そうなる前に、事前に屋敷の警備を厚くした。そのように言い逃れをされれば、それ以上の追及は難しくなるだろう。
「残りの兵士は他の場所に分散して隠しているのか、我々に見つからないように町の外に伏せているものと思われます」
「そうかもしれんが、証拠があるわけではない。憶測で兵は動かせん」
全てはタイミングが悪かった。
ジェルマンは今、強硬な手段に出る事にためらいがあった。
ようやく歩み寄りを始めたこの国の領主達。サバティーニ伯爵の館を襲撃する事で、彼らが再び警戒心を強くしてしまうかもしれなかった。
そうなれば、せっかく上手く行きかけている領主達との会談が台無しになってしまう。ジェルマンはその可能性を恐れていた。
(奥がここまでお膳立てを整えてくれたものを、俺の判断ミスで無にしたくはない)
夫として、男として、当主としてのプライド。妻の努力に報いてやりたいという心。上手く行きかけている物を壊したくないという思い。
ジェルマンは一言で言えば、「ここで間違えたくはない」と思ったのである。
「間違えない」と「正しい」は似て異なる。
「正しい」は客観的な判断によるものだが、「間違えない」には「失いたくない」という主観――感情が入り込む余地がある。
この時のジェルマンは、無意識のうちに保守的な気持ち――守りの気持ちに傾いていたのである。
「国王バルバトスの館の警備を増やせ。この件はそれで対処する」
(・・・やはりこうなってしまったか)
ロドリゴは内心で臍を噛んだ。
ジェルマンは兵を動かさないのではないだろうか? という予感はあった。
このパルモの地に陣を敷いてからそろそろ一月。
戦いらしい戦いのない平和な状況に、一部の者達の間では厭戦ムードが広まりつつあった。
中でも”新家”の昔からの家臣――宿老達はその傾向が顕著で、規律も緩みがちになっていた。
(殿は聡明なお方だがまだお若い。親の代から仕えている宿老達を無下には出来んのだろう)
ジェルマンの狙いが、このサンキーニ王国を無傷で手に入れる事にあるのは、家臣達の間でも既に周知の事実である。
そんな中、さしたる根拠もなしに名門サバティーニ伯爵家の館を襲撃すると聞かされれば、宿老達は声を揃えて反対するだろう。
この国の貴族を敵に回す事になりかねませんぞ。軽率な行動はつつしみ下さい。
そう言ってジェルマンを止めるのは目に見えていた。
(占領地とはいっても、未だに敵地にいる事に変わりはない。それに”ハマス”・オルエンドロの軍も未だに健在。ここで宿老達との間に不和の種をまくわけにはいかん。そのお気持ちは分かるが)
だからと言って、このままサバティーニ伯爵の企みを放置しておく訳にはいかない。
国王バルバトスの存在は、大モルト軍、サンキーニ王国、双方においての切り札である。
みすみす敵に奪われるような事だけはあってはならなかった。
「殿。その事でワシに一つ策がございます」
「申してみよ」
「はっ。バルバトス国王は、現在、病気のためマサンティオ伯爵家の館で療養中でございます。そこで――」
ロドリゴの策とは一体?
ジェルマンは、説明を聞き終えると、大きく頷いた。
「なる程。俺とて、警備を増やすだけでは心もとないと思っていた。よかろう。すぐに実行に移すが良い」
「ははっ」
こうしてロドリゴは兵を率いて館を後にした。
サバティーニ伯爵の企みを巡り、遂に大モルト軍も動き始めた。
しかし、彼らは知らなかった。
万全の警備を敷かれているコラーロ館。その最奥で交わされている自分達の会話が、謎の小さな黒い影に聞かれていたという事に。
影は夜になるまで闇の中にジッと潜むと、人知れず館の中を駆け抜けた。
やがて屋敷の屋根に出ると、大きく跳躍。
信じられない距離を飛ぶと、そのまま暗い林の中に消え去ったのであった。




