その272 メス豚、町を見下ろす
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「やれやれ。少し話し込んでしまいましたな。では奥方様。ワシはそろそろ失礼致します」
白ヒゲの老将――百勝ステラーノことロドリゴ・ステラーノは、新家アレサンドロ夫人アンナベラに頭を下げた。
そのまま踵を返し、部屋を出ようとした直後――
「――むっ?」
彼は険しい表情を浮かべて足を止めた。
アンナベラは怪訝な表情を浮かべた。
「どうしました?」
「何か・・・いや、何でもありませぬ」
ロドリゴは少しの間、部屋を見回して何かを探っていた様子だったが、やがて小さくかぶりを振った。
「ネズミの気配を感じたと思ったのですが・・・どうやらワシの気のせいだったようです。では改めて失礼」
ネズミという言葉に、顔をこわばらせるアンナベラと侍女のサンドラ。
ロドリゴは二人を安心させるように微笑むと、顎ヒゲをしごきながら部屋を出て行ったのだった。
部屋を出たロドリゴは直ぐに直属の部下を呼んだ。
「先程、奥方様の部屋で何者かの視線を感じた。館をくまなく探らせろ。ネズミが潜んでいるやもしれん」
「ネズミ?! サンキーニ王国の諜者でしょうか?」
現在、この館には、降伏したサンキーニ王国の領主達が宿泊している。
ロドリゴの部下は、彼らの中の誰かが放ったネズミが――諜者が――館の中をうろついているのではないか、と考えたのである。
「無論、その可能性もある。――が、それよりも怪しい動きをする兵がいないか注意を払え」
「兵士を? まさか、”ハマス”の?!」
大モルト遠征軍は一枚岩ではない。
”執権”アレサンドロが、”新家”当主ジェルマンのお目付け役として送り込んだハマス・オルエンドロ。
ハマスはバハッティ平原での野戦で敗れ、現在は国境近くのアロルド辺境伯領に退いているものの、彼の息が掛かった者は未だ数多く軍の中に残っていると考えられていた。
ロドリゴは小さく頷いた。
「外からこの館に入った者には監視が付いている。だから勝手な動きをすれば、必ず見張りの兵がそれに気づく。だが、当たり前だが味方の兵士を警戒する者はおらん。
外部の人間が入ったのを良い事に、今まで息をひそめていた輩が蠢動を始めたのやもしれん」
「――なる程。直ちに捜索にかかります」
ロドリゴは部下の後ろ姿を見送ると、「全てがワシの思い過ごしなら良いのじゃが」と、小さく独り言ちた。
こうして始まった侵入者のあぶり出し。
しかし、その捜査は開始直後に横やりが入る事になる。
相手は長年、新家・アレサンドロ家に仕える宿将キンサナ。
館の警備を担当していたキンサナは、このロドリゴの調査を越権行為として激しく非難した。
いかにロドリゴが七将に数えられているとはいえ、新家・アレサンドロ家においては、アンナベラが輿入れする際に連れて来られた新参者でしかない。
当主・ジェルマンも、親の代から世話になっている宿将に訴えられては、無下にする事は出来なかった。
「ステラーノよ。この館の警備は既に俺自身がキンサナに命じている。ここはキンサナを信じてはくれまいか?」
「・・・私としても、警備責任者の職分を侵すつもりは毛頭ございませんでした。仮に私がキンサナ殿と同じ立場であったとしても、面子を潰されたと感じ、不快に思った事でしょう。部下には調査を止めるように命じておきます。私の軽率な行いで殿にまでご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「キンサナよ、ステラーノもこうして謝っている。今回の事は水に流し、今後とも俺を支えてくれ」
「勿体なきお言葉」
キンサナはロドリゴの謝罪を受け、ひとまずは怒りを鎮めた。
だが、新家の古くからの武将にとって、百勝ステラーノは自分達の立場を脅かす新参者である事には変わりない。
完全に和解が成ったと安心するのは早いだろう。
(そもそもキンサナの動きが早すぎる。まさかこやつ自身がハマスと通じているのではなかろうな? ・・・いや、キンサナは祖父の代から新家に仕えているという。ハマスに――執権に寝返るとは考えられんか)
キンサナは新家にとって旧来の家臣。最も信頼の厚い家臣でもある。
しかし、世の中に絶対という物はない。
誰もが「まさか」と思う人物こそが、実は敵に寝返っていた。そんな裏切りをロドリゴは貴族社会で何度も目の当たりにしている。
(やはり、しばらくはキンサナに注意を払っておくか)
我ながら疑り深い気もするが、裏切りが無ければそれに越した事はない。ロドリゴはキンサナの動きを見張る事にした。
新家アレサンドロの旧臣と新参者の間に生じた溝。
この亀裂が時間と共に埋まるのか、それとも修復困難なまでに広がってしまうのか。
その結果は誰にも予想出来なかった。
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山の稜線に西日が沈む。
私は壁の隙間から覗く赤い夕焼け空を見上げた。
『そろそろいい感じの時間かな?』
『多分』
私は潜んでいた場所から出ると、ヒラリと屋根の上に登った。
おーこの解放感。
街を行きかう人々がまるでゴマ粒のようではないか。
『てか、リアルな高さって逆に怖いな。私が高所恐怖症でなければこの光景を楽しめるんだろうけど』
『及び腰?』
失礼な。玉なんて付いとらんっつーの。
山間の風が吹き抜けると、私の足元から大きな綿埃が舞い上がった。
『ブヒッブヒッ! あーお風呂入りたい。泥んこ遊びしたい』
私はブヒブヒと咳き込むと、自分の体を見下ろした。
一日中、埃にまみれていた事で、黒い豚毛もすっかり薄汚れた灰色になっている。
ずっと鼻もムズムズしているし、気分は最悪だ。
『まあでも、苦労しただけの甲斐はあったか。一日うろうろして館の間取りも大体頭に入ったし』
ドン・バルトナの情報は正しかったという訳か。いやまあ、最初から別に疑ってはいなかったんだけど。
私はアンナベラの手紙を持って来た侍女、サンドラの馬車に潜入。誰にも見つからずにコッソリ館へと忍び込んだ。
何でそんな無茶をしたのかって? 情報収集のためだよ。捜査は足で稼ぐ。ドラマの中で捜査一課のベテラン刑事が言ってた言葉だ。
さて。こうして入ったのは良かったのだが、思っていたよりも大モルト軍の警備は厳しかった。
アンナベラの部屋で、白ヒゲのお爺ちゃん武将が突然殺気を放った時には、一瞬、見付かったのかと思ってドキリとした程である。
直ぐに勘違いだと思ったらしく、笑って部屋を出て行ったけど。
あれは中々鋭い殺気だった。あの老人、かなり腕の立つ武将と見た。
てか、この世界の達人ってチート過ぎだろ。私の魔法が霞んでしまうんだが。
その後は特に危ない場面も無く、ゆっくりと館の中を調査する事が出来た。
色々と情報も手に入ったし、有意義な結果だったんじゃないかな?
『頃合い』
『おっけー』
私は『風の鎧』。身体強化の魔法をかけた。
館からの脱出開始である。
ちなみに、一日で一番交通事故の発生件数が多いのは、夕方から夜にかけての薄暮時間帯だという。
丁度今ぐらいの時間やね。
これは明るい昼間から薄暗くなる事で、視界が徐々に悪くなり、歩行者の発見が遅れるようになったり距離や速度が掴み辛くなるためだそうだ。
つまり、この時間は一番見落としが発生しやすい時間である、という訳だ。
私達は館の影に身を潜めて、この時間が来るのを待っていたのである。
だったらもっと暗くなるまで待った方が良かったんじゃないかって?
そんなに待ってたらお腹が空くじゃないか。お腹が鳴った音で兵士に見付かりでもしたらどうする。
私は見張りの兵士に見付からないように気を付けながら館の屋根を駆け抜けた。
気分は大泥棒三世の劇場版第二作。その子が信じてくれたなら、泥棒は空を飛ぶことだって、湖の水を飲み干すことだって出来るのに。
『戯言』
『いや、これ名台詞だから。劇中だと最高に良い場面だから』
この場に日本人の転生者がいれば、きっと私の言葉に同意してくれるに違いない。
外国人でもパイセンみたいなアニメオタクなら可。
てなわけで『とうっ!』。私は館の城壁から大きくジャンプ。
そのまま空中で一回転。斜面に生えた木の枝に華麗に着地した。
どやっ。
『後方を索敵中――発見された様子ナシ』
オッケー。ミッションコンプリート。
無事に誰にも見付からずに脱出出来たようだ。
とは言え、百里を行く者は九十をもって半ばとす。家に帰るまでが偵察です。ここで気を緩めないように。
『真っ直ぐ家まで向かうわよ。水母、周囲の警戒をよろしく』
『了解』
山間のこの地は、一度太陽が落ちると辺りが暗くなるのが早い。
私は暗い森の中を町まで駆け抜けるのであった。
そして翌日。
我々が寝泊まりしている家の前に一台の馬車が停まった。
新家アレサンドロ夫人アンナベラがよこした馬車である。
「では行って来るぞよ」
私は――女王クロコパトラは――亜人の隊員達に振り返った。
昨日、アンナベラから届いた手紙。
そこには彼女が主催するお茶会の招待状が添えられていた。
そんなものに参加するのかって?
占領軍司令官の奥さんが、占領国のご婦人方を招いて行うお茶会だぞ。
参加しないなんて言えるか? こんなもん、実質的な強制参加に決まってるだろうが。
私は車イス係のカルネに抱きかかえられながら、馬車に乗り込んだ。
目指すはコラーロ館。
三日連続ともなると、流石に新鮮味には欠けるけどね。




