その269 メス豚、慌てる
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(こうなればアレサンドロ家の名を使って、威圧するしかないかもしれないわね)
アンナベラは女王クロコパトラとの対話に見切りをつけようとしていた。
このまま会話を続けても、女王は彼女が知りたかった事について――亜人の持つ魔法の知識や強力な諜報員について――口を滑らせてはくれないだろう。そう判断しての事である。
――実際はかなりいい所まで来ているのだが、クロコパトラの完璧なポーカーフェイスに阻まれ、アンナベラはその事に気付けずにいた。
大陸の三大国家の一つ、大モルトを実質的に支配するアレサンドロ家の名を使い、相手にプレッシャーをかける。
アンナベラが過去に何度も使っている方法だが、しかし、実は今回に限っては悪手であった。
もし、そんな事をすればクロコパトラ女王は――クロ子はあっさりと敵に回るだろう。
アンナベラはクロ子が、「場合によっては一戦交えるのも止む無し」と考えてこの会談に臨んでいる事を知らなかった。
そしてクロ子にはそのための勝算も――寄せ場の元締めドン・バルトナから得た情報もあった。
聡明なアンナベラにしては珍しい判断ミス。
彼女は知らず知らずのうちに、クロコパトラ女王を――亜人を侮っていたのである。
しかしそれも仕方がないだろう。
クロコパトラ女王は見ての通り、若く美しい貴婦人で、足も不自由らしく、車イスから立ち上がる事も出来ない。
そしてアンナベラは女王が魔法を使うと聞かされているものの、実際に使っているのを見た訳ではない。
そもそも、戦場の話は何でも大袈裟に伝わるもので、最初から割り引いて考えるのが当たり前である。
この華奢な女性が、一軍を相手に戦える力を持つ魔女であるなど、信じろと言う方がムリだろう。
アンナベラは聡明であるがゆえに、逆にクロコパトラ女王を自分の常識に当てはめて判断してしまったのである。
しかしそれもムリはない。
現実は、クロコパトラの姿は一万年前の前文明のコンピューターが作った義体で、中に小さな黒い子豚が入って操っている。その子豚は異世界からの転生者で、世界最強の魔法の使い手である。
――もし、アンナベラがこれらの真実を聞かされて、素直に信じたとすれば、それこそ彼女は天才ではなく、天才とは紙一重の何かに違いない。
こうしてアンナベラは知らず知らずのうちに、大モルト軍を危険に晒そうとしていた。
いや、あとわずかで確実にそうなっていただろう。
その時、運命のイタズラか、ふと彼女の視線が部屋の隅に置かれた荷物に向いた。
それはこの豪華な部屋には不釣り合いな、素朴でみすぼらしい品々だった。
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アレサンドロ夫人アンナベラとの、気持ち良くも楽しい会話。
しかし、それは甘い毒のように私を蝕んでいた。
(いっそアンナベラが私達と敵対してくれれば、もっと分かりやすいのに)
私は遂にはそんな事まで考えるようになっていた。
元々、私らはこの国に――ショタ坊やイケメン王子に協力していた。
彼らが大モルト軍に降参したから、私らも降参しただけで、別に大モルト軍の下に付きたくて付いた訳じゃない。
(敵ならば簡単よね。ブッ殺せばそれで済むんだし)
そんな事を当たり前のように考えるようになった辺り、私も大概物騒になったもんだ。
あまりカルネ達クロコパトラ歩兵中隊の脳筋共の事を言えないかもしれない。
(それはさておき、どうすればいいんだろうな・・・)
その時、アンナベラがふとサイドテーブルに置かれた品々に目を向けた。
あっ! あれは!
ヤバッ。話に夢中になってお土産の事をすっかり忘れてたわ。
それは雑多な品々だった。動物の毛皮だったり、布に包まれた何かだったり。
これらはお土産品――というか、ぶっちゃけワイロのつもりで持って来たモノなんだが、立派な屋敷に対してあまりにも不釣り合いだったので、恥ずかしくなって存在自体を忘れていたのである。
これでも村から選りすぐりの品を持って来たつもりだったんだがのう。
私は今では持って来た事を軽く後悔すらしていた。
「そ、それは、妾達の村のお土産品――じゃなかった、ぞ、贈答品じゃ!」
「そうなんですか。亜人の村の」
アンナベラは一応、口では嬉しそうに言ってくれたものの、貧しい村からの粗末な贈り物に本気で喜んでいる訳では無いだろう。
なにせ彼女は大モルトの大貴族、アレサンドロ家の生まれなのだ。
それこそ、詳しく聞けばドン引きするくらい贅沢な生活を、幼い頃から送って来たに違いない。
「どのような品があるのでしょうか?」
「え、ええと、確か、毛皮になめした革、それと干した果物に料理に使う香辛料。後は化粧品の類じゃな」
ショボイって? 知ってるよ。
けど亜人の村だとこの辺りが限界なんだよ。
私だって本当は美術品や金銀財宝、大きなサンゴとか持って来たかったわい。
「ま、まあ、亜人の者達にとっては価値のある品じゃが、そなたたち大モルトの貴族にとっては大したものではなかろうな。うん。ジャマなようなら持って帰るぞ。置いておかれても場所を取るだけじゃろうし、そうした方が良いかもしれんな」
私は慌てて引き取ろうとした。
しかし、アンナベラの目は荷物に釘付けになっていた。
「――化粧品ですか?」
あちゃ~、しまった。そこに反応しちゃったか。
私は自分の失敗を悟った。
最初に言ったが、アンナベラはかなりケバい化粧をしている。つまりはお化粧そのものに関しても、並々ならぬ関心があるのだろう。
だから亜人の――珍しい化粧品に反応するのも良く分かる。
けど、残念ながら期待に応えられるような品じゃないと思うぞ。
「申し訳ないが、そなたが期待しておるような品ではないと思うぞ」
「そうなんですか?」
「うむ。最近、亜人の娘の間で流行っているコスメ――化粧品で、そなたが気に入るような物ではないであろうな」
するとアンナベラは、なぜか勢い良くグルリと振り返ると、私の顔をジッと見つめた。
なんぞ? 目が怖いんだが。
「・・・それは女王も使用されているお化粧品なんでしょうか?」
私か? クロコパトラ女王がお化粧をしているかって事? さあ? 私はクロ子美女ボディーに関しては完全にノータッチ。水母に丸投げしているから。
けど、クロコパトラもお年頃の娘だ。亜人女子の間で流行っているコスメを使っていないというのは不自然だろう。
ならばここは肯定で。
「無論じゃ」
「でしたら是非! あっ! 使い方も教えて下さい!」
「ブ、ブヒッ。じゃなかった。デアルカ」
予想外にグイグイ来られて、思わず変な声が漏れちゃったわい。
使い方を教えるためには、実際に使って見せるしかない。
「そうじゃの。ならば妾が――」
その時、突然、膝の上のピンククラゲが激しく振動した。
ちょ、水母何やってんの! 目立ってるから! アンタの存在がバレちゃうから!
「女王? どうされたのですか?」
「な、何でもない。そ、そうじゃの。わ、妾がやる訳にもいかんし、困ったのう」
どうやら水母は、クロコパトラの顔を私にいじられる事に激しくご立腹の様子。
マジかよ。信用ないのね、私。ちょっとショック。
ならばアンナベラ――という訳にもいかんか。
この後も人と会う予定はあるだろうし、ホストが客の前ですっぴんを晒すというのもどうかと思うし。
「ならば、こちらのサンドラで試していただけませんか?」
アンナベラはお付きの中年侍女を指し示した。
じゃあそれで。
「分かった。ではまず、その化粧を落として貰えるかの」
主人程じゃないけど、私基準だとあなたも十分お化粧が濃い方だからな。
さて。私がお土産に持って来たお化粧品。
豚にお化粧の事が分かるのかって? バカにすんない。
実はこれ、私発案で亜人の女性達の間で密かにブームになっている物だったりするのだ。
その名もズバリ、ナチュラルメイク。
なんだそれか、って? 知ってるって? いや、しょうがないだろ。前世の私は享年十五歳。まだ本格的にお化粧を始める前の年齢だったのだ。
情報源は主に女性雑誌に掲載されている特集。
友達の中にそういうのが好きな子がいて、雑誌の情報を元にネットで調べては、私達を誘ってコスメショップに買い物に行ったりしていたのだ。
――ちなみに私はその後カードショップに寄って、その友達にドン引きされていたんだが。
というか、あの時、ショーケースに飾られていたゴツいスクリューダウン(※写真立てみたいなトレカ用のアレな)入りのホル〇クティ。次に行った時には無くなっていたけど、あれって誰が買ったんだろうか?
だって八十万だぞ? 八十万。
石油王でも来店したのかよ。
あるいはカードゲーム系ユーチューバーとか。
「クロコパトラ様。準備ができました」
中年侍女、サンドラに声を掛けられて、私はハッと我に返った。
いかんいかん。つい、現実逃避していたわ。
今もアンナベラからビシバシ伝わって来るプレッシャーのせいかもしれん。
とはいえ、説明自体は亜人の村で村長代理のモーナを相手に経験済みだ。
しかもあの時と違って、化粧品自体は揃っている。
さほど難しい説明にはならないだろうよ。




