その267 メス豚とアレサンドロ夫人
お茶を前に待つ事少々。ノックの音と共に、外から「奥方様が参られました」との声がかけられた。
来たか。
スッとドアが開くと、着飾った女性が静々と入って来た。
(彼女がこの会談のホスト。大モルト軍総指揮官の奥さんか。想像していたよりも随分と若いな)
化粧が濃すぎて年齢はハッキリしないが、日本で言えば女子学生くらいじゃなかろうか?
大モルト軍指揮官の奥さんだから、もっと年齢のいったオバチャンなのかと思ってた。
彼女の後に続いて、前世のママくらいの年代の品の良い女性が入って来た。
奥さんの世話役の侍女、といった所か。
どちらかと言えば、彼女の方が私がイメージしていた奥さんの歳に近いかもしれない。
(指揮官は女好きなのか? いや。そういえば、大モルト軍の指揮官、ジェルマン・アレサンドロは、数年前に”新家”アレサンドロ家を継いだばかりだってちょび髭が言ってたっけ。そう考えれば、奥さんが若くても別に不思議じゃないのか)
ジェルマン・アレサンドロは、先代当主が急死したために、急遽、新家アレサンドロ家の当主に就任したそうだ。
そう考えればまだ二十代――いや、十代の可能性すらある。(後で知ったが、二十五歳だそうだ)
そんな新家アレサンドロ家当主の奥さんは、一言で言えば”ケバい”女性だった。
派手な巻き毛に、着飾った服。これでもかとばかりに気合の入った化粧。
(これがこの世界の貴族の女性にとっては普通のファッションな訳? もしも、私がメス豚じゃなくて、貴族の女の子に転生していたら、将来、私もこんなお化粧をしなければいけなかったって事? うわっ、マジで?)
いやまあ、昔の日本でも、女性はみんな白粉にお歯黒だった訳だし、この世界では貴族の女性はみんなこうでもおかしくはない――のか?
う~ん、ぶっちゃけ私の趣味じゃないかなあ。
こんな昭和のホステスや、大昔のスケバンみたいなセンスはいやザンス。
そんな奥様は立ったまま黙って私を見下ろしている。
一体何をしているんだろう・・・って、あっ!
(しまった。これって、ひょっとして私が立つのを待っているとか?)
そういや、こういう時は立って挨拶をするんだっけ。
豚の生活に馴染み過ぎて、そういったマナーとか、すっかり忘れてたわ。
けどマズイな。私、義体を立たせるなんて高度な事、出来ないんだけど。
(ええと、車イスに座っているのは見て分かってるよね? 礼儀知らずな訳じゃなくて、立てないだけだから。察して欲しいんだけど)
私は「思いよ届け」とばかりに、相手を見つめ返したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ジェルマン・アレサンドロの妻、アンナベラは、亜人の女王クロコパトラの美貌を前に言葉を失っていた。
(亜人を従える女王は若くて美しい、とは聞いていたものの、まさかこれ程だったなんて・・・)
美しい。いや、美し過ぎる。
こんな完璧な容姿の女性がこの世にいるのだろうか?
まるで作り物めいたこの美貌。いや。もしも女王が、時々思い出したように瞬きをしていなければ、本当に作り物ではないかと疑っていただろう。
ちなみにこの瞬きは、亜人の村村長代理のモーナから「瞬きをしていないのは不自然なんじゃない?」と指摘されたクロ子が、ピンククラゲ水母に頼んで付けて貰った自律機能。”ランダム瞬き動作”である。
その機能は読んで字のごとし。数秒ごとにランダムに瞬きをする、というだけのものだ。
『自分でもやろうと思えばやれるけどさ。色々と他の事をやってると、ついつい忘れちゃうのよね』とはクロ子の言い訳である。
チリッ・・・
アンナベラの眉間に、薄く皺が寄った。
十人が見ても十人が気付かないであろう、極々微小な変化。
しかし、アンナベラを幼い頃から知っている侍女だけは、主人が不快感を抱いた事に気が付いた。
(また、お姫様の良くない癖が・・・)
ジェルマン・新家アレサンドロの妻、アンナベラ。
彼女は美しい女性に強い嫉妬を覚えるという悪癖があったのである。
大モルトの真の支配者。それは三役を独占しているアレサンドロ家である事は疑いようがない。
アンナベラは、その中でも最も古く、格式の高い”執権”アレサンドロの家に生まれた。
家柄は最上級。体も健康。中でも明晰な頭脳は、執権当主アンブロードをもってして、「もしもこの子が男児であれば」と唸らせた程である。
アンナベラは誰もが認める才女だった。
そんな彼女が抱える唯一の欠点――コンプレックスは、平凡な顔立ちにあった。
別に醜女という程、醜い訳ではない。
地味で普通の顔。ただそれだけの事だ。
しかし、全てにおいて恵まれた彼女にとって、”平凡”というだけで、それは”欠点”であった。
やがて成長したアンナベラは社交界にデビューした。
そこでは誰しもが彼女の叡智を誉めそやした。
しかし、その容姿を称える時、美辞麗句はどこか空虚で上滑りしていた。
聡明な少女には、それが大人達の社交辞令である事がハッキリと分かっていた。
(私には女の華が――女の武器がない)
ハッキリと言えば無い物ねだり。
彼女は、大モルトの者ならば誰もが憧れる最上級の家柄に生まれ、望んでも手に入らない優れた頭脳を持っている。
それと同じように、彼女が持っていない美貌を生まれながらに持っている者がいる。
ただそれだけの事である。
そんな事は分かっている。
しかし、頭で分かるのと納得するのとでは話は別だ。
聡明でも彼女も女。
例え理屈では理解出来ても、心の方は――感情までは抑えきれないのである。
「・・・ジェルマン・アレサンドロの妻、アンナベラ・アレサンドロです。ようこそいらっしゃいました」
「妾はクロコパトラ。見ての通りの歩けぬ体ゆえ、座ったままで失礼する」
女王クロコパトラは無表情に――しかし、ややホッとした様子で返事をした。
(大モルト、アレサンドロの妻に無言で見つめられて緊張したのね)
相手が隙を見せた事で、アンナベラの中で少し余裕が生まれた。
(落ち着いて見て見ると、身に付けている装飾品は随分とお粗末ね。作りは悪いし、入っている石も小さかったり傷が入っていたりで、どれも安物の宝石だわ。これを亜人が加工したと考えると驚くべきかもしれないけど)
アンナベラの見立てでは、「せいぜい平民の地主辺りが持っている程度の品」といった所であった。
実際、これらのアクセサリー類は、クロ子達クロコパトラ歩兵中隊(※当時の名はクロ子十勇士)がルベリオ少年達と一緒に山脈を越えて隣国を攻めた時、戦利品としてかっぱらって来た物である。
それら盗品を隊員達から貰ったクロ子――から譲り受けた水母が、クロコパトラボディーを飾り付けたのだ。
ちなみに亜人の村にはアクセサリーを作るどころか、金属を加工するための冶金技術すら存在していなかった。
「美しいドレスね。見慣れない意匠だけど、亜人の女性が着ているドレスなのかしら?」
だからアンナベラはクロコパトラ女王のドレスを褒めた。
アクセサリーはアンナベラが身に付けている物に比べて、数段劣っているのが明らかである。女王本人もそれくらいの事は気付いているはずだから、そこを褒めては嫌味になる。
そして女王の美貌を褒めるのは、アンナベラの矜持が許さない。
だからドレスを褒めたのだが、実際、女王のドレスは見事な物だった。
「良ければ私も一着欲しいくらいだわ」
「水母に――ゲフンゲフン。これを作った職人にそう伝えておこうぞ」
スイボとは服の職人、あるいは亜人は服職人の事をそう呼ぶのかもしれない。
(会話に詰まったらスイボについて尋ねましょうか)
ファッションやオシャレに興味の無い女性はいない。話題としては申し分ないだろう。
アンナベラは心の片隅に留めておく事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
最初の謎の睨み合い? から一転。会談は終始穏やかな雰囲気で続いていた。
しかし、私はどうしようもない焦りを感じていた。
(ヤバイ。この人、メチャクチャ頭いい・・・)
私は指揮官夫人アンナベラにすっかり呑まれていた。
打てば響く、とは正にこの事か。
会談が始まって、既に三十分は経っているだろうか?
その間、私は一度も話に詰まるとか、気まずくなるとか、そういった経験をしていない。
そうなる前に、アンナベラによって次の話題へと誘導されているからだ。
これがどれだけスゴイ事かわかるだろうか?
趣味が同じ者同士とかならともかく、初めて出会った何の接点もない他人が、ここまで気持ち良く会話なんて出来ないだろう、普通。
自慢じゃないが、私がノリノリで話せるのなんて、趣味のカードゲームの話題くらいだからな。
「手札を伏せておいて、相手の手番の時に使うのですか?」
「そうじゃ。トラップカードと言ってな。相手ターンになるまでは使えぬが、それ以降ならどのタイミングでも発動させる事が可能なのじゃ」
・・・ノリノリでカードゲームの話をしてたわ。
てか、いつの間に。
マズイな。このままだと気分良く、全部話してしまいかねない。
魔法の事とか、水母の事とか、絶対に秘密にしておかないといけないのに。
この世界に転生してからこっち、戦いでピンチになった事は何度もあったけど、こんな形でピンチになったのは初めてだ。
(最初はその厚化粧を見て「スケバンみたい」とか思っていたけどとんでもない。
コイツはキャバ嬢だ。
しかもキャバ界のレジェンド。トップ・オブ・ザ・トップ。
男に全財産を貢がせておいて、「それでも彼女と出会えて幸せだった」と言わせる事の出来るスーパーキャバ嬢だ)
相手に敵意がないだけに、逆にどうすればいいか分からない。
大陸の三大国家の一角大モルト。その大国を実質的に支配しているアレサンドロ家。
その当主の妻もただ者じゃなかった、という訳だ。
マズイ、マズイわ。何とかしないと・・・。
気持ちは焦るが方法が見つからない。
私は蜘蛛の巣に誘い込まれ、絡み取られたような気分になっていた。




